ドストエーフスキイ全作品読む会
ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.193 発行:2022.8.15


ドッペルゲンガーから読む『分身』 


下原康子


『分身』は『貧しき人々』で一夜にして文壇のシンデレラボーイになった25歳ドストエフスキーの第二作です。半年余りで書き上げられました。13章からなる中編で、わずか4日間の物語です。発表当時は『分身 ゴリャートキン氏の冒険』という題名でした。ドストエフスキーの意気込みに反して、文壇では「冗長すぎてとうてい最後まで読み通せない」とはなはだ不評でした。

『貧しき人々』と同様にゴーゴリの影響が顕著です。ストーリーは『狂人日記』そっくり、「分身」のアイディアは『鼻』を連想させます。とはいえ、現在においても、この2作品ほどには読まれていないようです。

このたび、わたしが、8月読書会報告として準備した資料のメインは「分身」に関する現代の医学的知見の紹介です。一見、文学にはなじまない情報ですが、わたしにあっては、長い間敬遠していた『分身』を再発見するために必要な行程でした。

<医学的「分身」>という「鍵」を用いることによって、ようやく、身体と精神の両面において《ゴリャートキン=新ゴリャートキン》という発見に至ることができました。『分身』もまた、ディテールにドストエフスキー独自の親密リアリズムが宿る、比類なき「徹頭徹尾真実な物語」でした。ドストエフスキーが「わが主人公」と呼んだゴリャートキンと『貧しき人々』のジェーヴシキン、二人のセリフは取り換え可能なほど似ています。長い間喉につかえた小骨だった『分身』がわたしのお気に入りベスト10の仲間入りをしました。

『分身』のロシア語の原題、ドヴォイニーク(двойник)は、ドイツ語ではドッペルゲンガー(Doppelganger)、英語ではダブル(double)、日本では自己像幻視と呼ばれ、自分とそっくりの姿をした「分身」を見る現象です。古くから神話・伝説・迷信の伝承のなかに、また、文学作品(ゴーゴリ、ポー、モーパッサン、ワイルド、芥川龍之介、梶井基次郎など)のなかで描かれています。一方、医学においては、その現象は幻覚(illusions)と診断される症状なのです。

自己像幻視の現象(症状)は医学用語ではオートスコピー(autoscopy)、日本の医学論文では「二重身体験」と索引されています。純粋に視覚のみに現れる現象であり、たいていは短時間で消えます。現れる自己像の多くは自分の姿や動きを真似るだけの鏡像で、独自のアイデンティーや意図は持ちません。しかし、まれな例として、より奇妙な、本人とその分身のあいだに相互交流がある自己像幻視、ホートスコピー(heautoscopy)が報告されています。分身との関係は友好的な場合もありますが、敵対的なことのほうが多く、どちらが「オリジナル」でどちらが「分身」なのかに関して、ひどい混乱が起こり、最後には「分身」を殺すことで、自殺に追いやられることさえあります。

3点の資料を紹介します。



資 料 1
 米川正夫『分身』について
(典拠:米川正夫「ドストエーフスキイ研究」第2章:分身(『ドストエーフスキイ全集 別巻』)

解 説
米川正夫さんの『分身』論です。今更のように気づいたのは、ゴリャートキンはジェーヴシキンの「分身」であり「継承」に他ならないことでした。のみならず、「ドストエフスキーの創作において、ゴリャートキンは最初の大きな道標の役目をつとめている」という米川さんの指摘に深く共感します。ゴリャートキンもまた、ドストエフスキーが愛した滑稽と悲哀をまとったドン・キホーテの仲間の一人です。

ベリンスキイは、この作品に漲っている幻想的な色彩を、根本的な欠陥と見なして、「現代では、幻想的なものは精神病院でのみ扱われるべきもので、文学においてではない。これは医師の管轄の属すべきもので、詩人の関するところではない」と断定している。

