ドストエフスキーとてんかん/病い
ドストエーフスキイ全作品を読む会 読書会通信 No.148付録(2015.2)



ドストエフスキーの小説におけるてんかん

Piet.H.A.Voskuil  下原 康子 訳

論 文 名:Epilepsy in Dostoevsky's novels (1821-1881)
著 者 名:Piet.H.A.Voskuil
所  属:Hans Berger Clinic for Epilepsy, Oosterhout, The Netherlands
掲載雑誌:Front Neurol Neurosci. 2013;31:195-214. doi: 10.1159/000343236. Epub 2013 Mar 5.



訳者まえおき

著者のPiet.H.A.Voskuil はオランダのハンス・ベルガーてんかんクリニックの医師である。彼は1983年、「Epilepsia」という雑誌に「ドストエフスキーのてんかん」という論文を書き、ドストエフスキー自身の病歴を論じた。それから30年を経て発表したのがこの論文である。ここでは、ドストエフスキーの作品の登場人物たちの発作について論じている。その方法として5つの作品から13人の人物の発作の場面を引用しコメントを加えた。論文の大半が作品の引用から成り、「ドストエフスキー登場人物のてんかん百科」の様相を呈するユニークな医学論文である。

訳者注

日本語訳の引用には次の訳本を採用した。引用部分は青で表示した。
引用の後に該当する(頁)[部・編・章]を付記した。

1.主婦 
米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集 第1巻』河出書房新社 1969 
2.虐げられし人々 
米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集 第7巻(上)第8巻(下)』河出書房新社 1969 
3.白痴 
米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集 第7巻(上)、第8巻(下)』河出書房新社1969 
4.悪霊 
江川卓訳『悪霊 上・下巻』新潮文庫 1971 
5.カラマーゾフの兄弟 
江川卓訳『カラマーゾフの兄弟』(世界文学全集19 集英社 1975)





ドストエフスキーの小説におけるてんかん


Piet.H.A.Voskuil 著  下原 康子 訳


要 約

フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(1821-1881)はてんかんに苦しんだ。彼の小説の登場人物の約25%に精神病理学におけるいくつかのタイプが見出される。その数人には発作があり、ドストエフスキーはその中の少なくとも5人については、はっきりとてんかん者として描いている。その他は、ヒステリーや憑依(possession)を持つ人物などである。ここでは、5つの小説におけるてんかん発作の種々のタイプを考察する。

小説における発作の名称は、19世紀の疾病分類学の概念に基づく語彙、それらの概念におけるドストエフスキー自身の知識や経験、翻訳による限定の上で名付けられている。ドストエフスキーが表現したものを正しく理解するために、これらのファクター、その中でもとりわけecstatic aura(エクスタシー前兆)と呼ばれる発作に関して注意が必要である。焦点てんかん性発作の一種であるこの病態は非常にまれなので、過去には、キリーロフやムイシュキンのてんかんの描写はドストエフスキーの創作とされたこともある。しかしながら、人間の多面性を統合するドストエフスキーの天才的な多声的創造力や登場人物に見られるロシアの魂に対する驚異の気持を抱きつつ、科学的・分析的な考察がなされなればならない。


フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(1821-1881)はてんかんに苦しんだ。彼の病歴に関しては、伝記、作家の日記、手紙、回想録などの優れた記録がある(1-7)。医学論文においてはおおかたの著者がドストエフスキーの発作を部分てんかんに分類し、最初の発作が二次性全般化に至ったとしている(8-12)。全般てんかんとしていたガストーは、後にドストエフスキー作品の登場人物の多彩な病態を検討し直して改訂を行った(13,14)。Hughes と Seneviratne もほぼ同様の見解を示した(15,16)。しかしながら、小説の登場人物で描写したエクスタシー前兆[ecstatic aura](部分的な辺縁系発作の徴候である)については、これがドストエフスキー自身の体験であったかどうかという疑問は依然として残されている。とはいえ、ドストエフスキーには多彩な症候を伴う複雑部分発作が見られたのは確かである。Seneviratne は、ドストエフスキーの発作の症候学と小説の登場人物を比較分析した(16) 。

この著述において、私はドストエフスキーの小説で描かれたさまざまな発作について考察する。そのために小説中で発作に言及した部分や関連する場面の描写を引用する。
考察にあたっては、ドストエフスキー自身の体験、 彼の医学知識、パーソナリティー障害の可能性も踏まえた上での19世紀におけるてんかんの概念、そして、これらの概念に基づく語彙の字訳および翻訳などの間に生じる複雑な相互関係などに細心の注意を払うつもりである。取り上げる作品と登場人物は以下のとおりである。てんかんとは異なる種類の発作を持つ登場人物にも言及する。
 


