ドストエーフスキイ全作品を読む会


この法廷劇は以下の講義をきっかけに生まれました。
NHK文化センター柏教室  (2019年7月〜12月)
下原敏彦 ドストエフスキー『罪と罰』を読む(全6回

教室ではこの脚本を教材としました。講義は、登場人物の役を受講者にふり、それぞれの役を口演していただくという、受講者参加型で行いました。

 ドストエフスキー『罪と罰』模擬法廷

金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判
 
―ナポレオンになりたかった青年の犯罪―
 

脚本 下原敏彦
監修 下原康子
典拠:ドストエフスキー『罪と罰』江川卓訳



目 次

T.金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判 第一回公判 
(8月29日)
日常生活での被告人に関する証言。:ラスコーリニコフ、ナスターシャ、プラスコーヴィヤラズミーヒン、酒場の主人
U.金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判 第二回公判 (9月29日)
被告人ラスコーリニコフに対する人定審問。動機など。:「ラスコーリニコフの事情調書」、ポルフィーリィルージン
V.金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判 第三回公判  
(10月17日)
被告人と娼婦の関係について。:ラスコーリニコフ、ソーニャ、マルメラードフ
W.金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判 第四回公判
 (11月21日)
警察関係者の尋問。ラスコーリニコフ、ポルフィーリィ
警察署長、副警察署長、警察署書記官、町人
X.金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判 第五回公判  (12月19日)
検察側の新証言。弁護団の新証言。判決。:ラスコーリニコフ、ソーニャ、ゾシーモフ
新証人(検察側)3名、新証人(弁護側)2名



事件概要 (新聞報道より)
 
およそ事件はこのようであった。
一八六五年七月十日午後七時半頃、金貸し業アリョーナ・イワーノヴィナ(60)は店舗兼自宅(エカテリーナ運河104ゴローホヴァヤ通りと運河の角)において同居人で義理の妹リザヴェータ・イワーノヴィナ(35)と共に殺害された。凶器は斧のようなものであった。はじめに金貸し業アリョーナ・イワーノヴィナが襲われ、つぎに遅れて帰宅したリザヴェータが殺された。金貸し老婆は斧と思われる凶器の峰で複数回殴打されて落命。妹は刃の部分で額をぶち割られるという凄惨な殺し方で死亡した。犯人の目的は金貸し業老婆の金品とみられる。妹はこの日用事で遅くなる予定だったことから、犯人は金貸し老婆が一人のときを狙ったとみられる。しかし、妹は予定より早く帰宅したため、不運にも巻きこまれてしまったようだ。室内は物色され老婆の財布が盗まれている他に、首飾りなど質草の装飾品が無くなっていた。事件は金品目的の強盗殺人で単独犯とみられる。部屋に入れたことから顔見知りの線が強い。

二日後、第一発見者であるペンキ職人のミコライが無くなっていた質草を換金しようとして逮捕された。当初は拾ったものと無実を叫んでいたが、九日目に、のちに虚偽と判明する自白をした。しかし、十日後の七月二十日、近所に住む元大学生ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ(23)が自首し、真犯人と判明、緊急逮捕となった。ミコライの虚偽の自白については、彼がある宗教宗派の狂信者であったため、その影響があったと考えられている。

才能ある若者がなぜ冷酷な殺人者になったのか。たんに金に困った末の犯行だったのか。それとも質草を軽く見られたことへの恨みからか ――。現在のところ、容疑者は自身の不遇を社会のせいにする輩か、精神を病んだ誇大妄想癖の持ち主か、狂信的な社会主義者ではないかとみられている。ほかに、殺人依存という分析もある。つまり動機なき殺人である。いずれにせよ単純なようで謎多い事件。一刻も早い解明が望まれる。



T.金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判 第一回公判 


《第一審に出廷する人物》

裁判長
: 確たる証拠もない事件だが、沈着冷静に審理をすすめていく。
検察官: 二人の命を奪った殺人者を追いつめることに執念を燃やす。
弁護人: 被告人の罪をなんとか軽減しようと奔走する弁護士。
被告人: ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ 二十三才。きゃしゃな顔立、栗色の髪、中背よりやや高いすらりとした体つき、黒ずんだ美しい目、なかなかの美男子。いちめん穴だらけのツィンメルマン製のくたびれた丸帽子、乞食同然のひどい身なり。 
証人1:被告人の下宿の女中 ナスターシャ ラスコーリニコフのめんどうを見ているほがらかな娘。
証人2:被告人の下宿の主婦 プラスコーヴィヤ 愛称パーシェンカ。魅力的な年増女。
証人3:被告人の大学の友人 ラズミーヒン ラスコーリニコフの大学の友人。気のいい男。長身でやせ形、無精ひげをはやし、黒い髪。どんな逆境でも弱音を吐かず、気落ちしない。力持ち。
証人4:酒場の主人
 


進 行  ただ今より「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件」第一回公判を行います。

裁判長  それでは、これより金貸し老婆とその妹強盗殺人事件第一審裁判を開廷します。はじめに検察は、起訴状を述べてください。

検察官  
【起訴状】 元大学生ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフは、母親からの仕送りが途絶えたことで極貧状態に陥り、この窮状を脱するために金貸し老婆強盗殺人を計画し、ことし七月八日から下見をつづけ、老婆が一人になる機会をうかがっていたが、三日目の七月十日、ついにその機会を得て実行した。事件当日、同日午後七時半頃、客を装い金品を奪う目的で金貸し老婆宅を訪れ、質草のシガレットケースにみせかけた包みを見せ、隙をみて用意した斧で老婆(60)の脳天を数回殴打して殺害した。そのとき用事で留守のはずの義理の妹(35)が運悪く帰宅、被告人は顔を見られたとの理由から、この妹も斧で撲殺した。金貸し老婆は吝嗇で、利子のとりたても厳しかったとはいえ、業務の範疇であり、殺されるほど恨まれてはいなかった。夫を亡くしてから、女一人で法を犯すこともなく立派に生計をたててきた。巻き添えの妹は、知能にやや劣るところがあったが、信心深く、だれからも好かれる天使のような性格だった。酷く殺された彼女の死を嘆く人は多い。被告人はこの罪のない二人を、冷酷非情にも、斧という凶器で撲殺し、犯行後は金品を奪い、隠蔽し、自宅で何食わぬ顔で日常生活を送っていた。上京してきた母親と妹にも素知らぬ顔で接していた。犯行の十日後、犯した罪の重さに耐えきれず七月二十日に自首した。とはいえ、二人の尊い命を奪った罪は重い。なお、妹リザヴェータは妊娠三カ月であった。被告人は三人の命を奪ったのである。この事件は、完全犯罪を狙った極めて悪質な犯罪といえる。重刑を望む。

裁判長  被告人は、この起訴状に相違ないか。

被告人  はい、大筋において間違いありません。

裁判長  では、裁判に入ります。被告人は、住所、氏名、職業、年齢を言ってください。

被告人  ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ 二十三歳、元大学生です。住所は中メシチャンスカヤ通り19、またはストリャルヌィ横町9です

裁判長  在籍していた大学名と学部は。

被告人  ペテルブルグ大学法学部です。

裁判長  大学によると被告人は成績優秀で将来を嘱望された学生だったとの評価だが、なぜ大学をやめたのか。

被告人  学費が払えなくなったからです。

裁判長  どうして払えなくなったのか。

被告人  母親からの送金が途絶えたからです。

裁判長  途絶えた、とは?

弁護人  裁判長、その点についてご説明いたします。

裁判長  発言を許可します。

弁護人  被告人は幼い頃父親を亡くしております。つまり母子家庭であります。二つ違いの妹もいます。母親は女手一つで二人の子どもを育てました。被告人が学業優秀なことから、将来に期待をかけペテルブルグ大学に入学させました。学費は年金を削って捻出したお金と妹の家庭教師の給料からでしたが、滞ることはありませんでした。ところが、昨年、ちょっとしたトラブルがありました。母親は、被告人にこんな手紙を送っています。被告人の犯行の動機にも関わる重大事なので一部を紹介したいのですが。

裁判長  音読を許可します。

弁護人  ありがとうございます。
「なつかしいわたしのロージャ、おまえと手紙で話をしなくなってから、もう二カ月の余になります。おまえはうちのひとり息子、わたしとドーニャにとってのすべて、わたしたちの希望の星なのですから、おまえが生活費にも事欠いて、もう数カ月も大学へ行かれず、家庭教師やそのほかの口もなくなってしまったと知ったとき、わたしの驚きはいかほどだったでしょう!でも、年に百二十ルーブルの年金をいただいている身で、どうしてわたしにおまえの援助ができましょう!四ヵ月前にお送りした十五ルーブリも、ご存じのとおり、この年金を抵当に、当地で商売をされているAさんからお借りしたものでした。あの方はいい方で・・・」

裁判長  あの方とは? Aさんという。

弁護人  父親の友人です。

裁判長  わかりました、つづけてください。

弁護人  つづけます。「Aさんはお父様のお友達でもあった方です。けれど、年金受領の権利をあの方にお譲りしてしまったので、借金の返済がすむまで待たねばなりませんでした。それが今度やっとすんだようなわけで、その間ずっとおまえに何も送れなかったのです。けれど今度は、おかげさまで、おまえにも送金できそうです。おまえとはもうすぐ会えるわけですが、それでも二、三日うちにできるだけのお金を送ります。二十五ルーブリ、ことによると三十ルーブリは送れます。」

弁護人  要するに、ちょっとした手違いから送金が遅れたわけです。しかし、その後妹アヴドーチャさんが弁護士のルージン氏と婚約を決めたことで、一家の経済状態は好転に向かっています。

裁判長  とすると、起訴状にある極貧故の犯行ではなかった、というのだな。

弁護人  はい。たとえ送金はなくても、家庭教師の口や翻訳のバイトもあったときいています。それに家賃は家主の娘さんと婚約したので、支払う必要はなくなっていました。ところが、不幸にもその娘さんがチフスで亡くなったことでその話はご破算になりました。

裁判長  というと、被告人は家賃免除が目的で婚約したというのか。

弁護人  いえ、そうではありません。愛し合ってのことだと思います。

裁判長  被告人はそれに相違ないか?

被告人  婚約のことですか。

裁判長  そうだ。

被告人  少し説明します。ぼくはあの下宿にはもう三年も住んでいるんです。田舎から出てきてすぐからです。で、ぼくは、最初のころから、おかみさんの娘と結婚するって約束していたんです。もちろん、口約束で、まったく自由な約束でしたけど。その娘を・・・ぼくは愛していました。彼女には何もかも話していました。修道院に行きたいと言っていましたっけ。おかみさんはそのころぼくにだいぶ金を貸してくれて、ぼくも、まあ、のんきに受け取っていました。返してくれといわれても仕方がないです。でも、警察署に返済請求の取り立て書類を提出するなんて、思いませんでした。

裁判長  と、いうことは被告人は結婚すれば家賃は免除される、そんな計算があって婚約したとみていいのですね。純粋な恋愛ではなく財産を目的とした魂胆ある婚約。しかし、娘の死で家賃の支払いは元通りになり、金欠に拍車をかけた。この理解でよいか。

弁護人  裁判長!被告人は、愛する人の死と長い金欠の生活で精神膠弱状態にありました。それで、自暴自棄になっていたのです。本来は正義感が強い賢い青年です。母親思い、妹思いの愛すべき人間です。婚約も下心あってしたのではありません。

裁判長  しかし、そうした善良な愛すべき性格とこんどの犯罪との間にはかなり乖離がある。被告人は長期間にわたり、この残忍な犯行計画を練りに練っていた。三年間も会っていない母親と妹が上京してくることを知りながら、冷酷にも強盗殺人を計画通り実行した。金貸し老婆をシラミ同然の虫けらと決めつけ惨殺したのである。そればかりか、運悪く帰宅した善人このうえもない妹を躊躇なく斧の刃で頭をぶち割ったのだ。鑑識によれば「斧の刃はまともに頭蓋骨にあたり、一撃で額の上部をこめかみのあたりまでぶち割った。」とある。この情けを知らぬ凶行のどこに良心があるというのか。欠片ほどの良心も感じられないが・・・。

弁護人  しかし、被告人はふだんから、被告人に接する人たちから愛されていたというのも事実です。その証言をお聞きください。

裁判長  証言を許可します。

進行係  最初の証言者、証人席へ。

裁判長  名前を述べてください。

証人1  ナスターシャと言います。まだ、信じられません。

裁判長  証人は質問だけに答えてください。証人と被告人との関係は。

証人1  ロージャ、いえ、ラスコーリニコフさんの下宿の女中です。

裁判長  おもにどんな仕事をしているのか。

証人1  下宿の掃除と、下宿人の料理を作っています。

裁判長  つまり、被告人の身の回りの世話をしているということだな。

証人1  そうです。だから、ロージャ、いえラスコーリニコフさんのことは、わたしが一番よく知っております。

裁判長  そうか、それでは尋ねるぞ。被告人が生活している部屋はどんな部屋か。

証人1 天井裏のようなみすぼらしい部屋です。奥行きが六歩ほどの。埃をかぶった黄色っぽい壁紙はあちこちがはがれてるし。天井がやけに低くて、ロージャは背が高いので、天井に頭をぶっつけそうです。部屋にあるのは色塗りのテーブルと古ぼけた椅子が三脚。テーブルには埃をかぶったノートと本が何冊か置きっぱなしです。それから、もう一つ、ほとんど壁の前をそっくり、部屋の間口の半分を占領している不格好なばかでかいソファーがあります。以前は更紗張りだったのが、いまはもう見るかげもなくなっています。とにかくひどい部屋で、まるで棺桶みたいです。

裁判長  被告人は、どこで寝るのだ。

証人1  そのソファーですよ。ソファーはロージャのベット代わりになっています。ロージャ、いえ、ラスコーリニコフさんは、よくその上に着替えもせず、シーツも敷かず、おんぼろの古びた学生マントにくるまってごろりと横になっていました。頭にあてがった小さな枕の下には、洗濯したもの、汚れたままのもの、それにありったけの下着を押し込んで枕を高くして眠ってました。わたしらから見れば無精でだらしなく見えますが、ラスコーリニコフさんにはそれが居心地がいいようでした。

裁判長  住居のことはわかった。つぎに被告人の生活のことを聞くぞ。この数カ月で被告人の生活に何か変わったことはあったか。

証人1  大ありです。学校に行かなくなり、毎日寝てばかりいるようになったんです。それで家主のおかみさんは食事を出さなくなったんです。たしか事件前・・・二週間前からでした。しかし、ロージャは、おかみさんに掛け合うこともなしに、食うものなしでやっていました。ときどき、ポケットから銅貨を出して、かた焼きパンやソーセージを買ってきてくれと頼まれました。貧乏生活でしたが、そういえば、お金は持っていました。手品のようにポケットから銅貨がでてくるんです。お金にまるで頓着しない。ああいうのが大学生というものですか。

裁判長  朝は、どうしていた。

証人1  十時に、掃除のため行くのですが、決まって寝てるか、そうでなければただ横になっているだけなんです。それで、あるとき、業を煮やして言ってやった。「そりゃあ、あたしは馬鹿だよ。だけど、あんたはどうなのよ?いつも、だん袋みたいに寝そべっててさ。何かをしているところなんか見たことがない。それでもお利口さんかい? 以前は、子どもを教えに行くって出かけたけどさ。このごろじゃどうしてなにもしないんだい?」と。そしたら、なんと言ったと思います?

裁判長  なんと言ったのだ。

証人1  「おれはしてるよ・・・」って、言うんです。で、「何を?」と、聞くと「仕事だ・・・」と答えるんです。そこで「どんな仕事?」ときくと「考えてるんだ」というじゃあないですか。考える仕事をしてるっていうんですよ。傑作じゃないですか。腹の皮がよじれるまで笑わされましたよ。

裁判長  最後の質問だが、おまえはどう思う。

証人1  事件のことですか。まだ信じられません。ロージャが、ラスコーリニコフさんが強盗殺人事件の犯人だったなんて、何かの間違いです。人違いです。だって、あんなものぐさな坊やが、イケメンさんが、頭のいいおぼっちゃまが、それにお母様や妹さんが上京してくるというのに、お友達だって心配してくれていたのに。わざわざ強盗をしに行くなんて。

裁判長  よろしい、ごくろうであった。では、次の証人を。

進行係  二人目の証人。証言席へ

証人2  ブラスコーヴィヤ・パーブロヴナと言います。被告人の下宿の主婦です。

裁判長  被告人と最初に会ったのは?

証人2  三年前です。大学に入ったときです。

裁判長  会ったときの印象はどうだったか。

証人2  礼儀正しい好青年でした。地方の名家のご子息、そんなふうに見えましたし、感じました。

裁判長  娘さんが婚約されたとか。

証人2  はい、年頃だったので恋の燃え方も早くて・・・。

裁判長  被告人が金に困っていると知ったのはいつごろか。

証人2  婚約して間もなくでした。地方の名家どころか母子家庭で、学費は年金を削ってのやっとこどっこいの状態とわかったんです。

裁判長  婚約すれば家賃を払う必要がなくなる。加えて、やがては下宿家も自分のものになる。そんな下心は感じませんでしたか。

証人2  なんといってもペテル大学法学部の学生さんです。たとえお家はどうでも、これに勝るものはございません。末は弁護士先生か法務大臣。下心など帳消しにできます。だからお金だってときどき貸してました。投資のつもりで。

裁判長  しかし、娘さんは亡くなってしまった。

証人2  不幸のはじまりです。

裁判長  娘がいなければ将来の希望もない。被告人を援助する理由もない。区警察署に提出された借用書にもとづいた借金の支払い請求はそんなことからですね。

証人2  そりゃあ、はじめのうちは気の毒に思ってました。ホントの恋だったかどうかはわかりませんが、たとえ口約束でも結婚を誓った相手が突然亡くなったのです。とても学校に行かれる心境ではない。そう思っていました。ところが、いつまでたっても学校にはいかない。家庭教師の口もやめてしまい、病気でもないのに寝てばかりいる。家賃は四カ月も不払いをきめこんでいる。わたしは頭にきて、これまで貸した分、だいたい百十五ルーブリはありましたから、借用書を書いてもらったのです。親しき仲にも礼儀あり、ですからね。はじめは一札書いてくれれば、お金を貸すのは厭わなかったのですがね。なんといっても、娘の元婚約者ですからね。

裁判長  被告人は、債権取り立ての請求書が出されて驚いているようです。なぜ、被告人が苦しい時期に債券とりたての請求を出したのですか。

証人2  さきほども話しましたが、一向に立ち直ろうとしないからです。はじめは、辛いのかと同情していたのですが、そのうち、ヘンなことを言うようになったものですから。

裁判長  ヘンなこととは?

証人2  ナポレオンになりたいだの、英雄になるんだなどです。えらくなりたければ、大学で一生懸命勉強して役所に勤めて、真面目にこつこつ働けば、もともと頭がいいのだからすぐに出世できる。将来は安泰。そう忠告しても馬鹿にしたように笑って、それは凡人が考えることだ、というんです。そんなわけで、現実を少しでも感じるように請求書を提出したのです。決して意地悪からではありません。ナポレオンになりたいという話は、わたしらにはさっぱりです。もしかしたら、あたまがおかしくなってしまったのかもしれません。この裁判であきらかになることを願ってやみません。

裁判長  これは最後の質問だが、被告人の事件をどう思うか。

証人2  いまだに信じられません。あんなにも聡明で賢く、正義感にあふれていたロジオンさんが、何故に、金貸しのアリョーナ婆さんを、だれからも愛されていたリザヴェータを情け容赦なく斧で殴り殺してしまったのか。謎です。

裁判長
  左様、人間は謎だ。しかし、是が非でも解かねばならぬ。つぎの証人、前へ

進行係  3人目の証人ラズミーヒン、席に着く。

裁判長  証人3は、姓名と職業を。

証人3  ドミトリー・プロコーフィチ・ラズミーヒン。大学生です。二十三歳です。

裁判長  被告人との関係は?

