Medical Dostoevsky&My Dostoevsky
ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.156(2016.6)


『カラマーゾフの兄弟論 砕かれし魂の記録』を読む 
芦川進一著 河合文化教育研究所 2016.4.20 

下原康子


私がはじめて最後まで読みきった研究書と言って過言ではありません。もちろん、すんなり入れたわけではなく、なぜ冒頭にリーザが?と戸惑ったのも事実です。でも、いつのまにか水門が開いていました。流れは穏やかに見えましたが、そこかしこに深い淵があり溺れそうになりました。渦巻きや急流にも遭遇しました。それでも泳ぎきることができました。そして今、聖書とイエスは私にとって遠い存在ではないし、これまでもずっとなじみであったような気さえしています。 

イワン、リーザ、スメルジャコフの分析に目を見張りました。一番うれしかったのは、謎と混乱のイメージのまま遠ざかりつつあったイワンが、「ロシアの小僧っ子」として復活したことです。物語が始まる前の主人公から光をあてて考察する芦川さんの手法は清水正さんと共通したところがあります。熱っぽい空想の力にも似通ったものを感じました。

カラマーゾフを初めて読んだとき、「リーザは私だ」と感じたことを思い出しました。その後、他の登場人物に気をとられ、取り立ててリーザについては考えなくなりましたが、このたび新たな関係性に気づかされ、深い意味を伴って甦りました。思春期の、とりわけ問題を抱えた少女たちは少なからずリーザだと思います。そして、彼女たちの母親はホフラコワ夫人です。今の私は夫人に似ています。 

もっとも驚いたのは、スメルジャコフとアリョーシャの関わりについての指摘です。唯一スメルジャコフだけはアリョーシャから落ちこぼれた人物ととらえていました。それはアリョーシャを貶めることになるのでいい気持ではありませんでした。だから、二人に接触があったという芦川さんの指摘は、びっくりすると同時にたいへんうれしいものでした。ドストエフスキーはあえて書かなかったりわざとわかりにくく書いたり、ややこしい仕掛けをするので、時には躓くこともあります。でも、全体として清々しい印象は何度読み返しても変わりません。これからもずっと読みつづけながら、イエスへの理解も深めていけたら、と思っています。四半世紀かけて実現を見たこれまでにない試み、静かな文面からあふれる情熱に感動しました。