Medical Dostoevsky&My Dostoevsky



ドストエーフスキイ全作品を読む会  読書会通信 No.132  発行:2012.6.7


『正直な泥棒』の「エメリヤン=泥棒説」を再び検証する 


下原康子


そう思って読み直すと・・・

・「わたし」の外套を盗んだ泥棒の登場の仕方(2回も)が奇妙である。もし泥棒が生きていたエメリヤンだったとしたら、探していたアスターフィ・イヴァーヌイチを2年ぶりに訪ねあてたのかも。(前にも引っ越し先に入り込んでいたことがある)

・アスターフィ・イヴァーヌイチはすぐに後を追ったにもかかわらず、泥棒を取り逃がしてもどってくる。その間10分。(二人は再会したのでは?)

・自分の外套が盗まれたわけでもないのに、アスターフィ・イヴァーヌイチのあわて方は度を越している。(泥棒がエメリヤンならさもありなん)

・「正直な泥棒」の語りにはなにやら生きているエメリヤンをかばっているようなニュアンスが感じられる。(そう思って読めば・・・)

・泥棒(エメリヤン)はあえて「わたし」の外套を選んで盗んだのかも(アスターフィ・イヴァーヌイチの外套は見覚えがあったから)

・「旦那、わっしの見ている目の前で、息を引き取ったのでございます・・・」(P335)と語ったあとにエメリヤンとの会話が続くのが奇妙。

・アスターフィ・イヴァーヌイチの語りはエメリヤンがズボンを盗んだことを告白し息を引きとったところで終わっているのだが、その後の・・・が長たらしく思わせぶりな印象を残す。

・この手記を書いたわたし(無名氏:10年間引きこもっていた人物)はすべてをお見通しだったのかも?

・アグラフェーナ(小間使いの女)は何かを知っていたのだろうか?

・この小品におけるドストエフスキーの仕掛けは成功したといえるだろうか。