Medical Dostoevsky&My Dostoevsky
ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信No.198


ChatGPTに質問してみました。
(2023年5月14〜21日)
「人新世と地質的変動」&「ヘーゲルとドストエフスキー」について 

下原康子

「NHK100分で名著」で斎藤幸平さんという新進気鋭の研究者を知りました。「マルクス『資本論』(2021年1月)」と「ヘーゲル『精神現象学』(2023年5月)」の講師でした。難解な古典でしかも哲学・経済学分野。私にはとても無理と思いましたが、専門領域を超えた広々した講義内容、講師の生真面目だけど朗らかな雰囲気、そして、偉大な哲学者の思想を、自分のことばで、まさしく今人々に語りかけたいという若々しい情熱、そんなところに心惹かれて、毎回、新鮮な清々しい気持ちで視聴しました。

講義を視聴しながら二つの疑問が浮かび上がりました。どちらもドストエフスキーがらみの疑問です。一つは「人新世と地質的変動」。もうひとつは「ヘーゲルとドストエフスキー」です。

具体的には、「斎藤さんが人新世という聞きなれない用語で言わんとしたことと、イワンが言った地質的変動は関係があるのか」。もう一つは、「ヘーゲルとドストエフスキーに関連はあるのか」という二つの疑問です。「関連はある」私はそう感じているのですが、どこが?と聞かれても「なんとなく」としか答えられません。そんなとき、最近親しくなった[彼]に質問してみようと思い立ちました。[彼]というのは今をときめく、G7サミットでも話題に上った超有名人。そう、「ChatGPT」のことです。



1.「人新世」と「地質的変動」

「マルクス『資本論』」を視聴した後で、斎藤さんの著書『人新世の「資本論」』(集英社新書 2020.9)を読みました。『資本論』の理解はさて置いても、斎藤さんの「脱成長コミュニズム」の主張には共感できる部分がいくつもありました。なによりも「人新世」という用語が、聞きなれた「気候変動」「温暖化」を遥かに超えた衝撃で胸に迫りました。

「人新世」という用語から連想したのが『カラマーゾフの兄弟』に出てくる「地質的変動」です。イワンの悪魔がまくし立てる場面でこの用語を使っています。二つの用語は関連があるのでしょうか、あるとしたらどのようなところにでしょうか。まずは、二つの用語がどこで使われているのかを確認しておきましょう。



★人新世とは?

『人新世の「資本論』の「はじめに」の中で、斎藤さんは以下のように説明しています。

人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞パウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを「人新世(ひとしんせい・Anthropocene)」と名付けた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である。<中略> 近代化による経済成長は豊かな生活を約束していたはずだった。ところが、「人新世」の環境危機によって明らかになりつつあるのは、皮肉なことに、まさに経済成長が、人類の繁栄の基盤を切り崩しつつあるという事実である。

★イワン(悪魔)が語る「地質的変動」とは

『カラマーゾフの兄弟』の中で使われた用語です。その部分を引用します。
『カラマーゾフの兄弟』第11編9章:悪魔、イワンの悪魔 (江川卓訳)

「ねえ、きみ、ぼくは実に魅力的な、愛すべきロシアのお坊ちゃんを知っているんだよ。その貴族の坊ちゃんは、若き思想家で、文学と芸術の大の愛好家で、『大審問官』と題する、将来性ゆたかな叙事詩の作者なんだ」