しかしながら、かつてベリンスキイは、科学も文学も同様に、自然・人生の真実を究明することを使命とするが、ただ違うところは、科学が理論と証明を手段とするのに対して、文学は形象の再現によって、感情を通して認識させる点に存する、というような意味を述べたことがある。まさしく、ドストエーフスキイは『分身』のなかで「幻想的なもの」(この場合では精神錯乱)という人間的な一現象を、形象によって再現したのであって、ただ芸術的な表現が完璧でなかったというに過ぎない。

1956年に発表された『ドストエーフスキイ』で、エルミーロフが、ベリンスキイの断定を敷衍して、「精神病理そのものは臨床家の分野であって、芸術家のそれではない。『分身』の中ではそれが独立した意義を持った場合が多すぎる」といい、作者は「病める魂の上に超越することなく、主人公の世界感覚と一体化した」ことを責めている。まさしくドストエーフスキイは非凡な作家として、主人公の世界感覚と一体化したには相違ないが、それと同時に「病める魂の上に超越」したのである。もしそうでなかったら、ドストエーフスキイはゴリャートキンといっしょに、発狂していたはずではないか。

エルミーロフは、『狂人日記』の中には詩があるけれども、『分身』にはただ精神病理学があるのみだ、と断定している!それよりもさらに前にベリンスキイは、『分身』によって初めて芸術化された近代文明の産物、近代都会の生んだ現象を、いとも簡単に否定したばかりか、嘲笑せんばかりであった。ところが、ドストエーフスキイは、これを科学の反面である文学によって、大きく肉づけしたのみならず、かかる現象に対して人類的な悲哀をいだき、これを絶滅せんことを、おそらく無意識に祈願したのである。

かくしてドストエーフスキイは、『狂人日記』のポプリーシチンの発狂、『鼻』のコヴァリョフの分裂という二つのテーマを総合して、先師をはるかに凌ぐ思想的な作品を創造した。彼は自分の鋭い感覚と知性をもって、ゴーゴリの幻想的な作品の蔵する魅力を分析し、その思想を深化し、現代化したうえ、どうしてこのような現象が起こるかを示したのである。

主人公のゴリャートキンは、単に地下生活者のみならず、『悪霊』のスタブローギン、『未成年』のヴェルシーロフ、イヴァン・カラマーゾフの先駆者として、ドストエーフスキイの創作において、最初の大きな道標の役をつとめている。ドストエーフスキイ自身も、その意義を自覚して、1877年の『作家の日記』でこんなことをいっている。

「この小説は断然失敗であったが、その着想はかなり立派なもので、あの構想以上にまじめなものは、わたしもかつて文学の中へ導入したことがない。が、形式はぜんぜん不成功であった。その後15年たって、うんと直したけれど、そのときもこの作品がまったくの失敗作だということを、ふたたび確信した。もしいまわたしがこの着想を取り上げるとしたら、ぜんぜん別の形式を与えたであろう」



資 料2:
 オットー・ランク: 精神分析学的『分身』論

典拠:『分身 ドッペルゲンガー』オットー・ランク 著 有内嘉宏 訳 人文書院 1988
第2章 文学における分身像:ドストエフスキー『分身』(P.42-52)


解 説
フロイドの弟子だった精神分析学者オットー・ランク『分身 ドッペルゲンガー』から抜粋しました。みごとにダイジェストされた「精神分析的あらすじ」です。
「高度なその芸術的業績は、パラノイア症候群の特徴を見落とさないだけでなく、妄想の形成を患者自身の立場から周囲の人びととその波紋を描かせていく、完璧な叙述の客観性に特徴がある」と述べています。

われわれの主題(分身)が最も衝撃的に、しかも心理的に最も深く表現されているのは、おそらくドストエフスキーの若き日の小説『分身』(1846)であろう。ドストエフスキーは精神障害の突発を、──病気に対する認識不足から──自覚せずに、あらゆる都合の悪い体験をパラノイア的解釈から秘密裁判所(フェーメ)の迫害とみなす── 一人の人間を通して描きあげている。妄想とその現実との混同へ徐々にのめりこんでいくさま、── 本来はそれが外的ストーリーに乏しい物語の全内容である ──が、卓抜な手並みで叙述される。高度なその芸術的業績は、パラノイア症候群の特徴を見落とさないだけでなく、妄想の形成を患者自身の立場から周囲の人びととその波紋を描かせていく、完璧な叙述の客観性に特徴がある。破局に至るまでのわずかな数日間に凝縮された展開は、物語全体を転載する以外にはほとんど再現のしようがあるまい。だが、ここではただ、簡単に個々の発展段階の特徴をしるすしかない。

