文学の中の医学 I


いのちの初夜 
北條 民雄 著 
角川書店 1970年 460円 (角川文庫)

この作品は「青空文庫」というホームページから全文を読むことができます。

作者の北條民雄はハンセン病でした。19歳で結婚しましたが、発病のため破婚。21歳で東京都下東村山の癩療養所「全生病院」に入院。昭和11年、23歳のときに、入院初日における自らの体験を書いた『最初の一夜』が後に川端康成によって『いのちの初夜』と改題され、『文学界』に発表されました。この中篇は小林秀雄から絶賛されるなど、大きな反響を呼び、「文学界賞」を受賞。後に英語、独語にも翻訳され、今日まで知る人ぞ知るロングセラーとなっています。しかし、文学の支えがあったとは言っても、当時、ハンセン病の宣告は生きながらの死刑宣告にも等しく、自殺を思いとどまる日々の連続だったようです。それでもいのちの炎を燃やし尽くし、後に全集上下巻として発行される作品を残しました。24歳という若さで死去。皮肉なことに彼の命を奪ったのは腸結核で、あれほど恐れていたハンセン病は進行を止めていました。



『いのちの初夜』より抜粋

「病気の宣告を受けてからもう半年を過ぎるのであるが、その間に、公園を歩いている時でも街路を歩いている時でも、樹木を見ると必ず枝ぶりを気にする習慣がついてしまった。その枝の高さや、太さなどを目算して、この枝は細すぎて自分の体重を支えきれないとか、この枝は高すぎて登るのに大変だなどという風に、時には我を忘れて考えるのだった...」

<当時、新入院患者は最初、検査のため重症病棟へ収容されました。初めて見る重症者の姿に主人公の尾田は、大きなショックを受け、いずれは自分もあのような姿になるかもしれないという恐怖に駆り立てられます。>

「2列の寝台には見るに堪えない重症患者が、文字通り気息奄々と眠っていた。誰も彼も大きく口を開いて眠っているのは、鼻を冒されて呼吸が困難なためであろう。尾田は心中に寒気を覚えながら、それでもここへ来て初めて彼等の姿を静かに眺めることが出来た。赤黒くなった坊主頭が弱い電光に鈍く光っていると、次にはてっぺんに大きな絆創膏を貼りつけているのだった。絆創膏の下には大きな穴でもあいているのだろう。そんな頭がずらりと並んでいる恰好は奇妙に滑稽な物凄さだった。尾田のすぐ左隣りの男は、摺子木のように先の丸まった手をだらりと寝台から垂らしてい、その向いは若い女で、仰向いている貌は無数の結節で荒れ果てていた。頭髪も殆ど抜け散って、後頭部にちょっと、左右の側に毛虫でも這っている恰好でちょびちょびと生えているだけで、男なのか女なのか、なかなか判断が困難だった。暑いのか彼女は足を布団の上にあげ、病的にむっちり白い腕も袖がまくれて露わに布団の上に投げていた。惨たらしくも情欲的な姿だった」

<自らの症状も進んでいるのに、重症患者の付添夫をしている先輩患者の佐柄木が尾田に語りかけます。>

「ね、尾田さん。この人たちはもう人間じゃあないんですよ...生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです...あの人達の『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ、生命だけが、ぴくぴくと生きているのです。なんという根強さでしょう。誰でも癩になった刹那に、その人の人間は亡びるのです。死ぬのです.........けれど、僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ時、癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き復るのです。復活、そう復活です」