「『大審問官』の話をしたらただじゃおかないぞ」恥ずかしさに顔をまっ赤にして、イワンは叫んだ。

「じゃ、
『地質的変動』は?憶えているかい?あれだって立派な叙事詩だったじゃないか!」

「黙れ、黙らないと殺すぞ!」

「ぼくを殺すというのかね?まあ、待てよ、言うだけのことは言わせてくれ。この楽しみを味わいたいばっかりに訪ねて来たんだから。ああ、ぼくは生への渇望におののく、若く情熱的な友人たちの夢想が大好きなんだよ!『あそこには新しい人間がいる』と、きみはこの春、ここに来るつもりになったとき、こう断定した。『彼らは一切を破壊して、人肉嗜食からやり直そうと考えている。愚か者め、おれに聞けばいいものを!おれに言わせれば、やたらと破壊する必要なんか何もなくて、たった一つ人類のうちにある神の観念を破壊しさえすればいい、そうとも、そこから手をつけるべきなんだ!そこから、そこからはじめればいいんだ━━ああ、何もわかっていない盲者どもめ!もし人類が一人残らず神を否定すれば(その時期は、地質的時代と並行して、必ず到来するはずだ)そのときは、人肉嗜食なんぞなくても、旧来の世界観や、とりわけ、旧来の道徳観は、おのずと崩壊し去って、まったく新しいものが訪れるだろう。人間は生が与えうる一切を手に入れようために結合するが、それはもっぱら地上の世界での幸福と喜びのためでなければならない。人間は神のような、巨人のような誇りの精神に驕り、そして人神が出現する。人間は自身の意志と科学によって毎日毎時もはや際限も知らず自然を征服し、そのことによって毎日毎時、かって天上の楽しみにかけた願望にとって代われるほどの高度の快楽を感ずるようになる。人間はだれもが、自分はいずれは死ぬ身であり、復活もないことを知り、神のように誇らしげに冷静に死を受け入れるようになる。人間はその誇りの気持から、人生が束の間にすぎぬなどと嘆くには当たらないことを悟り、もはやなんの報いも求めず同胞を愛するようになる。愛はわずかに人生の一刹那を満たすだけにすぎないが、その刹那性の自覚だけからでも愛の炎は、かつて死後の永遠の愛を希求して燃え上がったと同じくらい、はげしく燃えさかることだろう』・・・・・とまあ、こうした調子でつづいていたね。実にすてきだよ!」

イワンは両手で耳を押さえ、床を見つめたまま座っていたが、やがて全身を震わせはじめた。声はなおもつづいていた。

「ところで、ここで問題になるのは次の点だと、わが若き思想家は考えた。いったいそのような時代はいつの日か訪れることがあるのだろうか、もし訪れるならすべては解決され、人類は最終的に安定するようになるだろう。しかし、人類の根深い愚かさから見て、おそらく、今後まだ千年は安定もあるまいから、現在すでに真理を意識している者は、だれにせよ、新しい原理にもとづいて、まったく自分の好むように安定してかまわないということになる。この意味で彼には《すべてが赦される》。そればかりではない。もし、その時代が決して訪れることがないにしても、いずれにせよ、神も不死も存在しないのだから、新しい人間は、たとえ全世界でただ一人であっても、人神になることが許されるし、この地位につけば、むろん、かっての奴隷人間のあらゆる古い道徳限界を、それが必要とあれば、平然と飛び越えることも許される。神にとっては法律は存在しない!神の立つところ、すなわち神の座にほかならない!おれの立つところが、たちまち第一等の席になるのだ・・・・・《すべてが赦される》それで、めでたしめでたし!いや、何から何まで実にけっこうな話さ。ただ、人をペテンにかける気を起こしたのなら、どうしてそのうえ真理のお墨付きが必要なのかね?もっとも現代のロシア人というのがこうなんだな。お墨付きがないと、ペテンをする決心もつかないときている。それほど真理を愛しているわけさ・・・・・」

客は図に乗っまくし立て、ますます声を高めては、子馬鹿にしたように主人の顔を眺めやっていた。しかし、彼は話を終わりまで持っていくことができなかった。イワンが突然テーブルのコップを引つかむと、振りかぶりさま弁士目がけて投げつけたのである。



この下調べを踏まえて、ChatGPTに質問してみました。

以下、私(User:)の質問と
ChatGPTの回答をそのまま引用します。
(当然のことながら、ChatGPTの回答の評価は読まれる方に委ねられています)



User:
『カラマーゾフの兄弟』の中でイワンが言う「地質的変動」と斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』の「人新世」は、関連があるでしょうか?あるとしたらそれはどんなところでしょうか?