物語の不幸な主人公ゴリャートキン氏名目参事官は、ある朝、役所に出向く代わりに、国政参事官ベレンジェーエフ、つまり、「ある意味で父親代わりになってもらった、大昔からの恩人」の館で催される晩餐会に出かけるために、格別念入りに品よく身支度をする。ところが早くもその道中で、さしあたり彼に計画を変更する気にさせるさまざまなことが起こる。馬車の中から彼は二人の若い役所の同僚を見かけるが、その一人は彼を指さし、もう一人は大声で彼の名前を呼んだように思われた。彼は「この愚劣な小僧っ子ども」に腹をたてているうちに、また新たな一段と都合の悪い事件に行く手を阻まれる。彼の直属の課長アンドレイ・フィリッポヴィチの瀟洒な儀装馬車が彼の馬車の傍らを通り過ぎ、課長は、このような状況で部下に出会ったことにどうやら驚いたとみえる。

ゴリャートキン氏は、「言い知れぬ苦悩に満ちた重苦しい不安にかられて」自問する。「課長に、おれがだれだか明らかにしたほうがいいのだろうか。それとも、まるきりおれじゃなく、おれと取り違えるほど似た、赤の他人のように、何食わぬ顔をしていたものだろうか?」「そうですとも、私はともかく私じゃございません・・・とにもかくにも、全くの別人でございます・・・ええ、それだけのことです」。結局、彼は上役に挨拶をしない。この馬鹿げた振る舞いや、そう仕向けた仇敵どもの悪意を思い出してほぞをかむうちに、ゴリャートキン氏はほんの数日前にはじめて知り合ったばかりだが、「主治医のクレチアン・イヴァーノヴィチに、彼自身の精神安定のために何かとても重要なことを伝えたい切実な欲求」を覚えた。

見るも無残にうろたえながら向かい合った医師に、彼は回りくどく、パラノイア患者特有のあいまいさで、実は敵に、「私を破滅させようと誓いを立てたあの意地悪な仇敵ども」につけねらわれています、と打ち明ける。連中は毒薬さえ手を出しかねないが、とりわけ道徳的に私を葬ることが狙いであり、そのために、さも意味ありげにほのめかされるさる女性との関係が切り札として使われているのです、と彼はさりげなく漏らす。連中がとかく彼を結びつけて中傷する、このドイツ人の女将と、彼がまさに物語の冒頭で訪ねようとする昔の保護者の令嬢クララ・オルスーフィエヴナは、きわめて繊細かつ個性的に説明される色情狂的な彼の幻想を支配しているのである。「このけがわらしいドイツ女の巣窟には悪の諸力の全軍が潜んでいる」と確信する彼ゴリャートキン氏は、恥じらいながら医師にこう告白する。課長と、クララに求婚している昇任したばかりのその甥が、私の噂話を広めたのです。私は以前泊まっていた女将に、食事代のつけを払う代わりに文書で結婚の約束をしなければならなかった、だから、私は「すでに別の女性の婚約者」だなどと。

少し早めに着いた国政参事官の館で、彼はそれとなく歓迎されていないことを知らされ、決まり悪そうに引きさがり、他の客たちが──そこには課長もその甥もいたが──奥に通されるのを茫然として見送るはめにおちる。その後、屈辱的な状況にもかかわらず、彼はクララの誕生日を記念して催される祝賀会に紛れ込み、いざ祝辞を述べる段になると、救いがたい醜態を演じ、一同のひんしゅくを買う。さらにクララと踊る際も彼は足がもつれてつまずき、ついにパーティーの席からつまみ出されてしまう。

