熊谷元一生誕110周年記念 事業報告書「暮らしと子どもたちへのまなざし」
熊谷元一生誕110周年記念事業実行委員会 長野県阿智村役場 2021年3月10日

私の心に留まる元一写真


下原敏彦(73歳)



指で数える



頭に左手をのせ、右手の指で数をかぞえている。真剣な顔だ。静かな緊張感が漂う写真である。67年前の私です。数ある「一年生」の写真のなかで、とくに大事な一枚である。熊谷先生には、教室で沢山の写真を撮っていただいた。たいてい勉強にあきて他所を見たり、立ちあがったり、ぼんやりしているが、この写真は、一生懸命、勉強しているように見える。計算ごとは、いまも苦手だが、この写真から「こんねん勉強していた」と、自慢できる。他にこの写真は、時代を感じさせる懐かしさがある。手や頭、指を使っての計算。いまの小学一年生は、どんな方法で計算しているのか。近年スマホを使いこなす孫たちに驚くばかりだ。この写真は、写真展でも人気ある。「一年生」になった気分がするようだ。会場で展示横にならんで同じポーズをとる見学者をみかけたりする。この写真は、熊谷先生もお気に入りだった。私と二人並んで写真を撮ってもらったとき先生は突然「あのかっこうしまいかな」と言われた。そして「おい、もうちょつと指をたてろよ。左手は、もっと頭のうえだったぞ」と愉快そうに指示された。そうして、ご自身も同じように指でかぞえるポーズをされた。(その写真は、写真集『五十歳になった一年生』の帯に使われた)写真をながめていると、あのときの先生の元気のよい声がきこえてくる気がする。




てんぐの怪獣



「こんな絵は、おまえさんにしか描けない」小一のとき熊谷先生は、私が描いた〈てんぐの怪獣〉の黒板絵を見てそう言われた。そのときは上手だからほめられた、と勘違いした。熊谷先生の教育は、ほめ言葉だった。勉強のできる子には「さんすうができる、作文が上手」とほめ、運動のできる子には「かけっこがはやい、ボール投げが上手い」とほめた。勉強も運動もできない子には、どうしたのか。黒板に落書きした絵をみて「こんな絵は、おまえさんにしか描けない」とほめた。私もその一人だった。黒板絵は、始業のベルが鳴れば、すぐに消されるはかない命である。しかし、先生が写真に撮ったことで、永遠の命を得た。私の「てんぐの怪獣」も、生きのびた。「おまえさんにしか描けない」、考えれば文字通りの言葉だが、その言葉に勇気をもらった。そのほめ言葉は人生の励ましになった。大学をやめたときも、会社をやめたときも、清瀬の先生宅を訪ねると、先生は、いつも笑顔で言ったものだ。「あの黒板絵はおまえさんにしか描けない。すごい絵だ」私は、いま後期高齢者目前になった。どんな老後が待っているのか、心細くなるときもある。そんなときは、黒板絵の写真を見る。「おまえさんにしか描けない」先生の、あのほめ言葉が聞こえてきて、元気がわいてくる。この写真は、そんな写真である。




先生、おしっこ



この写真を選んだのは、熊谷先生と私が一緒に写っているからである。教え子と熊谷先生が写っている集合写真は何枚かあるが、教え子一人との対面写真は珍しい。貴重な一枚だ。この写真の題名は、どの写真集も「先生、おしっこ」とある。が、私の笑顔に余裕があるので、私的には「おしっこ」ではない気がする。先生から何か聞かれて答えようとしている様子だ。ノートになにか書きものをしている右手後方の子をのぞいてほかの子は、皆、笑顔で私と先生をみている。当時、話すことが苦手だった私だが、それほど困った顔はしていない。全体的に和やかな雰囲気が伝わってくる一枚だが、このときのことは、まったくおぼえていない。そもそもこの写真は、誰がシャッターを押したのか。先生でないことは確かだ。子どもたちの視線もカメラ方向にはない。撮影者は誰か。同級会の宴席で、出席された先生になんどか尋ねたことがある。先生は、そのたび「そうさなあ」と、つぶやいて苦笑するばかりだった。このことは、もう先生に尋ねることができないので永遠の謎となってしまった。神様が撮った写真。いまではそう思っている。先生の写真は、すべて宝物だが、とくにこの一枚は、私にとって大切な一枚である。