下原敏彦の著作
別冊國文学No.61『ギャンブル』2006( 以下加筆したものです)



ドストエフスキーとギャンブル 


十九世紀のロシアの小説家ドストエフスキーは、『貧しき人々』、『罪と罰』、『悪霊』、『白痴』、『未成年』、『カラマーゾフの兄弟』の作者として知られている。そして、その人生は、国家反逆罪の廉で死刑判決の後、シベリヤ流刑を体験したことや癲癇症という先天性持病に苦しんだ患者ということでもひろく紹介されている。

しかし、この大文豪が一時期ギャンブル狂いしていたことは、あまり知られていない。シベリアから戻ってから約十年間。正確には一八六三年八月から一八七一年四月まで。年齢的には四十歳代の中年真っ盛りの時期、外国で放浪暮らしをしながらルーレット賭博に明け暮れていたのである。だが、この事実を年譜や略歴に入れている書物は少ない。あっても「賭博好きな性格」といった程度である。しかし、私の見解では、文豪とギャンブルの関係は、その後の文豪の人生を左右する重大事であり、且つドストエフスキー文学を理解する上で最重要事項と思うところである。故にこのたびの特集を機会にその関係を検証してみた。

作家がギャンブルに熱中する。洋の東西を問わず、それ自体は珍しいことではない。自らのギャンブラーぶりを自慢する人さえいる。が、私はドストエフスキーの賭博熱は、そうした人たちのギャンブルとは、まったく違う性質のものだった、とみている。加えて、その賭博熱の突然の消え去り。そこには、あの『ダ・ヴィンチ・コード』をはるかに凌ぐ謎、全人類救済にとって必要不可欠な謎が秘められている、とみるのである。

まず、はじめに文豪ドストエフスキーの賭博熱とは、いったいどんなものだったのか。確かな証言として妻アンナ夫人の観察記録がある。夫人は、文豪がギャンブルに熱中している最中、一時期ではあるがその様子を克明に日記につけていた。そこには、文豪のギャンブル三昧の日々があますところなく記されている。その個所について『アンナの日記』(河出書房新社)の訳者木下豊房氏は、あとがきでこう述べている。
「賭博者ドストエーフスキイ」のテーマはそれ自体独立した興味を成すものであるが、バーデン・バーデンでルーレットに明け暮れるドストエーフスキイのすざまじい姿は、日々傍らにあって生活を共にした夫人の『日記』(一八六七年六月二十三日〜八月十一日)を読まなければほんとうにはつかめないだろう。まことにそう思うところである。文豪のギャンブル狂いを真に知りたければ、是非、読んでもらいたい。ここに書かれてあるのは、ほとんどルーレットに持っていくお金の話である。勝ってくるといって出かけていっては、すぐにすってしまったと戻ってくる。こんどこそ、といってお金をねだる。夫人がわたすと、また出かけていく。そして、すぐにすって子どものようにしょんぼりかえってくる。毎日が、このくりかえしである。
 
この日記から推察できることは何か。文豪のギャンブル狂いは、単に賭博熱が高じたのものではなく、もっと他の・・・たとえば嗜癖という魔力に駆り立てられての行為だったのではないか。つまりギャンブル依存症だったのではないか、という疑いである。依存症と賭博熱は、傍目には同一行為に見える。が、似て非なるものである。アンナ夫人が、文豪のルーレット狂いをどのように見、どのように理解していたのか。夫人の貴重な記述があるので紹介する。

はじめのうち、あれほどさまざまの苦しみ(要塞での監禁、処刑台、流刑、愛する兄や妻の死など)を男らしくのりこえてきたフョードル・ミハイロヴィチ(ドストエフスキー)ほどの人が、自制心をもって、負けてもある程度でやめ、最後の一ターレルまで賭けたりしない意志の力をどうして持ちあわせないのか不思議でならなかった。このことは、彼のような高い性格をもったものにふさわしからぬある種の屈辱とさえ思われ、愛する夫にこの弱点のあることが残念で腹だたしかった。けれどもまもなく、これは単なる「意志の弱さ」などではなく、人間を全的にとらえる情熱、どれほどつよい性格の人間でもあらがうことのできない何か自然発生的なものだということがわかってきた。そう考えて耐え忍び、賭博への熱中を手のほどこしようのない病気とみなすほかはなかった。(『回想のドストエフスキー』)