1.主婦:ムーリン、オルディノフ、カチェリーナ
2.虐げられし人々:ネルリ、ナターシャ
3.白痴:ムイシュキン
4.悪霊:キリーロフ
5.カラマーゾフの兄弟:ソフィア、アリョーシャ、わめき女、カチェリーナ、リーズ、スメルジャコフ



1.主婦(The Landlady)

引用:米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集 第1巻』河出書房新社 1969 

世間から離れて暮らしていたオルディノフ青年は下宿を捜していた。安い部屋をムーリンという老人から又借りする。ムーリンはカチェリーナという若い美女と住んでいた。カチェリーナは、メフィストフェレス的な千里眼の持ち主であるムーリンの心理的な影響下にある。カチェリーナとオルディノフは、互いの気持を高ぶらせていく。両者とも感情が揺すぶられ意識がかき乱されると、それが肉体に影響を及ぼす傾向が強い人物である。

ムーリンの発作
 
ムーリンは床に倒れていたのである。痙攣に全身をひくひくさせ、顔は苦痛にひん曲がって、歪んだ唇には泡が見えていた。オルディノフは悟った。不幸な老人はいとも烈しいてんかんの発作におそわれたのである。(348)[1-2]

ムーリンはオルディノフに明らかにする。


「お前さんだって時々は、たちの悪い病気を起こすかも知れやしないからね。ところが、わしには時々それがあるんでね。わしは、これも」とカチェリーナの方をあごでさしながら彼はこういった。「ついこの間、わしは、これの胸を刀で突きさすところでしたよ・・・わしは病人でな、時おり発作が起こるものだから・・・」(378)[2-2]


オルディノフの発作

オルディノフについてはてんかん性イベントを疑われる場面は次の一回のみである。そのほかでは頻発する発作への言及はまったくない。したがって彼の発作は情動的な反応だったと思われる。あるいは偽てんかん性の発作の可能性も残る。

しだいしだいに、我ながら自分がどうなっているかわからず、ベッドに腰をおろした。彼は眠りに落ちたような気がした。時おり、はっと気がついて、これは眠りというよりも、何か悩ましい病的な自己忘却だ、と思いあたるのであった。・・・彼は身を起こして、もう主人夫婦の方へ行っているような気がした。と、老婆が部屋の真ん中へ放り出していた薪の山につまずいて、ぱったり倒れた。その時、彼は完全に前後不覚になった。それから、長い長い時間が経って後、ふと目をあけて見ると、やはり同じベッドの上に、着の身着のまま寝ているのに気づいて、愕然とした・・・手は鉛のように重く、動かなかった。彼はさながら全身麻痺したかのよう、ただ血が体じゅうの血管を躍り狂いながら、彼を寝床の上に浮かすような感じがするばかりであった。だれか水を飲ませてくれた・・・ついに彼は失神した。(340-341)[1-2]

カチェリーナの発作

カチェリーナの発作の描写は一回のみ。てんかんの可能性はあるが、これ以前のまたはこれ以後に頻発する発作は描かれていない。

カチェリーナは布のように真っ青な顔をして座っていた。彼女は身じろぎもせず空を見つめていたが、唇は死人のような紫色をして、目は音に立てぬ苦悩に曇っているのであった。彼女はゆるゆる身を起こし、二足ばかり歩みを運んだが、きぬを裂くような叫びとともに聖像の前に倒れて・・・ちぎれちぎれなとりとめのない言葉が、その胸からほとばしり出るのであった。彼女は正気を失った。(362)[2-1]



2.虐げられし人々(Humiliated and Insulted)

引用:米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集 第3巻』河出書房新社1969 
  
てんかんを患う登場人物は12、3歳の少女エレーナである。彼女の死んだ母は彼女をネルリと呼んでいた。ネルリの祖父のスミットも娘(ネルリの母)が死んで数週間後に無感覚な状態のまま死ぬ。ネルリ自身も心臓病をわずらっている。

