(下原康子受領2005・10)


HIV問題から何を学ぶべきか

郡司篤晃
 (聖学院大学教授)


1. 背景

1.1 国際的視点から見た構造問題

世界の合意事項?


 1975年、WHO総会は人の血液と血液製剤について決議を行い、参加各国に次のような勧告をした。非営利の国の輸血サービスは、その国の必要に応じて、無償のボランティアからの献血で行うべきである。そして、「そうすることによって、アルブミン、血液凝固因子、免疫グロブリンの製造に必要な血漿のすべてではなくてもほとんどを供給できるであろう」。しかし、この認識は甘かったといわざるをいない。血漿採漿は国の血液事業の一部であるとされたが、血漿に対するニードが他の血液成分よりも遥かに上回ってきたことから、血漿の確保が血液事業の主要なものになりつつあった。そして、各国の技術開発の差や事業の体制の違いから生じた不足分を補うかたちで、アメリカの血液製剤企業が世界の製剤市場を独占していったのである。

私企業の役割

 それは次のような事情からであった。世界のほとんどの国は、血液は人体の一部であるから売り買いすべきでないという考えに基づき、この決定に従った。しかし、アメリカだけがこの決定に従わなかった。1962年、アメリカの赤十字がカンサス市において、総合的な血液事業を計画した時、民間の血液銀行から独占禁止法に違反すると提訴されて敗訴してしまった。アメリカの独占禁止法は強力で、それ以後非営利団体といえども血液事業を独占することはできなくなった1。
 輸血用の全血製剤などに比べて、血液分画製剤は遥かに付加価値が高い。したがって、企業の利幅も大きい。また、営利企業は非営利団体より新技術開発に対するインセンティブは強い。アメリカの血液銀行協会(AABB)のパンフレットにはおおよそ次のように記されていた。「血液は人間の組織の一部だから売り買いしてはならないという意見があることは、我々も良く承知している。しかし、過去20年間に行われた新規技術の開発はすべて私的セクターで行われた。」まさにその結果、アメリカの血液製剤企業は世界における血液分画製剤の市場でほぼ独占的な地位を築いて行ったのである。

アメリカにおける不幸な一致

 それはあまりにも不幸な一致であった。即ち、アメリカの血液製剤企業が世界において独占的な地位を築いたちょうどその時、アメリカで同性愛が流行したのである。パートナーを次々に変えるという彼等の性行動がエイズビールスを急速に増幅していった2。また、彼らは社会的認知を得るために政治的にも活発に行動しただけではなく、献血にも積極的に協力したのである3。血友病に対する濃縮製剤は数千人もの人の血漿を1つの釜に入れて凝固因子を分離していくので、彼等の血液が全体を汚染していった。ビールスに感染したら直ちに発症するインフルエンザなどと違って、HIVには発症までに長い潜伏期があった。そのため、気がついた時にはアメリカの血液製剤企業が世界中の製剤使用者に感染がを広げてしまっていたのである。

自由貿易の原則

 1980年代の初期は先進国の間で貿易摩擦が激しさを増していた。そして、各国間で諸制度のいわゆるハーモナイゼイションの交渉が活発に行われていた。当時、日米間には大きな貿易の不均衡が合ったため、日本はアメリカから関税障壁だけではなく非関税障壁の廃止を強く迫られていた。
 また、医師と患者は、どこの国の製品であろうが優れた製剤があれば一日でも早く使いたいという立場である。そのようなことから、自給自足の原則を盾に分画製剤の輸入を制限するというような考えはどこにもなかった。

1.2 日本における構造的問題

日本の血液製剤供給システム

 日本はWHOの勧告に原則として従ったが、実際にはその原則を遵守することは不可能だった。
 第2次大戦後、GHQは日本に血液の供給システムがないことから、民間の血液銀行をつくることを指示した。従って、日本における血液供給の仕組は民間の血液銀行から出発した。1964年、当時のアメリカ大使であったE.O.ライシャワー氏が暴漢に襲われ輸血が必要とされ、民間の血液銀行から提供された血液を使って肝炎となった。この事件をきっかけとして、同年の8月閣議決定で、血液の供給は献血で行うべきこと、そしてその事業は日本赤十字社が独占的に行うべきことが決定された。しかし、立法措置は取られなかったため、いわゆる「供血者及び供血斡旋業取締法」は温存され、ミドリ十字など血液製剤企業はアメリカにならってより、付加価値の高い血漿分画製剤へ方向転換をはかった。しかし日赤は、血液分画製剤については転用血(期限切れの全血製剤)を原料にしたアルブミンしか製造していなかった。

「血液問題検討会」の勧告

 早急な対応を迫られて行った閣議決定に引き続き、わが国としての血液事業のあり方を検討するために厚生大臣の諮問機関である「血液問題検討会」が召集され、2年後の1975年に、答申案を提出した。この内容はほぼWHOの勧告に沿ったものであったが、国立の血液研究所を設置せよという答申は実現しなかった。その代わり血液事業に対する研究費が認められた。しかしながら、血漿分画製剤については、当時は製薬企業によって製造されていたが、「将来需要が高まる可能性があるので、財団法人のようなものをつくって対処すべきである」と言うに留まった。

