ドストエフスキーとてんかん/病い



文学における様々な分身:身体的自己に関する研究における文学の貢献 
(部分訳)

Sebastian Dieguez
Doubles everywhere: literary contributions to the study of the bodily self.
Front Neurol Neurosci.2013;31:77-115. doi: 10.1159/000345912. Epub 2013 Mar 5.




下原 康子 訳

抄 録

「分身」は、ロマン主義、ゴシック精神、幻想的な文学に特徴的なテーマである。第二の自己や変貌した自我やドッペルゲンガーを装って、架空の分身は長い間、評論家、臨床医、科学者を魅了してきた。我々はこのテーマについて文学作品の中に現れるいくつかの事例を検討することによって、幅広い臨床的および神経学的認知の枠組みを提案する。身体的自己(部分および全身の幻想と複製を含む)の神経障害について、関連する実験的なアプローチをふまえて、身体の断片化と分割の文学的な描写の例を提供する。

それらは自己像幻視;古典的なドッペルゲンガー、第二の自己、またはホートスコピィ(heautoscopy)な分身;なにかの存在の感覚;体外離脱体験、いわゆる臨死体験の事例である。具体的には、ギー・ド・モーパッサン、E.T.A.ホフマン、エドガー・アラン・ポー、ロバート・ルイス・スティーヴンソン、フョードル・ドストエフスキー、ルドヤード・キップリング、などの著作である。神経学的な視野からこれらの文学における分身の事例を議論し、 身体的な自己における共通のメカニズムが病理的また錯覚的な分身の出現および文学における分身の創造に関係があること、同時に分身と魂の存在についての広範囲に及ぶ文化や宗教的な信念にも関わっているという提案をする。


Table 2. List of disorders and Examoles(P.92)




障 害  文 学 作 品 
身体の部分的な分身:
身体そのものの断片化と分割
 
Minor doubles: fragmentation and splitting of the bodily self

アーデルベルト・フォン・シャミッソー

ペーター・シュレミールの不思議な物語(影をなくした男) 1814
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
影法師 1840
エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン
大晦日の夜の冒険 1815
ニコライ・ゴーゴリ
鼻 1835 / 外套 1842
オスカー・ワイルド
ドリアン・グレイの肖像 1890
グスタフ・マイリンク
ゴーレム 1915

メアリー・シェリー

フランケンシュタイン 1823 
ロバート・ルイス・スティーヴンソン
ジキル博士とハイド氏 1886
エドガー・アラン・ポー
黒猫 1843 / 告げ口心臓 1843
イタロ・カルヴィーノ
まっぷたつの子爵 1952 
 
自己像幻視 
Autoscopic hallucination

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ

詩と真実 1811〜1833
ギ・ド・モーパッサン
Le Docteur Heraclius Gloss 1875?/ あいつか?1883
ジョゼフ・ラドヤード・キップリング
At the End of the Passage 1890
ジャン・サルマン
The Grayling Fisher 1921 
 
幽体離脱とドッペルゲンガー
Heautoscopy and the doppelganger
 
 
エルンスト・テオドール・アマデウス・ホフマン
悪魔のエリキシル 1814 / 砂男 1816
フョードル・ドストエフスキー
分身 1846 / カラマーゾフの兄弟 1880
エドガー・アラン・ポー
ウィリアム・ウィルソン 1839
ハンス・ハインツ・エーベルス
The. Death. of. Baron. Jesus. Maria. von. Friedel 1908
ジェームス・ホッグ
The Private Memoirs and Confessions of a Justified Sinner 1824
ジョセフ・コンラッド
The Secret Sharer 1919
ウラジーミル・ナボコフ
絶望 1936
ジョゼ・サラマーゴ
複製された男 2003
ピエール・ジュール・テオフィル・ゴーティエ
シュヴァリエ ダブル 1840
ホルヘ・ルイス・ボルヘス
Borges and I 1960
なにかの存在の感覚
Feeling of a presence   

ヨハン・アウグスト・ストリンドベリ

地獄 1896
マリアンヴィトルド・ゴンブローヴィッチ
Ferdydurke 1937
ギ・ド・モーパッサン
オルラ 1896
ヘンリー・ジェイムス
にぎやかな街角 1908
 
体外離脱体験 
Out-of-body experience  

アンリ・ミショー

Connaissance par les gouffres 1961
アーサー・コナン・ドイル
バスカヴィル家の犬 1901
ジャック・ロンドン
星を駆ける者 1915
ガストン・ダンビル
ランプ 1892
ハーバート・ジョージ・ウェルズ
盗まれた身体 1898 デビッドソンの目の顕著な事例 1895
グレッグ・イーガン
Seeing  1995 
臨死体験
Near-death experience
 
 