ネルリの心臓病

けれど、ことにわたしをおどろかせたのは、彼女の不思議な心臓の鼓動であった。だんだん激しく動悸を打って、しまいには動脈瘤にでもかかっているように、三歩も隔てたところから聞き分けられるくらいであった。(122)[2-3]
「そうです、非常に近いうちに必ず死んでしまいます。あの病人は、心臓に生まれながら欠陥があるから、ちょっと面白くない事情に出くわすと、またすぐ病気が再発します。(282)[4-2]

ネルリの発作

しかし、この瞬間、きぬを裂くような、この世のものとも思えぬ叫び声が響き渡った。見ると、まるで気を失ったように、立っていたエレーナが、とつぜんもの凄い不自然な叫び声と共に、ばったり地面に倒れて、恐ろしい痙攣に身をもがいているのであった。てんかんの発作が起こったのである。(129)[2-4]

「あれにはてんかんの持病があるんです」とわたしは答えた。(238)[3-7]

彼女は何ものかを恐れるかのように、わなわなと身を慄わせながら、ひしとわたしに寄り添って、早口にとぎれとぎれになにやら話し出した。それはさながら、すこしでもわたしにその話をしようと思って待ち侘びていたもののようであった。けれど、彼女の言葉はとりとめがなく、奇妙であった。わたしは何一つ合点がいかなかった。彼女は熱に浮かされていたのである。(279)[4-1]

ついに何か想念に似たあるものが、彼女の顔に現れた。激烈なてんかんの発作の後、彼女は普通しばらくの間、考えをまとめることも、明瞭に言葉を発音することもできなかったのである。今度もやはりそうであった。並々ならぬ努力をしながらわたしに何か言おうとしたが、わかってもらえないのを見ると、彼女は小さな手を差し伸べて私の涙を拭きにかかった。やがて、わたしの首に手をかけて自分の方に引き寄せると、いきなりわたしに接吻した。もう明瞭であった。わたしの留守に彼女は発作を起こしたのだ。しかも、ちょうど扉口のところに立っている時に起こったのである。発作が起きてからも、彼女はおそらく長い間、われに返ることができなかったに相違ない。その時、現実が夢魔と入りまじって、彼女はまぎれもなく何か恐ろしい、ぞっとするようなものを見たような気がしたのだろう。同時に彼女は、わたしが間もなく帰ってきて、戸を叩くはずだということを、かすかながらも意識していたので、閾際の床の上に横になったまま、わたしの帰りを今か今かと待っていたために、わたしがちょうど戸を叩くと、すぐさま起きあがったのである。
「それにしても、どうしてちょうどあの戸口のとこなんかにいたのだろう?」とわたしは考えたが、ふと彼女が外套を着ているのに心づいて、びっくりした。してみると、彼女はどこかへ出かけるつもりでおそらく扉まで開けようとした途端に、てんかんの発作におそわれたものであろう。いったいどこに行くつもりだったのだろう?ひょっとしたら、もうその時から熱に浮かされていたのではあるまいか?しかし、熱はいっこうにさめないで、彼女はやがてうわごとを口走り、人事不省に陥った。わたしの家へ来てから、もう二度発作が起こったけれど、いつも大したことなしにすんだ。が、今は確かに悪性に熱病にかかっているのだ。三十分ばかり彼女の傍に付き添っていた後、わたしはソファ小いすをつぎ足して、着の身着のままで、彼女の傍に横になった。もし呼ばれたら、すぐに目が醒めるようにという用意であった。蝋燭は消さなかった。わたしは寝入る前に、幾度もしげしげと彼女を眺めた。彼女は真っ青な顔をして、唇は熱のためかさかさになり、おそらく倒れた時の怪我だろう、血が滲んでいた。(280)[4-1]

彼女は妙にじっといつまでも彼を見つめていた・・・「お母さん、お母さんはどこにいらしゃるの?」と彼女は前後も覚えぬさまで言った。「あたしのお母さんはどこなのよう?」慄える両手をわたしたちのほうへ差し伸べながら、彼女はもう一度こう叫んだ。と、不意に恐ろしいもの凄い叫びが、彼女の胸からほとばしり出た。痙攣がその顔を走ったと思うと、彼女は烈しい発作に打たれて、床に倒れた。(351-352)[4-9]

とうとうネルリは気分が悪くなってきたので、もとの寝床につれていかれた。老人はびっくり仰天して、ネルリにああ長くしゃべらせたのを口惜しがっていた。彼女は、何か失神に似た発作が起こったのである。(365)[エピローグ]

彼女は二週間たって死んだ。この苦しい二週間の間、彼女は一度もはっきり正気づくことができず、したがって、その奇怪な幻想からのがれることができなかったのである。彼女の理性は混濁したかのようであった。(377)[エピローグ]