証人3  大学の友人です。おそらく大学中で友人はぼく一人だけだと思います。

裁判長  友人が少ない理由はなぜか。

証人3  もって生れての性格でしょう。正義感が強く、損得勘定が下手で、秀才特有の固執癖と人間嫌いがあります。人とうまくつきあえないネガティブ人間ですが、根はいい奴です。愛すべき人間です。大家の娘さんとの婚約だって、強引に惚れられたからです。彼女に同情してオーケーしたんです。口約束だから、彼女の恋もそのうち冷めるだろうと思っていたんです。家賃免除をねらった下心婚約なんて、そんなみみっちいことを考える奴じゃありません。なんせペテル大学きっての秀才でイケメン。女の子にもてないはずがない。が、奴はそんなことは一切鼻にもかけない。眼中にもないんです。いつも一人で六法全書を読んでいました。

裁判長  友人関係になったのは、どんなきっかけか。

証人3  被告人、いやロージャを見直す出来事があったからです。相手が立派な人間なら、嫌われても、たとえそいつが変人でも、友人になれ!それが我が家の家訓です。大学ではじめて見かけたときは、いけすかない野郎と思いました。いつも人を食ったような薄笑い。教室ではいつも最前列の席でノートをとっていました。その態度には講義する教授もなにするものぞ、といった自信が見えました。高慢そうで、人を食ったような話し方にも腹が立つので、話しかけたことはなかった。だいたいが、だれからも嫌われていましたよ。それが、あることで、ロージャに対する見方が、まるっきり変わった。是か非でも奴と友だちにならねばならない。そんな思いを強くしたんです。むろん、ロージャは迷惑がりましたよ。嫌がりました。力づくで追っ払おうとしましたよ。でも、ぼくは、ロージャに家庭教師のアルバイトを紹介することで友人になったんです。彼はバイトをさがしていたから、背に腹は代えられず、ぼくの軍門に下ったわけです。といっても、常に我が道を行くやつでしたが・・・。

裁判長  あること、とは何か?

証人3  ぼくたちの学年に、すごくできる男がいました。誰もが一目置く、将来が楽しみな男でした。一族の希望の星だったでしょう。しかし、在籍中、肺病になってしまいました。被告人は、自分のなけなしの金をはたいて、半年にもわたって、彼の生活をみてやったのです。そして、彼が亡くなると病気の父親を訪ね、病院に入院させ、こんどはその父親が死ぬと葬式までだしてやったのです。被告人は、困っている人を見ると手助けせずにはいられない性格なのです。被告人を重罪で罰するより、減刑した方が、よほど世の中のためになります。

裁判長  よき友だったというのだな。

証人3  そうです。

裁判長  証人のみなにきいているのだが、君も法学部の学生だ。こんどの事件をどう思う。

証人3  貧困からくる強盗事件殺人。検察はそのようにまとめたいようですが、疑問があります。

裁判長  金品奪取を目的とした強盗殺人事件。それも完全犯罪を目的とした計画的犯罪だ。自分でも認めている。他にどんな理由があるのか。

証人3  殺人は突発的なものです。それに精神疾患もあります。つまり正気の状態ではなかった。特にこの一カ月間は・・・。

裁判長  精神疾患は考えられなくもないが、突発的犯行であったとは認めがたい。被告人は、およそ一カ月前からこんどの犯罪を思いつき、七百三十歩という歩数まで計算した念入りな下見と予行、加えて凶器の斧を早くから物色していたという事実がある。妹の殺害は偶然かもしれないが、金貸し老婆殺しは何から何まで計算されつくした完全犯罪といえる。情状の余地は見あたらないと思われるが。

証人3  しかし、それでもぼくは納得できません。彼は、ロージャは、強盗殺人なんかできる人間ではないんです。人を殺せる人間ではないんです。

裁判長  しかし、君がどんなに否定しようとも、友情の絆の強さを語ろうとも、被告人は人を殺した。人殺しだ。自白もしていて、証拠もある。この現実は否めない。いまのままなら極刑は間違いない。しかし、この先の審理において、事件後の被告人の様子、自首に至るまでの良心の呵責、罪に対する反省、犯行動機の変化などの証言によっては、情状酌量が考慮されることもあり得る。

証人3  ありがとうございます。

裁判長  それでは最後の証人です。姓名、職業を。

証人4  エカチェリーナ運河横町の居酒屋「こまどり」の店主です。

裁判長  被告人は犯行の前々日、七月八日夕刻、店に客として入ったか。

証人4  入りました。

裁判長  常連客か。

証人4  いえ、はじめてのお客さんでございます。

裁判長  そのときの被告人は、どんな様子だったか。

証人4
  どんな様子といわれても、うちに来る客は、たいていどこかで一杯ひっかけてきてるんで足元はフラフラです。あきらかに酔っぱらっている様子です。が、そのとき被告人の若者は、アルコールのせいというより、昼間の暑さとひどい疲れから、くたびれはてているように見えました。よっぽどのどが乾いていたんでしょう。注文した最初のビールをむさぼるように飲み干しました。そしたら急に元気になりました。水をやった花がピンシャンするようにです。背筋までぴんとなって酒場の中を物珍しげに見回していました。酒場はちょうど音楽をやるグループ客がでていったあとで空いていました。店には被告人に勝るとも劣らないボロ服の、五十の坂を越したぐらいのがっしりとした体つきの中背の客が一人いました。この客はなんどか見かけていました。が、他の客に対して、身分も教養も低くて話し相手にはならん、そんな傲慢さを感じさせるので、いつも一人でした。若者と中年男。年齢はちがうが着ている服のボロさ加減は同じ。お似合いの二人と思っていたら、なんと、この二人、磁石みたいに近寄ったんです。そして、どっちが声をかけたか知りませんが、すぐに旧知の友か知り合いのように大声で話しだしたんです。といっても中年男が一方的でしたが。

裁判長  以前からの知り合いではなかったのか。

証人4
  いえ、そんなふうには見えませんでした。店ではじめて会った、それは確かです。

裁判長  二人は内緒話のようなことはしていなかったか。たとえば事件の共犯者を探しているような・・・いま、思い当たればでいいのだが、そんな怪しげな様子はなかったか。ひそひそ話とか・・・。

証人4  ひそひそ話ですか?。それどころか、わざとのように大声で話してましたよ。

裁判長  そうか。そのとき、被告人は金貸し老婆宅を下見したばかりだった。共犯者を探していかもしれない。ほかに不審な点は見られなかったか。

証人4  なんも感じなかったです。二人ともボロ服を着た、乞食同然のひどい身なりでしたが、うちの店にはもっとひどいやからもくるんで・・・。若者はひどくくたびれた様子でしたが、ものおじしない態度からは、とても強盗を計画して共犯者をさがしている、そんな様子には、これっぽっちも見えなかったです。若者は二杯目のビールを注文して熱心にきいていました。

裁判長  なぜ、二人の客のことをそんなにもよく覚えているのか。

証人4  そりゃあ、忘れられるもんですか。へ、へ、へ。ほとんど、元官吏のようなおっさんがしゃべくりまくっていましたが、その話がいけません。面白すぎて聞くも涙、語るも涙の浪花節なんです。はじめのうち、あっしらも笑ってみてるだけでしたが、そのうち話にひきこまれちまいました。

裁判長  どんな話か。

証人4  そのころ、運河の界隈に、若くて美人の娼婦がでてると評判が立っていました。この界隈じゃあババアばかりなんで、デマと思ってたが、なんと、そのボロ着のおっさんがその若い娼婦の父親だったんです。ボロ着のアル中元官吏のわずか十八の娘が、娼婦に身を落とさなければならなくなったという、その日の修羅場ときたら、まさしく浪花節です。酒場中のものが、客も店員の小僧たちも、みんな耳を揃えてききましたよ。家には肺病やみの後妻と三人の幼子がいるというのに、アル中元官吏は仕事を放っぽり投げて酒びたり。子どもたちは、腹がすいたとぴぃぴぃ泣く。後妻はついにヒステリーを起して先妻の娘に怒鳴る。「このごくつぶし、ただで食って飲んで、ぬくぬくしてやがる」「なにを大事にしてるのさ!たいしたお宝でもあるまいに!」とっとと娼婦になって稼いでこい、というわけです。その修羅場をアル中元官吏のおっさんは寝たふりして聞いていたというんです。娘が娼婦になって稼いだら自分もおこぼれにあずかれる。そんな魂胆で。げんに、そのとき飲んでたビールは、昨晩娘が稼いだ金だといってましたよ。幼子たちもパンにありつけたというから、家族みんなでたいした井戸を掘りあてたというもんです。どうです、聞くも涙、語るも涙の浪花節じゃあございませんか。うちの小僧たちもさすがに神妙でした。ところが、アル中おやじときたら、「悲惨は、あんまり悲惨をすぎると滑稽になるものです」などとぬかしたものです。だれかがこそっと笑ったら、もう、全員大爆笑です。そしたら、アル親父、怒りましてね。またしても、大演説をぶち始めましたよ。

裁判長  どんな演説か。

証人4  「哀れむ!なんでおれを哀れむことがあるのだ!おい亭主、きさまはこのウオッカの小瓶がおれに楽しみを与えてくれたとでも思っているのか。おれはな、この瓶の底に悲しみを探したんだ。悲しみと涙を捜して、それを味わい見出すことができたんだ」ときたもんでがんす。

裁判長  もうよい、共犯者の話をもちかけている様子はなかったのだな。それが知りたかったのだ。さがってよいぞ。これで、事件前までの被告人の日常を知る証言はすべて得た。被告人の評判はおおむねよかった。事件に繋がるものはまったくなかった。証人たちの証言からはそのように思われたが、検察官はどのように感じたか。

検察官  まさに、そこのところが、被告人が周囲の人たちからよく思われていた、ということが、この事件の重要なところです。被告人はなぜ事件を起こしたか。一口でいうなら「甘え」です。下宿の娘の死と家賃の滞納は別なことです。真に愛するものの死への悲しみがあったにせよ、アルバイトの家庭教師もやめ、すべての関係を絶って、女中にいわせれば寝てばかりいる生活は異常です。自分に少しでもやる気があれば、問題はいくらでも打破できたはずです。母親からの仕送りだけに頼らず、生活を立て直すことはいくらでもできたはずです。現に、アルバイトを世話してくれる友人もいました。優秀な学生ということだが、その才能を自分の危機において少しも活かしていない。そればかりか、ナポレオンのような英雄になって世界人類を救いたい。そんな誇大妄想に取りつかれ、なんの落ち度もない女性を二人も殺害したのです。とくに金貸し老婆殺しは確固たる意志をもって実行しました。その考えをいまも変わらずもちつづけている。したがって、これまでの証言を聞いても、被告人への同情は微塵もうまれず、「なぜ」「どうして」の疑問が大きくなるばかりです。犯行を防ぐ手だてはいくらでもあったのに実行してしまったのは、はなはだ遺憾です。罪に似合った罰を要求します。

裁判長  弁護人の方から何かあるか。

弁護人  検察の見方はすべてが否定的です。公平ではありません。口約束とはいえ、突然、婚約者を亡くした悲しみ。その悲しみを推し量ることはできませんが、すべての関係を絶ちたい気持ちは理解できます。心の痛みにくわえて送金のストップという物質的打撃。そして、娘を亡くしたとたん手の平を返したような大家の主婦による食事ストップ。行き場のなくなった被告人ですが、下宿の女中も、大学の友人も、みんな被告人に好意的です。被告人の健康を心配しています。これも、ひとえに被告人の性格のよさからくるものです。ナポレオンのようになりたい、なって世の中をよくしたい。これは、みな被告人の正義感の強さからくるものです。金貸し老婆殺しは高利息を厳しく取り立てることへの怒りがあったからです。いろいろな事情が重なり魔が差したのです。神経がまいり過ぎて、よからぬ思想がはびこっただけなんです。決して金欲しさからの犯行ではありません。それが証拠に、老婆から奪った財布のお金にはびた一文手をつけていません。質草も換金していません。才能ある青年です。社会に戻してやれば、被告人が望んだように社会のためになれるでしょう。多くの善行が成されるでしょう。大勢の不幸な人たちを救えるかもしれません。是非とも寛大なる判決をお願いします。

裁判長  弁護は、それでよいか。

弁護人  はい、以上です。

裁判長  第一審閉廷です。第二審は、九月十九日に開廷します。二審は、被告人の人定審問を中心に行います。


U.金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判 第二回公判 


《第二審に出廷する人物》

裁判長: 確たる証拠もない事件だが、沈着冷静に審理をすすめていく。
検察官: 二人の命を奪った殺人者を追いつめることに執念を燃やす。
弁護人: 被告人の罪をなんとか軽減しようと奔走する弁護士。
被告人: ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ 二十三才。きゃしゃな顔立、栗色の髪、中背よりやや高いすらりとした体つき、黒ずんだ美しい目、なかなかの美男子。いちめん穴だらけのツィンメルマン製のくたびれた丸帽子、乞食同然のひどい身なり。      
証人1:予審判事ポルフィーリイ・ペトローヴィチ 年のころ三十五、六。背はやや低め、腹が突き出してみえるくらい太った男。ふっくらした丸顔、きれいに剃りあげた顔、ざんぎり頭。
証人2 :ピョートル・ペトローヴィチ・ルージン 弁護士。中年。気取りや紳士。ラスコーリニコフの妹のドゥーニャに求婚している。  
 


進 行  これより「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判」第二回公判を開きます。検察官は、事件概要を述べてください。

検察官  9/19現在 これまでに判明した事件概要を報告します。
【事件概要】
七月十日、午後七時頃、金貸し老婆(60)とその義妹(35)の二人がエカテリーナ運河104番地にある店舗兼自宅で死亡しているのが発見された。金貸し老婆は斧と思われる凶器の峰で数回殴打、妹は同凶器の刃の部分で額を一撃。何れも即死。部屋は一面血の海だった。第一発見者は、階下に仕事で来ていたペンキ職人。室内に物色のあと。老婆の財布と質草何点が紛失。強盗殺人とみられる。警察は怨恨と流しの物とりの両面で捜査を開始した。近頃、ロシアでは若者による窃盗、強盗事件が多発している。事件から六日目、ペンキ職人が嫌疑で連行され自白した。が、七月二十日、近所に住む元大学生ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフ(23)が、愛人の娼婦に付き添われて自首。金貸し老婆とその妹強盗殺人を全面自供した。八月二十九日。第一回公判で証人訊問がおこなわれた。証言は被告人に対する好印象の証言が多かった。判決は二審以降に下される。

進 行  検察は、被告人が出頭した際、取り調べ室で署員が記録した調書を全文報告してください。

警察署書記  はい、以下、事情聴取の全文を報告します。   

【容疑者ラスコーリニコフの事情調書】

〈わたしの頭に棲みついた新しい思想〉
金貸し老婆とその妹殺人事件の犯人はわたしです。わたしが一人で二人を殺害した。わたしこと、ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフは、一カ月前、母からの送金が途絶えたことで生活に困るようになった。それで父の形見の銀時計など質草を持って金貸し老婆のところに通うようになった。そのうち、老婆を殺して金を奪おう、そんなことを考えるようになった。ケチで欲深で、頭の足りない義理の妹をこきつかっている鬼ババア。社会のためにならないシラミのような人間。その老婆を殺したとしても罪にはならないだろう。そう思った。奪った金を将来、人々のために役立てる。起業して困っている多くの人たちを救う。それなら、老婆殺しは許されるし、それは英雄に許される権利だ。わたしはこの思想を信じていた。わたしは家庭教師や翻訳のアルバイトをやめ、大学もやめて、下宿のベットの上で一日中この英雄主義の思想にひたっていた。活動家が共産主義や新宗教に憑かれるように、わたしは英雄思想にどっぷりつかっていた。その考えの行きつくところはいつも同じだ。つまり「おまえは、凡人か非凡人か、どちら側の人間か」の問いだ。あの金貸し老婆は、その実験材料として現れたのだ。あの老婆を殺すことができれば、わたしは非凡人の資格あり。できなければただの凡人。いつか実行して、予見の確かさを確認したい。いったい自分は、どちらの側の人間か。その考えがいつも振り子のように心の中にあった。

しかし、この考えを実現させようなどとは、実践しようなどとは、これっぽっちも、思っていなかった。夢にもみなかった。この考えはあくまでも絵空事、空想の世界。そう思っていた。しかし、その一方で、わたしは選ばれた人間、将来、人類のためになる人間だ。だからわたしにはなんでも許される。どうしてもその考えから抜け出すことができなかった。げんにナポレオンは何万という人間を殺したのに英雄として称えられている。銅像までたてられている。一人殺せは殺人犯だが、百人殺せば英雄というわけだ。歴史が証明している。こんな考えがずっとわたしの頭に棲みついて離れなかった。

〈空想が現実になるまで〉
決して実践することのない思想、計画だった。しかし、わたしは苦しかった。わたしの頭に棲みついた英雄主義は、日ごとに成長し、わたしをせきたてる。わたしは心のなかで叫んだ。「おれは本当に、本当に斧を手にして、頭をぶち割る気なんだろうか。そんなことが本当にできるのか・・・」。なんども自問した。そして、ぜったいにできゃしない、と思った。そのくせ前日には、ちゃっかり下ざらえまでしたのだ。一カ月間、心のなかで神と悪魔が闘っていた。「できる、できない」「だめだ、おれにはもちこたえられない!耐えられない。たとえ、たとえあの計画に一点の狂いがないとしても──」わたしは、迷い、苦しみ、悩んだ。

しかし、たとえ、わたしが、どうもがこうと、あがこうとあの計画は実現に向けて、着々と歩をすすめていた。凶器の準備から、運搬方法、シガレット・ケースにみせかけた木片の質草づくりまで、綿密に練って用意していた。

そうして、ついにあの日がきた。とくに七月十日と決めたわけではない。強いて説明すれば、まる一カ月も考えに考えた思想が熟しきった、というべきか。女中のナスターシャは「考える仕事をしている」といったら笑いころげたが、所詮、凡人たちにはわからないことだ。

あの日の夕方、わたしは何かに導かれるように棺おけ同然の下宿をでた。だれとも会わなかった。外は蒸し暑かった。空想を現実に代える要素をたっぷり含んでいた。英雄を孵化させる最適温度だった。六時を過ぎていた。太陽は沈んでいたが、蒸し暑さは変わらなかった。太陽が熱かったから――それで殺人を犯した、そんな男の話を読んだことがある。わたしの場合、蒸し暑かったからになるが、それだけではなかった。まるで神が行く道を指し示すように、わたしの行く道を示したのだ。汝、この道を進むなり。いくつもの偶然が必然となって道を開いた。知った人間に誰一人会わなかった。

わたしは英雄になれる人間。だから神がこの状況を用意したのだ。犯行前日は、気持ちが高ぶり過ぎた。その症状から逃れるために居酒屋でウオッカを一杯ひっかけたら、眠くなって荒れ野をさまよって、藪の中で眠りこんだ。そしたら恐ろしい夢を見た。やせ馬が酔っ払いの百姓たちに殴り殺される夢だった。あれは決行には、まだ早いという知らせだったのかも――今はそう思う。

〈神にも誤りはある〉
その時はついにきた。神は指し示した。七月十日午後七時半、金貸し老婆は、たった一人で家にいる。千載一遇のチャンス。何年好機を待ちつづけたところで巡ってくるかどうかはわからない。この機をのがしたら、永遠にチャンスはないだろう。このチャンスの時を知ったのは、決して偶然ではない。すべての道はローマに通ず。英雄への道はドアの向こうにある。すべては必然、計画通りだった。

ドアは開けられた。英雄への道の入り口に、金貸し老婆が立ちはだかっていた。わたしは言った。「シガレット・ケースを持って来ました」。老婆はけげんそうにに受けとると、紐をほどきはじめた。偽物であることがバレてしまう。もう一刻の猶予もなかった。わたしは外套から斧をとりだし、なかば無意識のうちに両手で、それを振りかぶると、ほとんど力をこめず、ほとんど機械的に、頭めがけて斧の峰をふりおろした。斧はちょうど脳天にあたった。彼女は、悲鳴をあげたが、ごくよわよわしい声だった。まだ死んではいなかった。わたしは、ふたたびもう一度、二度脳天をねらって斧をふりおろした。大量の血がほとばしり老婆は仰向けに倒れた。息の根をとめようとしたが、すでに息絶えていた。