深夜、彼は「仇なす敵から逃れるために」、悪天候をついて当てもなく人気のないペテルブルグの通りを駆けてゆく。彼は、「自分自身から身を隠そうとでもするかのように、いわば何よりも自分自身から逃げ出したいかのように」見えた。精も根もつきはて名状しがたい絶望にとらわれた彼は、ついに運河のほとりで足をとめ、欄干によりかかる。と不意に、「たった今、誰かが彼の横、彼のすぐ隣に、同じように欄干にもたれて立っていたように思えた。そして──なんと奇妙なことだろう!──彼に何やら話しかけた気配さえした、早口で手短に、よくのみこめなかったが、何か身近なこと、彼と個人的にかかわりのある話のようであった」。

彼はこの不思議な幻影にかき乱された心を落ちつけようとするが、さらに先を急ぐと一人の男がやって来る。この男こそ自分に向けられた陰謀の主役だと思うまもなく、彼はすれちがいざまに、ひときわ目立つその外見の酷似にぎょっとする。「男も同じようにとても急ぎ足のうえ、同じようにすっぽり外套外套にくるまっていたし・・・彼ゴリャートキン氏と同様、ちょこまかと、せわしなく、小走りに歩いていた・・・」。

三たび同じ見知らぬ男に出会い、途方もなく驚いたゴリャートキン氏は、男の後を追いかけて呼びとめるが、すぐ近くの街灯の光に全身が照らしだされると、人違いでした、とわびる。だが、彼は男をよく知っていることを疑わなかった。「ゴリャートキン氏は男の名前、名字も呼び名も父親の名前までも知っていた。しかし、たとえこの世の宝をみなくれたとしても、決してこちらからは男の名前を呼ばなかっただろう」。

なおも思いをめぐらすうちに、いまや避けられそうにない不気味な出会いを、彼はむしろ一刻も早く待ち望む気になりはじめていた。はたせるかな、ほどなく見知らぬ男はつい目と鼻の先を歩いていた。我が主人公はいまや家路をたどっていたのだが、その紛れもない分身もちゃんと家路を心得ているふうに見えた。分身はゴリャートキン氏のアパートに入り、危険きわまりない階段を敏捷に駆け上がると、ついに、下男が待ち構えていたように開ける住まいに入っていく。ゴリャートキン氏が息せき切って自分の部屋に駆け込むと、「見知らぬ男は、同じように帽子と外套をつけたまま、目の前のゴリャートキン氏の寝台に」腰をおろしていた。どうにも感情をぶちまけられず、彼は「恐怖のあまり体をこわばらせて相手の傍らにへたりこむ・・・ゴリャートキン氏は今宵の友人が何者か即座にわかった。今宵の友人こそ、ほかでもない、彼自身、まさにゴリャートキン氏その人であった。もう一人のゴリャートキン氏でありながら、しかもゴリャートキン氏自身── 一言で言えば、あらゆる点で彼は、いわゆる分身と呼ばれる者であった」。

この前夜の体験が残した強烈な印象は、翌朝の迫害観念の増幅にはっきりあらわれる。以後、迫害観念は、まもなく現実の姿をとり、もはや妄想の産物の中心から消え去ることがない「分身」からいよいよ明瞭に紡ぎだされてくるように感じられる。「職務怠慢のかどで叱責」を覚悟しなければならぬ役所で、主人公真向かいの席に、紛れもなく第二のゴリャートキン氏である、新参の役人を見かける。だが、それは「別のゴリャートキン氏、まったくの別人でありながら同時に、第一の者と全く瓜二つのゴリャートキン氏。同じ背丈、同じ体つきと身のこなし、同じような服装、同じように禿げた頭──要するに、何一つ、いや事実完璧に似せるために何一つ忘れられたものはなく、もし二人を並べて立たせてみれば、だれ一人、まったく実のところだれ一人としてどれが本物のゴリャートキン氏でどれが偽者は、どれが古参でどれが新参か、どれがオリジナルでどれがコピーか、言えなかったであろう」。だが、この忠実な「鏡像」は、そのうえ、同名であり、同じ町に生まれ、両者は確かに双子と見まがうばかりだが、気質の点では、いわば原像と正反対なのである。「鏡像」は無鉄砲者・偽善者・追従者・出世主義者であり、だれにも取り入るすべを心得ているために、不器用・内気・病的なほど誠実なその競争相手をまもなく押しのけてしまう。

