ドストエーフスキイ全作品読む会
ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.200 発行:2023.10.4 



『正直な泥棒』の真相 研究者もびっくりの新説 (編集室) 


全作品を読む会読書会は、2022年4月に6サイクル目が始まっています。本来は、名称どおり初期作品も外さないで全作品を読みたいのですが、「興味が持てない」「本が入手できない」「主要な作品に時間を割いてほしい」等々の理由から、残念ながら初期作品のいくつかは割愛しています。

かって初期小品の読書会で、研究者・翻訳者でさえびっくりの新解釈が飛び出したことがありました。解説や評論が見当たらない小作品だからこそでしょうか。2012年2月8日に開かれた『正直な泥棒』がまさにそれでした。「取り立てて論じるほどの内容はない」という雰囲気に支配され、議論が中だるみになっていたころ、Hさんの口から飛び出した新説に参加者全員あっけにとられました。Hさんによる物語の真相は次のとおりです。

真相:毛皮外套を盗んだ泥棒とアスターフィ・イヴァーヌイチのズボンを盗んだ男は同一人物である。つまり両方ともかのエメーリャである。彼は死んではいなかった!最後の臨終場面は、アスターフィ・イヴァーヌイチの作り話なのである。

この作品は、「わたし」の語りにアスターフィ・イヴァーヌイチの語りが挿入される、二重の入れ子構造になっています。そのためか、最後までよくわからないという印象がつきまといます。そんな中、飛び出したのが、Hさんの「エメーリャ=外套泥棒説」でした。耳にしたとたん、「あ、そうだったのか」と腑に落ちるところがありました。

この小品の見どころは何といってもエメーリャという人物です。ドストエフスキーの後の大作に心を奪われるとつい見落としがちになるのですが、この種の『貧しき人々』で見出され、プロハルチン氏や「弱い心」のヴァーシャに連なる片隅のリアルかつ空想的なタイプが、後にシベリアで民衆と出会う前から、ドストエフスキー作品の核心部分に存在していたことを実感させられます。

なお、この小品は1848年に発表されたときは「世馴れた男」という題名でしたが、後に「正直な泥棒」に改題されました。


アスターフィ・イヴァーヌイチとエメーリャ

世馴れたいい人のアスターフィ・イヴァーヌイチと宿無しの酔っ払いエメーリャの奇妙な邂逅をたどってみましょう。

エメーリャは、アスターフィ・イヴァーヌイチの家に転がり込み居座ります。まるで、主人を慕う犬ころのようにつきまとって離れません。そのくせ、スルリと抜け出しては酔っぱらって帰ることを繰り返します。アスターフィ・イヴァーヌイチが叱りつけると一日二日はじっとしていますが、三日目にはまた抜け出します。アスターフィ・イヴァーヌイチはほとほとあきれ果て追っ払おうとしますが、一方で、帰ってこないとなると、これまた心配でたまらなくもなるのです。「もし、エメーリャが行ってしまったらおれの世の中も味気なくなくなるだろう」とも考えます。そこでなんとか教育しようと試みますが、箸にも棒にもかかりません。

叱られて数日禁酒しているエメーリャは、沈み切って腑抜けのようになり、ぼんやり座ったままです。そんなエメーリャを見ると、ついかわいそうになってしまうアスターフィ・イヴァーヌイチなのでした。ある日、夜の祈祷式に出かけて帰ってくると、エメーリャがまたしても酔っぱらっています。はっとして、一張羅のズボンを確かめると影も形もありません。アスターフィ・イヴァーヌイチのそぶりから冷たい怒りを察知したエメーリャは、四つん這いになって寝台の下に這入りこみます。やがて這い出てきた彼は体中ぶるぶる震わせおびえきっています。その様子は、アスターフィ・イヴァーヌイチをぞっとさせました。このあたりのディテールは圧巻です。