日本赤十字社の組織

 日本の赤十字という組織は各県の赤十字支社の連邦組織である。日赤全体は厚生省社会局の所管下にあるが、中央の組織は皇室を長とし、その下には内閣副長官、厚生省事務次官経験者がおり、職員にも多くの厚生省出身者がその地位を占めていた。各県の支部長はほとんどの場合が県知事であり、血液事業はその下に属する一事業所である。つまり、日赤全体は国家の中の小国家である。したがって、厚生省内の血液行政の担当課は、薬務局の生物製剤課であったが、力関係は微妙なものがあった。
 日赤が公益団体だとしても、薬事法上は一製薬業者である。新薬の製造承認には企業と同様の手続きが必要である。また、新薬の開発においても企業と競争しなければならない。しかし、公益法人の連邦組織と企業では新薬の開発力には雲泥の差がある。それはアメリカの血液銀行協会のいう通りである。
 結果として、日本においては血液原料は日赤が独占しているが、濃縮製剤を造る技術がなく、一方民間企業はつくれるが原料がない、という構造が出現した。しかも、医師と患者は、優れた治療薬は一日でも早く使いたい。結局は血友病治療のための濃縮製剤は製品あるいは原料血漿の形で、ほぼ95%までが輸入になってしまった。ちなみに、世界の国々は血友病の治療に必要な因子を確保することを目標にして、血液の確保に努力していたのである。

日本の採血基準と血液需要

 「供血者及び供血斡旋業取締法」の目的は供血者の安全であり、そのための採血基準が定められていた。しかし、当時の採血は200ccの全血採血のみが定められていた。これは一回の採血量としては世界で最も少なく、それ以上輸血する時には2人分の血液を使用しなければならなかった。これでは肝炎などに感染する確率が2倍になるので、それを400ccにしようということで研究が進められていたが、研究の進行はきわめてゆっくりとすすめられていた。また、血漿だけを採血する成分献血の基準がなかったので、その基準作りのデータをとる研究も進められていた。しかし、それは血液製剤企業に任されており、殆ど研究名目で企業が血漿製剤の原料確保するための売血としてきわめてルーズに行われていた。
 一方、分画製剤の消費は急速に伸びつつあった。特にアルブミン製剤は、年々30数%ものスピードで伸びつづけており、その速度で増えるとすると3年で2倍以上となる計算であった。しかも、原料血漿に換算して驚いたことに、1982年の時点で既に世界中で採血されている血漿総量の3分の1以上を日本が一国で消費していたのである。不幸中の幸いというか、当時ドイツも大量の第8因子製剤を消費していたので名指しは避けられたが、国際学会から日本は非難されていた。
 また、分画製剤の原料である血漿は、日赤によって200ccの血液から新鮮凍結血漿として製剤化され、そのまま全部医療施設によって使われてしまっていた。そのなかには血友病の治療にとって重要な凝固因子が含まれているにもかかわらず、消化器の外科治療の後などにすべて使われてしまっていたのである。当然、その需要に合わせて採血すれば、赤血球は余ってしまう。1982年当時、東京都で集められていた赤血球のほぼ45%は使われずに廃棄されていた。
 この血漿に対する需要には、日本で何をやっても追いつくことはできない。そこで採漿量を増やすと同時に使用の抑制も考えなければならなかった。
 また、その当時、B型肝炎はその本体が明かになりワクチンができあがっていたが、輸血後肝炎の本体(これは後にC型肝炎と同定される)はわかっていなかった。また、成人T細胞白血病(HTL)の本体がレトロビールスあることは日本の研究者がつきとめていたし、母子感染も起こることが分かっていた。その実験室での検査法もできていたが大量のスクリーニング検査は開発中であったので、たまたまその陽性血を輸血された患者はビールスに感染していたはずである。
 以上が、私が生物製剤課の課長に就任した頃までの状況であった。

2. HIVの侵入と行政の対応

2.1血液事業対策


 私が生物製剤課長に就任したのは1982年の夏である。生物製剤課の業務は血液事業、ワクチン、抗生物質に関する事務であった。就任当時、課としての対応が迫られていた問題は「丸山ワクチン」とか、種々の抗がん剤の効果判定をどうしたら良いかなどであった。これらは政界をも巻き込んで、大きな社会的に問題となっていた。
 しかし、就任して所管事項を猛勉強してみて、最も行政的に対応すべきなのに後手に回っていたのは、明らかに血液事業であると私は思ったが、当時そのような危機感は課の中にはなかった。その頃売血が行われているとか、愛の献血が売られているなどと盛んに報道されており、血液行政は嫌なものというイメージだったのであろう。私は着任早々、補佐から「私は、血液は嫌いですからやりません」、といわれた。それなら私がやろうと決心した。また、基本的な政策は「入るを計り、出を制する」であると言ったら、別の補佐から需要抑制は薬務行政ではないといわれた。1983年の春に奈良で日本輸血学会が開かれたので、その理事会に私が自ら出席してアルブミンの使用基準をつくることを御願いするため出張しようとしたら、なかなか事務手続きをしてくれなかった。どうしても行くと主張し、それではということになった。遅くなってしまったので夜行列車で行かざるを得なくなったが、奈良まで行って理事会でお願いをした。結局、使用基準をつくるより、アルブミンは輸血されても一度アミノ酸に分解されてその人のアルブミンになるので、アミノ酸輸血の方が有効であることを証明し学会で発表した方が説得的だいうことで、そのための研究会を発足させることになった。

 圧倒的な需要過剰の状態に、少しでも採血量を増やし自給自足体制に近づけるためには、早急に血漿のみを献血する成分献血を始めなければならなかった。そのためにはどうしてもそのための採漿基準が必要である。赤血球を作るためには、鉄分を吸収し細胞を作り上げなければならないので、人体に負担がかかり、また回復するために時間がかかる。しかし、血漿だけの採血の場合には400ml程度の採漿しても一週間程度で回復する。事実、アメリカの基準はその程度に定められていた。ところが、日本の血液製剤企業が行っていた採漿は、1ヶ月に1回であった。しかし、どうも現実にはそれ以上の採血が行われているらしいという噂もあり、研究計画を立て直してもらった。しかも、1ヶ月に2回の採漿とした。そうしたら、ある企業の人が「英断ですね」とわざわざ言いに来た。一方、私自身で文献を読んで、大体の基準案を作成して、研究班の班長に手を入れてもらった。赤が入って返されて来たが、本質的なところには手が入っていなかったので安心したのを覚えている1。

