ドストエフスキーとてんかん/病い


『カラマーゾフの兄弟』を読みなさい

Ivan Iniesta 
下原康子 訳

BMJ 2009;338:b1999 doi: 10.1136/bmj.b1999 (Published 20 May 2009)
Views & Reviews  The Brothers Karamazov
Ivan Iniesta
consultant neurologist, Walton Centre for Neurology and Neurosurgery NHS Trust, Liverpool



「より良い医者になるために何を読むべきか」という古典的な問いがあります。17世紀に英国のヒポクラテスと呼ばれた医師トーマス・シデナムは教え子のリチャード・ブラックモアに『ドン・キホーテ』を読みなさい、と助言しました。ロシアの作家フョードル・ドストエフスキーは、このスペインの作家と同様に、最高傑作を書いてからわずか1年でこの世を去りました。19世紀の最も優れた小説の1つと見なされている『カラマーゾフの兄弟』もまた法医学的論文の側面を持つ小説です。

エピローグと4部から成るこの小説は、カラマーゾフ3兄弟と召使のスメルジャコフをめぐる父親殺しの物語です。長兄ドミートリィが有罪になりますが、本当の犯人は犯行の夜にてんかんを起こしていたとされるスメルジャコフでした。彼は呪われた出自のせいでカラマーゾフ兄弟を憎んでいます。高慢で復讐心の強い彼は公判の前日に「自分は実行犯にすぎない、主犯はあなたです」とイワンに告げて自殺します。イワンは病気になり高名な医師が呼ばれます。医師から早急に治療を要する深刻な脳障害と診断されますが、懐疑的なイワンはそれを否定します。イワンの見る幻覚は彼に似つかわしいものですが、数人の読者がその真実性を疑問視しました。ドストエフスキーはBlagonravov医師の見解を求めます。医師はイワンの幻覚はせん妄症においてはありうる症状であると保証しました。

『カラマーゾフの兄弟』の主人公は3番目の息子で、『白痴』の主人公のムイシュキン公爵と同様にキリストを連想させる人物です。アレクセイ(アリョーシャ)という彼の名前はドストエフスキーがもっとも愛した息子と同じです。この息子は3歳のときのてんかんの重積発作で死亡しました。ドストエフスキー自身も『カラマーゾフの兄弟』を書くまでおよそ40年間にわたっててんかんを患っていました。それまでにも4つの小説でてんかんを患った人物を明確に描いています。最後の作品に至るまでドストエフスキー文学へのてんかんの影響は明らかです。

『カラマーゾフの兄弟』の中では、実験医学の創始者の1人、クロード・ベルナールの名前が出てきます。(訳者注:ドミートリィが何度も「ベルナールめ!」と口にします)。ドストエフスキーの初期のてんかん発作を目撃した医師ヤノーフスキイは生涯にわたってドストエフスキーの友人でしたが、ドストエフスキーはしばしばこの医師から医学書を借り読み、てんかんによって引き起こされる自らの認知機能障害の症状について確認を求めていました。この障害にもかかわらず、彼は神への信仰のための闘争──愛と憎しみ、救いと自殺、現実と空想、世代間の衝突などさまざまな問題を小説の中に描き、卓越した作品を生み出し残しました。

『カラマーゾフの兄弟』におけるドストエフスキーの病気の知的な使用は、苦しみを芸術に、逆境を機会に変えることによって不利益を利益に変えた好例です。彼のてんかんの描写は有名な神経科医たち、特に Freud, Alajouanine, Gastaut, Geschwind, Cirignotta らの注意を引いたことで、てんかんの知識に貢献してきました。より良い医者(とりわけ神経科医)になるために何を読むべきか。シデナムの答えを言い換えて、こう助言できるでしょう。「ドストエフスキーを読みなさい」。