夫人は文豪の賭博熱を「手のほどこしようのない病気」、つまりギャンブル依存症とみたのである。この洞察力に驚嘆する。ちなみにギャンブル依存症とは何か。検索すれば多々あるが、あるホームページでは、このように説明していた。(四国新聞社 シリーズ追跡「増えるギャンブル依存症」)

ギャンブルで身を崩すのは、本人の意志が弱いせいだ―。こう考えるのが一般的だろう。しかし、「ギャンブル依存症」の著書がある北海道立精神保健福祉センター部長の田辺等氏は「自分をコントロールできないほどギャンブルにふけるのは、意志の問題ではなく病気」と強調する。ギャンブル依存症は、借金を重ねて仕事や家庭に大きな支障が出ても、なおギャンブルから抜け出せない症状。世界保健機関(WHO)も病気として認定している。田辺氏は「アルコール依存症や摂食障害も心理と行動との病的な障害という点では同じ」と説明する。だが、社会の認知度は違う。「体に害があれば認められやすいが、ギャンブルの場合は病気として受け入れてもらうのが難しい」(田辺 等 著『ギャンブル依存症』NHK出版 2002) 

今日においても「受け入れてもらうのが難しい」病気。だが、アンナ夫人は、すでに百三十余年も前に見抜いていたわけである。夫人が、いかに観察力の鋭い、また深い教養の持ち主であったかを改めて思い知る。その意味ではドストエフスキーは幸運であったといえる。また世界文学にとっても幸運であった。依存症は、囚われたら最後、自力では抜け出すことのできない病魔である。周囲の理解なしでは治すことはできない病なのだ。もし夫人が、気づくことがなかったら。また夫人の賢明な接し方がなかったら、私たちは『悪霊』以降の大作を読むことができなかったかも知れないのだ。依存症という魔力は、ギャンブルに限らず、アルコール、摂食障害、薬物、最近ではネット、引きこもりなどあらゆる行為や考えを嗜癖化する恐ろしい病魔である。九年前神戸で「人を殺したくて仕方がない」そんな嗜癖にとりつかれ四人もの子どもを次々に殺傷した十四歳の少年がいた。彼は、自分にとりついた魔力について、このように表現していた。

・・・時にはそれが、自分の中に住んでいることもある・・・「魔物」である。・・・魔物は、俺の心の中から、外部からの攻撃を訴え、危機感をあおり、あたかも熟練された人形師が、音楽に合わせて人形に踊りをさせているかのように俺を操る。・・・。とうてい、反論こそすれ抵抗などできょうはずもない・・・。

ドストエフスキーの凄さは、この魔物を作中人物として生み出し作品の中を闊歩させたことにある。文豪の作品には、あきらかに依存症と思われる人が大勢登場している。というより物語は、ほとんどそうした病魔に蝕まれた人たちの話である。なかでも夫人が速記した『賭博者』は、実際に賭博に溺れている者でしか描けない臨場感がある。ロシアからやってきた金持ちの祖母さんが、「一旦この道へ落ち込んだものは、あたかも手橇に乗って雪の山を辷るように、だんだん早く落ちて行く(『賭博者』)」様は鬼気迫るものがある。一度でもパチンコやスロットマシーンなどにはまったことのある人なら、身にしみる場面である。まさに依存症の只中にある体験者の手記ともいえる。