ナターシャの発作

もう一人のヒロインのナターシャが意識障害をきたした場面が一回ある。

わたしは彼女を抱きとめて、部屋の中へ連れて行った、彼女は気絶したのである。どうしたらいいのだろう?とわたしは考えた。彼女はひどい熱病を起こすに相違ない、それは間違いのない話だ!(324)[4-6]

「はじめの間はまったくのところ、あの人のいうことがよくわからないようなあんばいでしたわ。ただじっといつまでも、あの人を見つめていたことだけは覚えていましたの」(325)[4-6]

再び部屋の中に駆け込むと、医者がナターシャを抑えつけている姿が目に映った。彼女は発作でも起こしたようにのたうちまわって、医者の手からのがれようと身をもがいていた。わたしたちは長い間、彼女を落ちつかせることができなかった。ついにようやく寝床へ入れることができたけれども、彼女はまるで熱に浮かされているようであった。(328)[4-6]


ネルリに関しては、てんかん、ヒステリー、失神など種々のタイプの発作を起こしていたことが確認できる。ナターシャの発作に関しては、心因性の偽てんかん性発作の特徴をより多くそなえている。



3.白痴 ( The Idiot)

引用:米川正夫訳『ドストエーフスキイ全集 第7巻(上)、第8巻(下)』河出書房新社1969 
   
レフ・ニコラエヴィチ・ムイシュキンの風貌

ニ十六か七かの青年で、中背というより少し高く、ふさふさとしてつやのある亜麻色の髪、こけた頬、ほとんど真っ白な楔形をしたひとつまみほどのあご髭を生やしている。大きな空色の眼はじっとすわって、何ものかを見るときは、静かではあるけれど、重々しい奇怪な表情に充たされるのであった。ある種の人はこうした表情を一目見ただけでてんかんの徴候を発見するものである。・・・彼は長く、四年あまりもロシアにいなかった。病気のために外国にやられたのである。それはなんだか一種不思議な神経病で、からだがふるえて引きつる、いわばてんかんか、ウィット氏舞踏病のようなものであった。相手の物語を聞きながら、色の浅黒いほうは幾度かにやりと笑ったが、ことに彼が「どうだね、癒ったかね?」と聞いたのに対して、「いや、癒らなかったですよ」と答えたときなどは、手放しで笑い出した。(上6)[1-1]

彼はなんとなくそわそわしていた、何かしら心配ごとでもあるらしくひどくそわそわしていて、なんとなく様子が変に思われるくらいであった。ときには聞くことも耳に入らず、見ることも目に入らなかった。どうかした拍子に笑っても、すぐに何がおかしくて笑ったのか忘れてしまって、どうしても思い出せなかった。(上9)[1-1]

彼は持病の発作が頻繁なため、ほとんど白痴同然になってしまった(公爵も自分でそう言った、白痴と)。(上30)[1-3]


スイスで彼を治療したのはシュナイデル医師であった。

シュナイデルはそれからなお二年ばかり、彼を養って治療につとめ、すっかり全治こそしなかったものの大変よくなったので、今度とうとう彼自身の希望もあり、またある事情にも遭遇したので、教授は彼をロシアに帰すことにした、その顛末を公爵はもれなく語った。(上30)[1-3]

ムイシュキンの発作

「発作?」と公爵はいささか驚いて「発作はごくたまにしかありません。けれど、よくはわかりません。ここの気候はぼくのからだに悪いっていいますから」(上56)[1-5]

「それは持病がつのって、激しい苦しい発作が引き続きおこったあとでした。ぼくは病気がひどくなって、発作が引きつづいていくども起こると、いつも脳の働きがまるっきり鈍くなって、記憶がすっかりなくなってしまったものです。それでも頭はどうにか働いていますが、思想の論理的流れというものが途絶えがちなのでした。二つか三以上の観念を順序を追って結び合わすってことが、ぼくにはできなかったのです。まあ、そんな具合だったと思います。しかし、発作がしずまると、また健康が回復すれば元気も出て、今と変わりありませんでした。今でも覚えていますが、そのときぼくの心の憂鬱はやりきれないほどでした」(上58)[1-5]