構造問題の解決

 日赤は原料を独占するが製造ライセンスがない。製薬企業は、ライセンスはあるが原料がない。この問題を解決するのは、とりあえず日赤の原料血漿を企業に渡して委託製造してもらう以外に方法はない。これには技術的な問題と感情の問題があった。生物製剤は汚染などの危険性が高いことから、製造の一部の過程を委託することは基本的には想定していない。濃縮製剤はその製造過程で原料血漿に含まれている因子の90%ほどを捨ててしまうことになるので、日赤としては血液資源の無駄ずかいであるとして、中央研究所はその開発研究もしていなかった。また、愛の献血が売られていると非難されている日赤は、企業に献血を渡すことを嫌った。そして献血率が落ちることのみを心配していた。しかし、それ以外に当面取るべき道がないことは明らかであった2。

2.2 エイズ研究班の設置

 そのようなことに忙殺されて入た1982年の暮れ、村上省三先生から私宛てに一通の手紙が届いた。そこには走り書きで、「こんな変な病気が流行っているよ」と書いてあり、英語の文献が2、3同封されて来た。
 それを見ると、アメリカの大都市部で同性愛者の間でエイズという病気が流行っており、その中に血友病の患者が3人ほど含まれている、というものであった。その流行の形態から感染力の弱い感染症で、病原体が見つかっていないことからビールス疾患であろうと想像した。その時の患者数はまだ数百人の段階であったが、急速に増加傾向にあった。また、数百人に3人ということは、アメリカの血友病患者の全人口にたいする割合からすれば高率であるから、血液あるいは血液製剤を介しての感染を疑わなければならなかった。もしそうだとすると日本は濃縮製剤の95%はアメリカの製剤であるから、日本の血友病患者はアメリカの患者と同様の危険にさらされているはずである。
 年度末の予算作業が終わったらさっそくこの問題に取り組もうと私は思った。そして、血液事業研究費の中にそのテーマを入れ、大蔵省の承認を得て、4月に予算執行となると同時に第一回の研究会の召集にかかった。

 村上先生からはその後引き続き膨大な文献が送られてくるようになった。したがって私はいながらにしてエイズに関する文献にすべて目を通すことになった。大方は単なる臨床報告のようなものであったが、なかに注目すべきものがあった。
 1982年の暮れに、アメリカの血友病財団(National Hemophilia Foundation)が、エイズの危険に直面して、軽症の患者、新鮮例、4歳以下の患者にはクリオ製剤を使うべきではないかと勧告した。
 1983年の1月、New England Journal of Medicineには2つの論文4,5が掲載され、クリオ使用例からは免疫能が落ちていないことから、濃縮製剤の自己注射を一時あきらめるべきではないかという意見6が掲載された。しかし、それに対して5月26日号には多くの反論が載せられた7。
 そこで研究会には、1)日本にはエイズの患者はいるのかどうか、2)エイズのリスクを調査する、3)それによって血友病の治療法を変更すべきかどうか、を検討してもらうことにした。
 正体不明の疾患が発生した時の厚生省内の担当課は公衆衛生局であったが、わが国はアメリカからの輸入血液製剤を使っているので、もしエイズが血液製剤を介して感染の可能性があるならば、当面は生物製剤課の血液事業研究として取り上げることになった。

2.3 研究班の活動

早急な調査


 第一回の研究班は1983年6月13日に召集された。そして、エイズに関する最近の知見について話し合われ、早急な調査を行うことが決定された。その調査は第2回の研究班会議までのほぼ1ヶ月間に行われた。そして第2回の研究班会議に報告された。調査の結果、結局安部先生の帝京大の一症例だけが検討対象として残った。
 安部先生は、その症例はエイズに間違いないと確信していたようであったが、その症例が血友病Bの患者であったり、カリニ肺炎やカポジ肉腫といった典型的な症状はなく、カンジダ症であり、また長く肝不全があったことなどから、委員会としてはそれをわが国の一例目とするには確信が持てないとして、病理検査にまわすことに決定した。

浮かびあがってきた姿と諸々の見解

 1983年の5月のScience誌にアメリカNIHのR.C.Galloらの論文8が掲載された。また、その論文のすぐ後ろにフランスのパスツール研究所のF.B-Sinoussi や Montangnierらの論文9もあった。これらはエイズの本体に関する初めての基礎科学的な論文であった。ガロらの論文は簡単にいうと、エイズの本体はHTLV-I型で、その分離に成功した、というものであった。しかし、モンタニエらの論文は違うかもしれないというものであった。
 HTLV-Iとは日本で発見された成人T細胞白血病(ATL)の病原体のことである。全くそのものではないにしても、その類のビースルであることは間違いなさそうだということが分かって、正直のところ私を含めて多くの人から危機感は若干薄れたことは否めない。ATL ビールス(ATLV)であれば、その当時はまだスクリーニングもしていなかったし、感染しても発症率は1000人に3人といった程度であることは分かっていた。もしそうだとすると、日本の血友病患者は4000人程度であるから、発症者が出たとしても1人か2人程度かである。したがって、もし安部先生の症例がそうだったとしても、後1人程度かとも思わされた。また、ATLVは血漿を凍らせると死滅して感染しないことが知られていたので、一度凍らせて保存し製剤化する濃縮製剤は比較的安全なのかもしれない、とも思われた。
 第1回と第2回の研究班会議の間に、国際血友病学会大会がストックホルムで開かれた。その結論は、血友病の濃縮製剤による治療は変えるべきではなく、もし変える場合には科学的な危険と便益の評価に基づいて行うべきである、というものだった。
 また、9月には血友病患者の団体である血友病友の会の代表が生物製剤課を訪れ、陳情をして行かれた。そこにはエイズの危険があっても、治療法を後退させないようにと書かれていた。日本でもやっとその年の2月に自己注射が健康保険で認められたばかりだったので、それを後退させたくなかったのであろう。