他に処女作『貧しき人々』のマカール・ジェーヴシキン。彼は、若い女性にせっせと手紙を書き続ける中年男だが、その純情行為は、ストカー的と言えなくもない。毎夜、マットレスの中に隠した金貨銀貨をこっそり数える『プロハルチン氏』も吝嗇依存の極みである。大作『罪と罰』には、様々な依存にとらわれた人物が登場する。非凡人思想に憑かれた主人公ラスコーリニコフ、アル中の見本人間マルメラードフなどである。『悪霊』では水晶宮という魔力にとり憑かれた若者たちを描いている。このようにドストエフスキーの作品は、賭博、アル中、吝嗇、思想などあらゆる依存にとりつかれた人間を見ることができる。また、文豪は現実の社会のなかにも依存にとりつかれ多くの人々を見つけた。たとえば社会主義という崇高な理念のなかに人々を粛清し奴隷化したいという嗜癖が潜んでいることを見抜いた。ソビエト時代の収容所国家をみれば頷ける。また、犯罪者のなかにも依存という魔力に取り込まれた不幸な人を見つけ、彼らを救いだすために手を尽くした。『作家の日記』にみる、「単純な、しかも厄介な事件」の継母エカチュリーナ・コロニーロヴァという二十歳の農婦もその一人である。

ドストエフスキーは、なぜこのように作品や社会に依存的人間を書けたり見つけたりすることができたのか。これこそ、文豪が単なる賭博者ではなく依存症患者であったという証である。同類だからこそ、書くことができ、見つけ出すことができた。早々だが、このように検証すれば、ドストエフスキーにとってギャンブル依存症は、大きな意味を持つ病歴といえる。文豪を語る上で絶対に欠かすことの出来ない履歴である。もっとも文豪の子孫にとっては、あまり認めたくない、できることなら伏せておきたい経歴のようである。余談だが・・・二○○四年十一月、文豪ドストエフスキーの曾孫ドミトリー氏が初来日した。日本のドストエーフスキイの会から招聘され実現したのである。曾孫氏は、各地で講演した。その折、曽祖父とギャンブルについても触れられた。が、その内容は、文豪の賭博熱をなんとか普通の道楽範囲に収めようするものだった。例えば、「ツルゲーネフなんかの方が、よほど夢中だった」とか。その賭博場は、あの「地球は青かった」のガカーリンも「お忍びで、遊んだ」ところ。曽祖父ドストエフスキーのギャンブル熱も、その程度だったのですよ、と強調されていた。加えて癲癇についても、そうした病歴はなかったと否定された。ソビエト時代、ドストエフスキーは反革命作家として冷遇されてきた。その評価は崩壊後も、根強く残っているようである。それだけに子孫としては、敢えて負の経歴を、という思いもあるのだろう。なにしろ輝かしい文学的功績と不撓不屈な人生である・・・。

今日、パチンコ、アルコール、薬物、摂食障害、ネットなどいろいろな依存が明らかになってきた。対策として様々な自助グループが増えている。だが、依存という底なし沼からの脱出は容易ではない。たとえば拒食や過食に陥った少女たちが書いた出版物を読んだりアルコール依存症夫婦を描いた映画、「酒とバラの日々」(ブレイク・エドワーズ監督・ジャック・レモン、リー・レミック主演)を観れば、いかに依存からの脱出が難しいかがわかる。文豪のルーレット賭博も、いつ終わるとも知れぬものだったにちがいない。では、なぜ、そんなかくも手ごわい病魔がある日、突然に消滅したのか。ドストエフスキー最大の謎とも言える。が、依存症に苦しむ世界の多くの患者にとって是非に知りたいところである。奇跡が起った記念すべき日のことを文豪はアンナ夫人へこう書いている。

「信じてほしい!じつは私の身に重大なことが起きたのだ。過去十年間にわたってわたしを苦しみつづけてきた、あのいまいましい賭博熱が、いまここにいたって消え果てたのだ。(一八七一年四月二十八日 書簡)」。だが夫人は、すぐには信じなかった。「もちろんわたしは、夫のルーレット遊びの熱がさめるというような大きな幸福を、すぐに信じるわけにはいかなかった。どれほど彼は、もうけっして遊ばないと約束したことだろう。それでもその言葉が守れたためしはなかったのだ。」と冷ややかだった。しかし、この約束は真実だった。夫人はつづけてこう証言している。「その後夫は、何度も外国に出かけたが、もはやけっして賭博の町に足を踏みいれようとはしなかった。・・・」(『回想のドストエフスキー』)行こうにも遠すぎたのかもしれないが、それよりも、もう遊びに魅力を感じなくなったのだ。ルーレットで勝とうという夫のこの「幻想」は、魔力か病気のようなものだったが、突然、そして永久に治ってしまった。

