ドストエフスキーとてんかん/病い


<抜粋>


ドストエフスキーの自動症

手帖より(P.350)
(新潮社版ドストエフスキー全集27 江川卓・工藤精一郎・原卓也訳 1980)

(『ドストエフスキー未公刊ノート』 小沼文彦訳 筑摩書房 1997)には「てんかん発作の記録」および「エムスでの療養日記」が最後にまとめてある)

1875年4月8日、深夜の零時半に発作。夕方から、いや昨日も強い予感があった。煙草を巻いて小説をせめて二行でも書こうと思って、机に行きかけたとたんに、ふわっと体が浮きあがったことを記憶している。40分ほど倒れていた。気がついてみると、煙草を巻きかけたまま坐っていた。どうしてそうなったかおぼえていないが、手にペンをにぎっていた。そして、そのペンで煙草ケースを引き裂いていた。自分を刺すこともありえたわけだ。この一週間、じめじめした天気で、今夜ようやく月が出た、外は厳しい寒さらしい。4月8日満月。

N・B 発作後一時間すぎに喉が渇いた。一気ににコップ3杯の水を飲んだ。頭は痛いが、激痛というほどではない。今は発作からほぼ一時間過ぎた。これを書いているが、言葉が乱れてまとまらない。死の恐怖は過ぎはじめたが、それでもまだはげしい恐怖が残っていて、じっとしていられない。わき腹と足が痛い。もう40分もたってからアーニャを起こしに行ったが、ルケーリヤから奥さんはお出かけですと聞いてびっくりした。いつ、どんな用で出かけたのかと、詳しくルケーリヤに聞きただした。発作の30分前にopii banzoedi(アヘン溶液)を40滴水にたらして飲んだ。完全な忘我の間中、つまりもう床から起き上がって、坐って煙草を巻いていた間で、数えて4本巻いたが、正確ではない、そしてあとの2本のときは、はげしい頭痛を感じた、しかし自分に何が起こったのか長いこと理解できなかった。ルケーリヤのところへ行くまで。

軽い痔、鈍痛、いぼ痔がおきたのだ。

以下の論文に記載あり。
論 文 名:Dostoiewski’s epilepsy
著 者 名:Theophile Alajouanine
掲載雑誌:Brain 86:209-218,1963
Lecture delivered at the joint meeting of French Neurological Society and Neurological Section of the Royal Society of Medicine,London,May 4,1962