計画は成功した。わたしは、難関の老婆殺害を難なく成し遂げたのだ。ナポレオンへの道、英雄への道がにわかにわたしの前にひらけた。

しかし、神は誤った。この時間にはいないはずのリザヴェータが突然にあらわれたのだ。これも英雄になるための試練か。彼女は、布切れのように青ざめ、わたしを穴のあくほど見つめていた。まきぞえになった彼女には気の毒だが、責められるは神だ。わたしの計画には、不幸な妹リザヴェータの殺害は、なかった。

わたしは斧をかざしてとびかかった。彼女は泣き出しそうな顔で、なんの防御もなく立っていた。斧の刃はまともに頭蓋骨にあたった。一撃で額の上部をこめかみのあたりまでぶち割った。即死だった。このとき外に人が来て、わたしはひどくあわててしまった。それからのことは、ほとんど記憶にない。しかし、だれにも見つからず家に帰ることができた。このことはやはり偶然ではない、必然がわたしにあるように思った。しかし、リザヴェータを殺してしまったということは、わたしの心に重苦しく残った。
 

進 行  前回第一審の報告を行います。

【第一回公判 証人訊問の報告】

八月二十九日の初回法廷では被告人の日常生活をよく知る人たちが証言した。主に下宿関係者や大学の友人の証言。そこからは強盗殺人の兆候はみられなかった。被告人は寝てばかりいた。体がつらそうだった。アル中の元官吏を自宅まで送る、酔った少女を助けるなど、怠惰な生活とは別の、率先して親切と正義を働く日常が証言された。被告人は、大家とは婚約した娘の死で家賃をめぐる確執はあるが、多くの人たちからは愛されていた。孤独な引きこもりではなかった。貧困の問題も、母親からの手紙で解決つく見通しがあった。したがって、初回法廷では大きな謎が残った。即ち、才能ある正義感の強い、だれからも愛される青年がなぜ殺人者になったのか。第二回公判の被告人質問でその謎に迫りたい。

進 行  ただいまより、第二回公判を開始します。

裁判長  それでは、被告人質問を行います。被告人は、氏名、年令、職業、住居、本籍を述べてください。

被告人  はい、ロジオン・ロマーヌィチ・ラスコーリニコフ、二十三歳。職業は無職。元大学生です。住所は中メシチャンスカヤ通り19、本籍はトゥーラ県です。

裁判長  検察は起訴内容を述べてください。

検察官 起訴内容を述べます。被告人は、一八六五年七月十日、午後七時半頃、金品を奪う目的でエカテリーナ運河104番地にある金貸し老婆宅に客を装って訪問。金貸し老婆アリョーナ・イワノヴィナ(60)と、同居する妹リザヴェータ(35)を斧で撲殺し、金品を奪い逃走した。周到に練られた犯罪で、誤認逮捕があったが、被告人は、二人もの人間を殺したことへの罪の意識と、良心の呵責に耐えかねて、十日後の七月二十日、自ら警察署に出頭、自首に至った。

裁判長  被告人はこの起訴状に相違ないか。

被告人  はい、おおむね相違ありません。

裁判長  では、これより被告人質問にはいる。被告人は自分に不利になることは言わなくてよろしい。

被告人  わかりました。

裁判長  それでは、はじめに、いまの起訴状に対する返事について訊ねる。被告人は、おおむね相違ないと答えたが、不満そうにも聞こえた。おおむねとは、だいたいとのことだが――すべてではないとの意味もある。何か足らないものがあっての答えか。

被告人  はい、動機の点について――。

裁判長  動機?・・・起訴状は、金品を奪う目的とあるが、犯行目的は金品を奪うことではなかったのか。

被告人  はい。金品が目的ではありませんでした。

法廷内、ざわつく

裁判長  静粛に!――では何か。

被告人  金品は第二の目的です。

裁判長  第二の目的? 第一目的は貧困ゆえの犯罪、つまり金品欲しさゆえの犯行ではないというのか。

被告人  はい。

裁判長  よくわからないが・・・現実は、被告人は金貸し老婆を殺害して、彼女の財布や首飾りなど質草の品物を盗み、街外れの石の下に隠蔽した。すべてが自白通りで、証拠もそろっている。明明白白ではないか。ただ財布の金は未使用で、質草の装飾品も換金していない――との報告がある。この現状から、すぐに金が必要だったわけではないと想像できるが――。

検察官  裁判長。よろしいでしょうか。

裁判長  検察官に発言を許可する。

検察官  被告人は、母親からの手紙で現金が送金されることを知っていました。友人からのアルバイトの紹介もありました。そんなことから、いますぐ金が必要ではなくなった。それゆえ、完全犯罪をより強固なものにするために、ほとぼりが冷めるまで、盗品には手をつけない。そんなプロ意識が働いたと推測します。完全犯罪を狙った犯罪だからです。しかし、根本はあくまでも金に窮した金銭目的の犯行です。典型的な物とり犯罪です。憎むべき犯行ですが、動機は単純なものです。

裁判長  検察は犯行動機は、金欲しさ以外にあり得ようがないとするが。被告人、異論はあるか。

被告人  まったくもって、早急で稚拙な推理です。

裁判長  被告人、言動に注意してください。法廷を侮辱すると退場もあります。

弁護人  裁判長、被告人が動機にこだわる点について説明できます。

裁判長  弁護人の発言を許可する。

弁護人  ありがとうございます。被告人は犯行の前日、被告人の母親より手紙をうけとっています。第一回公判の証人訊問でも紹介しましたが、金に困った末の犯行ではなかったことの証明になるので今一度紹介します。
「おまえとはもうすぐ会えるわけですが、それでも、二、三日のうちに、できるだけのお金を送ります。ドゥーネチカがルージンさんといっしょになることが知れてからはわたしの信用も急に高まったようなわけで――いまなら年金を抵当に七十五ルーブリでも貸してくださいます。ですからおまえにも二十五ルーブリ、ことによると三十ルーブリは送れます」。
ことによると三十ルーブリも、と書いてありますが、被告人は実際三十ルーブリ送ってもらったのです。妹さんの結婚話は、その後ご破算になりましたが、この時期、ラスコーリニコフ家は経済的には明るい方向に進んでいたのです。当然、被告人はこの手紙を読んでいましたから、金に困った末に強盗殺人を実行するというような考えは起こりません。起こり得ようがありません。

検察官  異議あり!

裁判長  異議を認めます。

検察官  ラスコーリニコフ家が、当時、どんなに金にこまっていたか、弁護士のルージン氏に証言をお願いします。

裁判長  ルージンさん、証言をお願いできますか。  

ルージン もちろんですとも!わたしに証言の機会を与えていただきありがとうございます。弁護士のピョートル・ペトローヴィチ・ルージンです。わたしはこの家族についてよく存じております。実際、金に困った貧乏家族です。わたしが婚約したおかげで、どれほど明るい未来が、どれほどの幸福がこの家族にさしこんだか。大学をやめた被告人の身をどんなに心配してやったか。妹と結婚したあかつきには復学させ、将来はわたしの事務所で働いてもらう、それも共同経営者としてですよ。これほどの恩を、被告人とその妹は卑劣にも仇で返したのです。せっかく極貧にあえぐ母と娘を借金の泥沼から救いだそうとしたのにです。貧困と高慢ちきな性格で頭のおかしくなった兄と、家庭教師先で、その家の主人と不倫問題をおこしキズものになった妹、おまけに、お助けくださいと日参して頼みこんでくる無学の母親。家族ひっくるめて面倒をみてやろうと思っていたのにですよ。こんな寛容なわたしが裏切られたのです。

裁判長  証人は、事件とは関係ない話をしないこと。

ルージン 大いに関係ありますとも。わたしの寛大なる親切と恩を受け入れていたら、こんどの事件は起こらなかったはずです。兄も妹も母親も、三人全員がハッピーになって、いまごろは郊外の別荘の庭で優雅にお茶をしていたはずです。それを、このきちがいの兄のために、人殺しのために、母親は泣き暮らし、妹はといえば、追ってきた地主を、聞けば家庭教師時代にさんざん面倒をみてもらったという地主を袖にして、今では若い男に乗り換えるという節操のなさ。そのため、地主はピストル自殺をしたとのことです。兄が兄なら妹も妹、兄妹そろってろくでもない家族。貧乏人のくせに――。

被告人  このチキン野郎!犬にでも喰われろ!お前なんか、ごめんこうむりだ!色魔め、吝嗇野郎!

ルージン だまれ! 人殺し! 死刑になれ! メス犬家族!売春宿がお似合いだ!兄妹そろって地獄におちろ!

法廷内、騒然

裁判長  静粛に!

裁判長  被告人は暴言を吐かないこと。証人は退席してください。

法廷内 鎮まる。

裁判長  犯行は貧困からではない。では、何が目的で強盗殺人を働いたのか。貧困が第一の動機でないとすると、他に、どんな理由があるというのか?先に調書で述べたような思想問題からか。

弁護人  裁判長、そのへんのところは、現在、被告人は精神的に疲労しており、正常な判断や答えができにくくなっております。今は、その質問に答えるのを控えさせていただきたいのです。

被告人  精神は至って健康です!裁判長、いますぐ答えることができます。

弁護人  裁判長、重ねてお願いします。被告人はまだ混乱状態にあります。動機の解明については後日の法廷で質問していただきたく――。

裁判長  弁護人の発言を却下します。被告人、引きつづき質問に答えるように。このたびの事件の第一動機は何か?

被告人  金貸し老婆の殺害であります。金品の奪取はあくまでも二の次です。

裁判長  なぜ、老婆殺害を第一の目的としたのか?

被告人  ナポレオンになりたいからです。

裁判長  ナポレオン?!あのナポレオン・ボナパルトか。

被告人  はい、そうです。

裁判長  なぜナポレオンに。

被告人  英雄だからです。

裁判長  なぜ、英雄になりたいのか。

被告人  思ったことがすぐ実行できるからです。普通の人間は一つの善行でも難しいが、英雄なら百の善行でも一声で成し遂げられます。ぼくは世の中の大勢のひとたちを救いたいのです。いますぐに、世界人類の救済がしたいのです。

裁判長  金貸し業アリョーナ殺害とどう関係するのか。

被告人  彼女を殺すこと。そのことがぼくが英雄である証だからです。シラミ一匹を殺せる勇気と行動力。老婆殺しでぼくが生れついての英雄なのかどうか、それを確かめたかったのです。金貸し老婆の殺害はその試金石なのです。

裁判長  二人の人間の命を奪うのが英雄の試金石だったというのか。

被告人
  リザヴェータは違います。

裁判長  違うというとどう違うのか。

被告人  リザヴェータは成り行きです。計画にはありません。運が悪かったのです。英雄に許されているのは、あくまでも役たたずの生きていても仕方ないゴミ同然の人間の殺害です。リザヴェータは違います・・・。

裁判長  では、なぜ彼女を、彼女まで殺してしまったのか。

被告人  なぜか、わかりません・・・。

裁判長  目撃されたからであろう。

被告人  そうだったと思います。が、そのときは何も考えませんでした。最初の殺人ですっかりまいあがっていたので、どのように殺したのかも記憶にありません。無意識に斧を振り下ろしていたのです。

裁判長  よろしい、そこは一歩ゆずってそうだとしよう。では、最初に殺した金貸し老婆は、確信をもって殺したのだな。

被告人  はい。

弁護人  裁判長!異議あり!

裁判長  異議を認めます。

弁護人  被告人は確かに強盗殺人を想像しました。しかし、現実に実行できるとは思っていませんでした。被告人は、近頃流行りの人類二分法の思想に毒されていただけです。

裁判長  人類二分法とは何か。どんな思想か。

弁護人  フランスで刊行されたある本、かのジュリアス・シーザーを礼賛する伝記ですが、この本の序文に書かれた言葉が一人歩きをして、現代の若者たちを看過しているのです。

裁判長  どのような内容か。

弁護人  独善的な毒にも薬にもならない本です。一部を読みあげて紹介していいでしょうか。

裁判長  新思想の一部紹介を許可します。

弁護人  ありがとうございます。

「並外れた功績によって崇高な天才の存在が証明されたとき、この天才に対して月並みな人間の情熱や目論みの基準を押し付けるほど非常識なことがあろうか。これら、特権的な人物の優越性を認めないのは大きな誤りであろう。彼らは時に歴史上に現れ、あたかも輝ける彗星のごとく、時代の闇を吹き払い、未来を照らし出す。本書の目的は以下の事を証明することだ。神がシーザーやカルル大帝のごとき人物を遣わす。それは諸国民にその従うべき道を指し示し、天才をもって新しい時代の到来を告げ、わずか数年のうちに数世紀にあたる事業を完遂させるためである。彼らを理解し、従う国民は幸せである。かれらを認めず、敵対する国民は不幸である。そうした国民はユダヤ人同様、みずからのメシアを十字架にかけようとする。」
この思想がロシアでも、繊毛虫のようにはびこりはじめているのです。

裁判長  稚拙だな、あまりにも稚拙だ。

弁護人  しかし、この思想が、昨今、街の居酒屋で議論されているのです。

裁判長  どのようにか。

弁護人  これは被告人が、居酒屋で直接耳にしたという将校と学生たちの会話です。記録されているので、一部を紹介します。

「一方には、おろかで、無意味で、くだらなくて意地悪で、病身の婆さんがいる。だれにも必要のない、それどころかみなの害になる存在で、自分でも何のために生きているのかわかっていないし、ほっておいてもじきに死んでしまう婆さんだ。わかるかい。ところがその一方では、若くてぴちぴちした連中が、誰の援助もないために、みすみす身を滅ぼしている。それも何千人となく、いたるところでだ! 修道院へ寄付される婆さんの金があれば何百、何千というを立派な事業や計画をものにすることができる! 何百、何千という人たちを正業につかせ、何十という家族を貧困から、零落、滅亡から、堕落から、性病院から救いだせる――これが、みんな彼女の金でできるんだ。じゃ、彼女を殺して、その金を奪ったらどうか。ひとつのちっぽけな犯罪は数千の善行によってつぐなえないものだろうか?ひとつの生命を代償に、数千の生命を腐敗と堕落から救うんだ。ひとつの生命と百の生命をとりかえる。─―これは算術じゃないか。」

裁判長  被告人はこの思想を知っているか。

被告人  もちろん、知っています。

裁判長  実践したいと思ったことはないのか。

被告人  ありません。頭のなかで考えていただけです。

裁判長  しかし、今回は実行した。

被告人  偶然が、いくつもの偶然がかさなったのです。

検察官  異議あり!

裁判長  検察は何か?

検察官  被告人はこの思想を実践に代えるべく努力していました。決して、偶然からの犯行ではありません。

裁判長  異議を認めます。して、その証拠はあるのか。現実化しようとしていたという。

検察官  被告人は何カ月も前から考えに考えていました。この計画を練りに練っていました。

裁判長  どのような方法でか?実証はできるのか・・・。

検察官  証人としてポルフィーリイ予審判事の証人訊問をお願いしたいのですが。

裁判長  許可します。

進 行  ポルフィーリイ予審判事、前へ。

裁判長  証人は氏名、職業を述べよ。

予審判事 職業はペテルブルグ警察署付きの予審判事です。

裁判長  検察はこの事件は、前もって計画され、練られていたと陳述したが。相違ないか。

予審判事 相違ありません。

裁判長  証明できるのか。

予審判事 できますとも。おおいにできます。

裁判長  証人と被告人との関係は。

予審判事 わたしの親戚のものが──大学生ですがね、第一回公判で証人として立ちました。彼は苦学生ですが、バイタリティある若者で、いい子なんですよ、友人思いの。まあ、そんなことはどうでもいいんですがね。早い話、彼は被告人の友人なんです。いや、友人なんてものじゃない、なにやら尊敬までしてるんですよ。今度の事件で警察が質草の入質者を調べていると聞いて心配しましてね。実際、質草に被告人の持ち物がありました。指輪と銀時計です。質草は金貸し老婆と関係する重大物件ですからね。動かぬ証拠ですから当然疑われます。それで、警察署より先にわたしのところへ行って説明しておけ、と先手を打ったわけですよ。彼、ラズミーヒンは親切心と友情から内々に済ませようと思ったんですな。涙の友情物語だが、コネはいけませんですね。

裁判長  被告人は捜査対象になっていたのか。

予審判事 とんでもない、嫌疑どころか、署長も副署長も、あさっての方をむいていましたよ。被告人はそのころ大家に家賃を滞納して訴えられていて、警察署で払えぬ理由を一席ぶったりしていて、とても強盗殺人事件との関連などつかみようがなかったです。それに、警察は誤認逮捕をしていたほどで、被告人はまったくの蚊帳の外でしたよ。

裁判長  予審判事もそうであったか。

予審判事 もちろんですよ。会うまでは、可愛い甥っ子のために一肌ぬいでやろう、そんな気持ちでした。この世界、嫌疑をかけられると、面倒だし、嫌なことがありますからねえ。甥っこの友人がこんどの事件と繋がるなどこれっぽっちも考えてませんでしたよ。

裁判長  被告人に嫌疑の眼をむけたのはいつからだ。

予審判事 ラズミーヒンが被告人を紹介するためにうちに連れて来たときからですよ。驚きましたよ。話しているうちに、突然、先日、運河通り104番地で起きた質屋の老婆殺人事件のホシはこの男だ!と確信したんです。

裁判長  関連づけるものがあったのか?