以上の引用は、ほとんどがドストエフスキー自身の体験であったと思われる。おそらく、以下のエピソードも。

「ぼくは、牢屋の中に十二年入っていた男の話を聞きました。それはぼくの先生の患者で、いっしょに治療を受けていた男です。てんかんの発作がありましてね、ときどき落ち着かなくなって、泣くんです。一度なんか自殺しようとまでしました。その男の牢獄内の生活はじつに悲惨なものでしたが、もちろん銅貨式のけちけちしたものでないことは、誓ってもよろしゅうございます。その男のなじみといっては、ただ雲と窓の外に生えている小さな木だけだったのです・・・でもそれよりか、いっそぼくが去年別の男と会ったときのことを話したほうがよさそうです。それには一つじつに奇妙なできごとがあるんです。奇妙だというのは、つまり、あまり類のないお話だからです。この男はあるときほかの数名の者といっしょに絞首台にのぼらされました。国事犯のかどで銃殺刑の宣告を読み上げられたのです。ところが、それから二十分もたって特赦の勅令が読み上げられたのです、罪一等を減じられました」(上62-63)[1-5]

ムイシュキンの発作直前の意識状態

「さっき汽車からおりたときに見た二つの目が、今きみがぼくを後ろから見ていた目つきにそっくりそのままなんだもの」「へえ!いってえだれの目だったんだろう?」とラゴージンはいぶかしげにつぶやいた。公爵は、彼がピクリとふるえたような気がした。「もっとも、人込みの中だったから、そんな気がしたばかりかもしれないよ。ぼくはこのごろよくそんなことがあるようになった。ねえ、パルフェン、ぼくはなんだかしだいしだいに、五年前よく発作がおこったときと、同じような心持ちになっていくみたいだ」(上216)[2-3]

気の落ちつかぬような調子でこんなことを言いながら、公爵はまたしても例のナイフを取り上げようとした。すると、ラゴージンはまたそれを彼の手からもぎ取って、テーブルの上の放り出した。(上228)[2-3]

彼が絶え間なく周囲を見まわしてなにやら捜し求めている自分に心づいたちょうどそのとき、彼はとある小店の窓にちかい歩道に立って、そこに並べてある一つの品を一心にながめていたことを思い出したのである。自分がたった今、わずか五分間ばかり前にこの店の窓ぎわに立っていたのは、はたして現実であったのか、ただの幻想ではなかろうか、なにか別のことといっしょにして考えているのではなかろうか、彼はどうしても今すぐに実否を正したい気がした。ほんとうに、この店とこの品は、この世に存在しているのか?彼はきょう自分がことに病的な気持ちにとらえられているのを感じた。それは以前病気の激しかったとき、発作の襲おうとするまぎわによく経験したのと、ほとんど同じ気持ちであった。こうした発作のおこりそうなときの彼は、自分でも知っていたが、おそろしくぼんやりしてしまって、よくよく注意を緊張させて見ないことには、人の顔やその他のものをいっしょくたにして、間違えることが多かった。けれども、はたして自分がそのとき、その店の前に立ったかどうか、じっさいのところを突きとめたいとあせったのには、特別な原因があった。店の飾り窓に並べてある商品の中に一つの品物があった。彼はそれを見つめて、銀貨で六十コペイカと値をふんだことさえ、ぼんやりした不安な状態に陥っていたにもかかわらず、よく覚えていた。もしこの店が真に存在していて、この一品がほかの品物といっしょに並べてあったとすれば、当然彼はただこの一品のためにのみ、ここへ足をとめたことになる。してみると、この一品は、彼が停車場を出たばかりで重苦しい錯乱を感じているときでさえ、その注意を向けさせるだけの強い力を持っているものといわねばならぬ。(上236-237)[2-5]


エクスタシー前兆

これらすべてのことはぜひとっくりと考えてみなければならぬ。あの停車場のことも幻覚ではない。なにかしらしっかりと現実に根ざしたものが彼の身におこったので、以前から彼を苦しめている不安の念も、かならずやこれと関連しているに違いない。これはもはや疑う余地のないほど明瞭になってきた。けれども、心内に巣くう絶えがたい嫌悪の情がまた力を増してきて、彼はなんにも考えたくなくなった。彼はこのことを考えるのはよして、まるっきり別なもの思いにふけりはじめた。

