Medical Dostoevsky&My Dostoevsky
(2021.3.21)

小酒井不木とドストエフスキー


下原康子


はじめに

2021年3月。コロナ禍2年目の春。一人の医学図書館員が発信した情報が、ともすれば不安と閉塞感に支配されがちな毎日に彩りをもたらしてくれました。その情報というのは「小酒井不木全集引用文献データベース」をインターネットで無料公開しました、という案内でした。「小酒井不木文庫」を所蔵する愛知医科大学図書館が『小酒井不木全集 全17巻』におけるすべての引用文献を抽出し、それらをデータベース化して一般公開したとのことです。

科学分野の研究には欠かせない「引用文献データベース」ですが、このたびのは文学が対象で、しかも図書館司書によって作成されたということで興味津々。さっそくアクセスしてみました。トップページ画像の「マクベス」「罪と罰」などの文字が目に飛び込んできました。試しに「ドストエフスキー」と入れて検索してみると、なんと61件がヒットしました。つまり、「小酒井不木」という、私にとっては未知の作家が、著作の中でドストエフスキーとその作品を61回も引用しているということになります。

次にアクセスしたのは「青空文庫」です。69点もの不木の作品が収録されていました(2021年3月現在)。これまであまりなじみがなかった「探偵小説」ですが、著者がドストエフスキーを愛読する作家兼医学者だったと知って読み(聞き)始めたら、「医学的探偵小説」の魅力にすっかりはまってしまいました。このところ、インターネット動画で朗読を聞くのがベッドサイドの楽しみになっています。

不木が、チェーホフのように、生涯を通して医学と文学の二足のわらじを履いて数多くの作品を残したこと、結核で早逝したことも心惹かれる理由です。また、「闘病」ということばを広めたといわれている不木自身の闘病や闘病に対する考え方に興味があります。さらに、不木をとおして、これまで探偵小説、怪奇小説という単純な思い込みから関心がなかった江戸川乱歩とエドガー・アラン・ポーを発見したことは、私にとって思いがけない素敵な収穫でした。

小酒井不木について (Wikipediaによる)
小酒井不木(こさかい ふぼく)(1890年10月8日 - 1929年4月1日)愛知県蟹江町生まれ。医学者(生理学・血清学)、随筆家、探偵小説家、犯罪研究家。20代から結核を病み留学から帰国したのち、東北帝国大学医学部衛生学教授の辞令を受けたが、病のため退職。以後、犯罪研究、随筆、探偵小説、海外探偵小説の翻訳などの著作を旺盛に発表。江戸川乱歩を見出したことでも知られる。一般市民向けに「闘病術」という本を執筆しており、「闘病」という言葉が一般に広まるきっかけとなったとも言われている。1924年には少年探偵小説『紅色ダイヤ』、『犯罪文学研究』を発表。医学研究への情熱も衰えることなく、1928年には、自宅隣地に研究室を建て、血清学の研究を始めていた。2029年、39歳で急性肺炎のため死去。その死はラジオや新聞で大々的に報じられ、4月4日の葬儀には多数の参会者が詰めかけたという。同年から翌年の10月にかけて『小酒井不木全集全17巻』が改造社から出版された。長男の小酒井望は医師で、順天堂大学名誉教授。
参考:奈落の井戸:小酒井不木研究サイト
 

小酒井不木全集引用文献データベース で「ドストエフスキー」を検索しました。


ドストエフスキー愛読者の関心は、小酒井不木の作品の中で、ドストエフスキーのどの作品がどういった脈絡で引用されているのか、ということでしょう。キーワード「ドストエフスキー」で検索すると61件がヒットしました。それぞれの引用箇所を現物で確認したいところですが、全集へのアクセスが難しい状況なので、愛知医科大学図書館にお願いして引用ページと目次のコピーを送っていただきました。それをもとに、巻ごとに引用された作品(引用数)と引用のあった章と(
該当ページ)を書きぬいてみました。愛知医科大学図書館のご厚意に心より感謝申し上げます。


『小酒井不木全集 全17巻』 改造社 (1929-1930)
 全目次はこちら

第1巻  殺人論及毒と毒殺 (引用17回)
罪と罰 (13) 
白痴 (2)
死の家の記録 (2)
純然たる殺人と迷信による殺人‥‥‥‥15(p.16)     罪と罰
殺人者の容貌及び体格(解剖)‥‥‥‥21(p.21-22)  罪と罰
探偵総論‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 128(p.131-132) 罪と罰
免疫の意義‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 282(p.282)    罪と罰
迷信と犯罪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 428(p.440)    罪と罰
自白の心理‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 501(p.484-485) 白痴
自白の心理‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 501(p.497)    死の家の記録
自白の心理‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 501(p.506)    罪と罰
 

第2巻 犯罪文学研究及静養探偵譚(引用5回)
罪と罰(4)
カラマーゾフの兄弟 (1)
はしがき‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 1(p.4)   罪と罰 カラマーゾフの兄弟
犯罪者の心理を応用した探偵方法‥‥ 419(p.419) 罪と罰
名探偵バーンス‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 434(p.436) 罪と罰