2.3 クリオプレシピテートの検討

 当初、エイズの本体が全く分からない時には我々には大変な不安があった。血液行政全体の遅れが非難されることになるだろうし、日赤や、ひいては皇室にも迷惑がかかると心配した。
 フランスが血液の輸入を禁止したという報道にも緊張して、大至急外務省を通して問い合わせをしたが、それは誤報とわかった。その他の国々の対応も調べたがまだ殆ど対応はされていなかった。アメリカもCDCは警告を発していたが、FDAや業界は殆どなにも有効な対応はしていなかったし、レーガン政権の連邦政府は、エイズは性病だから基本的には州政府の対応すべき問題だと考えられていた10。一部には性習慣を乱したことへの神の裁きであるという非難もあった11。
 しかし、もし世界の国々がアメリカからの血液製剤の輸入を止めるような措置がとられたら、わが国もそうせざるを得ない。しかし、その際はクリオに戻るしかないが、その原料である新鮮凍結血漿は全部そのまま使われてしまっている。そうなったら無理やりにクリオの製造に回さざるを得ないかもしれないだろうから、大変な大仕事になると思った。そこで、血液製剤小委員会においては、血友病の治療に必要な因子はわが国の献血の中に十分量含まれているかどうかも検討してもらうことにした。
 最初の血液製剤小委員会は、83年の9月に開催された。私はNew England J Medicine誌の文献などを引いて、クリオに戻ることなどについて先生方の意見を尋ねた。委員会のメンバーは皆その文献は承知していたが、「郡司先生、これは医療技術の進歩なんです。」といわれた。正直言って、濃縮製剤がいかに優れた効能を持っていたか、いかに医師や患者に歓迎されていたかを私は十分認識していなかった。クリオの点滴を受けるために医療施設を訪れる必要がなくなり、その自己注射によって血友病患者はやっと普通の人と同様の生活が保障されたのである。私はそれまで血液事業の立場から危険についてのみ考えていたことを恥じざるを得なかった。しかし、NHFの勧告についてはなかなか結論は出なかった。

2.4 加熱製剤について

 製剤による感染を予防するためには加熱する方法があることは知られていた。83年の5月にはアメリカ政府は加熱濃縮製剤の製造承認を出し、この濃縮製剤はエイズ対策にもなるかもしれないとの期待を表明した。
 加熱製剤での問題点は、加熱することによって抗血友病因子としての効果が3分の一以下になってしまうことであった。そうでなくとも殆どすべてをアメリカの売血に依存している日本が、さらにその輸入量を3倍に増やすということは考えにくいことだった。しかし、血漿の自給体制を考えると、これまた考えられないことだった。
 アメリカの加熱製剤もB型肝炎対策として造られたものであった。濃縮製剤はその製法から、どうしてもB型肝炎ビールスに汚染される。したがって、当時濃縮製剤を使うのであればB型肝炎に罹患することはやむおえないと考えられていた。しかも、日本では、B型肝炎のワクチンはすでにできており、製造承認寸前まで来ていたこと、またその効果も優れていることは、同じ生物製剤課の所管であったので、私は良く承知していた。したがってB型肝炎対策なら加熱の必要はないと考えていた。
 しかし、加熱製剤対策はしだいに検討せざるを得なくなって行った。その要因はいくつかあった。その1)は、アメリカにおけるエイズの患者数が増加していった、2)それにつれて血友病患者のエイズ発症者数も増加していった、3)クリオへの回帰はあり得ないことがはっきりし、そして4)トラベノール社が加熱しても活性が25%程度しか落ちない加熱方法を開発したので、値段も上げなくても良いと言ってきたことなどであった。トラベノール社の開発した技術は、加熱を考える前提として重要な話だったので、技術者を呼んで直接話しを聞いた。大量のB型肝炎ビールスを混ぜた製剤と、通常混入すると思われる程度のビールス量を混ぜた製剤を、乾燥した状態で、ある安定剤を入れて加熱し、それをチンパンジーに接種したという実験であった。その結果、大量に混ぜた場合には直ちに肝炎を発症し、少量の場合にはかなり遅れて、しかしやはり発症すると言うものであった3。インヒビターの増加などに関する検討はされていなかった。私が受けた印象は、それほど完全な技術ではないな、ということであった。
 その後、ヘキスト社も加熱製剤を完成したと言ってきたが、これは液状加熱で収量は3分の1になるので、値段も上げざるを得ないというものであった。そのようなことから、単純と思われた加熱方法にも技術開発があり得ることは確かだと思った。また、製薬企業側からも加熱製剤に取り組むところが出てきた。そのようなことから次第に、加熱もやらなければならないか、と思うようになって行った。
 課内でも検討した結果、どうせやらなければならないのなら早くやろう、という結論となり、未整備であった制度の詳細を定めて、83年の11月に直接企業側に説明した。