さまざまなもの思いのうちに、彼はまたこういうことも思ってみた、彼のてんかんに近い精神状態には一つの段階がある。(ただし、それは意識のさめているときに発作がおこった場合のことである)それは発作の来るほとんどすぐ前で、憂愁と精神的暗黒と圧迫を破って、ふいに脳髄がぱっと焔でも上げるように活動し、ありとあらゆる生の力が一時にものすごい勢いで緊張する。生の直感や自己意識はほとんど十倍の力を増してくる。が、それはほんの一転瞬の間で、たちまち稲妻のごとく過ぎてしまうのだ。そのあいだ、あらゆる憤激、あらゆる疑惑、あらゆる不安は、諧調にみちた歓喜と希望のあふれる神聖な平穏境に、忽然と溶けこんでしまうかのように思われる。

しかし、この瞬間、この後輝は、発作がはじまる最後の一秒(一秒である、けっしてそれより長くはない)の予感にすぎない。この一秒が堪えがたいものであった。彼はすでに健康なからだに返ってから、この最後の瞬間のことを回想して、よく自問自答するのであった。すなわち、この尊い自己直感、自己意識、つまり《尊い志純な生活》の明光もひらめきも、要するに一種の病気であり、ノーマルな肉体組織の破壊にすぎないのだ。とすれば、これがけっして尊い志純な生活どころではなく、かえって最も低劣な生活とならなければならぬ。こうも考えたけれど、彼はやはり最後には、きわめて逆説的な結論に達せざるをえなかった。「いったいこの感覚がなにかの病気ならどうしたというのだ?」彼はとうとうこんなふうに断定をくだした。「この感覚がアブノーマルな緊張であろうとなんであろうと、すこしもかまうことはない。もし、結果そのものが、感覚のその一刹那が、健全なとき思い出して仔細に点検してみても、いぜんとして志純な諧調であり、美であって、しかも今まで聞くことはおろか、考えることさえなかったような充溢の中庸と和解し、志純な生の調和に合流しえたという、祈祷の心持ちに似た法悦境を与えてくれるならば、病的であろうとアブノーマルであろうと、すこしも問題にならない!」

漠としたこの思想は、まだまだきわめて脆弱なものであったが、彼自身にはこの上なく明瞭であった。とまれ、これが真に《美であり祈祷》であり、また志純なる生の総和であることについて、彼はつゆ疑うことができなかった。またそのような疑念をさし挟む余地がないように思われた。じっさいにこれは、理性を腐触させ霊魂を賎劣にするハッシシュや阿片や酒が原因になったアブノーマルな非実在的なある腫の幻影が、夢のように彼を襲うたのとはわけが違う。これは病的な状態が終わったのちに健全な頭脳を持って、彼が判断しえたところである。つまり、こうした一刹那の感じは、自己意識の、もしそれを一語で言い表す必要があるならば、自己意識であると同時に、最高の程度における直裁端的な自己直観の、異常な緊張としかいいようがない。もし、その一刹那に、つまり発作前、意識の残っている最後の瞬間に、「ああ、この一刹那のためには一生涯を投げ出しても惜しくはない!」とはっきり意識的にいういとまがあるとすれば、もちろん、この一刹那それ自体が全生涯に値するのである。

もっとも、自分の議論の弁証的方面には、彼もあまり力を入れようとしなかった。ただ、心内の暗くにぶくなったような痴愚の感じがこの《志高なる刹那》の明白な結果として彼の前にたちふさがるのであった。むろん、彼とても、むきになってこんなことを人と議論などしないだろうが、しかし、彼の結論には、つまりこの一刹那の評価には、疑いもなく誤謬があったに相違ない。が、やはりなんといっても、この感触の現実的なことはいくぶん彼を当惑させたのである。まったく現実に対してはなんとも仕方がないではないか?なんといっても、これはじっさいにあったことなのだ。なんといっても、彼はじっさいそうした一刹那に、「いま自分がはっきりと感じるかぎりなき幸福のためには、この一刹那を全生涯に代えてもいい」というだけの暇があったではないか。

彼は一時モスクワで仲のよかったラゴージンにこういったことがある。「この一刹那に、ぼくはあの“時はもはやなかるべし”という警抜な言葉が、なんだかわかってくるような気がした」それからほほえみながらつけ足して「あのてんかん持ちのマホメットがひっくり返した水瓶から、まだ水の流れ出さぬさきに、すべてのアラーの神の棲家を見つくしたというが、おそらくこれがその瞬間なのだろう」(上237-239)[2-5]


同時に、ムイシュキンは、ぼんやりとした脅威的な感覚にも襲われる。

自分の《思いがけない想念》を吟味しているのが、にわかにいまわしく、とうていやりきれないような気がしてきた。彼は苦しいほどの張りきった注意を払って、目に映ずるすべてのものに見入った。空もながめた、ネヴァ川もながめた。ふと行きあった小さな子どもに話しかけようともした。ことによったら、持病のてんかんの症状がしだいにつのってゆくのかもしれぬ。(上240)[2-5]