これより展開されるゴリャートキン氏と彼の分身との関係は、その描写が小説の主要内容をなしているが、ここでは最も重大な局面しか書きとめられない。最初はきわめて親密な友情関係、いや主人公の仇敵に対抗する盟約さえ結び、彼は新たな味方に最も重大な秘密までも伝える。「僕は好きだ。君が好きだよ、実の兄弟のように好きだ、本当さ。でヤーシャ、君と組んで、やつらにひとついたずらをしてやろうじゃないか」。

ところがまもなく、ゴリャートキン氏は彼の似姿こそ最大の敵であることを嗅ぎつけ、この元凶から身を守ろうとする──分身が主人公の同僚や上司たちの愛顧を横取りする役所でも、また分身がまんまとクララに取り入ったらしい私生活においても。癪なこの男は主人公の夢の中まで追いかけてくる。分身から逃げまどうさなかに似姿の大群に取り囲まれ逃げられなくなる、といった夢をみる。だが、起きているときも、この不気味な関係に悩まされ、挙句のはてにピストルによる決闘を申し込むのである。

この類型的なモチーフのほかに、ここでも鏡の場面がある。しかも、物語が鏡の場面ではじまるのは、その重要性を証拠だてていると思わせる。「さて、ベッドからとび起きるや、彼はまず、箪笥の上に置かれた小さな丸鏡の方へすっとんでいった。鏡に映し出された、近視で髪の毛がかなり薄くなった寝ぼけ顔は、まず絶対にだれの注意もひきそうにない、取るに足らない代物だったが、当人はその映像にいたくご満悦のていであった」。

分身による迫害が山場をむかえる段階になると、ゴリャートキン氏はレストランのカウンターで小さなパイを一個もらえば十倍の勘定を請求され、お客様はこれだけ食べられました、と明確な指摘がある。口も利けぬほどの驚きは、目をあげて「我が主人公がいまのいままで鏡とばかり思っていた」真向かいの戸口に、もう一人のゴリャートキン氏の姿を認めるや、たちまち理解に変わる──つまり人違い、あいつはそれをずうずうしく逆手にとっておれを笑いものにしようとしたのだ。極度の絶望にかられた主人公は、「父親同様の」庇護を求めて最上級の上司を訪ねるが、そのときも同様な錯覚に陥る。閣下と彼のぎごちない面談を突如中断させる「奇怪な客。前にも一度あったことだが、我が主人公がいまのいままで鏡とばかり思っていた戸口に──あの男があらわれた──それは言うまでもなく例のゴリャートキン氏の知人であり友人であった」。

同僚や上役に対する奇怪な振る舞いによって、ゴリャートキン氏は解雇される。だが、他の分身主人公の破局がことごとく女性に結びついているように、本来の破局はここでもクララ・オルスーフィエヴナとかかわりがある。彼の分身や、「ドイツ人の女将」の「弁護人」ワフラーメーエフと手紙のやりとりをしているうちに、手違いから、ゴリャートキン氏は改めて彼の色情狂的幻想をあおる、一通の手紙をひそかに手渡される。その私信でクララ・オルスーフィエヴナは、心ならずも押しつけられた結婚から私を守り、すでに卑劣漢のしくむ陰謀の罠にはまり、いまこうして高潔な救いの神に心中を打ち明けている、この私と一緒に逃げて欲しいと願っていた。