3.病原体の同定

 エイズの本体についてはアメリカのNHIのGalloらがビールスを同定し、84年の4月に厚生大臣と共に記者会見したが、その正式な論文は5月のScienceに掲載された12。その内容は、エイズの本体を同定し、それはHTLVの変異株であり、HTLV-IIIと命名した。また、ビールスに特異的な蛋白を取り出したので、検査法が確立できた、というものであった。しかし、フランスのパスツール研との間に難しいプライオリティ争いがあったようである13。重要な点はGalloらは明かにビールスの種類を誤解して、HTLVの変異種と考えていたが、フランスのパスツール研側は人で初めてのレンチビールスであると考えていたことは確かである。
 そして、私は6月に異動となった。私は加熱製剤を開発するということに踏み切ったので、エイズ対策としては打つ手はすべて打ったと思っていた。後は、加熱製剤が製造承認されてくるであろう。また、検査法が確立したようなので、恐らくアメリカの企業がそれをいち早く製品化し、その製品は日本にも輸入されてくるであろう。その日本での製造承認申請も出てくるであろうから、それが承認され製造されると大量の検査試薬が得られるようになるので、感染の広がりも明確になるだろし、疫学的な研究もできるようになるので発症率などもはっきりするだろう。それには今しばらく時間がかかることになるだろうと考えていた。これからは血液事業の構造問題に取り組まなければならないと思っていた。私の後任者は松村課長であった。したがって、松村課長にも私はそのように引き継いだはずである。そして松村課長もそのように取り組まれた。
 その年の9月にLancetに加熱によるエイズビールスの不活化が報告された。
 しかし、その後明らかになった事実は、エイズビールスはHTLVではなく、パスツール研が当初から疑っていたような、人間ではじめてのレンチビールスであり、潜伏期間も長く、また発病率もHTLVなどとは比較にならないほど高いものであることが分かって行った。しかし、その時までには既に感染は広がっていたのである。

4.我々は何を学ぶべきか?

 安部先生に対する東京地方裁判所の判決の第2「検討にあたっての基本的な視点」のなかで次のように述べられている。「エイズと血液製剤の関係は、時間的にも空間的にも相当の広がりを有する問題であった。(中略)本件は、未曽有の疾病に直面した人類が先端技術を駆使しながら地球規模でこれに対処するという大きなプロセスの一断面を取り扱うものである。したがって、その検討にあたっては、全体の見渡すマクロ的な視点が不可欠であるが、それと同時に、時と所が指定されている1つの局面を細密に検討するミクロ的な視点が併せて要請されることになる。」
 その通りである。そのような視点に立ってこのような事態が出きるだけ起こらないようにするためには、我々はなにを学んだのであろうか?あるいは学ぶべきだったのであろうか?

基本的な認識と無過失保障制度の確立

 人間は地球上で唯一の生物ではない。多くの生物的、あるいは物理的な環境に取り囲まれて、地球のごく表面の一部に生きている生物である。また、我々は多くに生物がいることは眼で見て知っているが、その他にも眼に見えない多くの微生物に囲まれて生きており、絶えずチャレンジを受けていることを考えに入れておくべきである。通常は無害なそのような微生物も、直接血液の中に侵入したり、人体が衰えたりするときわめて狂暴な性質を発揮する。したがって、もうこれで悲劇は終わりだと考えることは間違いであり、また過去にもそのような悲劇を繰り返してきた。事実、その後にヤコブ病の問題も発生した。人類が今後もこのようなチャレンジを受けることはまだまだあるはずである。
 医療技術は常に不完全技術である。しかし、苦しむ患者のためには何かをしてあげなければならないと考える。多くの技術が不完全のままである。だから技術が改善されるとそれを使わざるを得ない。多くの薬は治療にかかわる新技術である。不完全な技術にその不完全さが表れると薬害というレッテル張りをして魔女裁判のような犯人捜しをしても学べるものは少ない。一部のジャーナリストが産官学の癒着ですべてを説明しようとしても、これまた学べるものは少ないばかりでなく、かえって我々の社会が本質的な事柄を学ぶ機会を失わせるだけである。
 不完全技術であるならば同様の事故の危険は避けられない。我々の社会は危険に対応する知恵を蓄えてきたし、そのような機会に対応するシステムの向上をはかることは医療の本質から必須のことである。ことが起こるたびに何年もかけて裁判をしなければ被害にあった人の救済ができないというのは貧しい社会であり、被害者にとって2重3重の苦痛である。単なる医療過誤は別として、医療の本質から避けがたい出来事に対しては、アメリカのIMOが言うように、まず被害者の救済が先行するという無過失保障のシステムをつくるべきである。それが我々の社会の進歩と言うものではないだろうか。

