Medical Dostoevsky&My Dostoevsky
ドストエーフスキイ全作品を読む会『読書会通信』No.161
 (2017)

スタヴローギンは何のためにアイスランドに行ったのか

下原 康子


ドストエフスキー愛読者は深海をもぐるダイバーに似ている。ダイバーがめずらしい生態や生物などに夢中になってますます深みを目指すように、愛読者は読み返すたびにまるで初めて読んだかのように、なにかしら新しい疑問や謎に気づかずにはいられない。研究者ならずとも深読みや謎解きの誘惑にかられるのだ。「ドストエーフスキイ全作品を読む会」の読書会が参加者は変われど40余年も延々と続いている理由の一つかもしれない。それにしても、21世紀の日本にこのような愛読者がいることをあの世のドストエフスキーは、さてどう感じるだろう?想像してみるとちょっと楽しい。

ところで、『悪霊』の中で、小骨のようにひっかっていた謎の一つに「アイスランドとスタヴローギン」があった。このたび文字通り「アイスランドのスタヴローギン」という論文に出会ってその謎が解けたので紹介する。著者はロシアのドストエフスキー研究者リュドミラ・サラスキナさんで、亀山郁夫さんと交わした興味満載の対話を収めた「ドストエフスキー『悪霊』の衝撃」(光文社新書 2012)の最後に収録されている。新書で30頁の学術論文だが、スタヴローギンとアイスランドをつなぐ推理が小説のようにおもしろい。

(『悪霊』の語り手によれば)

スタヴローギンはヨーロッパをくまなく巡り、エジプトにも足を延ばし、エルサレムにも立ち寄った。その後アイスランドに向かうどこぞの学術探検隊に潜り込み、実際にアイスランドにも滞在したということだった。ひと冬、ドイツのある大学で聴講生になったという話も伝わってきた。
(「スタヴローギンの告白」には)

私は東方に行き、聖アトス山では八時間の晩祷式に耐え、エジプトに行き、スイスに住み、アイスランドにまで行った。ゲッティンゲンではまる一年、大学で聴講した。


清水正さんと芦川進一さんに共通する出色した研究手法 ─ 登場人物の「前史」からスポットを当てるという読みをもってすれば、この断片的な前史はスタヴローギンの遍歴時代における探求と求道の行程といえるだろう。ダーシャへの最後の手紙にも「私はいたるところで自分を試した」とある。それにしても「なぜにアイスランド?」という印象はぬぐえなかった。

「ドストエフスキーの創作原理からすれば、偶然のディテールはない」という確信を持っておられるサラスキナさんは、アイスランドの歴史の調査から、スタヴローギンの放浪時期に重なる知られざるアイスランド探検隊の存在を探索する。しかし確認できなかった。そんなとき、一人のロシアの作家から、ジュール・ヴェルヌの『地底旅行』(原題の直訳は「地球の中心への旅」)というヒントがもたらされる。

1864年に刊行されたこの本はアイスランドが舞台になっている。ハンブルグに住む鉱物学教授が偶然発見した古アイスランド語の文書に駆り立てられ、甥とアイスランドの案内人を道づれにアイスランドの休火山の噴火口から地底世界へと下る。次々と襲いかかる苦難の末に最後は危機一髪のところ地中海に浮かぶストロンボリ島の火山噴火に乗じて地上に生還するという空想科学冒険物語だ。科学性を重んじたヴェルヌは物語の中で日時を細かく記している。ちなみにハンブルグ出発は1863年5月27日で帰国は同年の9月9日である。一方、スタヴローギンの放浪は1866年4月から1869年9月までである。

サラスキナさんは述べている。


スタヴローギンに、彼自身が読んだかもしれないジュール・ヴェルヌの小説の登場人物のあとを追わせること、地球の深部をめざすという、類のない幻想的な旅がなされて間もないアイスランドの地にスタヴローギンを行かせること、そうすることでドストエフスキーは、あたかも彼にさらにもう一つ、きわめて重大なチャンスをあたえたかのようである。


    子どものころ『十五少年漂流記』に夢中になったが、ヴェルヌの他の本は読んだことがなかった。さっそく図書館で『地底旅行』を借りて読んだ。検証を無視して空想をたくましくできるのが読者の特権である。私はスタヴローギンが熱狂的なドン・キホーテ的変人の教授と彼の引力にあらがえない甥(語り手)に同行してアイスランドに行ったと想像した。ではどうやって?スタヴローギンは案内人ハンスの姿に身をやつしてアイスランドに行ったのだ。寡黙なハンスは何度も教授と甥の危機を救うスーパーマンのような人物である。イワン皇子を連想させないだろうか?また、かれらは昔の地質時代に存在した海や森、原始の植物や生物を目にするのだが、その光景が、これまたスタヴローギンが「黄金時代」と称したクロード・ロランの絵を思いおこさせるのだ。
  ジュール・ヴェルヌ『地底旅行』

1865年にはペテルブルグで『地底旅行』のロシア語の翻案訳が出た。「全年齢層向け」として原始植物や原始動物の挿絵が入った本だった。(サラスキナさんの注に「スタヴローギンがマリヤ・レビャートキナの部屋を訪ねたとき、テーブルにあった新顔の極彩色の絵本2冊の1冊がこの本ではないか」とある。)『地底旅行』のロシア語訳は批評界で児童文学としてふさわしい作品か否かで論争になった。ドストエフスキー自身はこの論争に加わることはなかったが、トルストイ家では教育用図書に加えられた。しかし、当時の政府筋はふさわしくないとし、生徒用の購入はしないこと、すでに所蔵していたら回収を指示したという。