ラゴージンの襲撃をきっかけにして、ムイシュキンの発作は二次性全般化発作を引き起こす。

ラゴージンの目はギラギラと輝き、もの狂おしい薄笑いにその顔がゆがんで見えた。と、右手があがって、なにやらその中できらりと光った。公爵はその手を押しとどめようともしなかった。彼はただ自分が「パルフェン、ぼくはほんとうにできない!・・・」と叫んだらしいのを覚えているばかりだ。

それにつづいて、なにかしらあるものが彼の眼前に展開した。異常な内部の光が彼の魂を照らしたのである。こうした瞬間がおそらく半秒くらいもつづいたろう。けれども、自分の胸の底からおのずとほとばしり出た痛ましい悲鳴の最初の響きを、彼は意識的にはっきり覚えている。それはいかなる力をもってしても、とめることのできないような叫びであった。つづいて瞬間に意識は消え、真の暗黒が襲ったのである。

それは、もう以前から絶えてなかったてんかんの発作がおこったのである。てんかんの発作というものは、だれしも知っているように、とっさの間に襲うものである。この瞬間にはふいに顔、ことに目つきがものすごく歪む、そして痙攣が顔と全身の筋肉を走って、恐ろしい、想像もできない、なんともかんともいいようのない悲鳴が、胸の底からほとばしり出る。この悲鳴の中には人間らしいところがことごとく消えうせて、そばで見ている者でさえ、これがこの男の叫び声だと考えるのは、どうしても不可能である。少なくとも困難である。・・・痙攣と身もだえのために病人のからだは、十五段とはない階段を下までころがり落ちた。間もなく、五分とたたぬうちに見つけたものがあって、たちまち人々が黒山のように集まった。頭の辺に流れているおびただしい血が、人々の疑惑を呼んだ。この男が自分でけがしたのか、それとも「だれか悪いやつ」があるのだろうか?しかし、そのうちに、だれ彼のものがてんかんということに思い当たった。・・・彼は間もなく正気づいたが、それでも完全な意識に返ったのは、だいぶたってからのことである。頭部の打撲傷の診断に呼ばれた医者は、傷口に湿布を施して、打撲傷からおこりそうな危険はすこしもないといった。(上247)[2-5]

公爵はその晩よっぴて熱に悩まされた。不思議にも、彼はもういく晩もつづけて熱病に襲われるのであった。ところが、こんどはなかばうなされたような状態でありながら、「もしあす客の前で発作がおこったらどうだろう?」という想念が心に浮かんできた。(下75[4-6]

予言は的中し、ムイシュキンは中国製の花瓶を壊すことになる。

・・・ああ、公爵の心の中はどうだったろう、言葉に現すのも困難であるが、しかしその必要もない!とはいえこの一刹那、彼の心を打った一つの奇怪な感触、雑然としたその他の茫漠たる奇妙な感覚の中でも、特に強く、ぱっと明るく照らし出された一つの感触ばかりは、ちょっと説明しないわけにはいかぬ。彼の心を射たのは羞恥でもなければ、不体裁なできごとでもない。恐怖でもなければ、ふいをうたれたためでもない。つまり、なによりも予言の的中ということであった!いったいこの想念の中に、何か驚愕に値するものがあるだろうか?彼はこれを説明することができなかった。ただ、腹の底まで驚かされたのを感じたばかりで、ほとんど神秘的な畏怖をいだきつつ、突っ立っていた。その一刹那が過ぎたとき、急に目の前がぱっと開けたような気がした。恐怖に代わって光明と、喜悦と、狂歓がわきおこったのである。なんだか息もつまるような心持ちがしてきた、そして・・・しかし、その刹那も過ぎた。さいわいにもこれは本物でなかった!彼はほっと息をついで、あたりを見まわした。(下96)[4-7]

彼はもうとっくに立ちあがって弁じていた。老政治家も、今はおびえたような目つきで、彼を見つめていた。リザヴェータ夫人はまっさきに気がついて、「ああ、大変」と叫びながら手をたたいた。アグラーヤは、つとかけよって、彼を両手に抱きとめた。そして胸に恐怖を抱き、苦痛に顔をゆがめながら、不幸な青年を《震蕩させた悪霊》の野獣めいた叫びを聞いたのである。公爵は絨毯の上に横たわっていた。だれかがすばやく頭の下に枕を差し入れた。(下103)[4-7]