突然に雲散霧消した文豪のギャンブル熱。依存という魔力からの脱出。この奇跡こそ、ドストエフスキーが全人類救済の旗手たらん所以である。文豪は、なぜギャンブル依存のアリ地獄から抜け出ることができたのか。このことについて、文豪は、何も語っていない。当時の書簡からも、妻アンナの日記にも、友人たちが残している記述にも、何ひとつその謎を解く手がかりは残されていない。『ドストエフスキー伝』の著者アンリ・トロワイヤは、この謎を、この夜、文豪がロシア教会とユダヤ教会を間違えたことからと推理している。
これはわたし個人の見解だが、・・・ドストエフスキーのような病的なまでに神経質な、迷信深い人間にとって、それはどんな迷いからも一気に目をさまさせるに足りるものだったにちがいない。(『ドストエフスキー』村上香佳子訳)
不可解なこと、謎解けぬことを、最後にキリスト教に結びつけてしまうところには抵抗がある。この論理でいくと依存症の治療は、患者の信心深さの度合いによって治癒することができる、ということになってしまう。この謎について私は、アンナ夫人のこんな述懐が気になっている。
「ほんとうのことだが、わたしは、夫が負けてきたことを決してとがめなかったし、このことについて夫と言い争ったりもしなかった」(『回想のドストエフスキー』)

連日の賭博場通い。にもかかわらずこの夫婦には修羅場がなかった。夫人は、止めてくれることを願いながらもひたすら暖かく観察しつづけた。そればかりかルーレット遊びの経験から、夫はきっと、新しく激しい経験をして、冒険と賭博への情熱を満足させると、平静になってもどっとくるにちがいない・・・と励まし期待もしてもいる。ここから想像できるのは、こんな結論である。文豪を常に自己嫌悪に貶め苦しめていたギャンブル依存。この怪物を葬り去ったのは、医学でも説得でも祈祷でもない。ただアンナ夫人の春の陽ざしのような見守りと根気ある観察にあった。魔物は、それに弱かった。突飛だが、私には、そう思えてならない。この拙稿を書いている最中にも、母親からパチンコ遊びを注意され、かなづちで殴り殺した大学生、父親に反抗して家族を焼死させた高校生など、依存という魔力が引き起こしたような事件が相次いで報じられた。もし容疑者たちにアンナ夫人のような愛情ある見守りと観察があったなら事件は起きなかった。私はそう固く信じてやまない。昨今続発する親殺しや、今年上半期を騒がせた秋田の連続幼児殺人事件にも同じ思いが重なるのである。

最後になるが、ドストエフスキーは、なぜ奇跡について何も語らないのか。これも大きな謎である。本当にそうだろうか。『作家の日記』という社会評論を続けた文豪が、こんな重大事についてまったく何も語らない。いったいそんなことがあり得るだろうか。私個人の見解では、大いに語っていると思う。文豪は、奇跡を自分のライフワークのモチーフとして、密かに温めた。そうして、晩年、人類救済の最終章の作品として書き残した。世界文学史上に燦然と輝く『カラマーゾフの兄弟』。この作品こそが、ギャンブル依存症脱出の謎について語った全人類へのメッセージなのだ。併せてこれはこの存在宇宙を脅かす悪霊からの脱出物語でもある。私はそう信じている。あまりに荒唐無稽だろうか。人間を救うのは、神でも思想でも主義でもない。「かわいそうだと思う心」、これさえあればよい。アンナ夫人の愛情ある観察眼は、最後の作品の主人公アリョーシャ・カラマーゾフの共感あふれる心に具現化されたのである。

思えば、現代ほど、依存という魔力が横行している時代はない。家庭で、社会で依存の嵐が吹き荒れている。そうして新世紀の世界もまた民族、宗教、差別という依存にとりつかれて混沌としている。全人類救済への道標はどこにあるのか。ドストエフスキーとギャンブルを考えること。そこに、一歩を見つけることができるかもしれない。