組織的対応

 HIVによる感染はきわめて対処の難しい問題であった。人類がはじめて経験した新種のビールス疾患で、潜伏期間がきわめて長く、したがってその本体と性質がしだいに明かになってっ行った時にはすでに感染は広がってしまっていた。したがって、その未知の疾患の本体が科学技術と関係者の努力によって次第に明かになって行く時、その当時ベストと思われていた治療法をいつあきらめるべきであったか、という問題である。また、どのような対策を取るべきであったかは、極めて難しい問題である。
 この問題は医学界にとって、深く反省して、その中から対処方法を考えるなければならない大きな課題を投げかけたのである。アメリカ14をはじめ、イギリス、ドイツ、フランス、カナダと世界の先進諸国では、医学界がそのような活動を行った。日本ではそのような動きはまったくない。わが国においては、医学会は何もしようとしない。日本医師会はすべての医学会の上部団体なのだから、今後の医療上の重大問題として対処する責任があると考えるべきである。一部のジャーナリズムが間違った世論誘導をしたり、何人かの政治家まで輩出したが、それで日本の社会は何を学び、どこまで進歩したのであろうか。
 医学における諸々の危険等に関して、最も早く情報に接することができる場は学会である。また、1つのデータを見てその意味を理解できるのは、その中でもほんの一部の研究者である。エイズの本体はレンチビールスかもしれないと聞いて、その危険の大きさを思い描くことができた人はその当時世界に何人いたであろうか。したがって、危険に関する情報を得て、警告を発するのは研究者と学会の社会的責任であろう。我々の民主主義の社会はそのような認識と仕組をもっと明確にすべきである。今回のエイズの対応においては、村上省三先生が私との個人的な関係において情報の提供をしてくださった。そのような体制をもっと公なものにすべきである。
 わが国では何かが起こると直ちに行政に責任を課してことたれりとするが、ことの本質を理解しないあまりにも短絡的な考えである。我々は今小さな政府を指向しているのではないだろうか。我々の社会は民主主義社会であり、民が主になってことを解決することをまず検討すべきである。そしてどうしても政府の介入が必要な場合に政府に役割を課するべきであろう。行政ではエイズの初期対策のような問題には対処できない。行政は、掛け金を徴収し年金を支払うような仕事には向いていても、研究の最先端の情報を集め、それを理解し、自ら判断して行動を起こすようなことは不可能である。
 裁判の過程で検察官は、ある時点の1つの論文をもとに、この時点でその知見はわかったはずである、という主張をした。しかし、1つの論文が出たからといって、人々の認識が直ちに改まるわけではないし、したがって直ちに行動をとらなかったと言って人を責めるのは間違いである。吉倉氏15が述べているように、研究者であればある論文が出たら、まずその知見は疑ってかかる。その後に追試や傍証などが出てきてはじめて最初の論文が述べたことが学会の共通の認識となり、その研究者に名誉が与えられることになる。したがって、裁判でその当時の学会の共通認識を定めるということはきわめて困難である。また、専門家といえども裁判での証言となるといかに当てにならないかは、安部先生の判決文に良く示されている。したがってこのような仕事は学会がすべきことである。
 危険の認識が定まった場合、実際の対策を行うには行政が中心的な役割を果さなければならない。しかし、エイズの例が示しているのは、その危険認識が一挙にわかるのではなくしだいしだいに分かってくることがあるということである。そのような場合には、おそらく現在の薬事審議会という組織でも対応しきれず、もっと専門家の集団が必要であろう。具体的には、薬事審議会の下にアド・ホックに専門家委員会のような組織が必要となるであろう。エイズの問題では単なる研究費による「AIDSの実体把握に関する研究班」が、実質的にそのような役割を担ってしまった。

制度的ハーモナイゼーションは可能か?

 今回のエイズの問題はアメリカの血液製剤企業が製品の輸出をとおして世界中をそのビールスで汚染してしまった事件である。そのリスクはそもそもその製品の製造法にあったと見るのが正しいだろう。しかし、世界中の医師も患者もその優れた効果を選んだ。
 世界のすべての国が自給自足の原則を守っていたら、その被害はアメリカ国内だけに限られていたかもしれない。血液製剤という危険性を未だに完全には拭い去れない製剤のあり方を、その危険性の視点から考えることも必要かもしれない。
 しかし、営利企業の参入を否定することはもはやできないのではないだろうか。とすると、ある国では無償の献血を原料とし、委託であろうが自家製造であろうが、製造したものを、営利企業と市場で競争的に販売するという仕組をどのように管理していけば良いのだろうか?献血者にはどのように理解を求めて行ったら良いのだろうか?
 新技術の開発において、営利と非営利団体ではそのインセンティブの違いから、圧倒的な差が生じる。われわれの社会は、特許という制度を持ち、そのような権利を保護している。両団体が共存する限り、その勝敗は既に明確である。この調和をどのように考え、その仕組を我々の社会は持つべきなのだろうか?そしてこの問題は一国の問題ではなく、グローバルな問題であり、まだ明確な答はないのである。