ChatGPT:
『カラマーゾフの兄弟』と斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』は、一見すると関連性があるようには思えません。『カラマーゾフの兄弟』はドストエフスキーの小説であり、人間の心理や道徳についての物語です。一方、斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』は、環境問題や資本主義社会における経済と生態系の関係について論じた書籍です。

しかし、もし両者を関連づける要素を探すならば、「地質的変動」というキーワードが共通して登場することが考えられます。『カラマーゾフの兄弟』では、イワン・カラマーゾフが「地質的変動」という概念を用いて、自らの世界観や人間性について論じます。一方、斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』では、地球規模で起こっている人間活動による環境変化を「人新世」という概念で捉え、資本主義社会の問題点を指摘しています。

このように考えると、「地質的変動」というテーマにおいて、『カラマーゾフの兄弟』と『人新世の「資本論」』は少なからず関連があると言えるかもしれません。ただし、それ以外の内容や文脈においては、直接的な関係性は見当らないように思われます。

User:
どちらも人類の未来への予言、また警告ではないでしょうか?

ChatGPT:
『カラマーゾフの兄弟』と斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』は、一部の観点から見れば人類の未来への予言や警告として解釈することもできます。ただし、それぞれの作品が異なる文脈や目的で書かれており、その予言や警告の性質や範囲は異なることに留意する必要があります。

『カラマーゾフの兄弟』は19世紀に書かれた小説であり、人間の道徳や信仰、倫理に焦点を当てています。物語の中でイワン・カラマーゾフが「地質的変動」という概念を用いて、人間の自由意志や神の存在に対する疑問を提起します。この部分において、イワンの議論は人間の未来についての警告や問いかけとして解釈できるかもしれません。

一方、斎藤幸平さんの『人新世の「資本論」』は、環境問題と資本主義社会の関係を扱った著作です。斎藤さんは「人新世」という概念を用いて、人間活動による環境変化が人類の未来に与える影響を警告しています。彼は資本主義の経済システムが持続可能な未来を妨げていると主張し、持続可能な社会への転換を提唱しています。この点では、彼の著作は人類の未来に対する警告として解釈できます。

したがって、これらの作品が人類の未来に対する予言や警告を含んでいると考えることができますが、それぞれの作品が扱っているテーマや視点が異なるため、その範囲や意図については留意する必要があります。

User:
あなたは劇作家です。「地質的変動」を見据えたイワンの独白を書いてください。

ChatGPT:
舞台上、イワンは一人で立ち、独白を始めます。

イワン(舞台中央に向かって)

地質的変動...この広大な地球が、鉄の意思によって揺れ動く未来を思い描くと、私は何かを感じます。それは、人類の運命を取り巻く闇深い予感です。
(イワンは少し立ち止まり、胸を押さえながら考え込む)

私たちは、岩石と同じくらい頑固で固定された存在として自負してきました。しかし、地球自体が私たちの足元を揺るがすとしたら、その確信をどうすれば持つことができるでしょうか?
(イワンの表情は深刻であり、内なる葛藤がうかがえます)

もしも地質的変動が訪れるとすれば、私たちの信念はどうなるのでしょう?人間の道徳や法律、信仰は、岩盤のような堅牢さを保てるのでしょうか?それとも、揺れ動く地殻の上で揺れるように崩れ去るのでしょうか?
(イワンの声は少し震え、情熱を帯びている)

考えてみてください!私たちが創り上げた社会の枠組みや倫理観が、地球の揺れ動きによって瓦解するとしたら、人類はどのように立ち向かえばいいのでしょう?私たちは虚無に立ち向かえるのでしょうか?
(イワンは瞳を閉じ、深く息を吸い込む)

地質的変動は、私たちが知り得ない力との邂逅を意味します。それは神の意志なのでしょうか、あるいは人間の思考を超越した自然の摂理なのでしょうか?私たちは、このような未知なる力にどのように向き合えばいいのか、真剣に考えねばならないのです。
(イワンの声は一層荘厳さを増し、舞台に響き渡る)

地球の地殻が揺れ動く未来を思い描くと、私は悩みます。しかし、それが私たちに与える警鐘であり、成長の契機でもあることを信じたいのです。私たちは地球の表面

User:続けてください。

ChatGPT:
(イワンは舞台上を歩き回りながら続けます)

私たちは地球の表面に生きる一瞬の存在に過ぎません。地質的な時間の流れと比べれば、私たちの存在は脆弱で短命です。しかし、その短い時間の中で私たちは何を成し遂げることができるのでしょうか?