疑い深いゴリャートキン氏は、あれこれ思案に暮れたすえ、やはり呼び声にこたえ、指示通りクララを、夜九時に馬車に乗って彼女の家の前で待つことに決める。だが逢引に向かう道中で、彼はなおも万事を解決する最後の試みを企てる。彼が父と仰ぐ閣下の足下に身を投じ、破廉恥な分身から救っていただきたい、と嘆願してみよう。つまり、「あれは別の人間でございます、閣下。そして私もまた別の人間でございます!彼も一個の独立した人間でございますし、私も独立した人間でございます、本当に、私は完全に自立しておるのでございます」と言うつもりであった。ところが、いざ貴人の前に出ると、彼はうろたえ、どもりながら作り話をはじめ、閣下にもその客人たちにも不審感をうえつけてしまう。とりわけ、その場に居合わせ、ゴリャートキン氏が先に助言を求めた例の医師は、彼を鋭く観察し、もちろん、閣下の寵愛をうける彼の分身もまたそこに居合わせ、結局彼を分身が外に放り出すことになる。

ゴリャートキン氏は長時間クララ家の中庭に潜んで待ちながら計画の利害損失をいま一度すっかり洗い直した。と突然、彼は華やかな証明に照らされたあちこちの窓から見つけ出され──もちろん分身によって──とても愛想よく館に招き入れられる。彼はもくろみが発覚したと思い、不愉快きわまりない事態を覚悟するが、意外にもそのようなことは何も起こらず、逆に、一同から好意的に愛想よく歓迎される。「幸せな気分に襲われ、彼はひとりオルスーフィイ・イワーノヴィチにばかりかすべての客人に対して、いやそれどころか危険な彼の分身に対してさえ、あふれるばかりの愛を感じ、分身もいまでは決して邪悪な敵ではなく、もはや分身そのものですらない、まったくの局外者で親切な人間のように思えた」。

それでも主人公は客の様子から、何か特別なことが準備されているにちがいない、という印象を受ける。つまりは分身と和解させようとしているのだと思った主人公は、接吻のために頬をよせる。ところが、「ゴリャートキン二世氏の下品な顔に何やら邪悪な影が浮かんだようであった──ユダの接吻、うわべの愛情の、あの渋顔が・・・ゴリャートキン氏は頭ががんがん鳴り、目の前が真っ暗になった。ゴリャートキン氏の似姿が果てしない長蛇の列をなして物音もすざまじくドアから部屋の中へなだれ込んできそうな気がした」。

はたせるかな、そこへ不意に一人の男が入ってくる。その姿を見るなり、我が主人公は、「すでに前々から何もかも承知し、似たような事態を予感していた」とはいえ、思わず恐怖にとらわれる。勝ち誇った分身が意地悪く彼にそっと耳打ちするところによれば、それは医者であった。医者は、一同に申し開きをしようとする哀れなゴリャートキン氏を連れ去り、彼と馬車に乗り込むや、たちまち馬車は動き始めた。

「仇敵どもの甲高く響く、まことに抑えがたい叫び声が、別れの挨拶がわりにおくられてきた。しばらくの間、なおも幾人かの人影が馬車と歩調を合わせ、車の中をのぞきこんでいた。だがその数もしだいにへり、ついにはだれも見えなくなった。いまではただゴリャートキン氏の恥知らずな分身だけが残り」、右に左になりながら馬車と並んで走り、別れのキスを送るのだった。しかし、分身の姿もついに消え、ゴリャートキン氏は気を失ってしまう。夜の闇の中でふっと我に返ると、彼は傍らの同伴者から食費も宿泊料も国から支給されます、と聞かされる。「我が主人公はわめき、頭を抱えた──この通りであった、彼はもうとっくの昔にこの事態を予感していたのだ!」



資 料 3 :
ピーター・ブルーガー :ホートスコピイ、てんかん、および自殺

論 文 名:Heautoscopy, epilepsy, and suicide
著 者 名:Peter Brugger et.al
掲載雑誌:Journal of Neurology, Neurosurgery, and Psychiatry 1994;57:838-839


解 説
神経科医によるホートスコピーの症例報告です。ポー、ワイルド、ドストエフスキー、モーパッサンの作品を引用しています。モーパッサン『オルラ』の引用は、ゴリャートキンの「貴下かもしくは小生か、いずれか一人。われら両人の共存は不可能にご座候」という痛ましい手紙を思い起こさせます。患者Aの証言は、オリヴァー・サックス『見てしまう人々 幻覚の脳科学』などで、引用頻度の高い報告です。
 