第5巻 闘病術及学者気質 (引用3回)
罪と罰 (1)
白痴 (2)
闘病術附録 私の病歴‥‥‥‥‥‥‥‥326(p.337) 罪と罰
前知魔‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 440(p.446) 白痴

第6巻 生命神秘論及不木軒随筆(引用2回)
白痴 (2)
死の刹那の感じ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 302(p.308-309) 白痴 

第8巻 闘病禄及日記(引用9回)
罪と罰 (7)
白痴 (2)
咯血‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1(p.2)   白痴
読書‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 27(p.28-29) 罪と罰
雨‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 32(p.32)    罪と罰
大正9年 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥435(p.440)   罪と罰
 

第10巻 趣味の探偵談(引用11回)
罪と罰 (5)
白痴 (2)
カラマーゾフの兄弟 (2)
死の家の記録 (2)
棠陰比事解説‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥46(p.60-61)  罪と罰
犯罪探偵茶話‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥93(p.141)   罪と罰
犯さぬ罪‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 192(p.192-193) カラマーゾフの兄弟
殺人探偵‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 355(p.359)   罪と罰
犯罪者のジエーキール・ハイド性‥ 428(p.433)   死の家の記録
死刑と死刑囚‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 474(p.479-480) 白痴
 

第11巻 三面座談及タナトプシス(引用6回)
罪と罰 (2)
白痴 (4)
シエル・シヨツク‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 188(p.188)白痴  罪と罰
死の刹那の感じ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 300(p.302)白痴
 

第12巻 文学随筆及書簡(引用2回)
罪と罰 (1)
カラマーゾフの兄弟 (1)
大正12年‥‥‥‥‥‥‥386(p.388)カラマーゾフの兄弟 罪と罰

第15巻 闘病余禄及断片 (引用4回)
罪と罰 (4)
自殺の心理‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥97(p.103-104)罪と罰 

第17巻 1930.10.10
探偵小説中編集(引用2回)

罪と罰 (2)
得意な容疑者‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ (p.23)罪と罰




作品ごとにどのように引用されているかをまとめました。


引用作品と引用数:罪と罰(39)白痴(14)カラマーゾフの兄弟(4)死の家の記録(4)合計61回

罪と罰

第1巻  殺人論及毒と毒殺 (引用13回)
純然たる殺人と迷信による殺人(p.16) :ラスコーリニコフのナポレオン思想による殺人。
殺人者の容貌及び体格(解剖)(p.21-22):苛々するような季節には殺人が多い。ラスコーリニコフの犯罪はペテルブルグの最も暑苦しい季節に起こった。  
探偵総論(p.131-132):良心の呵責に耐えかねた殺人者の不幸。ソーニャ「あなたはこの世の中で一番不幸な人です」。殺人者は凶行の場所や被害者の死体に、打ち勝つことのできぬ力でひきつけられる。「あたかも夏虫が火のまわりを幾度もぐるぐる廻って遂には飛び込んで死ぬように」(ポルフィーリイ)
免疫の意義(p.282):血を見ることは動物や人間の残忍性を増す。(ラスコーリニコフ)
迷信と犯罪(p.440):自己の妄想または誇大妄想からしばしば恐ろしい犯罪が行われる。(ラスコーリニコフ)

第2巻 犯罪文学研究及静養探偵譚(引用4回)
はしがき(p.4)
:文学に描かれた犯罪者の科学的研究 エンリコ・フェリ『文芸における犯罪者』、探偵小説を「技巧の小説」の一種とみなしたチャールズ・ホーン『小説の技巧』(『罪と罰』) 
犯罪者の心理を応用した探偵方法(p.419):ラスコーリニコフは自らの罪を自白したがる心を抑えるために苦しい努力をする。
名探偵バーンス(p.436):あたかも夏虫が燈火の周囲をぐるぐる廻るように、犯人は探偵の周囲を離れることができず、終いには探偵の手にとびこんでくる(『罪と罰』)。名探偵バーンズは19世紀後半ニューヨークで活動した名探偵で、この人物については、次の章「七人の共犯」に続く。

第5巻 闘病術及学者気質 (引用1回)
闘病術附録 私の病歴(p.337)
:パリで喀血したときに『罪と罰』に出会ったエピソード

第8巻 闘病禄及日記(引用7回)
読書(p.28-29):パリで喀血したときに『罪と罰』に出会ったエピソード
雨(p.32):パリで喀血したときに『罪と罰』に出会ったエピソードの続き
[日記]大正9年(p.440):パリで喀血したときに『罪と罰』に出会ったエピソード

第10巻 趣味の探偵談(引用5回)
棠陰比事解説(p.60-61): 犯人の凶行後の心理を巧みに利用した探偵談(ポルフィーリイ)
犯罪探偵茶話(p.141):替え玉心理について(ラスコーリニコフ)
殺人探偵(p.359):凶行後の心理と挙動(ラスコーリニコフ)