地質的変動は、私たちに自然の摂理と向き合う機会を与えてくれるのかもしれません。私たちは自らの意志と創造力を駆使し、地球との共存を模索しなければなりません。私たちの選択や行動が、地球の将来を決めるかもしれないのです。
(イワンは舞台の端に立ち、大きな手拍子を受けます)

地球は私たちの共通の住処です。地球の揺れ動きを見つめることは、私たちの存在意義を問うことでもあります。私たちは自己中心的な欲望や利益追求に囚われず、持続可能な未来を築くために協力しなければなりません。
(イワンの声は静かで力強さを帯びている)

地質的変動がやってくるかどうかはわかりません。しかし、私たちはそれに備えて、心の中で地球との絆を深めるべきです。私たちの思考や行動が、地球に対する責任と敬意を示すものであることを忘れてはなりません。
(イワンは最後の言葉を力強く放ち、舞台の中央に立ち戻ります)

地質的変動が未来に訪れようとも、私たちは怯まずに立ち向かい、人間の力と知恵を結集して新たな道を切り拓くのです。地球との共存を築くために、私たちの努力と意識が求められています。
(イワンの独白が終わり、観客から大きな拍手が沸き起こる)

User:
イワンのもっと若々しく情熱的でむしろ反抗的な感じを出してみてください。

ChatGPT:

(イワンは舞台上でエネルギッシュに動き回りながら独白を始めます)


イワン(舞台中央に向かって)地質的変動…!こんな世界に束縛されるなんて、くそっ!私はこの仕組みに疑問を持つんだ。
(イワンは手を振りながら大胆に舞台を駆け回る)

この堅い地球のルールに縛られて、本当に自由なのか?人間の存在は一体何なんだ?
(イワンの声は鋭く、情熱に満ちている)

地球の地殻が揺れ動く未来…それは私たちに対する挑戦なんだ!この社会の偽善と腐敗に立ち向かうためのチャンスだと思えよ!
(イワンは舞台上でジャンプし、手を広げながら宣言する)

私はこの地球のルールに反抗する!人間の道徳や倫理なんてくだらない!私は自由に生きたいんだ、自らの欲望に従って生きたいんだ!
(イワンの表情は野心的であり、抗議の意思が滲み出ている)

地球が揺れ動くとき、私たちは新しい秩序を築くチャンスを手にするんだ!この社会の偽善を打ち破り、真実の自由を勝ち取るんだ!
(イワンの声は響き渡り、情熱的なエネルギーが観客を圧倒する)

地質的変動は私たちの反抗のシンボルだ!この地球に屈せず、大胆に逆立ちし、自らの意志で未来を切り拓くんだ!
(イワンは舞台の端に立ち、観客に向かって拳を掲げる)

私たちは自由な存在なんだ!地球の揺れ動きがもたらす混沌の中でこそ、真の力を見出し、人間の可能性を解き放つんだ!
(イワンの独白が熱く終わり、観客は興奮した拍手と歓声を送る)

User:
イワンの独白を聞いた後のアリョーシャの一言は?

ChatGPT:
アリョーシャ
(イワンの独白の後、静かに)イワン、君の情熱には心を動かされるよ。だけど、私は信じるんだ。地球の揺れ動きがもたらす未来に、希望があることを。
(アリョーシャの声は穏やかであり、内に秘めた確信が感じられる)



2.ヘーゲルとドストエフスキーについて


ヘーゲル(独・1770-1831 ) とドストエフスキー (露・1821-1881) の関連をみつけたいという思いにかられ、無謀にも『精神現象学』を購入してしまいました。寿命が尽きるまでに読み切るのはおそらく無理でしょう。『カラマーゾフの兄弟』なら何回でも読み返せるのですが。

