ドストエフスキーとてんかん/病い




<抜粋>


宗教的経験の諸相 上・下
James, William 1901-02 The Varieties of Religious Experience,
ウィリアム・ジェイムズ 著 枡田 啓三郎 訳
岩波書店  1969

本書はウィリアム・ジェイムズがイギリスのエディンバラ大学から招聘されておこなったギルフォード講義(1901〜1902)である。


「第一講 宗教と神経学」より

病的状態にも長所がある。すなわち、病的状態は精神生活の特殊な要因を孤立させて、普通それを取り巻いているいろいろなものの影響を受けないそれら要因の正体を見きわめることを可能にしてくれる、という長所である。解剖刀と顕微鏡とが身体の解剖について果たす役割とを、病的状態は、精神の解剖にあたって果たすのである。

もし一つの事物をほんとうに知ろうと思うならば、私たちは事物を、それを取り巻くものの内部に入って見るとともに、その外部からも見なければならない。そしてその事物の変異態の全範囲を熟知しなければならない。このようにして、幻覚の研究が、心理学者にとって、正常な感覚を理解する鍵になり、幻覚の研究が知覚を正しく理解する鍵となったのである。


私たちにしても、どこか弱かったり、病身であったりしないような者は少ないのである。どころが、私たちのそういう弱点そのものがかえって思いもかけず私たちを助けてくれているのである。精神病的気質のうちには道徳的知覚の必要条件である感激性がある。そこには、道徳的実行力の本質たる、あることをとくに強調する熱情と傾向がある。また形而上学と神秘主義を愛する心があり、それが感覚的世界の表面を超えたかなたへと、人の関心を運んでいくのである。それなら、この精神病的気質が、宗教的真理の領域や宇宙の秘境へと私たちを導いてくれるというのも、しごく当然なことではないか。