それから二週間というものエメーリャは酒浸りになります。その後、出かけなくなったかとみると、こんどはじっと黙りこくって三日三晩、座りとおします。ふと見ると彼は泣いているのでした。かわいそうでたまらなくなったアスターフィ・イヴァーヌイチは「前のとおり二人で暮らしていこうじゃないか」となぐさめます。するとエメーリャは「あなたが外へ出るときに、長持ちに鍵をかけるのがつらい。もう、いっそ出て行かせてください」そう言って、彼は本当に出て行ってしまいます。

三日待ってもエメーリャは帰ってきません。四日目、心配で仕方がなくなったアスターフィ・イヴァーヌイチは居酒屋を探し回ります。ところが、五日目の夕方、ひょっこり真っ青な顔をして泥だらけになって帰ってきます。腹ペコらしく食事には飛びつきましたが、酒には手を出そうとしません。それから寝たきりになり、一週間余りで臨終の場面になります。エメーリャは、「死んだらわたしの外套を脱がせて売ってください」と言い、最後に「例のズボンはわたしが取ったのです」と言い残して死ぬ、という結末です。

新解釈:「エメーリャ=外套泥棒説」が真相であるという仮定を踏まえて。

・エメーリャは死んではいませんでした。彼は二年前に別れたアスターフィ・イヴァーヌイチを探し回っていたのです。ようやく引っ越し先を探しあててやって来たのでした。最初に来た時は「わたし」しかいなかったので、翌日、再び来ました、その時は、間が悪く「わたし」がアスターフィ・イヴァーヌイチに修繕を頼んでいた外套を体に合わせていたところでした。そこで、エメーリャは、「わたし」の外套を狙って盗んだのです。悔しがるアスターフィ・イヴァーヌイチに、「わたし」は「それでもきみの外套が無事だったのがまだしもだよ」となぐさめています。

・アグラフェーナは口をポカンと開けたまま、泥棒を見つめるばかりで、身動きもしませんでした。エメーリャとは顔見知りだったのではないでしょうか。

・アスターフィ・イヴァーヌイチはすぐに泥棒の後を追いました。にもかかわらず取り逃がしてもどって来ます。その間10分。二人は再会して会話を交わしたのではないでしょうか。遠くない時期に、エメーリャはアスターフィ・イヴァーヌイチの元に舞い戻り二人の生活が再開されるのではないか、そう予感させられます。

・自分の外套が盗まれたわけでもないのに、アスターフィ・イヴァーヌイチの大げさな悔しがり方は度を越しています。「わたし」に対して、泥棒を取り逃がした不手際をしきりに後悔し、泥棒を非難して見せますが、その一方で、「正直な泥棒」という矛盾した表現は、エメーリャをかばっているかのようです。

・ズボン盗難で、アスターフィから冷たいそぶりをされたエメーリャは二週間ばかり酒浸りになりますが、その時の飲み代はズボンを売って得たものでしょう。

・「いっそ出て行きます」と出て行ったエメーリャですが、はやくも五日目には舞い戻ってきます。ズボンを売った金も使い果たし、食べるにも事欠くようになったのでしょう。

・舞い戻ってきて三日目、がたがた震えるばかりで、酒どころか一口も食べなくなったエメーリャを心配して、アスターフィ・イヴァーヌイチは、近所の馴染みの医者を呼びます。このときの医者とのやり取りがなにやら奇妙です。医者は散薬をすすめますが、アスターフィ・イヴァーヌイチは、医者を信用せず、薬を与えません。エメーリャの容体がいったいどの程度だったのか、疑問が残ります。

・アスターフィ・イヴァーヌイチが「わたし」に「旦那、わっしの見ている目の前で、エメーリャは息を引き取ったのでございます。」(米川訳 P.335)と言った後に、再び、エメーリャの様子に戻って話を続けるのがやや不自然に思われます。

・物語はエメーリャがズボンを盗んだことを告白して、アスターフィ・イヴァーヌイチの腕の中で息を引きとるところで終わっていますが、その後の・・・が不自然なほど長たらしくて思わせぶりすぎます。

・この手記を書いた「わたし」(無名氏:10年間引きこもっていた人物)はすべてをお見通しだったのかもしれません。

・この小品におけるドストエフスキーの仕掛けは成功したといえるでしょうか。当時の批評家や読者はこの真相を読み解けたでしょうか。