患者図書室「にとな文庫」連載エッセイ  にとな一期一会  (2010.9)   


私の一期一会 がんで散った一人の青年へ 


M.N.

32年余りの外科医としての仕事の中で、私は一度だけ患者のベッドサイドで泣いたことがあります。胃がん末期の青年を看取ったときのことでした。20年近くも前のことだったでしょうか、細々した記憶は薄れましたが、その想いはいつまでも消えません。

その2年ほど前、30歳前の青年が上腹部の症状で胃内視鏡検査を受けたところ、早期胃がんが見つかりました。ある大病院のある外科の外来を受診しました。そして、私たちのチームが担当することになりました。胃の中ほどにある一見浅そうに見えるがんです。胃がんを扱う医師なら常識ですが、若年で浅い陥凹をもった早期がん様の胃がんは油断がなりません。そのままおけばいわゆるスキルス胃がんになる、転移もしやすい、そういうがんでした。

どういう巡り合わせか、その外科の高名な大先生が術者、私はその前立ち(第一助手)で手術をしました。がんの境目から何cm離して胃を切るかがなかなか難しいところです。術者としては、患者は若いし、術後のQOLを考えれば、少しでも胃を残したほうがいいと考えたと思います。胃の上部ぎりぎりで切断して、胃を少し残しました。

要するに、胃全摘術を避けて、胃亜全摘術にしたわけです。私は汗をかきながら、前立ちとしての仕事をするのが精一杯で、大先生の手術に口を差し挟むような余裕はありませんでした。そういう時代ではありませんでした。術後は順調に経過して、通常通り退院しました。後日、切除胃の病理所見のレポートをみると、切除断端にはなんとかぎりぎりがん細胞はありませんでしたが、リンパ節転移が広がっていました。当時の第3群と呼ばれるリンパ節にまで転移があるという結果です。

彼は早稲田の大学院で動物を使ってなにかホルモンの分子生物学的な研究をしている、と話してくれましたが、私にはよく理解できませんでした。軽率なところのない、礼儀正しい、典型的な優等生タイプの好青年でした。私は彼にがんであるということは知らせていましたが、詳しい転移状況のことは知らせませんでした。敬愛する先輩からは、「あのタイプのがんなら胃全摘にすべきだった。それはもうしかたないが、若いんだから、かえってきちんと正確なことを説明したほうがいい。ああいうがんはまず確実に再発するんだから」といわれ、その言葉に頷きながらも、迷いつつ、最後まで詳しい説明はできませんでした。

それでも外来では私を兄のように慕ってくれ、心から信頼してくれ、一点の疑念も挟まずに、補助化学療法を受けてくれていました。頭脳明晰で、明るく、このがんを必ず克服するんだという気持ちが痛々しいほど伝わってきました。しかし一方では、心の底に黒雲のような不安があったことは間違いありません。明るく振る舞いながらもふっと見せる影のある表情からそれを読み取ることができました。

彼には以前から同じ研究室に結婚を約束した女性がいましたが、術後しばらくして二人は結婚しました。優しく、もの静かで、しっかりした女性でした。再発する可能性が高いことを説明しないまま、「化学療法を受けているので、できればしばらく妊娠は待ったほうがいい」等とアドバイスのつもりで、私はできるだけやんわりと繰り返し言いました。しかし、しばらくして彼女は身ごもりました。

二人とも人工流産などは全く考えていませんでした。私は「あれだけ言ったのに!」と心の中で思いましたが、その後次第に、彼は自分のいのちに限りがあることを知っていたのだろう、自分は生きられないが、自分の分身をこの世に残そうと考えたのだろうと思いました。その後の彼の様子からそう判断しました。そして、彼女もそれを理解し、許していたように思います。

胃と脾臓の間のリンパ節に再発を起こしました。先輩の言ったとおり胃全摘術をしていれば、このかたちの再発は避けられたのかもしれませんが、今更どうしようもありません。化学療法も効果なく再入院することになりました。最後には脾臓と胃が穿通して大出血を起こしました。繰り返しの吐血で、見る見るうちにベッドが真っ赤になりました。

ベッドサイドに張り付いて、急いで輸血をすること以外、私にできることはありませんでした。しかし、輸血量を上回る吐血が止まらず、彼は苦しむばかりでした。血圧は低下するものの、意識は全く清明で、今やすべてを理解していました。鎮痛剤や鎮静剤を投与しましたが、苦しみは全く軽減せず、もっと強いものを与えてくれと彼は頼みます。もう1-2時間も持たないだろうと思われた頃、吐血を繰り返しながら、はっきりした意識の中で、私だけに話がある、家族は席を外して欲しいと言いました。家族が出て行って、二人だけになり、私は彼のすぐそばに近寄りました。

「どうした?」と訊いてみると、彼は「先生、いままでがんばってきたけど、もうこれ以上は無理です。楽にして、お願いだから」と虫のような声ながら、繰り返しはっきりと懇願しました。私は言葉に詰まりましたが、もうこれ以上彼のために何ができるのだろう、彼の頼みをきいて、楽に眠らせてあげることしかないと寸時に心を決めました。

家族が再び入った後、私は彼が眠れるまで十分な量の鎮静剤を投与しました。彼が眠りに落ちるのを見守りながら、どうしようもない気持ちになって涙が込み上げてきたのです。周りも気にせずに子供のように泣いてしまいました。彼はほどなく逝きました。家族の承諾があって、病理解剖をさせてもらいました。経過と解剖所見を大先生に報告しにいきましたが、「あ、そう」といつもの冷たい表情のまま言っただけでした。このことがあって、しばらくして私はその病院を去ることを決めました。