Medical Dostoevsky&My Dostoevsky
ドストエーフスキイ全作品を読む会 『読書会通信』No.164(2017)


チホンvsスタヴローギン 二つの疑問


下原 康子


ドストエフスキーの『悪霊』(1871)の「スタヴローギンの告白−チホンのもとで」の章はそれこそ様々な議論の的になっているが、ここでは、チホンとスタヴローギンの会話の中で、私自身、気になった二箇所について想像を交えて触れてみたい。


1.トルストイへのオマージュ?

気づまりな雰囲気で始まったばかりの二人の会話を、スタヴローギンが唐突に打ち切って、(壁に貼られていたと思われる)地図について訊ねる場面がある。

「ふむ・・・・ところであの地図はなんの地図です?おや、この前の戦争の地図だ!なんのためにこんなものを?」
「地図と本文を対照しておるのです。たいへんおもしろい記録でしてな」
「見せてください。なるほど、文章は悪くない。それにしても、あなたにしては奇妙な読み物ですね」
彼は本を引き寄せて、ちらとそれをのぞいた。それは、この前の戦争の状況の膨大な、才能ゆたかな記録であったが、軍事的というより、むしろ純文学的な見地から見てそう言えるものだった。しばらく本をひねくりまわしていてから、急に彼はもどかしげにそれを突き返した。(江川卓訳)


これだけの記述だが、リュドミラ・サラスキナさんの「ドストエフスキーの創作原理からすれば、偶然のディテールはない」という主張に賛同している者としては、<この純文学的見地から見て才能豊かな本>について気にしないわけにはいかない。まず浮かんだのはトルストイの『戦争と平和』(1869)だが、ロシアのナポレオン戦争(1812)を「この前の戦争」とは言わないだろう。トルストイの年譜を見たら1853年のクリミア戦争で将校として従軍し、セヴァストーポリで激戦に参加し、その体験を『セヴァストーポリ』(1855-56年) という作品に結実させたとあった。手元にあった河出書房新社『トルストイ全集2』に「セヴァストーポリ」(中村白葉訳)が収録されていた。100頁を超える中編である。(この全集は49歳で早世した親友の伊東佐紀子さんの遺品である)これがチホンが読んでいた本だと思われる。それにしても、ドストエフスキーは何のためにこの挿話を入れたのだろうか。チホンの複雑な性格に何か付け加えるためだろうか、それとも、ドストエフスキーからトルストイに向けたオマージュであろうか。ドストエフスキー(1821-1881)とトルストイ(1828-1910)はまさしく同時代を生きたロシアの二大文豪である。しかし、直接あいまみえたことはなかったようだ。

「スタヴローギンの告白ーチホンのもとにて」の章は、当初第2部第8章の「イワン皇子」のすぐあとに続く章として書かれたが雑誌掲載を断られた。その後「告白」の存在は知られることなく、半世紀近くが過ぎた1921年(ドストエフスキー没後40年かつ生誕100年)に原稿が発見されるまで陽の目を見なかった。したがって、トルストイが「告白」を読んだ可能性はない。だが、もし、読んでいたとしたら『セヴァストーポリ』の挿話をドストエフスキーからのなんらかのメッセージと感じたろうか。

トルストイついでに言えば、さらに気になるのが「ステパン氏の最後の放浪」から「トルストイの家出」への連想だ。ステイナー『トルストイかドストエフスキーか』の最後の章に「アスターポヴォ駅の官舎で、トルストイは『カラマーゾフの兄弟』とモンテーニュの『エッセイ』を枕頭においていたと伝えられている」とあった。
(ジョージ・ステイナー 中川敏訳 白水社 1968 P.349)。関連して、トルストイのA.K.チェルトコワ宛手紙(1910.10.23)の中に「『カラマーゾフの兄弟』を読みにかかりました」とあり、グロスマン「年譜」には、「2010年10月28日。A.L.トルスターヤ(トルストイの3女)宛手紙。『カラマゾフの兄弟』第二巻をコゼリスクに送ってほしい(1910.10.28.)」とある。“枕頭”はともかく、トルストイが最晩年に『カラマーゾフの兄弟』を読んでいたのは確かだと思われる。