予審判事 脈略なんかなにもありません。わたしはもう終わった人間ですからね、勘も鼻も効きませんよ。ただ、雑学が好きでいろんな本をかじっているわけです。クイズの応募に役立ちますからね。もっとも本は最初の三ページぐらいしか読みませんが。

裁判長  証人は、簡潔にお願いします。

予審判事 簡潔ですか――、捜査においてはよろしくないですな、簡潔は。でも、よろしい、ここは法廷ですからできるだけ簡潔にいきましょう。協力します。

裁判長  ぜひともお願いします。

予審判事 わたしは被告人の名前を聞いて驚いたんですよ。というのも二カ月ほど前、ある月刊誌を読んで――この前、廃刊になった『月刊論壇』ですがね。あの月刊誌のなかに、ひどく気になる投稿論文がありましてね。ぜひ筆者に会って、直接、話を聞きたいと思っていた矢先ですよ。論文は匿名でしたが、編集者に知り合いがいましてね。サツ時代の習性で、本名を聞き出して、あたまの隅に入れておいたんです。ところが、筆者と同姓同名の人間が、なんの予告もなく、突然目の前にあらわれたのですから、こりゃあビックリです。聞けば、論文の筆者本人というわけで。二度ビックリです。

裁判長  どのような内容か、概略を簡潔に述べることは可能か。

予審判事 可能ですとも。 論文は、犯罪の全過程における犯人の心理状態を考察したものですが――かいつまんで言えばこんな内容です。

「犯罪の実行行為はつねに病気にともなわれる」と主張しています。ひじょうに、ひじょうに独創的なんです。ただ・・・実をいうと、わたしがとくに興味を持ったのは、論文のその部分ではなくて、論文の最後にちらともらされたある考えなんですよ。つまり、「この世界には、あらゆる不法や犯罪を行いうる、いや、行いうるどころじゃなくて、完全な権利をもって行いうるある種の人物が存在する。そういう人物にとって法は無きにひとしい」。この論文によると、すべての人間が「凡人」と「非凡人」に分かれるという点にある。凡人は、つまり平凡な人間だから、服従を旨として生きなければならんし、法を踏み越える権利をもたない。ところが非凡人は、非凡人なるがゆえに、あらゆる犯罪を行い法を越える権利を持っている。

裁判長  そこまででよろしい。事件と関連あれば、また思いだしていただくとして、証人と被告人との関係は、投稿論文によって、でよいのだな。

予審判事 はい。じつは、もうひとつ驚くことがあったんです。残された質草ですが、老婆はその一つ一つを紙にくるんで、ご丁寧に入質者の氏名、質入れ日を鉛筆ではっきり書いていたんです。そのなかに被告人のものもありました。指輪と時計でしたか。それで名前をしっかり覚えていました。気になる投稿論文の筆者の名前も同じでしたからね。で、会ったとき、すぐにわかったんです。ああ、あの質草の持ち主かと。論文の筆者と同姓同名の人物だと。

裁判長  しかし、残された質草はたくさんあったと聞いている。被告人は、第二の被害者とドァをたたく訪問者ですっかり動転し、質草のほとんどは手付かずで、ほとんどが盗まれなかったようだが。それなのに、入質者全員を覚えているとはたいした記憶力です。

予審判事 いえ、記憶どころか物忘ればかりしてますよ、近頃は。もう終わった人間ですから。なぜ、被告人の名前をしっかり覚えていたかというとですね。手品のトランプ当てのようなものですな。ほとんどの入質者は、事件直後、大慌てでやってきました。被告人だけが来なかった。身体のぐあいがあまりよくなかった、あとでそうききましたが、目の前に名前が書かれた持ち主が来ない質草がぽつんとあれば、いやでも覚えてしまいますよ。この持ち主は、あの論文の筆者と同じ名前だ。もしかしたら、同一人物ではないか。どうして来ないのか。事件と関係あるのか。そんな疑問が次々浮かぶ道理です。そこに被告人がひょっくりあらわれた。もうビックリですよ。ピカッと雷が落ちた気分でした。論文と事件。二つの点が繋がった、そんな気がしたわけですよ。

裁判長
  で、あなたはどう思われるか。この事件は、たんに金に困っただけの、経済的に切羽詰まっただけの強盗事件か。それとも、被告人がいうように、ほんとうにナポレオンになりたかった――そのために実行した犯行なのか。いま流行りと云う人類二分法にそそのかされての犯行だったのか。

予審判事  動機は何か、ということですか・・・むずかしいですな・・・いまどきの若者が何を考えているのかは。考えた末の犯行というが、何も考えない犯行かも知れません。だって、そうじゃありませんか。いくら世直しのためといえ、アルバイトは世話してもらえる。母親と妹は婚約のめでたい話をもって上京してくる。そんなときに、強盗殺人をしなければならないなんて誰が考えますかね・・・。わたしにはわかりません。

裁判長  金欲しさからでもない。革命思想からでもない。ナポレオンの亡霊にそそのかされたとしか思えないような、この強盗殺人の本当の動機はいったい何か。安易に人を殺したいという事件が頻発する昨今である。なぜ人は人を殺したいのか。被告人の「ナポレオンになりたい」は、ほんとうの動機なのか。今回も判決はありません。次の公判は、被告人の自首におおきな役割をはたした証人の訊問を行います。これで、第二回公判を閉廷します。




V.金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判 第三回公判 


《第三審に出廷する人物》

裁判長: 確たる証拠もない事件だが、沈着冷静に審理をすすめていく。
検察官: 二人の命を奪った殺人者を追いつめることに執念を燃やす。
弁護人: 被告人の罪をなんとか軽減しようと奔走する弁護士。
被告人: ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ 
証 人: ソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワ 愛称ソーニャ、マルメラードフの娘。18歳。なかなかきれいなブロンド娘。顔は青白く、痩せて小柄だが、青い目がすばらしい。
証 人:(故人)セミョーン・ザハールイチ・マルメラードフ ラスコーリニコフが酒場で知りあった元官吏。ソーニャの実父。五十歳すぎ。がっしりした中背。白髪頭に大きな禿。酒のせいで顔はむくみ青黄色い。 
 

 【これまでの公判記録】
第一回公判 8/29 証人訊問(被告人の日常生活を知る人たちの証言)
第一回公判の証人訊問では、被告人の人物像を知るため被告人の日常生活を知る人たちに証言してもらった。証言者は、下宿の女中、下宿の主婦、大学の友人、酒場の主人。引きこもり、偏屈な性格とみられていた被告人だが、彼を知る周辺の人たちの印象は、わりとよかった。皆一様に残酷な被告人の犯行に驚いていた。証言は裁判には有利であった。
第二回公判 9/19 被告人質問(強盗殺人事件の動機、人類2分法とは何か)
第二回公判の被告人質問では、犯行の動機を解明するため被告人質問をおこなった。人類を非凡人、凡人に分ける人類二分法とはなにか。あの強盗殺人は、金品目的ではなかったのか。被告人の犯罪哲学に注目。証言者は、予審判事ポルフィーリイとルージン。


進 行  ただ今より「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件」第三回公判を行います。

裁判長  これより被告人ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ(23)が一八六五年七月十日午後七時半頃、金貸し老婆アリョーナとその義妹を殺害し、金品を強奪した強盗殺人事件に対し、本日は重要証人として、被告人の知人元官吏マルメラードフの娘ソーニャを当法廷に召喚し、不可解な事件動機の解明をはかる。よって証人は、あくまでも法廷の神聖さをわきまえ偽りなきよう答弁すること。なお、証人の父親、元官吏マルメラードフ氏は、一八六五年七月十四日、路上事故により逝去しているため、当裁判には、故人の代理としての証言をお願いした。
はじめに検察は、これまでに判明している事件概要を述べてください。

事件概要
検察官 本日十月十七日までの本事件概要は、およそこのようである。一八六五年七月十日午後七時半頃、金貸し業老婆アリョーナ・イワノヴナ(60)は店舗兼自宅(エカテリーナ運河104)において同居人で義理の妹(行商業)リザヴェータ・イワーノヴナ(35)と共に殺害された。凶器は、アパート庭番所有の薪割り斧。二人ともほぼ即死。犯人は、はじめに金貸し業老婆を襲い殺害。つぎに遅れて帰宅したリザヴェータを殺害した。老婆殺害は、斧の峰だったが、義妹は、刃の部分だったので、頭蓋骨が真っ二つに割れる悲惨なものだった。犯人は、二人を惨殺後、室内を物色。老婆の財布と首飾りなど質草の装飾品数点を盗み去った。手がかりはなく、目撃者もいなかった。初動捜査は行き詰まった。が、二日後第一発見者のペンキ職人に嫌疑がかかり連行、九日目に自白した。しかし事件から十日目となる七月二十日、近所の下宿に住む元大学生ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフが、愛人の説得で突然自首した。被告人は、一度は捜査線上に浮かんだ人物だったが、警察関係者に知り合いがいたことと本人がわざとのように犯人らしく振舞ったことでかえって嫌疑は薄れていた。盗品は自供通り市内V通り広場付近の大きな石の下に隠されていた。財布など全て盗品と一致したことから元大学生ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフを本姉妹強盗殺人事件の真犯人と断定。逮捕に至った。本事件は、被告人が一カ月前に計画。自宅の門口から現場まで730歩と練りに練ったもので、完全犯罪を狙った事件だった。
以上が本件の事件概要であります。

弁護人 異議あり!

裁判長 なにか。

弁護人 事件概要に事実でない点があります。訂正と削除を、願います。

裁判長 訂正と削除? どこか。

弁護人 愛人の説得で突然自首したとありますが、「愛人」と「突然」この二点です。証人は、被告人の愛人ではありません。被告人の知人の娘です。つぎに、突然の自首と、ありますが、被告人は、犯行直後から、常に自首を念頭においていたと言っております。その証拠に事件後、なんども警察署に出向いて自首の機会をうかがっていました。署長はじめ副署長、書記たちが目撃していますし、会話もかわしています。したがって、この二点、「愛人」を「友人」に訂正と、「突然」の削除をお願いします。

裁判長 被告人にきく、これに相違ないか。

被告人 相違ありません。彼女は、わたしの知人の娘さんです。自首については、犯行後、いつでも、という気持ちでした。突然ではありません。

裁判長 証明できるのか。

弁護人 多方面の知人から証言を得ています。

裁判長 よろしい。異議を認めます。書記は、訂正し削除したものを記録してください。

【起訴内容】
検察官 元大学生ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフは、兼ねてより金貸し老婆強盗殺人計画をたて、その時をうかがっていた。七月十日午後七時半頃、金貸し老婆が一人になることを知って、その日に決行した。老婆宅を客を装って訪れ、殺害した。同時に帰宅した義妹も撲殺した。犯行目的は、当初、母親からの送金が途絶えたための生活苦とみられていた。しかし、捜査の過程でその線は薄くなった。理由は、母親の手紙から二日待てば母親から30ルーブリ送金されることがわかったからである。他に大学の友人からアルバイトの紹介もされていた。被告人は、学力優秀な大学生だったとの報告もある。自分で家庭教師の口を探しても良かった。自力で生活の糧を得るには容易だったはず――にもかかわらず被告人は、家庭教師や翻訳のアルバイトを断り、ひたすら下宿の部屋にとじこもって寝ていた。これらのことを鑑みるに、この事件は、切羽詰まった末の、貧乏に追い詰められた末の犯行ではないと推測する。

この事件は、経済的動機ではなく、精神的、思想的要素が根強い。被告人は、供述のなかで、このような見解を口にしている。「ナポレオンのような英雄になるためには殺人も必要だ。シラミのような人間を殺すのは罪にならない。いま、人を殺しても将来、多くの善いことをすれば、昔の殺人は帳消しになる。自分は、人よりすぐれている。つまり非凡人だから、すべてが許される。」被告人の頭にあった殺人動機は、こういった理由です。これは、現代の病です。恐ろしい思想です。しかし時代のせいにはできません。被告人は、学力優秀でしたが、洗脳されやすい、新思想にかぶれやすい人間だったのです。性格は狡猾で独善的で利己主義者でもある。その証拠に、家賃不払いを条件に家主の娘と婚約しましたが、娘がチフスで亡くなったあとも、図々しく家賃を滞納していた。狡猾にして吝嗇、非道にして残酷。被告人は、そんな人間です。

最近、若者による同様の事件が多発しています。汗する努力を嫌い、楽して上に立ちたがる。ゲーム感覚で安易に犯罪に走る。こうした時流に釘刺すためにも本事件は厳罰罪をもって処すべきであります。

弁護人 裁判長、弁護側からも陳述を。

裁判長 発言を認める。が、手短に申せ。

弁護人 ありがとうございます。ただいま検察は、被告人にとって不利な報告ばかりしましたが、被告人は、正義感が強い余り、誤解されることがしばしばです。たとえば家主の娘さんとの婚約ですが、家賃不払いが目的ではなく、あくまでも娘さんの気持ちを傷つけまいとした、思いやりからでした。そうでなければ、どうして才能ある天下のペテル大の秀才学生が、何を好んで、まだうら若い娘と結婚の約束なぞするでしょうか。被告人は、決して孤独でも引きこもりでもありません。ゲームに溺れてもいません。被告人の事をいまでも心配してくれる友人もいます。下宿の女中は、しょっちゅう世話をやきたがっています。被告人は、皆に好かれており愛されています。こんどの事件は魔が差したとしか思えません。現に被告人は事件を起こしたことを悔やみ、悩み、説得されたとはいえ、事件十日後には自首しているのです。しかも、拘束されていた容疑者がすでに自白をしており、被告人には嫌疑さえかかっていなかった時期に自首したのです。たしかに二人の殺人は実行されました。しかし、これらの殺人は世の中を思うばかりに、犯してしまったのです。刑の軽減をお願いします。

進 行 それでは審理をはじめます。証人は、氏名、年齢、住所、職業を述べてください。
証 人 ソフイヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワです。ソーニャと呼ばれています。十八歳です。住所はエカテリーナ運河63。仕立屋カペルナウーモフの持ち家です。

裁判長 職業は。

証 人 ―― 元お針子です。

裁判長 現在は、何か。

弁護人 裁判長、そこは弁護人の方からお答えします。証人は、両親がつくった多額の借金とその家族を救うために現在、黄色い鑑札を受けていますが、近々、自由になる予定です。

裁判長 証人は、それに相違ないか。

証 人 ハイ・・・。

裁判長 黄色い鑑札を受けているものとなると――さきほどの訂正質問だが、愛人というのは本当に間違いか。

証 人 ハイ・・・。

裁判長 被告人と同きんしたことはあるか。

証 人 どうきん、といいますと。

裁判長 つまり商売がら被告人と肉体関係があったのか、ということだ。

弁護人 異議あり、本件とは関係ない質問です。黄色の鑑札は、あくまでも仕事上です。たとえ肉体的に関係があったとしても、それをもって愛人関係だったとは言えません。

裁判長 よろしい、異議を認めます。証人は、答えなくてよろしい。それでは、質問をかえる。こんどの事件で、被告人に自首をするよう説得したか。

証 人 ハイ・・・。 説得かどうかはわかりませんが、すすめました。

裁判長 被告人が「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件」の犯人と知っていたのか。

証 人 ハイ・・・。 そうではないかと・・・。

裁判長 証人は、被告人が金貸し老婆殺しの犯人ではないか思ったのは、いつか。そして、それはどんなふうに知ったのか。

証 人 それとなく感じたのは父の葬儀のあった翌日です、ラスコーリニコフさんが、突然わたしの部屋に訪ねてきたのです。

裁判長 何時ころか。

証 人 午後十一時です。家主さんの時計の音、聞きましたから。

裁判長 ずいぶん遅い時間だな。

証 人 ハイ・・・。

裁判長 訪ねてきた用事はなにか。

証 人 わかりません。はっきり言わなかったので・・・。

裁判長 証人の体が目的だったのではないのか。

証 人 それは・・・、わかりません・・・。しかし、その部屋はカペルナウーモフさんのご好意でお借りしているのでそんな目的のためには使いません。それに、そんな遅い時間、仕事はしません。

裁判長 では、なんの用事できたのか。

証 人 いまならわかりますが、あのときは、なにがなんだかわかりませんでした。あのときのラスコーリニコフさんの様子、へんでした。

裁判長 へん、とは? どのようにへんであったのか。

証 人 はじめ、無言でわたしの部屋をじろじろながめまわしていて、なんだか怖かったです。しばらくして、いきなり妙なことを言うんです。

裁判長 どんなことだ。

証 人 「ぼくがお宅へ来るのは、これが最後なんです」って。この日がはじめての訪問だというのにです。思いつめた顔で「たぶん、もう会えないでしょう・・・」とも言いました。

裁判長 それは懲役を覚悟しての言葉だったと思うか。

証 人 そうだったかもしれませんが、わたしには、わかりません。そのときは、旅行でどこか遠くに行くのかと思い「どちらへか、いらっしゃいますの?」と、おききしたほどです。いまになってみればすべては明白ですが、そのときはなにもわかりませんでした。ラスコーリニコフさんも、「わからないんです。何もかも、明日の朝にならないと、わからないんです」と恐い顔で繰り返すばかりでした。ところが、急におだやかな口調になって、「でも、そんなことはどうでもいい。ぼくはひとつ言いたいことがあって来たんです」と言うのです。葬儀で会ったばかりで、たいして知りあってもいないのに、言いたいことがあるとは。ますますわかりませんでした。

裁判長 いいたいこと、とは、どんなことだったのか。

証 人 亡くなったわたしの父から、わたしのことを、すっかり聞いたというんです。酒場でたまたま知り合って意気投合して、父は我が家のことを、あることないことべらべらしゃべったようです。はじめ、そのことだと思いました。継母について、かなり誤解しているようなことを言いましたから。

裁判長 被告人は、故人となったアル中の元官吏から、どんな話をきいたのか。

被告人 証人の実父マルメラードフは、こんなことを言いました。

(マルメラードフに代わって語る)
学生さん、あなたにはできますかな・・・できますじゃなくて、勇気をお持ちですかな。わたしの顔を見ながら、おまえは豚じゃない、と断言なさる勇気を?わたしは生れながらの畜生なんだ。あなた、いいですか?わたしはあれの靴下まで飲んじまったんですよ。襟巻も、あれが人から送られたやつも、みんな飲んじまった。家内は、それこそ朝から夜更けまで働きづめですわ。胸が弱く、肺病の気があるのに。こんな家内の苦労をどうして感じないでいられます?。わたしは飲めば飲むほど、よけい感じるのです。だから、わたしが酒を飲むのは、この酒のなかに苦しみを、共感を見出そうとするためなんです。

被告人 まったく、たいした弁解だとあきれましたよ。

裁判長 どうしようもない人間だが、被告人は、そんな人間と意気投合したというのか。

被告人 意気投合というよりこんな愚劣な人間がいることに、存在することに驚いたんです。それで好奇心から興味をもったんです。このアル中男が話してくれたのは、転落の人生と可愛い自分の娘が黄色い鑑札をもつことになった日のことです。実に傑作でした。酒場中の者が、客もボーイもみんながみんな聴き耳をたてて聞いていました。

裁判長 第一回公判で、酒場の主人の証言にあったが、つづきがあるのか? 

被告人 
はい。つづきはこうです。

(マルメラードフに代わって語る)
家内のカチェリーナは、手をもみしだかんばかりにしながら部屋のなかを歩きまわっていましたよ。頬っぺたにはヒステリー症状の赤いしみが出ていました。わたしがあれをもらったときは、後家さんで、小さいのばかり三人も抱えておりました。まえの主人は歩兵将校で、好きあって駆け落ちしたが、それでも幸福だった。ところがその主人が、カルタに手をだして裁判沙汰になって死んじまった。最後のころはずいぶん家内をぶったとのことです。ところがそれでいて、いまだにあれは前夫のことを思い出して涙ぐんで、前夫と比べてわたしを責めるんです。あの日もその最中でした。ワーワーギャーギャー泣き叫びながらわたしをなじっておりました。そこに、お針子の仕事を探しに行ってきたソーニャが注文をとれずに手ぶらで帰ってきたんです。とたん家内は、こんどは娘に向かって怒鳴りはじめた。パンはどうした、金はどうしたと。まいどのことですが、この日は特別でした。なにしろ子どもたちは、もう三日もパンの皮さえ拝んでいなかったのです。それで攻撃は昂じていって、ついに爆発しちまった。一線を越えちまったんです。家内はソーニャに「このごく潰し、ただで食って飲んで、ぬくぬくしてやがる!」と大声で怒鳴り、ぶったりもしました。

裁判長 ぶったりもしたのか。まったくひどい話だ。いまなら継子イジメで訴えることもできたが・・・。

証 人 ぶったですって!ああ、ぶったなんて!たとえぶったとしても、それがなんですの、だからどうだというんです。あの人はふしあわせな人なんです。ええ、ほんとうにふしあわせな。おまけに病気で・・・。胸の病気と心の病気なんです。そのことを思えば、ぶたれたことなんて、どうでもいいんです。

裁判長 証人は許可なく発言をしないように。継母の暴力の有無が証人へ与えた影響は大きいと思われるが、いまは、証人が黄色い鑑札を受けることになった直接の経緯を知りたい。本件と、関係がないともいえるが、証人が、被告人に自首をすすめることになったことに関係するかもしれないからだ。被告人は証言をつづけてよいが、なるべく簡潔に。

被告人 はい。修羅場の最中、一家の主、元官吏のマルメラードフ氏は、タヌキ眠入りをして逃げていたんです。しかも、まるで芝居のせりふのように、こんなふうに話したんです。

(マルメラードフに代わって語る)
家内は怒鳴りつづけていました。「ソーニャ!いますぐ金を稼いでおいで。割りのいい仕事ならいくらでもあるんだ。すすめている人もいるんだ。いますぐ行って頼んでおいで」と言うのです。ああ、わたしのソーニャ!、あれは口答えしない子で、声も実にやさしいんです。いつも青白い、やせこけた顔をしております。ソーニャは、だまってじっとたえていました。しばらくして、罵声の嵐が、息切れで途絶えたとき、やっとおそるおそる口をひらきました。か細い声で、しぼりだすように言ったのです。「カチェリーナ・イワーノヴナ、ほんとにわたし、あんなことしなきゃいけないの?ほんとうに・・・」家内は、たちの悪い女から黄色い鑑札の話をすすめられていたんです。いつもなら、そんな話、鼻にもかけないが、この日は、限界を超えていたんです。それで、いっそう過激にヒステリックになっちまって「それがどうしたのさ!たいしたお宝でも、減るもんでもないじゃないか。いますぐいって稼いで来るんだよ!」とやっちまったんです。娘は、ぷっつりだまりこんでしまった。部屋のなかは、いきなり沼の底に沈んだように不気味に静まりかえっちまいました。

被告人 酒場の連中は、皆、思わず息をとめて聞いていました。あとで元官吏のアル中親父が弁解するには、家内は、腹のへった子どもたちが泣きわめくので、言葉通りの意味というより、ついつい当てつけに言ってしまったというんです・・・。

裁判長  当てつけにしては、度が過ぎているな。

被告人 はい。

裁判長 まだ、つづきがあるのか。

被告人 それから娘がどうしたかについても、アル中親父は得々と話すんです。

(マルメラードフに代わって語る)
わたしはずっと寝たふりをして事の成り行きをみておりました。そしたらソーニャは五時をまわったころ、立ち上がって、ネッカチーフをかぶって、マントを羽織って、部屋から出ていきましたっけ。それで、八時過ぎになってから、帰ってきたんです。帰ってくるなり、まっすぐに家内のところへ行って、その前のテーブルに三十ルーブリの銀貨を並べました。それっきり、ドラデダム織りのショールで頭と顔をすっぽり包むと顔を壁の方に向けて寝台に横になってしまった。で、わたしはといえば、あいかわらず、寝とったわけです。ですが、わたしはちゃんとこの目で見ましたよ、家内は、一晩中、ソーニャの足元にひざまずきながらその足に接吻しておったのです。

裁判長 実に気が滅入る話だ。被告人は、その後、この継娘虐待家族と関係を深めていくが、なぜか。

被告人 別に理由はありません。強いて言えば、この家族に興味を惹かれたのです。人間、これほどまでに転落できるものか、ダメになれるものかと。

裁判長 家族のために犠牲になった娘にたいしても、そう思ったのか。

被告人 思いました。なんのための自己犠牲かと、腹が立ちました。自分を殺して、家族を救う。たいしたうぬぼれです。元官吏にしても、安酒場で語る落ちぶれた人生、手放せないウオッカの小瓶。それでいて後妻と家族にたいする病的なまでの愛情。この落差に吐き気がしましたよ。この男に会わなければよかった。話にのらなければよかったと聞きながら後悔しました。

裁判長 しかし、調書によると、被告人は、アル中の元官吏を送った夜も、事故にあってかつぎこんだ日も、なけなしの金をおいてきたというではないか。

被告人 興味からですよ。あくまでも好奇心からです。

裁判長 被告人は殺人の動機を、将来、善いことをするためだと言った。人を救うためだと。理解はできないが、たしかそんな理由だったと記憶している。

被告人 はい、たしかに。ぼくの犯罪の動機はそれです。

裁判長 と、すると似てなくもないな。

被告人 なにがです?

