Medical Dostoevsky&My Dostoevsky
ぱんどら 7号(1985)


創作
働く女性について  ある講演より

下原康子
 

今日は皆さまの前で働く女性についてお話をするようにとのことでございます。御依頼を受けた時、正直なところびっくりいたしました。大勢の方の前で話した経験などまるでない私のような者がいったい何をどのようにお話しすればいいのでしょうか。でも、これも正直な気持ですが(今日は何もかも正直に申しあげる覚悟でまいりました)少しは得意にもなりましたし興奮もいたしました。いつかこういうことがあるだろうと予感もしておりました。

まず頭に浮んだのは服装のことです。このスーツいかがでしょう。自分では気に入っているのですけれど。もし、私がみじめな、あるいは似あわない格好していたら、とてもこうやってお話をする気持にはならないでしょう。美しくも若くもない女でも魅力的に見えることはあるものです。自分で自分に魔法をかけ、美しいとは言えないまでもかわいらしく知的に見えるようにすることはできるのです。でもこんなことはどうでもいいのです。何もかも正直に申しあげようと決心しているのでお話ししたまでのことです。

さてお集りの皆さまの中には私よりお若い方も年とった方もおみえのようです。でも10代20代の方はおいでになりませんね。私は大学の図書館に勤めておりますけれど、いつのまにか周囲が若い方ばかりになってしまいました。初めのうちは居心地が悪く感じましたが、今ではむしろゆったりと落ち着いております。みんなが私のことを「おばさん」ということで片づけているのはわかっています。でもそれも慣れてしまえばむしろ気楽でいいものです。きれいな若い女性に嫉妬を感じなくもありませんが、若い時ほど苦しくありません。それに若い方は御自分とこの私とを比較しようなんて考えもしないでしょう。私は別格のあつかいを受けています。「おばさん」は「別格」なのです。

若い時やはり自分を「別格」であり特別の人間であるというふうに感じたものでした。でもそれは、このおばさんの安定した「別格」とは違って熱っぽく苦しく落ち着かない状態でした。自分をかぎりなく高くも低くも、幸せにもみじめにも感じました。今でも思い出します。せまいアパートの一室に一人で暮していた時、夜おそく銭湯へ行った帰り道、よくわけのわからない幸福感に充たされて大声で叫びたくなったものです。

よく女友だちが泊ってゆきました。夜を徹してしゃべり明かしました。広い都会の中では、針の穴ほどの私の小さな部屋が宇宙のように感じられたものです。将来のことは思いませんでした。だっていつも未来に生きておりましたもの。過去は無意味で現在は不在で、時間はすべて未来に属していました。むしろ時間などなかったのです。時々ふと現実的な不安にかられることはありましたが、根が楽天的な性質なので忘れてしまえました。今でもあのころの自分に帰ったような気がする時があります。そんな時は今の生活、夫と子供のいる幸せな生活が夢のように思われます。目が醒めればまたあのアパートに一人きりでいるような気がするのです。

孤独というのはかぎりなく自分とつきあうために危険をはらんでもいますが、また豊かであるともいえます。孤独の中で私は自分自身を「別格」と考え、そのために自己嫌悪になることも時にはありましたが、たいていは自分と仲よくつきあっていました。孤独の中に人生を解く鍵がかくされていると思ったものです。満たされない愛や希望は孤独の中に閉じこめて優しくいたわりはぐくんでやりました。やがてそれらがユニークな花を咲かせるだろう、そうできる才能が自分にあると信じていました。量や時間ではかるものからは遠ざかろうとしました。具体的なものは何もなかったのです。幸せだったとはいえません。それどころか灰色の毎日でしたが、その日々に金色のふちどりをして私独自のものにしたのです。
 