概 要

ホートスコピイ、てんかん、および自殺は、主として文学の中で知られているトライアド(3つ組)である。 この論文は、ホートスコピイの経験中に自殺を試みた複雑部分発作の患者を報告する。

ホートスコピイ(heautoscopy)は、マルチモーダル(多様式)な重複的幻覚である。古典的なドッペルゲンガーで知られているように、鏡で見られるような身体または身体の一部の単なる視覚的な幻覚であるオートスコピイ(autoscopy)の特徴に加えて、身体から離れた経験(out of body experience)と自分の身体から物理的に分離されているという主に身体的な錯覚をあわせ持っている。

伝統的な民間伝承では分身(ダブル)は常に死の前兆と考えられているが、医学的にはさまざまな神経障害や精神障害の枠組みで説明されており、健康な被験者でも経験される可能性がある。ホートスコピイは小説でよく見られるテーマであり、分身の出現は主人公の死を告げることが多く、通常、その死は自殺である。

その最も劇的な例は、エドガー・アラン・ポーの「ウィリアム・ウィルソン」で、彼は分身を刺そうとして自殺する。また、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』、フランツ・ヴェルフェルの『Spiegelmensch』、フリードリヒ・フォン・ゲルスタッカー『ドッペルゲンガー』の主人公たちも自殺で、第二の自分に取りつかれた恐怖から逃れた。 フョードル・ドストエフスキーの有名な小説『分身』のホートスコピイは、主人公がわれと我が身から逃れたいと願っていた、まさにそのときに初めて現われた。ギィ・ド・モーパッサンの『オルラ』の主人公は、最後に、分身を殺そうとする。「そうだ・・・いささかの疑いもなく・・・あいつは死ななかったのだ・・・すると・・・つまりおれが死ななけれなならぬのだ!・・・」。

これらの作家の何人かは、てんかんを患っただけでなく、おそらく個人的な経験としてホートスコピイを知っていたと思われる。しかし、ホートスコピイと自殺思考との関連が自伝的経験に基づいているかどうかは不明である。 次に述べる患者は、ホートスコピイ、てんかん、自殺という3つの関連を示唆する症例である。

患者Aの症例

21歳の右利きの男性。15歳まで問題になる病歴はなかった。15歳のとき複雑部分発作を発症した。彼は1日3回まで、非常に速く過ぎ去る一連の個人的な感覚を経験し、その間、右手につかんだ物が落ちると報告した。まれに全般発作が起こった。 神経学的および身体的検査は正常だったが、右手を素早く動かす動作速度が低下していた。 発作間欠期脳波は、特に呼吸亢進時に活発な左側頭葉てんかんの焦点といくつかの右側頭葉てんかんの放電を示した。

17歳で頭皮電極を使用した長期ラジオビデオテレメトリー、21歳で卵円孔電極を使用して、彼の典型的な複雑部分発作の6つが記録された。発作の1つを除くすべてが左側頭領域で始まり、放電が右側頭領域に急速に広がっていた。

複雑部分発作の1つは右中脳側頭起源であった。 この発作は、睡眠中に記録され、左中深部起源の複雑部分発作が終了した直後に記録された。 患者は、carbamazepine、 oxcarbazepine、 phenytoinなどの抗けいれん薬で治療されていたが、デジャヴのエピソードを1日2回まで経験しており、一定の効果しか得られなかった。 17歳のときのCTでは、左中基底側頭葉に低密度の2cm病変が認められ、4年後にMRIにより多嚢胞性であることが示された。PETは左側頭葉の代謝低下を示し、包括的な神経心理学的検査は、言語の重度の障害を示唆したが、それは左側頭葉機能障害と互換性のあるエピソードではなかった。 その後、左中深部腫瘍が外科的に切除された。組織学的には、胚形成異常の神経上皮腫瘍として分類された。

訳者注:以下の患者の証言は オリヴァー・サックス『見てしまう人々 幻覚の脳科学』(第14章 ドッペルゲンガー 自分自身の幻)に引用されている。その箇所の訳を転載した。