2.『悪霊』第三のメタファ 「熱い・冷たい・ぬるい」

スタヴローギンとチホンは無神論について以下の会話を交わす。

「でも、神を信じないで、悪霊だけを信じることができますかね?」
「おお、できますとも、どこでもそんなものです」
「あなたはそういう信仰でも、完全な無信仰よりはまだしもと認めてくださるでしょうね・・・」
「それどころか、完全なる無神論でさえ、世俗的な無関心よりはましです」(江川卓訳


このやり取りのあとで、スタヴローギンはなぜか奇妙にそわそわとうろたえ気味になり、「では、覚えておられますか、『ラオデキヤにある教会に書き送れ』とか?」と尋ねる。チホンは即座に「ヨハネの黙示禄第8章」の該当箇所を暗唱する。

「ラオデキヤに在る教会の使いに書き送れ。アーメンたる者、忠実なる真なる証人、神の造りたもうものの本源たる者かく言う、われ汝のおこないを知る。汝は冷やかにもあらず熱きにもあらず、われはむしろ汝が冷やかならんか、熱からんかを願う。かく熱きにもあらず、冷やかにもあらず、ただぬるきゆえに、われ汝をわが口より吐き出さん。汝、われは富めり、豊かなり、乏しきところなしと言いて、己が悩める者、憐れむべき者、貧しき者、盲目なる者、裸なる者たるを知らざれば・・・」(ヨハネの黙示録 章3) 
「たくさんです」スタヴローギンが口を入れた。「実はですね、ぼくあなたが大好きなんです」「私もあなたが好きですな」チホンが小声で答える。(江川卓 訳)

チホンはスタヴローギンの心理に深く入り込み、読む前から「告白」の意味するところを予感していたかのように見える。チホンは言う。「あなたはただぬるきものでありたくないと思われた。あなたは異常な意図に、おそらくは、おそろしい企画に押しひしがれておられるように思いますぞ」

この同じヨハネの黙示録の一節が、『悪霊』3部第2章のステパン氏臨終の場面で、福音書売りのソフィアによって朗読される。ステパンの頼みに応じて、ソフィアがあてずっぽ開いて読み上げたのが偶然にもこの一節だった。ステパンは目をきらきらさせ、枕から頭を起こしながら「ぼくはそんな偉大な箇所があろうとは、ついぞ知らなかった!」と叫ぶ。それから急激に衰弱していく中で、「もう一か所、読んでもらえますか・・・豚のところを」と頼み込む。朗読を聞いたステパン氏は興奮し、あの連中(ピョートルたち)を「病人から出て豚に入った悪霊ども」になぞらえ、自分があの連中の先頭を行く親玉だったかもしれない、と語る。やがて、うわごとを言いはじめ意識を失い死ぬ。

ここからは私の想像だ。「告白」の発表が不可能になったことを受けて、ドストエフスキーは、この「ヨハネの黙示禄の一節」を、エピグラムに掲げた二つのメタファ(「豚の群れに入って溺れる悪霊ども」と「プーシキンの詩の悪鬼」)に加えるべく、第三のメタファとして物語の最後に提示したのではないだろうか。

「熱い・冷たい・ぬるい」から想起されるのは、『マクベス』の魔女の「きれいは汚い、汚いはきれい」である。ドストエフスキーの小説には、『悪霊』に限らず、このオクシモロン(矛盾撞着技法)的な登場人物が少なからずみうけられる。


『悪霊』における「熱い・冷たい・ぬるい」から見た人物像 (逡巡しつつ・・・)
熱い    冷たい  ぬるい
ワルワーラ夫人    スタヴローギン
ピョートル     ステパン  
シャートフ    リプーチン 
キリーロフ    レビャートキン  
ヴィルギンスキー   リャムシン  
エルケリ シガリョフ  
マリヤ・レヴャートキナ   
リーザ     
ユリヤ夫人     レンプケ
マリー      
ガガーノフ(息子)    カルマジーノフ