手塚治虫と『罪と罰』


インサイダーな学生時代とロシア文学(『手塚治虫マンガ文学館』筑摩書房)

手塚治虫

私は英米文学というものを殆ど読まない。わずかにシェイクスピアになじんだだけで、ワイルドやグリーンやポオやモームやスタインベックなどを読むには読んでも体質に合わないというか、アングロサクソン流の論理だてがどうも臭くてなじめないのである。どちらかと言えば、エンタテイメントとしてSF小説などにそれなりの価値を認めている程度だ。

私が学生時代むさぼるように読んだのは、なんといってもトルストイや、ドストエフスキイなど、土の匂いがぷんぷんと臭うようなロシア文学であった。ことに学生演劇に凝っていた当時、ゴーゴリの短編や、『どん底』などを舞台で演じたこともあって、ロシア人の体臭は懐かしく、抵抗なく読み続けることができた。私のストーリイ・テリングの教科書として『戦争と平和』や『罪と罰』などは有難い存在である。ことに『罪と罰』からは、作劇法だけではなく数え切れないほどいろいろなものを学んだ。手垢のつくほど読んだのは中村白葉氏訳の世界文学全集である。

ラスコリニコフの思想については、当時からかなり否定的で、その意味では私はいたってインサイダー的な学生だったのだが、彼をめぐるさまざまな人物像にかえってそれなりに共感を覚え、好意をもったものだ。たとえばルージンのような、俗物根性のかたまりにさえ、面白がって共鳴した。スヴィドリガイロフに至っては、感激して人物論を書こうと思ったくらいである。なにひとつ犯罪の証拠をにぎらないまま、心理的にぐいぐいと主人公を追いつめていくポルフィーリイ判事とのやりとりが圧巻で、これが雑誌に掲載された時、読者はどんなに興奮して次を待ちあぐねただろうかが想像できた。その本格ミステリーの道具だてのうまさは、現代の推理作家など足もとにも及ばない。

私がこの作品に興味を覚えた動機は。敗戦直後、小説の舞台そのままが、当時の社会情勢で、不条理の殺人、貧困と無気力、売笑婦、学生犯罪などのなまなましいニュースが、奇妙なほど酷似していたからであるが、それから20年たって、さらに今日性をもって迫って来るこの物語につくづく作者の偉大さを認識するものである。

余談だが、学生演劇熱が昂じて、その合同公演で行ったときも参加してしまったが、そのときとり上げられたのがこの『罪と罰』だった。三幕二十四場ほどの大作で、私は、主人公が罪を犯すアパートのペンキ職人の役を貰った。さらに数年たって、私が現在の仕事にはいってから、子供のためにこの名作を紹介しようと、ダイジェスト・マンガ化して出版したことがある。マンガブームになって、昔書いたものを、某紙が最近採録してくれた。こうして『罪と罰』は私ときってもきれない縁になってしまった訳である。
(1953年11月