第11巻 三面座談及タナトプシス(引用2回)
シエル・シヨツク(p.188)
:ラスコーリニコフの量刑(8年)について

第12巻 文学随筆及書簡(引用1回)
[書簡]大正12年(p.388)
:江戸川乱歩宛書簡「私はドストエフスキイが大好きですが、『カラマゾフ』や『罪と罰』はやはりあなたのおしゃるように探偵小説的色彩が多いために引き付けられます」

第15巻 闘病余禄及断片 (引用4回)
自殺の心理(p.103-104)
:「なぜ生きなくてはならぬかわからぬくらいの厄介者がいる一方で、清新溌剌たる青年が、何人にも顧みられず死んでいく」(ラスコーリニコフ)。このような考えのもと、自殺に至る老人がある。

第17巻 探偵小説中編集(引用2回)
『得意な容疑者』(p.22-29): 全集に収録されている多くの「探偵小説」の中で、唯一「ドストエフスキー」の引用があった作品。「犯人はその最も得意な時に自己を裏切るものである」『罪と罰』を読んで高利貸を殺した貧乏大学生の転落。



カラマーゾフの兄弟

第2巻 1929.10.23 犯罪文学研究及静養探偵譚(引用1回)

はしがき(p.4)
:『罪と罰』と『カラマーゾフの兄弟』の面白味は、探偵味をたっぷり含んだところにある。

第10巻 趣味の探偵談(引用2回)
犯さぬ罪(p.192-193)
:ドミートリイ・カラマーゾフは無罪だったが、運命を受け入れ甘んじて刑に服する。

第12巻 文学随筆及書簡(引用1回)
[書簡]大正12年(p.388):江戸川乱歩宛「私はドストエフスキイが大好きですが、『カラマーゾフ』や『罪と罰』はやはりあなたのおしゃるように探偵小説的色彩が多いために引き付けられます」



白 痴

第1巻  殺人論及毒と毒殺 (引用2回)
自白の心理(p.484-485):「天才と称せられる人には癲癇者が多い。癲癇発作の瞬間の一種のめまいに近い発作の起こる瞬間は、天才の精神活動の最も旺盛な時機であって、昔からいわゆる天才の霊感と考えられた所のものである」。ムイシュキンの「アウラ」が10行にわたって引用されている。

第5巻 闘病術及学者気質 (引用2回)
前知魔(p.446)
:「未来全体がわかってしまうならば、たとえ未来に幸運のあることがわかっていてもそれは非常に不幸なことと思うのである。たとえば人間の一番悲しい運命は死である。その死が何月何日に起こるとわかったならば、たとえその前によいことが起こるとわかっていても、おそらく誰しも不幸を感じるであろう」。続けて、ムイシュキンが語る「死刑の残酷さ」が引用されている。

第6巻 生命神秘論及不木軒随筆(引用2回)
死の刹那の感じ(p.308-309)
:ドストエフスキー自身が国事犯として銃殺刑に処せられる寸前に皇帝の恩赦によって死を免れたときの気持をムイシュキンに語らせている。16行にわたってその箇所を引用。

第8巻 闘病禄及日記(引用2回)
咯血(p.2)
:「世間ではよく肺病の宣告を死刑の宣告のように言うものもあるが、仮に死刑の宣告とみなしたところが何月何日に死ぬものと宣告せられたわけではなく、罪を犯して裁判官から死刑を宣告せられたような心持になることはおそらく難しい。このへんの気持が『白痴』には巧に書いてある」

第10巻 趣味の探偵談(引用2回)
死刑と死刑囚(p.479-480):ドストエフスキーは死刑の残酷さを『白痴』で遺憾なく述べている。「拷問による肉体の痛みは、むしろ、死刑を宣告された苦しい心の痛みをまぎらわせてくれる・・・」というムイシュキンの語りを16行にわたって引用している。

第11巻 三面座談及タナトプシス(引用4回)
シエル・シヨツク(p.188)
:ドストエフスキーは『白痴』のなかに、人を殺したものを死刑に処するのは残酷すぎると書いている。これは、彼の体験から生み出されたことばである。
死の刹那の感じ(p.302):「ね、頭を刃のすぐ下に据えて、その刃が頭の上にするするとすべってくるのを聞くこの四分の一秒の時間が何よりも恐ろしいのです」(ムイシュキン)



死の家の記録 

第1巻  殺人論及毒と毒殺 (引用2回)

自白の心理(p.497)
:『死の家の記録』の中で、犯罪者たちがよく夢にうなされることが書かれている。

第10巻 1930.2.25(引用2回)
趣味の探偵談:犯罪者のジエーキール・ハイド性(p.433)
:犯罪者にも多少の善のひらめきが見えことがある。『死の家の記録』の中に、受刑者たちが、山羊、馬、犬、家鴨を熱愛したありさまが書かれている。