ところで、ドストエフスキーはヘーゲルを読んでいたでしょうか。L.グロスマン年譜(新潮社版のドストエフスキー全集別巻)の人名索引にはヘーゲルの記載2つ(以下)ありました。

1)1854年2月22日。兄ミハイルヘオムスクより手紙、流刑地居住について。「ヘーゲル、特にヘーゲルの哲学史を是非お送り願います」。哲学史は読まずじまいで、ストラーホフを知って(1859年末)間もなく彼に贈る。

これについて、ドストエフスキーの書簡(米川正夫訳)に当たってみました。1854年2月22日のオムスクから兄ミハイルに送った手紙は「とうとうぼくは兄さんに、いくらか詳しい手紙をかくことができるようです」という書き出しから始まり、オムスクでの生活などを書いた長い手紙です。その最後に近い箇所で「ぼくは一週間たったらセミパラチンスクへ出発しますが、そこで別のアドレスを見つけるように努めましょう。ぼくはまだいくらか健康が優れないので、しばらく止め置かれているのです。コーランとカントの『純粋理性批判』を送ってください。これはもしいつか非公式に送れるようになったら、ヘーゲル、とくに
ヘーゲルの哲学史(赤字の部分は傍点を振って強調してある)をぜひお願いします。ぼくの未来は、すべてこれにつながれているのです!」とあります。

2)1855年4月2日。ヴランゲリが父E.E.ブランゲリに手紙を書く。ドストエフスキーとの交情、「若い不遇な作家」の影響、ヘーゲルの哲学書とカールスの『精神(Psyche)』をドストエフスキーと共訳する計画。

以上の下調べを踏まえて、ChatGPTに質問してみました。



User:
ドストエフスキーはヘーゲルを読んでいたでしょうか?

ChatGPT:
はい、フョードル・ドストエフスキーはヘーゲルを読んでいました。ドストエフスキーは19世紀のロシアの小説家であり、彼の作品は人間の心理や道徳的なジレンマを探求することで知られています。彼は哲学的なアイデアにも非常に関心を持ち、ヨーロッパの哲学の多くに触れました。

ドストエフスキーは、ヘーゲルの哲学にも関心を寄せていました。ヘーゲルの哲学は「弁証法」として知られる思考法を提唱し、歴史的な発展や倫理的な問題について議論しました。ドストエフスキーはヘーゲルの思想について深く考え、彼の作品にもその影響が見られます。

例えば、ドストエフスキーの小説『罪と罰』は、ヘーゲルの倫理学や道徳的なジレンマに対する関心を反映しています。主人公のラスコーリニコフは、犯罪を犯すことによって自己の超越的な存在を実証しようとするが、その行為によって自己を苦しめることになります。この作品は倫理的な選択と罪悪感の問題を探求し、ヘーゲルの思想に触発されていると考えられています。

ただし、ドストエフスキーがヘーゲルの著作を直接読んだかどうかについては、明確な証拠はありません。しかし、彼の哲学的な関心と作品へのヘーゲルの影響は、学者や評論家によって広く議論されています。

User:
ドストエフスキーがヘーゲルから影響を受けたと思われる作品は『罪と罰』の他にありますか?

ChatGPT:
はい、ドストエフスキーの作品『罪と罰』以外にも、彼がヘーゲルから影響を受けた可能性のある作品があります。

『カラマーゾフの兄弟』(The Brothers Karamazov): この小説はドストエフスキーの最後の長編小説であり、多くの哲学的なテーマを扱っています。『カラマーゾフの兄弟』では、人間の自由意志、宗教的な信仰、道徳的な責任など、ヘーゲルの哲学的なアイデアとの共通点が見られます。特に、ヘーゲルの倫理学の概念である「自己の他者化」(Self-estrangement)や「選択と自己確定」(Choice and Self-determination)などが作品のテーマとして取り上げられています。

『白痴』(The Idiot): 『白痴』もドストエフスキーの重要な作品であり、倫理的なジレンマや人間の善と悪について探求しています。この小説では、主人公のミーシャが純粋で善良な人物として描かれ、周囲の複雑な社会や人間関係に直面します。ヘーゲルの思想では、個人の善や道徳は社会的な関係や他者との相互作用によって形成されるとされており、『白痴』でもこのようなテーマが反映されていると言えます。