裁判長 黄色い鑑札を受けた娘の動機と。

被告人 どこがです。

裁判長 家族を救うために自分を犠牲にするという行為だ。人類を救うために殺人を犯すという被告人の思想にどこか似ている。

被告人 まってください。ソーニャのやったことは、すこしも人類救済にも家族の救済にもなっていない。そればかりか、人間をさらに堕落させている。けなげにも彼女は、みんなを救おうとして、継母に恫喝されてか、腹を空かしてピイピイ泣く幼い姉妹を不憫におもってか、処女を金に代えて娼婦に身を落とした。それで何が得られたのです?。救われた人はいるのですか。アル中の父親は、ますますアル中地獄にはまり、気ちがい継母は、ますます見栄っぱりになり。おまけに継母は肺病やみときている。どうせ死ぬなら、家族にうつす前いっそ早く亡くなったほうが、家族のためなんです。彼女が死ねば、三人の子どもたちは母なし子として孤児院にひきとられ、飢えて泣くこともないのです。姉が娼婦でかせいだ金で成長した妹は、どうなります。結局は、妹も姉と同じ道を行くことになります。ソーニャの犠牲は、救済どころか、周囲の一切合財をみんなダメにしてしまうのです。

証 人 そんなことはありません!そんなこと、神様は、お許しになりません。

被告人 また神様か、神様がなにをしてくれるのだ。

裁判長 証人、許可なく発言しないように。それに、ここは神の話をする場ではない。それより、被告人は、証人をけなげに思わないのか。

被告人 思いません。それどころか腹が立ちました。なぜ彼女が、そうまでして家族のために犠牲になるのか。結局はなにもならないのに。

裁判長 彼女の気持ちを考えてみたまえ。

被告人 想像はできます。まだ、少女のころから、不幸な父親と、悲しみのあまり気のふれた継母のもとで、飢えた幼い姉妹にかこまれ、聞くにたえない罵声や叱責をあびせられて暮らしてきた。そのせいですっかり怯えきって、自分のなかの神様しか頼るものがなくなってしまったのだと思います。

裁判長 なかなかの心理分析だな。

被告人 アル中親父の、あの告白を聞けばだれだってそう思います。

裁判長 被告人には、その心理分析を自分に向けてほしいものだが、本日は、証人との関係をもう少し詳しく審理したい。証人にたずねる。被告人との付き合いは長いのか。

証 人 あの人が自首する一週間ほど前、はじめて知り合いました。

裁判長 客としてか?

証 人 ちがいます。父が亡くなった日です。馬車に轢かれた父を家まで送ってくださったのです。

裁判長 被告人は、それに相違ないか。

被告人 間違いありません。事件の三日前、酔っぱらいの元官吏と酒場で知り合い、気になって自宅まで送った。七日後には、その元官吏が馬車に轢かれたところに遭遇し、家まで送りました。自宅を知っていましたから。

裁判長 人助けをしたわけだが、それにしても、なぜ、そんなに肩入れをしたのか。葬儀代も置いていったというではないか。それほど深い付き合いでもないのに。

被告人 この一家に興味を感じたからです。亡くなったアル中親父が酒場で話してくれたものですから。極貧の家族が、どんな状態か、この目で見てみたかったのです。それに、どうしても、会ってみたい人物がいました。

裁判長 証人のソーニャのことか。

被告人 そうであります。

裁判長 なぜ、彼女に興味をもったのか。

被告人 家族のために自分を犠牲にしているからです。証人をみてください。なんて痩せているのでしょう。手なんか透きとおって、まるで死んだひとの手のようです。

証 人 わたし、いつもこういうふうでしたの。継母も父もいい人です。

裁判長 証人、許可なく発言しないように。

被告人 人間、どんなことにも慣れるといいますからね。

裁判長 被告人は憶測でものを言わないように。

被告人 わかりました。しかし、継母が彼女にずいぶん辛くあたっていたのは確かです。ぶたれるところをみたという人もいます。

裁判長 虐待は本件に直接関係はないと判断します。話をもとにもどします。証人に聞きます。被告人は、なぜ証人のところに深夜、たずねてきたのか。

証 人 はじめは継母の悪口を言いに来たのかと思いました。後で聞いたところによると、肺病やみで、やたらと壁に頭をぶちつけたがる女、と軽蔑していたようですから。でも、話しているうちに、家族を救うために黄色い鑑札を受けたわたしの方を非難している、と思いました。

裁判長 証人を?どんなことでか・・・。

証 人 わたしが罪のある女だというんです。そのいちばんの理由は、わたしがむだに自分を殺し、自分を売ったことなんだというのです。あの人がいうには、わたしが貧困の泥沼から脱出しようとしても、だれの助けにもならない、だれも救えはしない。それがわかっているのに、その道に入り、無駄に犠牲者的生活をつづけている、というのです。そして、いまのわたしには、三つの道しかないというんです。

裁判長 三つの道とは?。

証 人 一つには、運河に身を投げて自殺するか、二つには、精神病院にはいるか、さもなければ、いっそ淫蕩に身をゆだねて、理性を麻痺させ心を石にかえてしまうことだ、というんです。

裁判長 証人は、そう思うのか。

証 人 思いません。

裁判長 他に道があるというのだな。

証 人 そうです。

裁判長 答えることができるのか。

証 人 はい、できます。

裁判長 それはなにか。

証 人 神様に祈ることです。

被告人 バカバカしい!。神など、役に立つか!

裁判長 被告人は、許可なく発言しないように。さきほどの質問をつづける。被告人は、なにを話しに夜中、証人の部屋を訪問したのか。

証 人 わかりません。が、頼まれたことがあります。部屋にあったわたしの新約聖書をみて、いきなり読んでほしいといいました。殺されたリザヴェータがわたしにくれた聖書だと話すと、ものすごく驚きました。

裁判長 聖書か。それでどうした。

証 人 気まぐれだと思い、はじめ相手にしませんでした。

裁判長 被告人は、どうした。

証 人 あきらめず、真剣な顔で読んでくれというのです。

裁判長 どこか指定したのか。

証 人 ラザロのところを読んでくれと。

裁判長 それで読んだのか。

証 人 神様を信じていない人だし、教会も行ったことがないといいました。それで、なんども断りました。そしたら彼は「読んでくれ!そうしてほしいのだ!」と、だだっこのように声をはりあげて後へ退かないのです。根負けしてわたしは聖書をとって第四福音書をさがし、つかえつかえして、やっとの思いで、ラザロの復活の箇所を読み終えました。それにしても、なぜ、このところを読んでくれと強引なくらいに頼んだのかわかりませんでした。ところが、帰りがけ突然、「リザヴェータを殺したのはだれか、明日、来れたら話す」といったのです。そのとき、瞬間、雷に打たれたようにわかったんです。でも、そのときは、それ以上考えるのが恐かったので、考えるのをやめました。翌日、ラスコーリニコフさんは、やってくるとわたしの顔をまっすぐみて、こう言ったのです。「昨夜、ぼくが帰りがけにきみに言ったね・・・。これっきり、きみとはもう永遠に会えないかもしれない。けれど、もしまた今日、来るようだったら、そのときはだれがリザヴェータを殺したかを言うと。・・・それでぼくは来たわけなんだ」って。

裁判長 ほんとうだったのだな。

証 人 はい。彼は、とまどい顔で、「つまり、ぼくはその男、犯人と親しい友だちというわけさ」といいました。そして、こうも言った。「そいつはリザヴェータを殺すつもりはなかった。彼女を殺したのは偶然だったんだ。そいつは婆さんだけを殺すつもりで婆さんが一人のとき出かけていった。ところが、そこへリザヴェータが入ってきた。それで、彼女も殺してしまった」そうして、じっとわたしを見つめました。

裁判長 そのとき被告人は、なにか言ったか。

証 人 しばらくして「まだわからないのかい」と低い声でささやきました。わたしはもうびっくりして・・・左手を前に出して彼の胸を指さすばかりでした。彼は、子供っぽい笑みを浮かべてわたしをみていました。永遠につづきそうな恐ろしい瞬間でした。

裁判長 それからどうした。

証 人 もう疑いの余地はない、そう思いました。

裁判長 そのとき証人は、被告人を抱きしめたというではないか。

証 人 ハイ・・・。

裁判長 なぜ、抱きしめたのか。

証 人 わかりません、被告人が可哀そうに思えたのです。

裁判長 天使のようなリザヴェータを殺した男、ですよ。

証 人 それでも可哀そうに思えたのです。

裁判長 被告人は、どう思った。

被告人 だきしめられてですか?

裁判長 そうだ。神を信じる娼婦に哀れまれているのだ。ナポレオンになりたかった青年が。英雄になろうとした男がだ。

被告人 わかりません。いいや、ちがうんだ。そう、そのときぼくはわかったのです。ぼくはうぬぼれやで、そねみやで、意地悪で、卑劣で、執念深くて、・・・それに・・・たぶん、発狂の兆候がある男だということが。ぼくは、母と妹を助けたくて殺したんじゃない。英雄になって、人類の恩人となるために殺したんじゃない。ばかげている。ぼくは、ただ殺したかった。それだけなんだ。

裁判長 単純そうに思えた事件だが、幾多の動機が絡んだ複雑な事件のようだ。ともあれ、一人の娼婦の信心が犯人を自首へと導いたものと推察する。

第三回公判を閉廷します。





W.金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判 第四回公判




 《第四審に出廷する人物》

裁判長: 確たる証拠もない事件だが、沈着冷静に審理をすすめていく。
検察官: 二人の命を奪った殺人者を追いつめることに執念を燃やす。
弁護人: 被告人の罪をなんとか軽減しようと奔走する弁護士。
被告人: ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ 二十三才 きゃしゃな顔立、栗色の髪、中背よりやや高いすらりとした体つき、黒ずんだ美しい目、なかなかの美男子。いちめん穴だらけのツィンメルマン製のくたびれた丸帽子、乞食同然のひどい身なり。
証人1: 予審判事ポルフィーリイ・ペトローヴィチ 年のころ三十五、六。背はやや低め、腹が突き出してみえるくらい太った男。ふっくらした丸顔、きれいに剃りあげた顔、ざんぎり頭。
証人2: 警察署長ニコジム・フォミッチ 好人物。大ぶりのつややかな顔に明るい色の立派な頬ひげを生やしている。
証人3: 副警察署長イリヤ・ペトローヴィチ すぐ爆発するから火薬中尉の異名を持つ。赤みがかった口ひげをピンと左右にはねあげ、ひどく小づくりな顔だが、一種の厚かましさ以外、これといった表情もない。
証人4: 警察署書記官ザメートフ 二十二歳。表情のよく動く浅黒い老け顔、流行の服を着こなし、きれいにポマードをつけた黒いちじれ毛の髪をきちんと分けている。
証人5: 町人 五十を越しているようにみえる。チョッキの上からガウンふうのものをまい、遠くからだと女のようにみえるしわだらけのたるんだ顔、はれぼったい小さな目。

【事件までの被告人の行動】

被告人ラスコーリニコフは、事件直後、警察からの呼び出し状をもって区警察署に出向いた。その際の心境は、捜査状況を知りたい欲求と、既に自分に嫌疑がかかっているのでは、という不安な気持ちだった。ところがどちらも取り越し苦労だった。警察署内は、いつものような混雑で騒がしく、事件捜査進展の緊迫感はなく被告人に関心を払うものもいなかった。被告人は、いいようもなく気持ちが軽くなり、肩の荷が一時におりたように感じた。呼び出し状は、大家の借金催促だった。しかし、帰り際、署長と副署長が事件について話しているのを耳にしたとき、一瞬、めまいをおこして倒れた。気がつくと皆がじつと自分を見つめていた。「疑われている、もう家宅捜索されている」そう思った被告人はアパートに飛んで帰ったが、部屋は何事もなかった。ペンキ職人の自首もあって、警察内の見方は事件解決の方向に落ち着いた。

だが、予審判事のポルフィーリイと事務官のザメートフは、疑念を持ち続けていた。若いザメートフは、物証を得ようとラスコーリニコフの動向を密かに探るが、被告人に看破され、小スズメちゃんとからかいの対象になる。一方、予審判事ポルフィーリイは、彼に言わせれば「ほんのちょっとした証拠」から、確信をもって被告人の完全犯罪に立ち向かう。誤認逮捕のペンキ職人が自白しても確信が揺らぐことはなかった。ポルフィーリイの推理は、的確に一歩一歩殺人者ラスコーリニコフを追いつめてゆく。第四回公判の注目点は、予審判事ポルフィーリイと警察関係者の証言である。


進 行  ただ今から「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件」第四回公判を行います。

裁判長  これより被告人ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ(23)が一八六五年七月十日午後七時半頃、金貸し老婆アリョーナとその義妹を殺害し、金品を強奪した強盗殺人事件に対し第四回の審理をおこないます。なお、本日の審理は事件後、被告人が直接に関わった警察関係者と町人の証言です。物とりという、極めて単純な犯罪ではありますが、本事件には、思想的、病理的問題も多分に含まれており、それらがこの事件を複雑かつ不可解なものにしている。昨今、このような動機不明の犯罪が多発している。犯罪防止のためにも、一刻もはやい事件解明が待たれる。そのためにも警察関係者の協力を仰ぎたい。よって警察関係者の証人は、正直に真摯に、かつ法廷の神聖さをわきまえて、偽りなき答弁をお願いします。
はじめに進行係は、本日までに判明している事件概要を述べてください。

事件概要(警察事務官報告)

本日十一月二十一日までの本件の事件概要。一八六五年七月十日午後七時半頃、金貸し業老婆アリョーナ・イワノヴナ(60)は店舗兼自宅(エカテリーナ運河104)において同居人で義理の妹(行商業)リザヴェータ・イワーノヴナ(35)と共に殺害された。凶器は、被告人居住アパートの庭番所有の薪割り斧(殺害後返却)。二人ともほぼ即死。犯人は、はじめに金貸し業老婆を襲い殺害。つぎに遅れて帰宅したリザヴェータを殺害した。老婆殺害は、斧の峰だったが、義妹は、刃の部分だったので、頭蓋骨が真つ二つに割れる凄惨なもの。犯人は、二人を惨殺後、室内を物色。老婆の財布と首飾りなど質草の装飾品数点を盗み去った。手がかりはなく、目撃者もいなかった。初動捜査は行き詰まったが、二日後第一発見者のペンキ職人に嫌疑がかかり連行、九日目に自白した。しかし事件から十日目となる七月二十日、近所の下宿に住む元大学生ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフが、知人の説得で突然、自首した。被告人は、一度は捜査線上に浮かんだ人物だったが、本人がわざと犯人に見えるように振舞ったことから、かえって犯人説は薄れ、嫌疑は晴れかかっていた。盗品は自供通り市内V通り広場付近の大きな石の下に隠されていた。財布など全て盗品と一致したことから元大学生ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフを本姉妹強盗殺人事件の真犯人と断定。逮捕に至った。本事件は、被告人が一カ月前に計画。自宅の門口から現場まで730歩と練りに練ったもので、完全犯罪を狙った事件だった。なお、財布の現金は手つかずで、質草の換金もなかった。被告人は、犯行前、母親からの手紙で三十ルーブリ送られてくるのを知っていた。そのことから被告人はお金があるのにもかかわらず犯行を決行したことになる。貧困からという動機の線は薄れる。以上が本件の事件概要である。

裁判長 それでは被告人の最終質問に入ります。被告人は氏名、年齢等を述べてください。

被告人 ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ 二十三歳、職業、元大学生 現在 、無職、住所は中メシチャンスカヤ通り19シーリの家十四号室 本籍はトゥーラ県です。

裁判長 次に検察は起訴状を読んでください。

検察官 起訴状。元大学生ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ(23)は、母親からの仕送りが途絶えたことで極貧状態に陥り、窮状を脱するために最初に金を借りに行った金貸し業アリョーナ・イワノヴナ(60)に目をつけ強盗殺人を計画した。ことし七月八日から下見をつづけ、店主アリョーナが一人になる機会をうかがっていた。七月十日、ついにその機会を得て実行した。事件当日、午後七時半頃、客を装い金品を奪う目的で、金貸し店を訪れ、質草のシガレットケースにみせかけた包みを見せ、隙をみて庭番の小屋から盗んできた斧で老婆の脳天を複数回殴りつけて殺害した。そのとき用事で留守のはずの義理の妹(35)が運悪く帰宅、被告人は顔を見られたとの思いから、この妹も斧で撲殺した。金貸し業老婆の利子のとりたては厳しいとの評判はあったが、業務の範疇であり、殺されるほど恨まれていなかった。官吏の夫を亡くしてから女一人、法を犯すこともなく立派に生計をたててきた。巻き添えの妹は、知能にやや劣るところもあったが、信心深く、だれからも好かれる天使のような性格だった。酷く殺された彼女の死を嘆く人は多い。被告人は、この罪のない二人を、冷酷非情にも、斧という凶器で撲殺し、犯行後は、金品を奪い、隠蔽し、自宅で何食わぬ顔で日常生活を送っていた。上京してきた三年ぶりに会う母親と妹にも、素知らぬ顔で接していた。しかし犯行の十日後、犯した罪の重さに耐えきれず七月二十日に自首した。とはいえ、二人の尊い命を奪った罪は重い。なお、妹リザベェータは妊娠三カ月であった。被告人は三人の命を奪ったのである。この事件は、完全犯罪を狙った極めて悪質な犯罪といえる。情状酌量の余地はなく重刑を望む。
なお、本事件の動機について、被告人は貧困の他に不可解な理由をのべているが、精神鑑定の結果、異常は認められていない。よって、この件は、現代の若者にはびこる誇大妄想的新思想として審議され記録される。以上です。

裁判長 弁護人は、これについて陳述はあるか。

弁護人 あります。検察官は、精神鑑定の結果、異常はみとめられていない、と断定しましたが、鑑定は、あくまでも逮捕した収監後のことであります。犯罪決行前の被告人には、あきらかに病的兆候があった、ということが、当時の被告人周辺にいた証人の証言から証明されています。被告人は、原因不明の発熱と、空腹と孤独のなかで、正常な精神を保ち続けられなくなっていた、このことは立証できます。よって情状酌量の余地は十分あります。

裁判長 弁護人陳述は、そこまででよろしい。弁護の補足は次回最終公判で陳述してください。では、審理に戻ります。被告人は、起訴状に異議はあるか。

被告人 異議あります。

裁判長 何か。

被告人 誇大妄想的という表現です。

裁判長 誇大妄想的ではないというのか。と、すると熱に浮かされ、精神錯乱を招いた末の犯行ではないというのだな?

