Medical Dostoevsky&My Dostoevsky
ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.207 発行:2024.11.25
芥川龍之介「侏儒の言葉」より
★ドストエフスキイ
ドストエフスキイの小説はあらゆる戯画に満ち満ちている。尤もその又戯画の大半は悪魔を憂鬱にするに違いない。
★自由意志と宿命と
兎とに角かく宿命を信ずれば、罪悪なるものの存在しない為に懲罰と云う意味も失われるから、罪人に対する我我の態度は寛大になるのに相違ない。同時に又自由意志を信ずれば責任の観念を生ずる為に、良心の麻痺を免れるから、我我自身に対する我我の態度は厳粛になるのに相違ない。ではいずれに従おうとするのか?
わたしは恬然と答えたい。半ばは自由意志を信じ、半ばは宿命を信ずべきである。或は半ばは自由意志を疑い、半ばは宿命を疑うべきである。なぜと云えば我我は我我に負わされた宿命により、我我の妻を娶めとったではないか? 同時に又我我は我我に恵まれた自由意志により、必ずしも妻の注文通り、羽織や帯を買ってやらぬではないか?
自由意志と宿命とに関らず、神と悪魔、美と醜、勇敢と怯懦きょうだ、理性と信仰、――その他あらゆるてんびんの両端にはこう云う態度をとるべきである。古人はこの態度を中庸と呼んだ。中庸とは英吉利語イギリスごの good sense である。わたしの信ずるところによれば、グッドセンスを待たない限り、如何なる幸福も得ることは出来ない。もしそれでも得られるとすれば、炎天に炭火を擁ようしたり、大寒にうちわを揮ふるったりする痩やせ我慢の幸福ばかりである。
★神
あらゆる神の属性中、最も神の為に同情するのは神には自殺の出来ないことである。
又
我我は神を罵殺する無数の理由を発見している。が、不幸にも日本人は罵殺するのに価いするほど、全能の神を信じていない。
★民衆
民衆は穏健なる保守主義者である。制度、思想、芸術、宗教、――何ものも民衆に愛される為には、前時代の古色を帯びなければならぬ。いわゆる民衆芸術家の民衆の為に愛されないのは必ずしも彼等の罪ばかりではない。
又
民衆の愚を発見するのは必ずしも誇るに足ることではない。が、我我自身も亦民衆であることを発見するのは兎とも角かくも誇るに足ることである。
又
古人は民衆を愚にすることを治国の大道に数えていた。丁度まだこの上にも愚にすることの出来るように。――或は又どうかすれば賢にでもすることの出来るように。