エドガー・アラン・ポー

鋸山奇談 18444
ラドヤード・キップリング
The Bridge-Builders  1893
フョードル・ドストエフスキー
おかしな人間の夢 1876 


ドストエフスキー『分身』の言及部分(P.97-98)

おそらく もっともよく知られたドッペルゲンガーは、フョードル・ドストエフスキーの第2作『分身』(1846)であろう。この物語は、作者がわずらっていたてんかんに起因する自己像幻視の体験がもとになっているという説もある。しかしながら、作家のてんかんの徴候のいくつかはしっかりと記録に残っているが、その中にゴリャートキンのような体験の証拠はみあたらない。

ゴリャートキンは、自意識過剰で疑い深く、うぬぼれが強くて野心的で嫉妬深い人物である。彼の朝は鏡に映った自分の姿をとっくりとながめ満足することから始まる。ただ、その後、まるで他人の目を避けるかのように<だれか別の人物>のような素振りをするのである。結論から言うと、ゴリャートキンは次第にふくらむ自身の表面的なイメージの一方で、内部から湧き上がってくる絶望、パラノイア、疑い、卑下などの感覚の間で引き裂かれている。


彼は舞踏会のホールから追い払われ、恥ずかしさと絶望に駆られ自殺さえ頭をよぎったとき、河岸で、突然なにかの存在を感じる。そのとき2度すれ違った通行人は、なんと彼自身であった。この新ゴリャートキンは別のゴリャートキン氏だが、あきらかにゴリャートンキン氏自身でもあった。

まもなく二人は住居と職場を、名前さえも共有することになる。彼らは最初はうまくやっていたが、やがて分身はゴリャートキン氏の人格を奪い辱めるようになる。明らかに、分身はゴリャートキン氏の輝ける自己像である。誇り高く、横柄で、人に対する尊大な、まさにそうした態度が、今や、他人ではなくゴリャートキン氏自身に向けられる。
もちろん、典型的なドッペルゲンガー物語においては、分身は不道徳で災いをなすものとされる一方で、広く人気を博している。

事態が手におえなくなったゴリャートキン氏は分身に手紙を書く。「あなたか私どちらかです。二人が一緒なんてありえません」分身はますます侵入的、脅迫的、不快になっていく。ゴリャートキン氏のアイデンティティと分別は壊れ始める。2度目のパーティーにおける屈辱な場面で、部屋のドアから突然そっくり同じゴリャートキンが数限りなく連なって乱入してくるという幻覚におそわれる。


分身のモチーフにユーモアの要素を導入した最初の作者がおそらくドストエフスキーであろう。もっとも、悲劇あるいは病理学の症例報告に似た物語は、ゴーゴリの初期の作品や不条理喜劇などの中にも見出せる。心理学的および超自然的要素が斬新に混合したこれらの作品に際立つ要素がパラノイアおよび傲慢である。

作家はしばしば作品の中に同じテーマをくりかえして描くものだ。ドストエフスキーでいえば『カラマーゾフの兄弟』でイワンが悪魔の月並みな訪問を受ける場面だろう。イワンは悪魔が自身の投影であることをすぐに認める。「きみはぼくの幻覚だよ。きみはぼく自身の分身なのさ、ただし、ぼくのある一面だけのね・・・ぼくの思想と感情の化身には違いないが、それもいちばんけがらわしい、ばかげたものの化身なんだ」

ゴリャートキンとの比較をおこなった「症例報告」が引用されている。(P.100)


50代の男性が、ある夜、自己像幻視を体験する。それは彼よりも年老いた彼自身であった。数年後に再び分身と出合う。それは、あの夜出会った分身とそっくりそのままであった。彼はなにか縁がある強烈な感情で分身にひきつけられた。しかし、すぐにアンビバレントな感情に引き裂かれ、分身によって迫害されるように感じ始める。分身に対する憎悪と疑惑が、なにか災害の予感と差し迫った死の恐怖を引き起こした。
引用論文:Carp E:Troubles de l'image du corps. Acta neurol Pychiatr Belg 1952;52:461-475.

臨死体験の例として、ドストエフスキーの短編『おかしな人間の夢』(1876)が引用されている。(P.107)


自殺願望の男が、いよいよ決行の日の夜、自身の心臓を撃つ鮮明な夢を見る。彼は墓に埋められる。無痛だが、死んでいるという自覚はある。体外離脱感覚が生じる。見知らぬ同行者とともに星をめぐって宇宙空間を飛翔している。恐怖はまったくなく、時間の感覚もない。深い平穏に包まれている。ある星に降り立つ。そこは、地球とそっくりだが、最高の善と英知に輝く楽園で、罪悪や悲しみを知らない人びとがくらしていた。男は人間と自然が一つに包み込まれるような強烈な感覚を経験する。美しい音楽を聴き、広く深い宗教的感覚を抱く。この夢は男に鮮やで強烈な忘れがたい印象を残した。