被告人 そうです。あれは熱に浮かされたんじゃない。ちゃんとした思想があってやったことです。日常の影響から解放された広い目で、この事件を見さえすれば、ぼくの思想はおかしなものにはみえないはずです。

裁判長 強盗殺人が世の中をよくする思想とは、認めがたいが・・・。

被告人 悪行だからですか?悪行という言葉の意味はなんですか?なるほど、刑法上の犯罪は行われました。法律の条文が破られて、血が流されました。それなら、法律の条文に照らして、ぼくの頭をはねれば、それでいいのです。しかし、そういうことなら、世襲した権力ではなく、みずからの手でそれを奪い取った人類の恩人たちの多くは、その第一歩で、すでに処刑されていなけらばならなかったはずです。だが、あの連中は自分の一歩を持ちこたえた。だから、彼らは正しいとされているのです。ところが、ぼくはもちこたえられなかった・・・。


裁判長 凡人・非凡人論の正当性を述べているのか。

被告人 はい、そうです。

裁判長 人類二分法については、前公判の被告人質問で陳述されたので、それについての説明は必要ありません――審理をつづけます。被告人の異議を認めます。検察は、精神錯乱、誇大妄想的などの文言を記録から削除してください。

被告人 ありがとうございます。

裁判長 本日、公判は被告人にとっては最終審理となります。が、被告人は、自分に不利になることは、いわなくてもよろしい。黙秘権の行使を認めます。

被告人 はい。わかりました。

裁判長 ではたずねるぞ。被告人が最初にこの事件を思いついたのは、いつか。

被告人 犯行の一カ月前です。

裁判長 アリョーナの店は、常連か。

被告人 はじめて行った店です。質草で金をかりること自体、はじめてでした。

裁判長 なぜ、金を借りようとしたのか。第一回公判でもきいたが、もう一度きく。

被告人 田舎の母からの送金が途絶え、大家から食事を止められたからです。

裁判長 働こうという気持ちはなかったのか。

被告人 はい。

裁判長 なぜか。

被告人 わかりません。そんな気持ちになれなかったのです。

裁判長 被告人は、学業優秀で、身体も健康だったときく。そんな青年が、どうして働こうと思わなかったのか。

被告人 そんな気持ちになれなかったのです。

裁判長 五体満足でも病気だった。つまり心の病気だったということか。さきほどは精神錯乱を否定したが。

被告人 はい。いえ、違います。ぼくは正気でしたし、精神も健康でした。靴や、衣服や、パンのお金は自分でかせぐことができました。仕事もあった。翻訳の仕事です。ほかに家庭教師の口もありました。それなのに、ぼくはみんな断ってしまって、蜘蛛みたいに自分の穴倉に閉じこもってしまった。

裁判長 どうしてか。

被告人 意地をはってしまったんだと思います。

裁判長 意地をはって穴倉のような部屋に閉じこもった。第一回公判の女中の証言では、考える仕事をしていたというが、それは本当か。

被告人 ほんとうです。

裁判長 それはどんな考えか。

被告人 さきほどのつづきになりますが、人類の救済です。その最初の一歩についてです。

裁判長 引きこもりから人類救済か。ずいぶん飛躍するが・・・。

被告人 ぼくのなかでは繋がっています。

裁判長 どうも、よくわからないが―――。

被告人 自分に、その資格があるかどうか考えていたのです。

裁判長 しかく?!

被告人 英雄の資格です。ナポレオンのような。

裁判長 それで、考えてわかったのか。自分に資格の有りや、無しやが。

被告人 シラミのような嫌われ者の人間を殺せるかどうか。躊躇もなく殺すことが出来れば、資格あり、と想定しました。

裁判長 金貸し業アリョーナは、それだというのか、シラミだと。

被告人 そうです。ケチで欲深い金貸しの婆さんを殺すこと。それができるかどうか――英雄への道の分岐点なんです。

裁判長 英雄への道?すると、今度の事件を後悔する気持ちはないのだな。

被告人 はい。ぼくは今でも、世間の人が考えるように、あの行為を愚劣なものとは思っていません。ただ・・・

裁判長 ただ・・・なんだ?

被告人 後悔もあります。

裁判長 後悔とは?

被告人 計画外のことが生じました。

裁判長 一緒に殺したリザヴェータのことか。

被告人 彼女に対しては、運が悪かった、可哀そうだった、と思います。それよりも、問題はぼく自身のことです。犯行後、ぼくもシラミだったのではないかという、そんな疑念がうまれたことです。

裁判長 どういったことだ。

被告人 ナポレオンだったら、後悔はしないはず。英雄に後悔はないですから。しかし、ぼくは後悔し始めている。少しでも後悔があるということは、ぼくは、英雄ではなくシラミの仲間ではないか、そんな疑念です。

裁判長 で、どうか。いまでも、その疑念はあるのか。

被告人 はい。踏み越えることができたのに、苦しいのです。あんなシラミ同然の欲深婆さんを殺したことで、どうしてこんなに苦しまなくてはいけないのか。なぜ平然としていられないのか。それは、ぼくには英雄の資格がないということだ、そういう疑念です。

裁判長 それほど英雄にこだわる理由は何か。

被告人 ナポレオンのようになりたいからです。

裁判長 強盗殺人の動機は、ナポレオンになりたかった、でよいのか。

被告人 はい、それでかまいません。

裁判長 単純だが謎多き奇妙な事件といえる。よろしい、被告人は、さがってよろしい。今回の審議では被告人を捜査した警察関係者の訊問を行うこととする。

署 長 ニコジム・フォミッチ 区警察署の署長です。

裁判長 被告人を知ったのは、いつ、どこでか。

署 長 区警察署のなかです。事件の次の日です。被告人は、警察署からの呼び出し状を持って警察にやってきました。乞食同然の服装でしたが、妙に堂々としていて目立ちました。

裁判長 被告人は、何用の呼び出しで?

署 長 金銭取り立てで呼び出しをくらったと報告がありました。親からの送金が尽きて大家に借金してたんです。毎日の食事にもこと欠いているとか。立っているのさえやっとのふらふら状態で、最後には、ぶったおれましたがね。しかし、態度は大きかったです。なにしろ、呼び出し状への不満をわしと副署長にぶちまけるんですから。しかし、本件の老婆殺し事件に過敏に反応するものですから、いっとき署内には、もしかしたら、こいつ犯人では、そんな空気が流れました。しかし、その後、事件の核心に触れる被告人のあけすけな態度に――思えばそれが被告人の作戦だったか知れませんが、署員はしだいに疑いをなくしていきました。本当の犯人なら、警察署にきて、わざわざ怪しまれることなどやらないだろう、そう思いこんじまったのです。被告人には、その後、事故で死亡した元官吏の自宅でも会いました。事故と聞いて駆けつけると被告人がいたんです。知人だといってました。事故にあった元官吏をかかえてきたんでしょう。血だらけでした。そのときも老婆殺しが頭に浮かびましたが、被告人と繋がる線は消えていました。

裁判長 そのとき、不審なことはなかったのか。

署 長 妙に親切な奴だとは思いました。借金で訴えられているのに、よそ様の家にいってなけなしの二十五ルーブリを葬儀代として置いていくんですから。まあ、なんといってよいのか。一つ関連があるとすると、事故にあった元官吏に娘がいるんです。最近黄色い鑑札をもらった、まだ若い娘です。このたびの自首も、その娘に説得されたからです。

裁判長 ご苦労であった。次の証人、証人席へ。

副署長 イリヤ・ペトローヴィチ 副署長です。やっこさんには、いえ、被告人には振り回されました。最初は署内で、がんつけられましたよ。短気なもので火薬中尉とよばれている、このわたしをずっとにらみつけて「大声をだすな、たばこを吸うのはやめろ」と注意するんです。自分は、立っているのもやっとといった状態で、いい度胸してるとおもいましたよ。まったく。

裁判長 へんだとはおもわなかったのか。

副署長 思いましたよ。事件のすぐあとでしたからね。風体、言動。すべて怪しい。質草もありましたし、ぴんときました。プンプンにおいました。こいつが犯人かもしれない。いや、犯人にちがいないと。

裁判長 では、なぜ、訊問しなかったのか。家宅捜索令状を要請しなかったのか。

副署長 そこのところなんです。すっかり煙にまかれてしまったんです。捜査のプロの目、デカ時代からのたたき上げのカン。そういったものが、一切合財、ふっとばされちまったんです。

裁判長 警察署の重鎮ふたりをあざむくとは、いったいどんな方法か。

副署長 このわたしにガンをつけて説教たれたり、借金は払わん、手形はだす、部屋は開けないで訴えられていることを逆手にとって署長相手に大演説をぶったりするんです。こんな犯人は、どこをさがしてもいませんよ。最後の最後まで、怪しいとおもいながらも、いや違うと思いました。自首した日、わたしの机にもどってきたときも、忘れものをとりにきたのかと思ったほどです。机の上に手をついて「あれは、ぼくが・・・」と言いかけても、しばらくのあいだ、思い当たりませんでした。被告人は天才的な犯罪者です。確かに百人も殺せば英雄になれるでしょうよ。ナポレオンのようになりたかった、といっているようですが、わからんでもありません。

裁判長 被告人に敗北したということか。警察人としては失格だな。反省してほしいものだ。

副署長 肝に銘じます。

裁判長 さがってよろしい。つぎの証人前へ。

書記官 ザメートフと言います。以前区警察署で書記官をやっておりました。いまはT県の警察署で働いています。

裁判長 被告人と友人関係だったとか。

書記官 いえ、それはありません。被告人は、わたしとの年齢が近いことをいいことにわたしをもの笑いのネタにしていました。

裁判長 ネタとは?!

書記官 わたしが高等中学を六年やったと話すと「小スズメ君、たいしたもんだ」とからかうんです。高慢ちきで嫌いでした。証拠さえあれば、自首まえに逮捕できたんです。そうすれば、T県に転勤させられることもなかった。残念です。

裁判長 ということは、証人は、被告人が真犯人と思っていたのか。

書記官 はい、思っていました。なにしろ、被告人は「もし、婆さんとリザヴェータを殺したのがぼくだったとしたら?」などと、ぼくに耳打したのですから。

裁判官 どうして証人は、署長や副署長に相談しなかったのか。

書記官 はい、いまは後悔しています。証拠をにぎってからと思っていたのです。

裁判長 証拠は、どこで、どのように?

書記官 たいていの犯人は、盗んだ金を使って足を出します。それで被告人も、必ず金を使いはじめると思い、被告人の行くところについていきました。居酒屋とか、です。

裁判長 被告人は金を使ったか。

書記官 居酒屋では三十カペイカ使い、二十カペイカをチップではずみ、赤札(十ルーブリ)青札(五ルーブリ)をみせ、新しい服を指摘されたら「あれ、どこから出てきたのかな?」などと、とぼけていました。

裁判長 それでも犯人と思わなかったのは、なぜか。

書記官 料理屋で、藪から棒に「おれが殺した!」などと叫ばれたからです。あまりに大胆すぎました。傍若無人もいいとこでした。本当の犯人がそんなことをいうなんて信じられなかった。今思うと、すっかりのまれていました。あまりに直接的で、本当の犯人なら、絶対にそんなことはしない、そんな固定観念があったからです。

裁判長 被告人は、盗んだ金を一ルーブリもつかわなかった。質草の品物も、すべて石の下に隠した。足がつかない自信があったから証人をからかったのだ。この経験を生かし、今後、少しでも不審があれば、上司に報告し指示を仰ぐこと、よいな。

書記官 わかりました。

裁判長 さがってよろしい。つぎは。

予審判事 ポルフィーリイ・ペトローヴィチ、区警察署の予審判事です。

裁判長 前回の審理にも出廷してもらったが、本日最終訊問に要請したのは、被告人に最初に嫌疑をかけたのはあなただからです。区警察署の署員たちは、被告人を怪しいと睨みながら、結局は、煙に巻かれて見逃してしまった。

予審判事 被告人は、なかなかの才能の持ち主ですからね。しっぽをみせても、つかまるようなヘマはやりませんよ。

裁判長 証人は、はじめて被告人にあったのは、いつか。

予審判事 この前も証言しましたが、事件のあと、すぐでしたな。被告人とは親戚の者の紹介で会いました。彼は学生で被告人の友人なんですよ、それで二人でわたしの部屋に訪ねてきました。

裁判長 どんな用事でか。

予審判事 質草の持ち主をわたしが調べていると知ったからでしょう。被告人は、先手を打ったつもりだったかもしれませんが、わたしにとっては、カモがネギを背負ってきたようなものでした。ザメートフ君からも、被告人が警察署にきたときのことを聞いていましたし。

裁判長 警察署の様子だけで被告人を怪しいと思ったのか。

予審判事 カンです。興味をもったんです。質草に書かれた名前、はじめて警察署にきての騒動。小さなことですが、引っかかることが次から次とありました。だまっていても自然と、ある方向へ考えが向いていく、流れていくと云う道理でした。百匹のうさぎを集めても一匹の馬はつくれない。百の嫌疑を集めてもひとつの証拠にはならない。たしかイギリスのことわざに、こんなのがありましたな。しかし、これは理性的にものを考えるときの話です。情熱でもって考えると馬にも見えるし、証拠だってつかめるんです。

裁判長 証人は、一貫して被告人を疑っていたわけですね。

予審判事 そのとおりです。

裁判長 ペンキ職人のミコライが自首したあとも疑っていましたか。

予審判事 もちろんです。人殺しをしながら、自分を心ただしい人間とみなして、人々を軽蔑し、青白い天使のように歩きまわっている。いや、これがミコライの芸当なものですか。これは空想的な、陰鬱な事件でしてね。現代の事件なんです。

裁判長 現代の事件とは?

予審判事 人間の心がにごり、快楽こそ人生のすべてだと宣伝される現代の事件なんですよ。ここには机上の空想がある。ここには最初の一歩を踏みだす決意もみとめられる。それも特別の決意でしてね。山の上から、鐘楼の上から飛びおりるような決意なんだが、実際の犯行をやるときには、まるで足が地についていないんです。ドアを閉めるのも忘れているくせに、理論にしたがって殺してしまう。二人も殺してしまう。殺しはしたが、金を取ることもできなかった。で、どうにか取ったものの、石の下へはこんでしまう。

裁判長 理論と実際との乖離の指摘ですか。

予審判事 そうです。まさに乖離です。被告人は、物的証拠さえなければ、という計算で実行したのです。しかし、実際には、思ってもみなかったような苦しみがあった。ドアが叩かれたり、呼び鈴が鳴ったりしたときの恐怖。疑われているという疑心暗鬼。そういった形のない有象無象の嵐の中でさえ、被告人は理論を後生大事なものとして頼り、警察関係者をあざむいたのです。しかし、なにしろ状況証拠が多かった。署員は、その多さにごまかされたが、わたしは疑わずにはいられなかった。

裁判長 状況証拠とは、例えばなにか?

予審判事 最初のひっかかりは『月刊論壇』に掲載された犯罪論でした。殺人肯定の論文です。わたしは、この論文を読むと、わきに置きました。で、わきに置いて、こう考えたものです。「いや、この男はただじゃすまないぞ!」って。これを書いた人間は、きっとこの理論を試したくなる。実行したくなる。いや、実行する。そう思ったんです。新しい武器を開発した国は、それをいつか戦争で使いたくなる。使わずにはいられない。その意味では、国家も人も同じですよ。新しい武器と新しい思想、人類は玩具を欲しがる子供のように欲しがるものです。

裁判長 老婆殺しとの関係は、どこに。

予審判事 論文は、前置きです。こうした前置きがあったので、わたしは老婆殺し事件に首を突っこむことができたのです。論文は匿名でしたが『月刊論壇』に知り合いがいたので投稿者の名前はすぐにわかりました。ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ。いつか会いたいと思いました。ところが驚きました。この新思想の論者と同じ名前が、最後まで残った質草の持ち主のなかにあったのです。同姓同名とは考えませんでした。名前の一致。わたしは偶然というものは、信じません。必然の偶然は信じますが。同一人物、そう思いました。彼が犯人だ。会わずしてそう疑ったのです。その疑念は、ザメートフ事務官の報告で、より確信にかわりました。そして思いました。いまにこの男はやってくる。自分からやってくる。それもごく近いうちだ。もし犯人ならかならずやってくる、と思ったわけです。ほかの男なら来ないかもしれないが、この男だけはやってくるとね。そのとおりになりました。被告人はのこのこ警察署にやってきた。そうして騒動を起こし、事件への異常な反応ぶりをみせた。状況証拠は真っ黒でしたよ。

裁判長 署長も副署長も、言葉を交わしたとの証言だが、不審におもわなかったそうだ。

予審判事 そのようでした。被告人の態度が、あまりに開放的で、ごまかされてしまったのでしょう。被告人は、知能犯です。彼らを手玉に取るのは朝飯前です。

裁判長 証人はそうはならず、被告人を窮地に追い込むことができた。それは、なぜか。どうしてか。

予審判事 さきほども話しましたが、この犯罪は、強盗目的ではないと感じたからです。

裁判長 しかし、別人の逮捕者がでて自白した。

予審判事 気にはしませんでした。ミコライの供述は、なにせ矛盾だらけですからね。それに彼が信じている宗教は、人の罪を背負うことが専売特許とききました。そんなこんなで、すぐに釈放になると思っていました。

裁判長 証拠物件が何一つでてこない。どのようにして捜査をすすめようとしたのか。

予審判事 被告人の性格です。なによりもまず性格をあてにしたのです。

裁判長 セイカクですか・・・?

予審判事 ええ、そうです。被告人は、気位が高くて、うぬぼれが強くて、しかも気の短い人間です。とくにこの気の短いということが肝心です。

裁判長 なぜ、被告人を逮捕しなかったのか。

予審判事 証拠もなしにですか。先に証言しましたが、被告人は頭脳明晰です。証拠物件なしに逮捕されるなんてありえない。本人もそう信じているようでした。たとえ別件逮捕でしょっぴいても自白するような人間じゃあないです。泳がせるのが一番と思いました。

裁判長 なぜか?

