患者図書室挑戦の記録
にとな文庫通信 No.22 (2012.10)


にとな文庫 ことばの花束  

ご意見・感想などを気ままに書き込み、共有する「にとなメッセージノート」より 


18才男子 滑膜肉腫 平成24年8月3日

7月26日に約9か月続いた抗がん剤治療が終わった。高校3年の秋で、受験が忙しい時に想像もしなかった病気になった。自分がなるまで言葉でしか知らなかった「がん」にもいろいろな種類があることを知った。それからは新聞でもテレビでもいろんなところでがんの話をしていることにも気づいた。受験に向けて頑張っていた中でがんになって頭が混乱した。悪い夢でも見ているのかと思った。筋肉に何の痛みも感じなかったし、学校だって休まず毎日ふつうに通っていた。野球だって夏までやっていた。それが急にこんなふうになるとは思ってもみなかった。どんなふうに治療するのかなど、わからないことだらけで最初は不安でいっぱいだったが、先生たち、看護師さんたちが不安をやわらげてくださった。また友だちや家族に支えてもらった。病院で仲良くなった子どもたちと楽しく入院生活が送れた。学校に行けなったのは残念だったけど、学校で学ぶ以上のことを学べたような気がする。治療は確かに辛かったし、ごはんだってまったく食べられない、口にしたくない日が続いた。眠りたくても薬を使ってしか眠れない日もあった。それでもがんを治したかったから、最後まで治療できたし、ここまで来れた。

今気になるとすれば生存率の話だ。インターネットで読んで、今でも意味がよくわからないけれど、特に気にはしていない。とりあえず、治療が終わってよかった。手術は怖かったけれど、手術室に入ったし、痛い麻酔を打つなど、初めてのことがいっぱいあったのでワクワクした。終わった後もいろいろたいへんだったけれど、損することばかりではなかったと思う。この一年が何年も過ぎたらだだの一年にしかならないのはとても悲しいことだから、「この経験を生かして」とはあまり言われたくない。好きでなったわけではないから。今ショックなのは筋肉をとってしまって今までどおりの運動ができなくなることだ。やろうとすると今までの力を出せないから恐怖をおぼえる。元気になれば他人から見てわかるわけではないから、納得いかないこともたくさんあると思う。若いから、先があるから大丈夫と言うけど、先が長いぶんそのハンデを背負って生きていく辛さもあると思う。今悩んでもしょうがないのは自分でもわかっているが、自分はそんなに頭がよくないので、そうは考えられない。その答えが出たらまたこのノートに書きにくればいいような気がする。何年たってもいいから診察の時に書きにくる。そのとき、このノートがあるかどうかわからないけど(笑)。文章書いたりするのは苦手だからまとまってないが、書いてみて本当に終わったことを実感できた。まだこの先も転移がないかとか調べなくていけないことがあるけれど、がんに立ち向かっていけたのは、先生や看護師さんたち、友だちや家族の優しさに支えられたからです。ありがとうございました。



19歳、大学生になって。平成25年4月2日

退院してから半年が過ぎ、手術からは1年以上が過ぎました。今までの闘病生活でもあの時のつらさは忘れることはできません。しかし、多くの経験をして、病気を乗り越えて、世界が広がりました。大学に通い、ボランティアなど社会活動にも積極的に参加したいと思いました。特別支援学校の免許をとることも決めました。自分の経験が少しでも活きる場所で仕事をしたいとい思います。今では野球もして、元気に活動できます。あの時に治療をがんばって乗り越えたからこそ、今の自分があると思います。闘うのは自分だから、自分の気持が大事であると思います。負けそうになったとき、支えてくれた人がいました。だから、あきらめずに最後まで闘うことができました。これからも大変なことが多くあると思いますが、同じように困難を乗り越えていきたいと思います。



追記(2017.1.3)


2017年新春。手記を書いた野球少年のお母さまから届いた年賀状には「息子は大学を卒業し、教職に受かりました、春から小学校の先生です」とありました。子どもたちに野球を指導する彼の姿が今から目に浮かぶようです。