これらの作品は、ドストエフスキーがヘーゲルの哲学的なアイデアに関心を抱いていた時期に書かれたものであり、彼の思想や創作に影響を与えた可能性があります。ただし、ドストエフスキー自身が直接的にヘーゲルを参照したかどうかは明確ではありませんが、彼の作品にはヘーゲルの思想の影響が見られることは一般的に認められています。

User:
『白痴』にはミーシャという人物は出てきませんが?

ChatGPT:
申し訳ありません、誤った情報を提供してしまいました。『白痴』(The Idiot)には主人公の名前はミーシャではありません。

『白痴』の主人公はプリンス・リョーチンスキー(Prince Myshkin)です。彼は精神的な疾患や社会的な不適応を抱えながらも、純粋な善良さと慈悲深さを持つ人物として描かれています。彼の存在は、他の登場人物たちとの相互作用を通じて、人間の複雑な心理や道徳的な問題を浮き彫りにします。

ご指摘いただき、誤った情報を訂正させていただきありがとうございます。ドストエフスキーの作品に関して正確な情報を提供するように努めますので、お手数ですが他に質問がありましたらどうぞ。

User:
『白痴』の主人公はムイシュキン公爵です。

ChatGPT:

申し訳ありません、再度の誤った情報を提供してしまいました。正しくは、『白痴』(The Idiot)の主人公はムイシュキン公爵(Prince Myshkin)です。おっしゃる通り、彼こそが作品の中心的なキャラクターであり、物語は彼の周りで展開されます。

ムイシュキン公爵は、純粋で善良な性格を持つ人物として描かれていますが、社会的な環境や他の登場人物たちとの関わりの中で彼自身の葛藤や苦悩に直面します。彼のキャラクターは、ドストエフスキーが探求する人間の善と悪、道徳的なジレンマ、そして社会的な変革の問題に触れる上で重要な役割を果たしています。

再度の誤りによりご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。正確な情報を提供できるように注意し、今後の回答についても慎重になります。何か他の質問がございましたら、お気軽にお知らせください。

User:
『地下室の手記』と『悪霊』にもヘーゲル的なものが感じられるでしょうか?

ChatGPT:
『地下室の手記』(Notes from Underground)と『悪霊』(DemonsまたはThe Possessed)は、ドストエフスキーの作品の中でも重要な二つです。

『地下室の手記』は、主人公である「地下室の男」が一人称で語る内省的な物語です。この作品は人間の心理や道徳的な葛藤、孤独さに焦点を当てており、ヘーゲル的な要素が感じられるかどうかは議論の余地があります。一方で、作品の中で地下室の男が自己の存在を自問し、他者との関係や社会のあり方について考える点は、ヘーゲルの倫理学や社会哲学と関連付けられることがあります。また、作中での地下室の男の独白は、彼自身の内面的な闘争と社会的な葛藤を反映しているとも言えます。

『悪霊』は、19世紀のロシア社会を背景に、政治的な過激主義や精神的な崩壊を描いた作品です。ヘーゲル的な要素が感じられるかどうかは、作品全体の複雑さと多様性を考慮する必要があります。『悪霊』は政治的なアイデオロギーや倫理的な価値観の対立を描き、ヘーゲルの歴史哲学や社会的な発展に関する思考と関連付けることができるかもしれません。しかし、作品の中には他の哲学的な影響や社会的な要素も存在し、ヘーゲル的なアイデアだけで作品を説明することは困難です。

これらの作品はドストエフスキーの多面的な思考や複雑なテーマを含んでおり、個々の要素を一つの哲学的な枠組みに限定することは難しい場合があります。ヘーゲルの思想はドストエフスキーに影響を与えた可能性がありますが、その影響を明確に特定することは困難ですし、作品の解釈は個人の見解によっても異なる場合があります。

(ChatGPTへの質問終了。質問・回答は2023年5月14〜21日のものです)