Medical Dostoevsky&My Dostoevsky

<抜粋>


[ドストエフスキーの“特徴的な表現方法”について]
「読者への返信」から。米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集18:書簡下』) 


『作家の日記』の読者から届いた手紙への返信(全文)を引用する。未知の読者を相手に、自らの表現方法について、“すっかりしゃべり込んでしまって”いる。相手の女性がうらやましくなるような心のこもった手紙である。
(下原康子)



H・D・アルチェーフスカヤヘ
(著名な教育者。彼女のイニシアチブで教師たちの教育日記の制度が導入された。[新潮社全集による])

ペテルブルグ、一八七六年四月九日

尊敬してやまぬフリスチーナ・ダニーロヴナ!

折り返しお手紙に返事をださなかったことを、深くお詫びします。三月九日付のお手紙をちょうだいした時、小生はすでに仕事に着手していたのです。小生はだいたいその月の二十五日までに仕事を終わることにしていますが、印刷屋との交渉、つづいて発送その他の雑務が残るわけです。そのうえ、今月は風邪で臥てしまって、今でもまだはっきりしないのです。あなたのお手紙は小生に非常な満足を与えました。ことに添付された日記の一章は素晴らしいものでした。

しかし、小生は、あなたが、「よきもののみを見る」素質を備えた人の一人である、という結論を引き出しました。もっとも、チェルトコーヴァ女史の育児院については、小生は何ひとつ知りません(しかし、機会のあり次第、知ろうと思っています)。小生の信ずるところでは、すべてあなたの書いておられるとおりでしょうけれど、それと並んで、何か望ましくないものもあるに相違ありません。それをあなたは見ようとなさらなかったのです。それは一つの性格を表明しているのであって、小生はほかならぬこの特質のために、あなたを尊敬するものです。のみならず、あなたご自身あたらしい人の一人で(この言葉のよき意味において)、行動派であり、行動を欲しておられます。小生はたとい書面の上だけでも、あなたと近づきになったのを快とします。

この夏は医師がどこへ小生をさし向けるか知りませんが、もう二年も行っているエムスだろうと思います。しかし、コーカサスのエセントゥキかもわかりません。もしそうだったら、少しはまわり路になるかもしれませんが、帰途ハリコフヘ寄ります。小生はわが国の南部へついぞ行ったことがないので、もう前から行って見たいと思っていました。その時は、もし神様のお引合わせがあり、またあなたがその光栄を与えてくださるなら、親しく相識の間になろうではありませんか。

あなたは、小生が『日記』の中で自分の力を「小銭に両替えしている」というご意見を伝えてくださいました。ここでも小生にそういった人があります。が、しかし、小生はわけても、次のように申し上げたいと思います。文学者は詩のほかに、自分の描こうとする現実を微細な点まで正確に(歴史的にも、流動せる現在の姿においても)知らなければならないという、確固不動の結論に達したのです。

小生にいわせると、わが国では、この点で断然光っているのは、レフ・トルストイ伯爵一人だけです。小生が長編作家として高く買っているヴィクトル・ユーゴーは(ところが、どうでしょう、小生のこの言葉に対して、故人のチュッチェフは小生の長編『罪と罰』のほうが、『ミゼラブル』より優れているといって、小生に腹を立てたくらいです)、デテールの研究で時として冗長に陥ることもありますが、じつに驚くべき幾多のエチュードを示していて、もしユーゴーという人がいなかったら、そういう事実はまったく世に知られずに終わったかもしれないほどです。

そういうわけで、一つの厖大な長編を書こうと心組んでいる小生は、とくに研究に没頭しようと思いついたのです。現実の研究ではありません。現実一般については、それでなくても小生は知識を持っています。流動せる現在の詳細を研究したいのです。この流動せる現在の中で、小生にとって最も重大な問題の一つは、例えば、若き世代であり、それと同時に、現代ロシヤの家庭です。これは小生の予感するところによると、つい二十年のそれとは非常に異なったものだと思います。しかし、そのほかにもまだいろんなことがたくさんあります。

なにぶんにも五十三歳ですから、ちょっとでも怠慢な態度を取っていたら、さっそく時代に遅れるおそれがあります。小生は二、三日前にゴンチャロフに会ったので、流動せる現実のいっさいを理解するか、それとも何やかやはもう理解できなくなったかと、ぶしつけな質問を発したところ、それに対して、多くのことは「理解できなくなった」と率直に答えたものです。もちろん、彼がたいした頭悩の所有者で、理解できるばかりではなく、教師連を教えることさえできるのは、小生も腹の中で心得ておりますが、しかし、小生のたずねたような意味では(彼もそれを、四分の一もいわないうちから了解したのです)、彼は理解しないというよりも、むしろ理解することを欲しなかったのは、申すまでもありません。「わたしにとって大切なのはわたしの理想です、わたしがこれまでの生涯で愛し抜いたものです。だから、わたしに残されたわずかな年月を、それといっしょに過ごしたいのです」と彼は付け加えました。「あの連中を(と彼は、ネーフスキイ通りを歩いている群集を指さしました)、研究するのはわたしにとって重荷なのです。なぜといって、彼らのためにわたしは貴重な時間が費やされているからです……」

フリスチーナ・ダニーロヴナ、小生の表現のしかたがわかっていただけるでしょうか。しかし、小生はまだ何にもせよ対象を十分に知り抜いて書きたい、そういう気持ちにひかれているので、それがためにしばらくのあいだ研究をしながら、それと並行して、多くの印象が消えてしまわないために、『作家の日記』をだしていくわけです。