AIDS関連年表

1981. 7 MMWR ロスで5例のカリニ肺炎(PCP)を報告。CDCでtask force発足。
. 9 Lancet 8例のカポジ肉腫(KS)を報告、いずれも男性同性愛者
.12 NEJM PCP, カンジダ症などに罹患した4名の男性同性愛者でヘルパーT細胞/サプレッサT細胞の比が低下、cytomgaro virusを疑うと考察。
..................................................................................................................................
1982. 1 NEJM CDCの特別レポート;’81.7〜11までに159例、死亡率、女性1名のみ。内同性愛が確認できたもの136例。
.6 MMWR 5月末までに355例。うち男性同性愛者281、女性13名
1982.7 MMWR 男性同性愛者にニューヨークで20例、カリフォルニアで6例のカポジ肉腫を報告
.7 MMWR 3名の血友病患者のPCPを報告
.8 MMWR CDCに特別班を組織、1976-81の間に108例の症例があったした。うち男性同性愛者が96名
.9 MMWR 1982.9.15までに593例、死亡率41%と報告、”AIDS”と命名
.9 JAMA AIDSの総説
.9 Hemophilia News Note、「エイズに関するQ&A」, NHF は2万人の血友病患者中エイズ発症者は4名に過ぎず、血友病患者はけして自己の判断では治療方法を変更してはならない,とした。
.12 アメリカ血液学会年次総会、エイズの原因の諸説を紹介
.12.10 MMWR 4名の血友病の症例を報告(7月に報告した3例が死亡、2名は10歳以下の小児で、大量のAHFの投与例で、血友病が危険であることを暗示。
免疫学的検査を受けた30%が細胞性免疫の異常。B肝炎と類似性あり。
788例の内、リスクなしの42例(5.3%)が血液製剤の投与を受けていた。そのeditorial noteに潜伏期間が長いのではないか、と書いた。
.12 FDA FDA内の血液製剤諮問委員会は、現段階ではいかなる生物製剤基準の変更も勧告しない、と結論した。
.17 MMWR さらに4例の2歳以下の小児で、すべて親がリスク保持者
.12.21 Hemophilia News Note、NHFは幼児(4歳以下)、新鮮例、軽症者にクリオをrecommend。
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1983. 1. 4 CDC Atlantaで血液製剤業を召集
1983. 1. 7 MMWR 2 heterosexal female partners of men with AIDSを報告
1983. 1.13 アメリカ公衆衛生局(PHS)はCDC, FDA, NHF、赤十字、AABBを集め対策を協議。感染症の可能性あるが、スクリーニングを強化すること以外は具体的な対策に対する結論はでず。CDCは性的嗜好を聞くこと、B型肝炎の検査をすること(相関係数0.88)を主張したが、メーカーは費用、ゲイ団体は差別につながるとして反対した。
1週間後、血液銀行と赤十字が、「性的嗜好を聞くのは不適当」と共同声明を出す。
. 1.13 NEJM M.M.Ledermanらはクリオによって治療を受けているものの方が濃縮製剤治療群よりT4/T8比が正常者に近いと報告 (M. M. Lederman, 1983)
J.E.Menitoveらはクリオによる受療者8名と濃縮製剤による受療者14名とT4/T8比を比較し、濃縮製剤群で57%が低下、クリオ群ではなかったと報告 (J. A. Menitove, 1983)
これらの論文を受けて、J.F.Desforgesは濃縮製剤の自己注射は変更するべきとの意見を述べた (Desforges, 1983) 。
. 1.28 ABRA Am. Blood Resources Ass.がhigh risk 者のスクリーニング、high risk者に採漿を自粛することを推奨。
.2 厚生省 日本で濃縮製剤の自己注射を健康保険で認める。
. 3. 4 MMWR 患者数1300例、うち血友病11名。CDC, FDA, NIH が共同でエイズ予防対策に関する勧告を報告。1)ハイリスク者との性的接触の回避、2)ハイリスク者が供血を回避。3)スクリーニング方法の研究、4)自己輸血の推奨、5)血友病患者のためのより安全な製剤の開発など
. 3. 4 PHS アメリカ政府として初めての勧告:B型肝炎との平行性から輸血による感染症の可能性、2カ月から2年の潜伏期、が考えられるので、性行動の自粛、high risk者の献血自粛、ドナーのスクリーニングの強化、輸血の適用の厳格化を勧告した。
. 3.21 FDA B型肝炎対策として加熱製剤承認
. 3.24 PHS FDAが血液業界に「血液提供者からのエイズ伝播にリスクを減少させるための勧告」を発出。疑わしい人からの血液は廃棄するよう勧告。
. 3.* PHS Ass.Secrt. Health E.N. Brant が PHS 内に委員会を組織
*IMのコメント:危険の大きさに対する同意がなかった。
. 4.25 NIH はじめてAIDSに研究費を出す。$240、000.
. 5.11 Hyland Therepeutics が1ロット回収(あとでAID発症者が一人出たため)
. 5.11 H.News Note, NHFは「血友病の患者のエイズ発症率は極めて低いので(2万人中11名)患者や治療者に不安を与えたり治療の変更をしないで、濃縮製剤、あるいはクリオの使用を継続するように勧告する」とした。
. 5.20 Science R.C. Galloらは3名のエイズ患者のT細胞を培養し、一名からHTLV-Iの抗原を検出し、エイズの原因はHTLV-Iではないかとした (R. C. Gallo, 1983) 。L. MontangnierらはHTLVではあるがHTLV-IではないLAVとした (F. B-Sinoussi, 1983) 。
. 5.24 PHS E.N.Brandt,Jr.が加熱製剤に対する期待表明;”We can’t be sure, but we hope that...”
. 5.25 フランスがアメリカからの血液製剤禁輸と報道、しかし誤報と判明
. 5.26 NEJM letter to the EditorでDesforgesに対する反論が多数のる。
. 6. 2 *トラベノール社がロット回収
. 6. 8 *業界(日本血液製剤協会)に対策を問うが、証明書添付以外には方策なしと答る
. 6.13 厚生省 「AIDSの実体把握に関する研究班設置」第1回研究会開催
*エイズのリスクの評価と治療のあり方を諮問:1)日本に患者はいるか?、2)クリオへの緊急待避、3)部分移行は?
. 6.21 トラベ proplex ( factor IX)の返送依頼書(Hiroshi Murata宛)
.6.22 AABB, Council of Community Blood Centers,アメリカ赤十字が合同で「輸血に伴う危険は100万分の1位の程度なので、指名採血をする事へ警告。
. 6.29 WFH 世界血友病連盟の年次総会(ストックホルム)が開催され、「1)現時点では治療方の変更はしない、現在の治療を継続すべきである、2)治療方はリスクとベネフィットの比較で正しく決定すべきである」、と決議
. 7. 8 *献血の民間委託製造の検討メモ
. 7.13 住友化学 プロプレックス輸出の例外許可申請書
. 7.18 厚生省 第2回エイズ研究班会議、日本におけるエイズ様症例の検討を行う。帝京大学の一症例のみが残るが、アメリカに見るような典型例ではない、とする。
. 7.19 FDA’s Blood Product Advisory Committee(BPAC)は、AIDSの患者からのプラズマから製造されたことの十分な証拠があるときのみ回収するように、その基準を検討した。結論はcase by case .
. 7.22 厚生省 ハイリスク者から供血されたものでない旨の証明書添付を指示
. 7.25 血協 対応策の実施状況及び確認方法等について報告依頼
. 7.26 厚生省 住友へ輸出許可、同日、林厚生大臣、宇野通産大臣の許可
. 8. 3 *日赤に対しFFPの提供依頼
. 8.19 厚生省 第3回研究班会議;小委員会設置を決める。
. 8.22 住友 生物製剤課長郡司篤晃宛、返送報告書
. 9.14 第1回血液製剤小委員会開催(クリオ否定、加熱製剤の治験を勧告)
. 9.15 USA Spring Harbor Seminar (MontanierがLAV を報告したが賛同を得られず)
. 9 MMWR 2,259例、うち血友病患者1%
. 9.22「全国ヘモフィリア友の会」厚生省に陳情:治療の進歩を後退させず、必要な製剤確保、ほか5項目を要望
.10. 5 参議院 服部信吾氏AIDSについて国会で質問
.10.14 厚生省 第4回エイズ研究班会議
.11. 1 カッター コーエイト自主回収を厚生省へ連絡
.11.10 厚生省 加熱製剤開発の関連事項の説明会を開催、1)第一相試験の省略可、2)治験症例数2施設40例を伝達。目的は「同等性(ピーク値、半減期)」の証明
.12. 2 MMWR 血友病患者のエイズ合計で21名(血友病A:19, B:2)
.12.15-16BPAC Hbcを検査することを検討したが、血液不足、検査の精度などの問題から、結論出ず。
*IMのコメント:安全対策にはほとんど進歩なし。FDA、血液銀行、分画業者は、自動的な回収、濃縮からクリオへの後退は、無効であり、費用や危険が大きいと考えた。代理的な検査も国の政策とならなかった。
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1984. 2~ 日本で加熱製剤の治験開始。
. 3.29 厚生省 第五回エイズ研究班会議
. 4.23 USA Galo, Margarett Hecklerの記者発表(AIDS=HTLV-III)
. 5. 4 Science GalloらエイズビールスをHTLV-Vと確定。抗体検査法を開発したと報告(M.Popovic, 1984)
. 7. Scinence MontanierらのLAVがT4に指向性を持つ事を報告
. 9.29 Lancet エイズビールスの加熱による不活化を証明
ゴダート、Galloら、発症率は6.9%/年と報告
.10. NHF 加熱製剤の使用を勧告
.11. Fr LAV/BRU/MT2の配列を決定
.11 東京 高松宮妃癌研究基金シンポ
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1985. 3 FDA 2社に検査試薬の製造承認(ELISA)
1985. 3.22 厚生省 第1回エイズ調査検討委員会;エイズ患者認定、血友病患者143名中47名抗体陽性
. 5.30 厚生省 第2回エイズ調査検討委員会;日本で3名の血友病患者のエイズを認定
. 7. 1 厚生省 加熱[因子製剤の製造承認(カッター、トラベノール、ヘキスト、化血研、ミドリ)
.12. 厚生省 加熱第\因子製剤の製造承認(カッター、ミドリ)
1986. 1.20 厚生省 エイズ抗体検査キット製造承認
. 8.28 厚生省 非加熱製剤の回収終了
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.1989 FDA 非加熱製剤の回収命令