申しあげるつもりもなかったおしゃべりをしてしまったようです。きっとつまらないとお思いでしょう。でもどうか大目にみて下さい。だって仕方がないじゃありませんか。私がここで皆さま方に何かためになるようなお話をしてさしあげることができるなんて、そんなこと思ってもいないのですから。実際、お話しする材料も何もないのです。もしそれがあったら、つまり準備したお話をするということだったらきっとやめにしたでしょう。だって我ながらつまらないと最初からわかっているような話をするなんて、いくら私だってできませんわ。これは独白のようなものなんです。小説や映画やお芝居にしかない独白をこうして実際に聞くというのも案外おもしろいかもしれないじゃありませんか。聞かれることをあてにしている独白というものがあったら今のがそうですわ。ひょうたんからコマということだってありますし。

私は皆さま方を尊敬していますの。それから私の周囲にいる若い方もすごいなと思います。だって皆さんは自分が自分であるということに関してとてもしっかりしておいでです。少なくとも私にはそう見えます。しつかりしてるっていうのはつまり自分の持物がはっきりしてるってことです。自分の名前、仕事、財産、家庭、趣味、自分の時間、自分の未来、自分の心配事そういう物をしっかり手の中につかまえていらっしゃるように見えます。私は先ほど「おばさん」と呼ばれるようになって安心したと言いましたかしら?実はすっかりそうとも言いきれないのです。だって私は自分の持物に自信が持てないからです。持っているという感じが希薄なのです。

「なんていやらしい気取りでしょう」そういう皆さまの声が聞こえるような気がします。「うぬぼれるのもいいかげんにしなさい。あんたは自分だけはおばさんにはなりたくない、おばさんと呼ばれるようなタイプの女ではない、そう言いたいんでしょう」。「おばさん」に対するかすかな軽べつの気持があることは認めますが、それ以上に畏敬の念が強いというのも確かな事実です。PTAのお母さん方の中に入ると、私もその一人なのに、母親らしくふるまうどころかオドオドして他の人が堂々としているのいつも感心してしまうのです。

私が今までの生涯でたった一つやりとげたこといえるのは出産ですが、これもなにかの偶然としか思えません。目の前に成長してゆく子供の姿を見てあっけにとられているような状態です。ほんとうに私がこの子供達の母親なのでしょうか。彼等に命を与えたのがこの私でしょうか。なんと不思議なこと。子供のあたたかい身体を抱きしめていると、まるで私の方が庇護されているかのようにうっとりしてしまいます。子供は大人よりずっと賢く力強く正しく美しい。しつかり確実に生きています。子供を所有物にするくらいなら私の方で逃げだしますわ。子供がそうする前に。

働く女性についてのお話にもどりましょう。私は学校を出てからずっと職業に就いていますが、実は働くということに関してもよくわかりませんの。生活の糧を得ることと社会に貢献すること、この二つともピンときません。もっとも前者についてはなくなれば大変なわけですから、時々思い出しては今の環境をありがたいと思うようにしております。それにしても、納得がいかないのは自分の仕事は仕事らしく思えないのに、他の人のは私と同じことをしていてもいかにも仕事というように見えることです。先日の母の日に娘がカーネーションにそえて手紙をくれました。「おかあさん、はたらいてぐでてありがとう」と書いてありました。この時は働いているという実感が持ててうれしかったですわ。

ところで私は学生時代から同人誌をやっています。小説家になろうと思ってみたこともあります。けれどそのための努力はしたことはないし、結局本気じゃないのです。少しばかり書くことが好きだったのでそのふりをしていただけです。その方がおばさんのおしゃべりより高級だと思っていたのですわ。なんのことはない、今になって書けない理由として持ち出してきたのが、仕事が忙しい、子供に手がかかる、時間がない、疲れる、精神的ゆとりがない、うんぬん。いかにもおばさんらしい立派ないいわけ。

今、ふと気がついたのですが、私こうやってお話ししていながら、皆さん方お一人お一人のお顔を少しも見ずにいました。もしかしたら今までもずーつとこうやってだれの目もみつめないで生きてきたのではないでしょうか。私は今でもあのアパートの一室にいる時のままで、周囲のことは何も気づかずにいるのではないでしょうか。皆さま、もううんざりというお顔をしていらっしゃいますね。もうやめますわ。でも私今日は精いっぱい正直になろうとつとめましたから、それに免じて大切なお時間をつぶしてしまったことをどうか許して下さいますようにお願いして私の話を終えることにいたします。