これらすべて、いうまでもなく、理想です! 例えば、あなたは信じてくださらないかもしれませんが、小生はまだ自分でも『日記』の形式をはっきりさせることができないのです。また、いつかそれに成功するかどうかさえ、わからない始末です。右の次第で、『日記』はだいたい二年くらい続くでしょうが、みんな失敗した作品ばかりになると思います。例えば、小生は机に向かって筆をとると十も十五もテーマが浮かんでくるのです(それ以下ではありません)。しかし、自分のいちばん好きなテーマは、自然とあとまわしになるのです。あまり誌面を取りすぎるし、あまりに多くの情熱を奪われるからです(例えば、クロネベルグの事件など)。それではその号ぜんたいが損われてしまいます。変化がなく、文章の項目が少なくなるからです。そこで、書こうと思ったのと違うものを書くことになります。

また一方、小生はこれがほんとうの『日記』になるものと、あまりにもナイーヴに考えていたのです。ところが、ほんとうの『日記』はほとんど不可能で、ただ読書大衆への見せかけに過ぎません。小生はさまざまな事実に遭遇して、おびたがしい印象を受け、それで頭がいっぱいになるのですが、しかし、中にはどう書いていいかわからないことがあります。時として頭から不可能な場合がありす。

例えば、小生はもうこれで三か月というもの、ありとあらゆる方面から、実におびただしい手紙をもらっています。署名したのもあれば無名のもありますが、ことごとく同情を寄せたものばかりです。中にはきわめて興味のある、奇抜な書き方をしたのもあります。なおその上に、現に存在しているありとあらゆる思想傾向が、そこに網羅されているのです。このありとあらゆる思想傾向が、小生に対する好意に溶け合ったということについて、小生は一文を、草したかったのです。そして、ほかならぬこれらの手紙の印象について語ったうえ(名前を発表しないで)、つづいて最も小生の心を捕えた感想、「われわれの共通点ははたしてどこにあるのか、種々さまざまな思想傾向を有するわれわれが、すべて一つになることのできる合流点は、はたしてどこにあるのか?」という問題を追及したかったのです。しかし、すでにその文章を構想してから、誠心誠意をもって書くことは絶対に不可能であるということを、忽然として見きわめたのです。ところで、もし誠意が伴わなかったら、いったい書く値打ちがあるでしょうか? それに、熱い感情もないでしょう。

とつぜん、一昨日の朝のことでしたが、二人の娘さんが小生の家へやって来ました。どちらも二十くらいの年恰好でしたが、入って来るといきなり、「わたしたちはもう大斎期の時分から、あなたとお近づきになりたいと思っていたのですが、みんなはわたしたちのことを笑って、会ってなんかもらえやしない。よしんば会ってもらえたとしても、なんにも話なんかしてもらえないだろう、というんですの。でも、わたしたちはひとつ運だめしをすることにきめて、こうしてお邪魔にあがりました。これこれというものです」。はじめ妻が面接したのですが、あとから小生も出て見ました。二人の話によると二人ながら医科大学の学生で、そこにはもう五百人からの女学生かいるそうです。二人が医科大学へ入ったのは、「最高の教育を受けて、その後、社会に貢献したいからだ」そうです。こうした新しいタイプの娘さんには、小生は今まで会ったことかありません(古いニヒリストの女はうんと知っています。個人的に知り合っていて、よく研究しました)。あなたは信じてくださるかどうか知りませんが、この二人の娘さんと過ごした二時間のような、楽しい時を持つことはめったにありません。なんという単純さ、自然さ、感情の新鮮さ、情知の純潔さでしょう。これこそ、最上の真実なまじめさです、最上の真実な快活さです!

もちろん、小生は彼女らをとおして、同じような多くの娘さんと知り合いになりました。そして、正直に申しますが、その印象は力強い明るいものでした。しかし、これをどんなふうに描いたものでしょう? 誠心誠意をもって、しかも、若い人々に対する喜びをこめて書くということは、不可能です。それに、ほとんど個人的なことになってしまいます。そうだとすれば、小生はそもそもいかなる印象を記入すべきでしょう? 

昨日もとつぜんこういうことを聞きました。まだ学校へ行っている一人の青年が(どこの学校かはいえません。しかし、小生はその青年を、あれがそうだといって教えられました)、知人の家へ行った時、その家の子供たちを教えている家庭教師の部屋へ入ったところ、そのテーブルの上に国禁の書を発見したので、それを家の主人に告げ口したものですから、家庭教師はさっそく追っ払われてしまいました。この青年が今度は別の知人の家へ行った時、きみのしたことは卑劣だと注意されたのですが、当人はその意味が分からなかったそうです。これが楯の反面です。さて、小生は、これをどんなふうに物語ったものでしょう? それは個人的なことですが、また同時に個人的なこととばかりもいえません。小生の聞いたところによると、彼の理解を妨げた思考と確信のプロセスが、大いに特徴的なのであって、それについて興味のある言葉を述べることもできるのです。

しかし、すっかりしゃべり込んでしまいました。そのうえ、小生は手紙を書くことが下手なのです。乱筆おゆるしください。小生は流行感冒にかかって、頭が痛むし、それに今日は目もしくしくするので、ほとんど字を見ずに書いているのです。どうか握手をお許しください。そして、深くあなたを尊敬する多くの人々の列に小生をも加えてくだされば光栄です。敬白

                           F・ドストエーフスキイ