references


1 400ml採血基準と成分献血のための採漿基準は1986年に承認された。
2 委託製造は1990年に実施された。
3 実際、この製剤は製剤の使用者からエイズ患者が出て製造中止になった。
1 Hagen, P.J.,(1982); Blood: Gift or Merchandise. New York: Alan R. Liss, Inc. 147.
2 Bayer, R.,(1989); Private Acts, social Consequences. Rutgers University Press.
3 Garrett, L.,(1995); The Coming Plague. Farrar, Straus and Giroux
4 Menitove, J.A. et al,(1983); T-lymphocyte subpopulations in patients with classic hemophilia treated with cryoprecipitate and lyophilized concentrates. NEJM, 308(2): p. 83-86.
5 Lederman,M.M., et al,(1983); Impaired cell-nadiated immunity in patients with classic hemophilia. NEJM, 308(2): p. 79-83.
6 Desforges, J.F.,(1983); AIDS and preventive treament in hemophilia. NEJM,308(2): p. 94-95.
7 Correspondence, (1983), NEJM, 308(21): p. 1291-1293.
8 Gallo,R.C., et al,(1983); Isolation of Human T-Cell Leukemia Virus in Acquired Immune Deficiency Syndrom(AIDS). Sience, 220: p. 865-867.
9 F. B-Sinoussi, L.M., et al.,(1983); Isolation of a T-Lymphotropic Retrovirus from a Patient at Risk for Acquired Immune Deficiency Syndrome(AIDS). Science, 220: p. 868-870.
10 Garrett, ibid. 内山一也監訳「カミング・プレイグ」上、第10章、2000.
11 同書、第11章、p.472.
12 Mikulas Popovic, R.C.G., et al,(1984); Detection, Isolation, and Continuous Production of Cytopathic Retroviruses(HTLV-III) from Patients with AIDS and Pre-AIDS. Science, 224(4 May): pp. 497-500.
13 Montangnier, L. (1994), Des Virus et Des Hommes,Editions Odile Jacob.( 小野克彦訳、「エイズウイルスと人間の未来」、紀伊国書店1998.)
14 Lauren B.Leveton, Harold C. Sox, Jr., and Michael A. Stoto(ed); HIV and the Blood Supply, Institute of Medicine, National Academy Press, 1995.
15.吉倉 廣 (1999)、岩波講座、科学/技術と人間6、「対象としての人間」、4公衆衛生と感染症、岩波書店、pp. 125-156. 2000.