ドストエーフスキイ全作品読む会
Medical Dostoevsky&My Dostoevsky

[ストラーホフのトルストイ宛て手紙と返書] 

典拠:新潮社版ドストエフスキー全集別巻 グロスマンの「年譜」(松浦健三訳編)

第七編没後(1883)
P.521〜523

1883年1月26日。N・N・ストーラホフのレフ・トルストイ宛手紙。ドストエフスキー伝のこと。

執筆中小生は、絶えず胸に込み上げてくる憎悪の念と闘いながら、なんとか克服しようと努めました。〈……〉小生はドストエフスキーを善人とも幸福な人間とも(本質的には同じことですが)考えることができません。彼は意地が悪くて、嫉妬深くて、ふしだらで、なにもそれほど怒ることも利ロぶることもないのに、哀れで滑稽なくらい、のべつ神経を昂ぶらせていました。ところが自分ではルソーと同様、人間の中の人間、最高の幸福者と自惚れていたのです。伝記のお蔭で小生はいろんな例を思い出しました。スイスにいる時、これは小生も一緒でしたが、給仕の使い方が荒いものですから、給仕もさすがに堪りかねて、『私だって人間です!』と怒ったものです。その時小生は、これが逆に人道の説教者に向って言われた言葉であり、そこに、自由の国スイスの人の、人権についての考え方がよく出ているので、感心したことを覚えています。〈……〉

女性の美や魅力ということについても、趣味も感情も少しもありませんでした。小説を見ると判ります。彼に一番よく似ている人物は『地下室』の主人公や『罪と罰』のスヴィドリガイロフ、それから『悪霊』のスタヴローギンです。そういう性質のために、勢い甘い感傷に浸り、手の届かない空想を抱いて人情を夢見る次第で、この幻想こそ彼の傾向であり、文学の詩神、文学の手段というわけです。しかし彼の小説は、根本的には自己釈明のかたまりであり、人間はありとあらゆる不遜と高潔を共有できると謳わないものはありません。〈……〉自分で自分は仕合わせ者だと空想して、英雄気取りで自分一人を溺愛する態の、文字通り不幸な悪人でした。〈……〉

以上少し拙著の注を試みましたが、ドストエフスキーのそういう一面をあえて書こうと思えば、いろいろな点で、小生の書いたもの以上に一段と生彩を加えることができましょうし、伝記もはるかに真実味を帯びては参りましょうが、真実は覆い隠すにしかずというわけで、由来適宜取捨されるならいに従って、人生のほんの上っ面を誠しやかに飾りたてた次第です。〈……〉

この手紙は1913年の《現代世界》十月号、及び「L・N・トルストイ=N・N・ストラーホフ往復書簡集』第二巻、サンクト・ペテルブルグ、1914年に発表された。

12月5日。トルストイのストラーホフ宛返書。ストラーホフが書いた伝記について。

〈……〉御作拝読しました。御書面にはいささか気が沈み、失望も致しました。しかしあなたの言われることはよく判ります。遺憾ながら九分九厘までおっしゃる通りと言わなければならないでしょう。思うにあなたは、ドストエフスキーに対して不自然な誤った態度を強いられた受難者と言っていいので、これはなにもあなたばかりではない、皆そうだったのですが、価値を誇張し過ぎてお定まりのやれ予言者の、やれ聖者のと奉っていたに過ぎません。善と悪の相克のただ中で躍起となって死んでいった人間をです。いかにも彼は人を感動させ、深みのある人には違いなかったが、後世に永く教訓を垂れるといった人では決してありません。誰だって嫌がるでしょう。御作ではじめて彼の才能の底のところを知りました。プレッサンの本は私も読みました。がせっかくの博学も、難しいことを言うのではなんにもなりません。よく千ルーブリもするような見事な競走馬がいるものだが、一つあらが見えると、どんな駿馬もたちまち値打ちがなくなってしまいます。年と共に私は、結局はあらのない人が偉いと思うようになってきました。あなたはツルゲーネフと和解されたそうですが、私は彼が実に好きだ。おかしな話だが、彼には御しにくさがない、つまり間違いなく乗せて行って還ってくれるからだが、そこへいくと先の競走馬は、乗せて行ってくれることには変らないだろうが、途中溝に必ず一度は落ちるという奴で、プレッサンもドストエフスキーも、共に御しにくいのです。一人は博識という、一人は理知と愛情という、もうそれで台無しです。実際ツルゲーネフの方がドストエフスキーより生き永らえるでしょう、芸術のゆえにではない、御しにくさがない円満のゆえにです。〈……〉
 
12月12目。ストラーホフのトルストイへの返書。

敬愛するレフ・ニコラーエヴィチ。ツルゲーネフについて是非書いて頂きたいと思います。あなたのように紙背に徹して見透したものを読んでみたいものと渇望して止まない次第です。これに較べれば私どもの作物は、自分のための慰みか、他人のために演じる喜劇みたいなものに過ぎません。例の回想記では文学的な面に終始力を注いで、文学史の一断面を書こうと致しましたが、ついに冷淡に打勝つことはできませんでした。ドストエフスキーについては個人的に彼の価値を披露することのみに努めましたが、素質はなかったのですから、加えはしませんでした。私の文学的問題の四方山話には恐らく御興味はなかろうかと存じます。しかし、率直に言うべきでしょうか。あなたが下されたドストエフスキーの定義は、多くの点で私にははっきり致しましたが、それでも彼のためには穏やかなものです。