予審判事 事件の動機です。被告人の目的は、金品じゃあない。婆さん殺しです。シラミのような人間を殺す、その度胸があるかないか。殺人という踏み越えができるかどうかです。この犯罪は、それを試す被告人にとって実験犯罪だったんです。

裁判長 実験殺人ですか。恐ろしい事件だ。

予審判事 そうです、恐ろしい事件です。近頃の若者が陥っている社会問題です。革命思想は善か悪か。一種、病気のようなものです。被告人は、老婆を斧で叩き殺して目的は遂げた。被告人にとって、あとは野となれ山となれ、どうでもよいことなのです。だから、事件後にあけすけに話したのは、案外、策略などではなかったかもしれません。英雄への試金石、まず殺人はできた。その気のゆるみから、われわれ警察関係者を翻弄したのです。

裁判長 しかし、泳がせておいて逃げられる心配はなかったのか。アメリカとかに。

予審判事 たしかに、その危険性はありました。しかし、予想外の援軍が現れたのです。

裁判長 そうだな、援軍といえば、援軍だが。

予審判事 援軍ですよ。彼女がいなかったら、十日目で自首はなかった。

裁判長 鉄壁の非凡人思想も、狂信的信者の前には、白旗をあげるしかないなかったというわけか。

予審判事 そうですな。ナポレオンのようになりたいという野望も、信心の前には、効力を発しなかったのです。ワーテルローで敗れたナポレオンのように。

裁判長 彼女は、まさにジャンヌ・ダルクだったということか。

予審判事 そうですね・・・。でも、彼女の手を借りなくても追いつめてはいましたよ。被告人が質草のとどけをもってきた日、あの日にもうちょっと、というところまでいきましたから。

裁判長 被告人を逮捕することができた。そういうのかね。

予審判事 そうです。隠し玉がありましたし。

裁判長 隠し玉とは、そこの町人のことか。

予審判事 そうです。

裁判長 では、最後に町人に少したずねる。

町 人 はい。

裁判長 おまえは、事件直後、歩いている被告人に向かって「人殺し」と、言ったそうだが、間違いないか。

町 人 間違いありません。

裁判長 なぜ、そう言ったのか。事件を目撃したのか。

町 人 とんでもありません。ただ、そう思っただけです。なにも見てやいません。ただぴんときたんです。犯人に違いないと。でもなんの根拠もありません。

裁判長 予審判事のところにきたそうだな。

町 人 はい。あのときは、被告人が現場にきて、血だの鍵だのと騒いだので、やはり犯人に違いないと思い、届け出ました。

裁判長 予審判事はどうした。

町 人 仕切板の陰に隠れるように指示されました。被告人がくるというので。

裁判長 それからどうした。

町 人 隠れて聞いていると、被告人がだんだんと追いつめられているのがわかりました。そのときペンキ屋が飛び込んできて「自分が真犯人だ」と叫んだのです。あっちの知っていることは、これだけです。

裁判長 そのあと、どうした。

町 人 犯人がでてきたんで、アパートにいって被告人に謝りました。でも、やっぱり犯人だったんですね。あっちの目はただしかったです。

裁判長 そのようだな。ごくろうであった。下がってよろしい。もういちど予審判事にたずねる。犯人が自首しなかった場合、どうしようと思ったか。

予審判事 逮捕したでしょうな。完全犯罪に飽きて自白したくなるころあいをみて。

裁判長 被告人は、どう感じていたか。

被告人 逃げ切れるとおもっていました。

裁判長 自首しようと決心した理由は何か。娼婦の説得か、改心してか。

被告人 どうでもよかったからです。事件の目的は、婆さんを殺すことだけだったからです。ぼくは殺すことができた。だから、あとはどうでもよかったのです。

裁判長 黄色の鑑札の娘の説得ではなかったのか。

被告人 あまりにも熱心なので、無視できなかった。それだけです。

裁判長 恋愛感情を持ったからではないのか。

被告人 それはありません。彼女は、宗教狂信者ですから。

裁判長 では、なぜ、彼女の説得に応じることになったのか。

被告人 彼女の話を聞いているうちに、妹の顔が浮かんできたからかもしれません・・・。

裁判長 被告人の犯罪とは相容れぬようだが・・・。

被告人 いや、気になったのです。彼女の行動に人類救済に通じるなにかを感じて・・・。

裁判長 自分を犠牲にして娼婦になることと、人類救済を目的として殺人者になることと、どこが似ているというのか。

被告人 「踏み越えた」という一点において・・・。

裁判長 どうもよくわからん。主義や思想、宗教については、いったん棚上げする。それより一緒に殺したリザヴェータのことはどうおもっているのか。黄色い鑑札の娘と、友人だったというではないか。知っていたのか。

被告人 いえ、知りませんでした。

裁判長 だれからも好かれていたというが、彼女はシラミか。

被告人 シラミではありません。リスクです。可哀そうとは思います。平等で幸せな国家を目指して革命を起こせば、多少の市民の犠牲はやむをえません。

裁判長 革命を起こす目的で事件を起こしたのか。

被告人 違います。ぼくは皇帝を敬愛しています。

裁判長 では、なぜ、凡人、非凡人思想をもちだすのか。英雄を望むということは、革命を欲するということではないのか。

被告人 革命とはまるで関係ありません。

裁判長 では、なぜ強盗殺人事件を起こしたのか。いまもってさっぱりわからん。なんどでもたずねる。金貸し老婆と妹殺しは、いったい何のためか。

被告人 ぼくのなかに人類救済の資格があるかどうか、ただそれをみたかったのです。ナポレオンのような英雄になれるかどうか、それを試したかっただけです。

裁判官 それで英雄には、なれるのか。

被告人 わかりません。これからです。

裁判長 これから?!被告人との質疑は堂々巡りのようだ、時間がきた。第四回審理はここまでとする。次回五回公判は、最終審理とする。検察側は、被告人有罪で重刑を要求してください。弁護団は、軽減できる証言を集めてきてください。
    
以上で、第四回公判は閉廷です。




X.金貸し老婆とその妹強盗殺人事件裁判 第五回公判 (最終審理)



《第五審に出廷する人物》


裁判長: 確たる証拠もない事件だが、沈着冷静に審理をすすめていく。
検察官: 二人の命を奪った殺人者を追いつめることに執念を燃やす。
弁護人: 被告人の罪をなんとか軽減しようと奔走する弁護士。
被告人: ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ 二十三才。きゃしゃな顔立、栗色の髪、中背よりやや高いすらりとした体つき、黒ずんだ美しい目、なかなかの美男子。いちめん穴だらけのツィンメルマン製のくたびれた丸帽子、乞食同然のひどい身なり。
証人1: ソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワ 愛称ソーニャ、マルメラードフの娘。18歳。なかなかきれいなブロンド娘。顔は青白く、痩せて小柄だが、青い目がすばらしい。
証人2: ゾシーモフ 医師。二十七、八歳。大きな太った男。むくんだ青白い顔にはきれいに剃刀をあててあり、髪は亜麻色でくせがなく、眼鏡をかけ、太い指には大きな金の指輪。粋な服装。

【検察側の新証人】
新証人1: 伝書人
新証人2: 商人の母親と娘 ラスコーリニコフに二十カペイカ恵む 
新証人3: 内装職人 

【弁護側の新証人】 
新証人4: 巡査 
新証人5: 下宿の主婦ザルニーツィナ未亡人

(証言のなかで登場)
アヴドーチャ・ロマーノヴナ 愛称ドゥーニャ  被告人の妹。兄とよく似た顔だちの美しい娘。髪は兄よりやや明るい栗色。背が高くすらりとした姿。生真面目でもの思わしげに見えるが、誇りに満ちて快活。
アルカージイ・スヴィドリガイロフ 地方の地主。中年。がっしりした体つき、ほとんど白に近い薄色の顎ひげがふさふさしている。ドゥーニャに求婚する。


進行(裁判所)ただ今から「金貸し老婆とその妹強盗殺人事件」の審理に入ります。なお、本日は、最終審理ですので、裁判員の皆さまは、審理終了後、ただちに判決の取りまとめをお願いします。

裁判長  これより被告人ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ(23)が一八六五年七月十日午後七時半頃、金貸し老婆アリョーナとその義妹を殺害し、金品を強奪した強盗殺人事件に対しての最終審理を行います。はじめに書記官は、本日までに判明している事件概要を述べてください。

事件概要と推移

書記官 本日十二月十九日までにあきらかになっている本事件概要と推移は、このようであります。一八六五年七月十日午後七時半頃、金貸し業老婆アリョーナ・イワーノヴナ(60)は店舗兼自宅(エカテリーナ運河104)において同居人で義理の妹(行商業)リザヴェータ・イワーノヴナ(35)と共に殺害された。凶器は、被告人居住アパートの庭番所有の薪割り斧。斧は庭番が留守のとき盗み、犯行後、こっそり返した。被害者二人は、ほぼ即死。被告人は、はじめに金貸し業老婆を襲い殺害。つぎに帰宅したリザヴェータを殺害した。老婆殺害は、斧の峰で脳天を複数回殴打。義妹は、刃の部分で一撃。頭蓋骨が真っ二つに割れる悲惨なものだった。被告人は、二人を惨殺後、室内を物色。老婆の財布と首飾りなど質草の装飾品数点を盗み去った。手がかりはなく、目撃者もいなかったことから、初動捜査は行き詰まった。が、二日後第一発見者のペンキ職人に嫌疑がかかり連行され、九日目に自白した。しかし事件から十日目となる七月二十日、近所の下宿に住む元大学生ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ(23)が、知人の説得で突然、自首した。被告人は、一度は捜査線上に浮かんだ人物だったが、本人の言動(犯行を隠そうとしなかった態度)から逆に嫌疑は薄れていた。盗品は、自供通り市内V通り広場付近の大きな石の下に隠されていた。財布など全て盗品と一致したことから、元大学生ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフを金貸し姉妹強盗殺人事件の真犯人と断定。緊急逮捕に至った。本事件は、被告人が一カ月前に計画。自宅の門口から現場までの歩数を730歩と数えるなど練りに練ったもので、完全犯罪を狙った事件だったが、警察の緻密な捜査により精神的に追い詰められたことと、知人の狂信的信者(黄色い鑑札をもつ娼婦)による再三の説得で自首するにいたった。なお、被告人が本事件を起こした動機について、これまでの四回の審理においてあきらかになってきてはいるが、まだ不可解な点を残すことから、その点についても本日最終審理の第五回公判で解明したい。
以上が本件の事件概要であります。

裁判長 それでは審理に入ります。被告人は、審問事項に対し公正をもって簡潔かつ明瞭に答えること。なお、被告人は、自分に不利になることは言わなくてもよろしい。黙秘権の行使を認める。

被告人 はい。

裁判長 では、名前、父称、姓、年齢、住所、本籍地を述べてください。

被告人 ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ 二十三歳、元大学生 現在無職。住所は中メシチャンスカヤ通り19の十四号室。本籍はトゥーラ県。現在はリャザン県ザライスク。

裁判長 両親の身分は? 存命なら居住する場所は? 家族はいるのか。

被告人 父は地方の教師でしたが、わたしが幼いころに亡くなりました。母と妹がいます。田舎で一緒に暮らしています。

裁判長 元大学生とあるが、どこの大学にいっていたのか、また学費はだれがはらっていたか。

被告人 半年前までペテルブルグ大学法学部の学生でした。学費と生活費は、母の年金と妹が家庭教師で得たお金からの送金でした。

裁判長 家族状況はわかった。事件推移は書記官の陳述通りでよいか。

被告人 はい、間違いはありません。その通りだったと思います。

裁判長 よろしい。被告人の人定質問はここまでとする。証人訊問のあとでよびだします。では、次に検察は起訴状を読んでください。

検察官 それでは、起訴状を読みます。元大学生ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ二十三歳は、母親からの仕送りが途絶えたことで極貧状態に陥り、この窮状を脱するために最初に金を借りに行った金貸し業アリョーナ・イワーノヴナ、六十歳に目をつけ強盗殺人を計画し、ことし七月八日から下見をつづけ、彼女が一人になる機会をうかがっていた。七月十日、ついにその機会を得て実行した。事件当日、同日午後七時半頃、客を装い金品を奪う目的で、金貸し店を訪れ、質草の銀のシガレットケースに似せた板きれを見せ、隙をみて用意した斧で老婆アリョーナの脳天を複数回殴打して殺害した。そのとき用事で留守のはずの義理の妹リザヴェータ三十五歳が運悪く帰宅した。被告人は躊躇なく、一片の慈悲もなくこの妹の脳天を刃の部分で一撃して殺害した。金貸し業アリョーナの利子のとりたては、業務の範疇であり、殺されるほど恨まれてはいなかった。彼女は、官吏の夫を亡くしてから女一人で、法を犯すこともなく立派に生計をたててきた。巻き添えの妹は、知能にやや劣るところもあったが、信心深く、だれからも好かれる天使のような性格だった。酷く殺された彼女の死を嘆く人は多い。被告人は、この罪のない二人を、冷酷非情にも、斧という凶器で殺し、犯行後は、金品を奪い、隠蔽し、自宅で何食わぬ顔で日常生活を送っていた。事件翌日には、地区警察署に、金銭督促状の件で出頭し、署長、副署長を相手に大演説をぶつなど注目される言動を行い捜査の目を撹乱した。上京してきた母親と妹にも、病気のように見せかけ、素知らぬ顔で接していた。しかし犯行の十日後、犯した罪の重さに耐えきれず、七月二十日に自首した。とはいえ、二人の尊い命を奪った罪は重い。なお、妹リザベェータは妊娠三カ月であった。被告人は三人の命を奪ったのである。この事件は、完全犯罪を狙った極めて悪質な事件といえる。情状酌量の余地は全くなく重刑を望む。なお、被告人は、金銭的窮状の他に、精神面による病的影響をあげているが、精神鑑定の結果、異常は認められなかった。従って、本件の動機の一つは、健全なる精神のなかで培われた新思想によるものとして記録される。

裁判長 本件は、精神鑑定の結果を重視します。

検察官 ありがとうございます。

裁判長 本日は、最終審理となるが、検察は、他に追記すべき証拠はあるか。

検察官 あります。被告人は送金がなく金銭的に困窮していたと述べていますが、そうではない証拠があります。第一回公判でも触れましたが、母親からの手紙です。今一度、関係する箇所を紹介して提出します。ここには、「いまなら年金を抵当に75ルーブリでも貸してもらえます。ですからおまえにも、25ルーブリ、ことによると30ルーブリは送れます」とあります。これが金銭目的ではないという証拠です。被告人は、別の考えをもっており、そのための策略をめぐらせています。

裁判長 策略?どのような策略か。

検察官 被告人は、母親からの仕送りが止まったことを動機の一つとしてあげていますが、それは口実にすぎません。策略です。被告人は、三年前、下宿にきたときから、母娘だけの大家をいいことに下宿屋の乗っ取りをたくらんだのです。

裁判長 下宿屋の乗っ取り?

検察官 そうです。第一回公判でも証言がありましたが、下宿屋の一人娘が、自分に好意があるとみて、言葉たくみに娘を誘惑し、婚約までこぎつけたのです。そのとたん家賃を払わなくなりました。しかし、娘が亡くなり、その計画がとん挫すると、こんどは婚約者を亡くした悲劇の婿を演じながら、つぎなる金儲けの方法を考えていた。学校にも行かず、アルバイトもやらず、寝てばかりいたという女中の証言があります。実際は、被告人本人も証言しているように寝ているふりをして、働かないですぐに金を手に入れる方法を考えていたのです。周りの親切な人たちが、「病気ではないか、食事がのどを通らないのではないか」と心配している最中に、被告人は強盗殺人計画を思いついたのです。それから、もうひとつ、これは重要なことですが、被告人には殺人行為に対する執着がありました。本件は自己の欲望を満たさんがための犯罪だったのです。

裁判長 被告人は、以下の訴状に相違ないか。

被告人 下宿屋の乗っ取り?  殺人に執着だって? バカバカしい!

裁判長 被告人、誤りがあれば、はっきり申しなさい。私語は禁止されている。

被告人 わかりました。かどわかしも乗っ取りも考えたことはありません。殺人の趣味もありません。もっとも、証明はできないので、そうとられたら仕方ありませんが。

検察官 下宿代は払わない、引っ越しても行かない。居座って寝たふりをしつづけている。そして完璧な強盗殺人計画。被告人は、狡猾な殺人鬼です。

裁判長 検察の見方は心情的かつ抽象的な証言である。却下する。

検察官 経済的窮状が動機ではない、という新証言が二件あります。

裁判長 証言を許可する。証人は前に。職業は何か?
    
新証人1(伝書人) シェローエフさんの営業所で伝書人として働いています。

裁判長 被告人との関係は?。

新証人1(伝書人) 被告人の母親から依頼があってお金を届けに行ったのです。

裁判長 金額は、いくらか?

新証人1(伝書人) 三十五ルーブリです。

検察官 さきほど提出した手紙が証拠ですが、被告人は、このお金が送金されるのを母親の手紙から事件前日に知っていました。六日も待てば、大金が送られてくるのです。なにも強盗殺人などやる必要などなかったのです。ゆえに被告人は、殺人を試みたかったという、ただそれだけの理由で殺人を犯したのです。被告人にとって、金はさほど重要ではなかったのです。それを証明する証言もあります。

裁判長 証言を許可する。証人は前に。
(二人の女性、証言席にでる)

裁判官 証人は、身分をあきらかにしてください。

新証人2(商人の妻) 商家の妻と娘です。あの事件のあった翌日だったと思います。わたしと娘は用事で外出しました。ニコラエフスキー橋の近くに行ったとき被告人をみました。

裁判官 なぜ、被告人と記憶しているのか。

新証人2(商人の妻) まだ若いのに、あまりにひどい身なりだったからです。それにかなりの美男子なのに、どうして乞食をしているのかと、不思議に思いましたので・・・。きっと没落貴族の若様、そんなふうに思い、気の毒になって、娘に二十カペイカ銀貨をわたし、恵んでやるように言いました。娘は哀れんで「さ、取っておきなさい、キリストさまのお恵みだよ」といってわたしました。被告人は、黙って受け取りました。大枚二十カペイカ銀貨です。ところがです。しばらくいって振り返ってみると、なんと被告人は、銀貨を、ネワ川に投げ込んだのです。銀貨はキラリと光って放物線を描いて落ちていきました。娘が恵んでやった銀貨とすぐわかりました。意味がわかりませんでした。わざと乞食を真似て、人の善意を試したのかと思うと、詐欺にあったようで、腹が立ちました。悲しくもなりました。それでよくおぼえていたのです。新聞にでていた強盗殺人事件の犯人があのときの若者だったなんて、もうびっくりです。

裁判長 被告人に何かいいたいことはあるか。

新証人2(商人の妻)なんのために、お金を捨てたのでしょうか。いらなければ、ほかの困っている人にあげればいいのに。「大勢の困っている人を救いたいから」というのが事件の動機だと新聞に書いてありました。でも、わたしも娘もとても信じられません。人の善意を平気で踏みにじった人です。「ナポレオンになりたかった」というのが動機とも書いてありました。ナポレオンが兵隊の命を粗末にしたところだけは被告人に似ていると思いました。まじめに生きていれば、学力優秀とありましたから、いかようにも出世ができたと思います。あの事件を知るすべての母親がそう思っているでしょう。

裁判長 まったく同感である。被告人の母親は、『月刊論壇』に掲載された被告人の論文を自慢にしていたときく。事実を知ればさぞ落胆したであろう。悲しんだであろう・・・。証人はごくろうであった。では、つぎの証人はだれか。

(二人の若者が前にでる。一人は少し年かさだったが、もうひとりはずっと若かい。年かさの方が答えた)

新証人3(職人)裁判長様、こっちの弟分とふたりで内装職人をやっております。

裁判長 被告人との関係は?

新証人3(職人)あの部屋の内装工事をしておりました。以前のぼろぼろに破れた黄色い壁紙のかわりに、花模様の新しい壁紙を貼っていたんでさ。人殺しのあった部屋なんで、気味わるいんで、早いとこすまそうと急いでやっつけました。やっとこさ終わって帰り支度していたそのとき、被告人が幽霊のように入ってきて、部屋の中をうろうろし始めたんでさ。

裁判長 だれだと思ったか。

新証人3(職人)はじめは部屋を借りたくて見にきたのかと思ったけれど、カリカリしていて怒っているようで、何か異様な感じでした。こんな夕方、しかも犯行があった時刻に・・・。この部屋で何があったか知らないのか、と思って、その男に「なにかご用かね?」と聞いてみたんでさ。すると、びっくりですよ。

裁判長 どうした?

新証人3(職人)何も言わずに玄関に飛んで行って、いきなり呼び鈴の紐を引っぱったんでさ。それも二度三度と。それは、もうびっくりして、肝が縮みあがりました。ところが、被告人は、やめるどころか、なにかにとり憑かれたように紐を引っ張りつづけているんでさ。快感にひたっているような薄気味悪い顔でしたよ。あっしは、思わず「おまえはだれだ!」ってどなりつけました。

裁判長 被告人は何と答えた?

新証人3(職人)ボソっと「部屋を借りたいんでね、下見をしてるんだ」というんでさ。それであっしは言ってやったんです。こんな時間に部屋を見にくるもんなんかおるもんか、と。もし、どうしても見たいなら、庭番と一緒にきてくれ、そうも言ってやった。そしたら、またびっくりです。

裁判長 どうした?