ホートスコピイが発現したのは入院の少し前だった。患者は フェニトインの服用をやめて、ビールを数杯飲み、翌日はまる一日寝ていて、その晩、三階にある自分の部屋の真下にある大きい茂みのなかで、困惑してブツブツ言っているところを発見された。茂みはほぼ壊滅状態だった。地元の病院に運ばれ、胸部、骨盤など複数の打撲傷が認められた。患者は錯乱状態にあり、脊椎および右足を動かすと痛みに反応したが、放射線学的には骨折はなかった。

患者は次のように説明している。その朝、彼はめまいがするような気分で起きた。あたりを見回すと、まだベッドに寝ている自分が見えた。 彼は「自分だとわかっていて、起きないので仕事に遅刻する危険を冒しているこの男」に腹が立ってきた。その体を起こそうと、まず大声で呼びかけ、次に揺さぶってみて、そのあと何度もベッドのなかの分身に飛び乗った。寝ている体は何の反応も示さない。 そのときはじめて患者は、自分が二人いることにとまどい始め、どちらが本当の自分かわからなくなったことへの恐怖が募った。自覚のある体が、立っているほうとまだベッドで寝ているほうとで何回か切り替わった。ベッドにいるモードのとき、はっきり目が覚めているのに完全に体が麻痺していて、自分の上に覆いかぶさって自分をたたいている人物におびえていた。

彼の目的はただ一つ、再び一人の人間になることだ。窓のそばに立って(まだベッドに寝ている自分の体が見えて)窓から外を見て突然、「二つに分かれているという耐えがたい感覚を終らせるために」、飛び降りることにした。同時に、「この捨て鉢の行動がベッドに寝ている自分を怖がらせ、もう一度私と合体することを促す」ことを願っていた。次に覚えているのは、痛みで目が覚めると病院にいたことだ。

考 察

発作に関連したホートスコピイはよく記録されている。頭頂部または深部側頭病巣の患者で最もよく見られる。複雑部分発作の主たる内容である場合もあれば、大発作に先行する内容の一部である場合もある。私たちの患者のように、経験中の自我は不安定である。ある瞬間には自分の体に閉じ込められ、次の瞬間には分離され、自分の体を外側から見たと報告する。 ホートスコピイは、特に発作との関連において、しばしば激しい恐怖または絶望感を伴う。

ホートスコピイで自殺に至った最初の実録には、昼夜を問わず、ドッペルゲンガーに迫害されたと感じた男が自分を撃ってそれを取り除いた、と述べられている。興味深い実録の1つは、ホートスコピイとは別に側頭葉のてんかんを強く示唆する感覚と精神の状態を示した若い男性の例である。 彼はホートスコピイのエピソードにおいて、自殺を試みる自分を見ながら、同時に山から落ちる自分を感じていた。4年後、彼は岸壁の下で死体で発見された。

Lukianowiczの患者が恐れていたのは、てんかん発作よりも度重なる分身の出現だった。彼は気が狂うのを恐れていて、モーパッサンの『オルラ』の主人公と自分を何度も見比べていた。ある日、彼は路面電車に飛び込みその場で死んだ。40歳の看護師は、学生時代から強直性発作を起こしていた。発作の前には、決まってホートスコピイが先行し、虚しさと惨めさがぐんぐん増大し自殺について考えるようになった。ついに彼女は自殺した。

ホートスコピイ、てんかん、および自殺は、以前に認識されていたよりもよく見られるトライアド(三つ組)である可能性があるが、それぞれの間の相互関係についてはほとんど知られていない。うつ病とてんかんは一般的には関連しており、自殺企図はまれではないため、ホートスコピイの希少性を考えると、トライアドは単なる偶然の一致に過ぎないと主張することはできる。しかしながら、私たちの患者のような少数の生存者の鮮明な説明は、明らかにドッペルゲンガー体験と自殺衝動との因果関係を示唆している。ホートスコピイの臨床体験は民間伝承で知られる「死の予兆」としての「分身」理解の確認を求めている。
(下原康子訳)