新証人3(職人)「床は洗ったのかい」「血のあとはもうないのかい?」なんてきくんでさ。心臓がとまるほどびっくりしたよ。な、なんなんだ、こいつは?。心底、薄気味悪かったけれど、「血って、なんのことだ?」とぼけてそう聞いたんでさ。すると、被告人は、自慢そうに言ったもんだ。「ここで、この部屋で婆さんとその妹が殺されたんだ。斧で脳天をぶち割られたんだ。このあたりは血の海だったんだぜ」と見てきたようなことを言いやがった。もしかしたら、ひょっとしたら、こいつが犯人じゃないか? あっちも、この弟分も、すっかり度肝を抜かれちまった。やっとこさ、「あんたは何者なんだ」って、また聞いたんでさ。

裁判長 何と答えた。

新証人3(職人)「知りたきゃ、一緒に警察に行こう」とさわぎたてるんでさ。それで庭番のところに引っぱっていきやした。

裁判長 しかし、警察にはいかなかったし、届けもしなかった。なぜか?

新証人3(職人)あんまりにも怪しく見えすぎたんでさ。こっちとらを、いっぱいくわそうと、そんな魂胆があるようにみえてきて。それに警察署にはさっき行ってきたばかりだって言うし、身元もこの近くに住んでいる元大学生とわかったんで、結局は、たかり野郎かもしれない、かかわりあいにならん方が身のためだ、庭番もそう言うし、相手にしないことにしたんでさ。とにかく「わたしが殺しました。わたしが犯人です」なんて、堂々とやるんですからね。それで、余計に違うと思わせられちまった。なにしろ本物の犯人は、現場にきて「オレがやった」だのと騒ぎたてるはずもないし。

検察官 被告人は、自分の犯行について確固たる信念のようなものをもっていたようです。妹のアヴドーチャ・ロマノーヴナが兄から直接聞いたという証言の記録が残っております。被告人はこのように言っておりました。

被告人 「罪?なにが罪だ。ぼくがあのけがらわしい、有害なシラミを、だれにも必要のない金貸しの婆を、殺してやれば、四十もの罪障がつぐなわれるような、貧乏人の生き血をすっていた婆ァを殺したことが、それが罪なのかい?ぼくは、それが罪だなんて考えもしない。それを洗い清めようなんて思わないよ」

検察官 妹さんは驚き「兄さん!なんてこと言うの?兄さんは血を流したじゃないの!二人の女性の」と訴えました。ところが被告人は逆上して居直ったのです。声を張り上げて大演説をぶちました。

被告人 「その血というのは、みなが流している血のことかい?この世の中では、いつだって滝のように流れている血のことかい?シャンパンのように流され、その血ゆえにカピトルの神殿で栄冠を授けられ、後には人類の恩人とたてまつられるその血のことかい?もう少し目を開いて、よく見てごらん!ぼくだって、人々に善をもたらそうとしたんだ、幾百、幾千という善行ができるはずだったんだ。あのひとつの愚劣な行為、いや、愚劣とさえいえない、ただの不手際の代わりにね。だってあの思想そのものは、失敗してしまったいま思っても、愚劣なものじゃけっしてなかったんだから・・・。失敗すれば、なんでも愚劣に見えるのさ。ぼくは自分の独立をかちとりたかったんだ。最初の一歩を踏み出したかっただけなんだ。それができれば、比較にもならない大きな利益で、すべての愚劣な行為が帳消しにされるはずだったんだ・・・。ところがぼくは、その第一歩さえもちこたえられなかった。それはぼくが虫けらだったからだ!もしも成功していたら、栄冠を受けていたのに、いまはまんまと罠にかかった。それが問題のすべてだったのさ!ぼくの場合、形式がよくなかったな。美的見地から見てあまり上等な形式じゃあなかった。だがね、ぼくにはまるっきりわからないんだ。なぜ爆弾や包囲攻撃で人を殺す方が、より高級な形式なんだい。美学恐怖症は無力の最初の徴候なんだ。いま、ぼくは、これまでについぞないほど、このことをはっきり自覚したよ。ぼくは、今でもやはりきみたちの目でものを見ることはしないよ。

検察官 貧困ゆえの犯罪なら、まだまだ許す気持ちも、同情も湧いてきますが、自分の主義思想による犯罪をこのように高らかに宣言されては、被告人を厳しく罰するほかありません。

裁判長 検察からの最終起訴状は、いまの「主義思想による犯罪」という起訴内容でよいか。

検察官 はい。「主義思想」のために完全犯罪を目論んだ、極めて冷酷な殺人であります。

裁判長 つぎは弁護人、証言すべ新事実はあるか。

弁護人 あります。ただいまの検察側からの新証言は、極めて抽象的かつ漠然としています。わたしたちが調査してきた新しい証言は、現実に添っております。

裁判長 よろしい証言を許可する。

新証人4(巡査) 弁護団の新証人です

裁判官  職業は何か?

新証人4(巡査) 区内警察署の巡査です。

裁判長  被告人とは、いつ、どこで知り合ったのか。

新証人4(巡査) たしか被告人が事件を起こした日だと記憶しています。場所は、K並木道でした。パトロールの途中でした。

裁判長 パトロールの最中に、何かあったのか。

新証人4(巡査)まだ若い娘が、せいぜい十六か、もしかしたら十五にしかなっていないような、そんな女の子が、酔っぱらって歩いていたんです。そうしたらこの女の子を狙っている男がいたんです。

裁判長 どんな男か?

新証人4(巡査) でっぷり肥った血色のいい顔をして、ちいさな口ひげをたくわえた三十がらみの紳士でした。たいそうしゃれた身なりをしていました。事態は明白です。が、まだ何も起きていません。本官はパトロール中だったので、ずっと見守るわけにもいかず、どうすべきか考えあぐねていました。そのとき、突然、被告人が現れて、その脂ぎった伊達男をどなりつけたんです。「おまえの魂胆はわかっているぞ!」と一喝しました。伊達男は「なにを、この若造、生意気な」と激高してステッキをふりあげました。被告人は、体力差からとてもかないそうになかったです。それなのに勇敢にも向かっていったのです。事件発生。本官はとめに入りました。娘さんは、ひどく酔っぱらっていた。おそらくだまされて呑まされたんでしょう。被告人は、ボロ服から二十カペイカとりだして、本官に、馬車をやとって娘を家に送り届けてやってくれとたのむんです。着ているものは、乞食同然なんで、少し怪しみましたが、本当に心配しているように見えたので・・・信用したんです。
そのときの青年が、あの強盗殺人事件の犯人と新聞で知って驚きました。あの、とても敵うと思えない大男にとびかかっていったあの若者が。もし犯行が本当なら、きっと魔がさしたんでしょう。だれとも知らない娘さんのために自分の身を犠牲する人間なんかいませんよ。なけなしの二十カペイカをあげるなんて。

裁判長 その娘を、無事に送り届けることはできたのか。

新証人4(巡査)途中で正気にかえったので、馬車をやとって乗せました。後日、娘の両親が警察署に尋ねてきて、お礼をいわれました。そのとき二十カペイカをくれた青年のこともきかれました。元大学生の何某と聞いていたので、大学に問い合わせましたが、すでに退学していて、行方はわからないということでした。こんどの事件を知って両親もおどろき、こんなかたちで再会することになったのは残念だが、彼のために、署名活動でも何でもしたいと申しておりました。

裁判官 証人は、被告人に好感をもっているのか。

新証人4(巡査)そうであります。できるなら早く立ちなおってほしいと願っています。正義のために自分より強そうな相手に向かっていく。「義を見てせざるは勇なきなり」、近頃そんな若者がいなくなりましたから。

裁判長  ごくろうであった。では次の証人、前に。 

新証人5(下宿の主婦) ザルニーツィナ未亡人です。被告人は亡くなった娘のいいなずけでした。娘が亡くなったときは、働こうとしない被告人が憎かったのですが、時間がたつにつれ、わたし同様、悲しみが深かったんだと思うようになりました。それで被告人のためになるならと、出廷しました。

裁判長 どのような証言か?

新証人5(下宿の主婦) わたしどもが五辻街に住んでいたときのことでございます。ある夜、火災が起こったのです。乾燥がつづいていて風もあり、火の手はあっというまにひろがりました。燃えている家の中には二人の幼い子供が逃げ遅れていました。母親は半狂乱になって火の中に入って行こうとして、皆にとめられていました。だれの目にも絶望的でした。そのときでした。被告人は、頭から水をかぶって、燃え盛る火の中にとびこんでいったのです。そうして、何十秒かのあと、二人の幼子を抱えて、もどってきたのです。自分もひどい火傷でしたが、子供たちの手当てを先にと叫んでいました。こんな被告人が、人を殺すなんて・・・。病気かなにか以外に考えられません。そうでなかったら、悪魔がとりついたのです。被告人とは関係ない悪魔が・・・。

裁判長 その火事場での救出については報告されている。表彰状も発行されたが、救出者の氏名住所が不明で、保留のままになっていることが、このたびの調査でわかった。証人には、後日、証明書にサインをお願いする。ごくろうであった。ほかに新しい証言はありますか。

弁護人 新証言は、以上です。

裁判長 弁護団の新証言は、だいたいにおいて、被告人の犯罪は信じられない、というものが多かった。しかし、この信じられない、というのは、本当にそのとおりなのだろうか? 証言者のみ知ることであるが・・・。

弁護人 それについて医学的見地からの見解があります。医師の立場から証言をお願いしました。最後の証人になります。

裁判長 最後の証人を許可する。

証人2(医師)ゾシーモフといいます。医師です。

裁判長 被告人との関係は?

証人2(医師)被告人の友人ラズミーヒンの友人です。被告人に会ったこともあります。

裁判長 専門は何か?

証人2(医師)外科です。

裁判長 被告人の診察をしたのか。

証人2(医師)はい。ラズミーヒンに頼まれて。

裁判長 犯行の前か後か?

証人2(医師)犯行後ということになります。被告人が意識不明の間も2回診ました。その後も何度も診ました。

裁判長 専門は外科なのに、なぜだ?

証人2(医師)専門は外科ですが、精神科に興味があったからです。それにぼくはまだ新米の医者で、被告人がぼくの初めての患者だったから、余計に気になりました。

裁判長 診察してどう思った?

証人2(医師)はじめは、気ちがいかそれに近いかもしれない、と思いましたが、その疑いはすぐになくなりました。

裁判長 それで、証人の診断は?

証人2(医師)彼を意深く観察し、周囲の人たちの話を総合すれば、神経の乱れです。大学に行かなくなって下宿に引きこもったころから始まっています。

裁判長 神経の乱れで犯行に及んだというのか?

証人2(医師)ヒポコンデリー症状が昂じて、一次的な精神錯乱がおこったのです。空想癖が度を越して、病的な偏執狂の発作がおこったとみることもできます。

裁判長 責任能力は問えるのか。

証人2(医師)精神鑑定で異常は認められないにしても、被告人が病的な精神状態にあったことは確かです。通常の凶悪犯の範疇で判断することはできないと考えます。

裁判長 よろしい。

弁護人 以上で、弁護側からの新証言は終わります。

裁判長 ごくろうであった。最後に被告人にたずねる。

被告人 はい。

裁判長 被告人に自首を決心させたものは何か。

被告人 スヴィドリガイロフと話したことが、自首した理由としてあったかもしれません・・・。

裁判長 スヴィドリガイロフ?証人の中にその人物はいなかったが。

被告人 彼はわたしが自首した日、ペテルブルグ区でピストル自殺しました。

裁判長 ほう、被告人の事件と関係あるのか。

被告人 ないと思います。いえ、少しはあるかと・・・。

裁判長 知り合いか。

被告人 いえ、でも、自首した前日に会って話をしました。

裁判長 どんな話をしたのか。

被告人 アメリカに行くと言ってました。

裁判長 アメリカに?そのスヴィドリガイロフとやらはどんな人物か。

被告人 田舎の地主ですが、出自ははっきりしません。自分では、貴族の出といっていたようです。騎兵隊に二年勤めて、それからペテルブルグでぶらぶらしていたとの話です。自らいかさま師を名乗っていました。マルファ・ペトローヴナと結婚して、棚ボタで地主におさまったという男です。ぼくの妹はその家で家庭教師をしていました。そんな男が、妹に横恋慕し、振られたら、追いかけて上京してきたんです。妻のマルファを殺したといううわさも立っています。根っからの女たらしの悪党です。世界でもっとも空疎な、もっともくだらない悪党だと言い切れます。

裁判長 そんな人間と話をして心を揺り動かされたのか。

被告人 そうです。ぐらつかされたのです。奴は、ぼくの根本理念を根元からゆさぶったのです。

裁判長 被告人がいう被告人の根本理念とは、前回の審理で話した人類二分法のことか。

被告人 そうです。英雄が人類を救済するという理論です。ぼくはナポレオンのような英雄になりたくてシラミのような婆さんを殺した。非凡人には、その権利が許されていると信じていました。

裁判長 よくわからんが、自殺した男と被告人と、どんな関係があるのか。

被告人 ぼくも、よくわかりませんが、彼になにか近いものを感じるのです。彼もそんなことを言いました。

裁判長 くだらない悪党と軽蔑しながらか。

被告人 たしかに奴は淫蕩で悪党です。女を食い物にして地主になった男、情欲のままに生きてきた男です。しかし、そんな人間が妻の女地主を殺してペテルブルグにでてくると、いとも簡単に救済をはじめたんです。父親も母親も死んだ幼い子供たちを孤児院に入れ、黄色い鑑札の娘を淫蕩から救いだし、自分が真に愛した女性に、嫌われながらも何千ルーブリも差し出す。ぼくが人生を賭けてやろうとしたことを簡単にやってのけた。自分が非凡人であるかないかは確かめようともせずに。罰の苦しみといったら、殺した少女や妻の幽霊を見るというていど。ぼくがリザヴェータを殺したほどの後悔さえ、まったく感じないのです。奴なら人間を何百何千と殺しても平気でいられるかもしれない。ということは、奴こそが非凡人か?。英雄の素質をもった人間なのか?。

裁判長 だが、自殺した。なぜか。

被告人 妹に求婚して拒絶されたからです。

裁判長 愛の拒絶は、それほどに大きいのか。

被告人 わかりません。しかし、かのナポレオンも、何十万という兵士を死なせておきながら『若きウェルテルの悩み』を七度も読んでいたといいますからね。

裁判長 非凡人にしてはあっけない最後だな。

被告人 そういえば、義母カチェリーナの葬式の日、階段のところで、奴はふいにぼくに言いました。「人間だれしも空気が必要なんですな、空気、空気ですよ・・・何よりもね」と。

裁判長 空気か・・・。被告人には、非凡人思想へのこだわりがそうとう強いようだ。よって、これ以上の問答はさけたい。ところで、最後に、もうひとつだけ、心情を聞きたい証人がいる。ソフィヤ・セミョーノヴイナ・マルメラードワ。証言席へ。

証人1(ソーニャ) ソフィヤ・セミョーノヴイナ・マルメラードワです。

裁判長 被告人の自供は、証人の説得が大きかったとみる。ごくろうであった。被告人は、警察署に出頭しようとしては何度も引き返えしたという。そのたびに、被告人を叱ったというが。

証人1(ソーニャ) そのような、叱ったなどと。

裁判長 信心の力は大きいことがわかった。が、どうしてもわからぬことがある。

証人1(ソーニャ) 何でございましょう。

裁判長 証人は被告人のところに毎日面会にきているときく。被告人を愛しているのか。

証人1(ソーニャ) わかりません。

裁判長 わからない?でも、証人は、このあと被告人がシベリアに送られることになれば後を追うというではないか。せっかく黄色い鑑札を返すことができ、自由の身になれたのに、愛しているかどうかもわからない、しかも、まだ奇妙な思想にとりつかれている男を。なぜか。どうにもわからぬことだ。

証人1(ソーニャ) わたしにとっては、簡単なことです。ラスコーリニコフさんは、亡くなった父のたった一人のお友達だからです。苦しみと悲しみからアルコールにおぼれ、誰からも相手にされなくなった父。そんな父の話相手になり、馬車に轢かれた父を、血だらけになりながらも我が家に運んでくれた人です。この人に罪を告白されたとき、決心したのです。これから先ずっとこの人についていこうと。この人は、黄色い鑑札を持っていたわたしに言いました。おまえには、精神病院に行くか、自殺するか、淫蕩に落ちるか。この三つの道しかないと。しかしわたしには、もう一つの道があったのです。それは、この人と共に生きていくという道です。だから、いかなる判決がくだされようと、わたしはこの人について行きます。この人のそばで祈ります。それが、神様がわたしにあたえてくださった道です。

裁判長 殊勝なことであるが・・・。被告人は心して聞いてほしいものだ。さがってよい。

進行係 それでは、検察は、最後に今一度、起訴理由を簡潔に述べてください。

検察官 被告人は、母親からの仕送りが途絶えたことで追い詰められ、金品奪取の目的で金貸し老婆とその妹殺害に至った。被告人は、学業優秀な学生との報告がある。にもかかわらず、自己の経済窮状を克服しようともせず、そのための努力もしなかった。自暴自棄になり、家庭教師もやめ、友人から紹介された仕事も断り、ひたすらふて寝をしながら強盗殺人計画を練っていた。犯罪を正当化するために、いま流行りの人類二分法の思想を動機として実行に移した。犯行後は、捜査をかく乱するために、あちこちで犯行を仄めかすなどした。その間にも、酒場で知り合った酔っぱらいの元官吏と意気投合し、彼が事故死すると、娼婦となっている元官吏の娘に言い寄った。被告人が犯行後10日目に自首したのは、上京した母親と妹に隠しきれなくなったためと、関係を結んだ娼婦にうるさく説得された上、捜査の手がのびているのを鑑み、この時期、いま自首した方が裁判で得策に働く、そのような魂胆があったからである。
なお、弁護団は、
金銭的窮状の他に、精神面による病的影響をあげているが、精神鑑定の結果、異常は認められなかった。被告人は、いまだ、犯行動機を「ナポレオンになりたかった」「人類を救済するためである」という「主義思想」を述べつづけている。したがって、この事件は、健全なる精神のなかで培われた「主義思想による犯罪」として記録されることになる。検察としては、この犯罪を、完全犯罪を目論んだ、極めて冷酷な犯罪と位置づけた。よって被告人ロジオン・ラスコーリニコフに第二級懲役13年、満期後、終身シベリア流刑を求刑する。

進行係 最後に、弁護人は、見解を述べてください。 

弁護人 被告人、ロジオン・ラスコーリニコフは、母親思いの正義感の強い性格であります。また信頼できる証人三名が被告人が行った善行について証言しました。また、複数の証言から被告人が周囲から好感を持たれていたことは確かであります。母親からの送金が途絶えたことで、母親や妹の身によからぬことがあったのではないかと気に病み、その心配が昂じてヒポコンデリー状態になり、下宿に引きこもっておりました。同じ時期に、将来を約束した許嫁が亡くなったこともあり、ますます、その症状は昂じていました。当時、被告人が飲まず食わずで引きこもっていたことは、周りにいた人たちの証言によって証明されています。鑑定医は、精神鑑定では異常はないとしながらも、犯行は神経の極度の乱れによる一時的精神錯乱から引き起こされたとしております。その証拠に盗品も、その数さえ把握しておらず、自分で盗んだ品物も記憶していませんでした。最後に、注目すべきは、拘束されていた容疑者がすでに自白をしており、被告人には嫌疑さえかかっていなかった時期に自首したという点であります。以上の観点から、被告人には犯人情状酌量の余地があります。

判 決

裁判長 主文、被告人ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフを第二級8年の懲役刑とする。
被告人は、二人の罪なき女性を自らの身勝手な動機によって、斧という残忍な凶器で殺害した。この大罪は、いかなる刑罰をもってしても償えるものではない。しかし、被告人がまったく自己弁護せず、加えて自分
からすすんでいっそう重く自分を罰せようとしているその態度、および、容疑者が自白して、被告人にはまったく嫌疑がかかっていない時期に自首したという点、また、犯行時の経済的困窮と精神的状態に照らして 判決を下すものである。

閉 幕