昨夜の発作は、彼としては軽いほうであった。少々頭の重いのと、手足の痛いのと、ヒポコンデリーを除いたら、ほかにこれという異常は感じられなかった。心は重く悩んでいたけれども、頭はかなり明晰に働いていた。(下104)[4-7]

彼はもう聞かれることがすこしもわからなかったし、自分を取り囲む人々の見分けもつかなかった。もしシュナイデル博士がスイスから出て来て、もと自分の生徒でもあり患者でもあったこの人を見たら、彼はスイスにおける第一年目の容体を思い出して、またあの時と同じように今も手を振って、こういったに違いない、「白痴!」(下162)[4-11]

エヴゲーニイは不幸な「白痴」の運命を、熱い同情をもって引き受けた。この人の骨折りと後見のおかげで、公爵はふたたびスイスのシュナイデル医院へはいることとなった。・・・しかし、院長はしだいに深く眉をひそめて、小首をひねりながら、知能の組織がすっかり傷つけられていることをほのめかした。それでも、まだ治療が不可能とは断言しないけれど、きわめて絶望的な意見をあえて口外するのであった。(下163)[4-12]

「まあ、ここでこうして、この不仕合せな男の身の上をロシア語で嘆いてやるのが、せめてもの心やりです」もうすこしも相手の見わけのつかない公爵を、興奮のていで指さしつつ、夫人はこういい足した。(下165)[4-12]



4.悪霊(Demons <The Possessed>)

引用:江川卓訳『悪霊 上・下巻』新潮文庫 1971 

悪霊という題名は、ルカ福音書第8章においてキリストが悪霊を追い払ったという奇跡に由来している。ピョートルに率いられた反体制グループの動きが物語の中核をなしている。彼らは社会を混乱と不安に陥れようとしている。一握りの青年たちで構成されたこのグループの中に建築技師のキリーロフがいた。

それは二十六、七歳のまだ若い男で、身なりの整った、すらりとしたやせぎすのブリュネットだった。青白い顔は何か薄汚れたような色合いをおびて、黒い目には光がなかった。彼はいくらか瞑想的で、放心気味に見え、ぶつぶつとぎれる、どこか文法に合わない物言いをし、一語一語に間合いを置き、すこし長めの句を言おうとすると、言葉につまった。(上96)[1-3-4]

キリーロフは同じグループのメンバーのシャートフとともにアメリカに渡った。当時きわめて苦しい状況にあったアメリカの労働者の生活を研究するためだったが、4年間滞在した後に帰国したばかりの彼は完全に消耗しつくしていた。[1-3-4]

彼はロシアで、自分の研究を生かして鉄道事業に職を得たいと考えていたが、物語の中では革命運動に対する信念を失い、自身の思想・哲学にのみ込まれ、その帰結として自殺の実行に至る。キリーロフはピョートルにある約束をしていた。それは会がなにか事件を起こし犯人の捜索がはじまったとき、突然自殺して、これはすべて自分がやったことだという書置きをの残す、というものだった。[2-2-6]
キリーロフの住まいの隣にはレヴャートキン大尉がびっこで頭のおかしい妹マリヤと二人で住んでいた。マリヤが発作を起こして叫ぶたびにレヴャートキンは彼女を鞭でなぐった。[1-3-5]


死がまじかに迫っているキリーロフだが、自らのエクスタシー前兆についてシャートフに語る。

シャートフが行ってみると、キリーロフはあいかわらず部屋の中を隅から隅へと歩きまわっていたが、すっかり放心したような様子で、シャートフの妻が帰ってきたことも忘れてしまったらしく、話を聞いてもさっぱり合点がいかないふうだった。

「ああ、そうだ」突然彼は思い出したが、その様子は、それまで心を奪われていた何かの考えをやっとのことで、それも一瞬間だけ振り払ったといった感じだった。「そう、・・・婆さんだっけ・・・奥さんだったか婆さんだったか?いや、待て、奥さんと婆さんだった、そうだね?覚えているよ。行ってきたんだ。婆さんが来るそうだ、すぐにじゃないが。枕を持っていきたまえ。ほかにも何か?そうだ・・・待ちたまえ、きみにはあるかね?シャートフ、永久調和の瞬間というのが?」

「ねえ、キリーロフ、夜眠らない習慣はもうやめなけりゃいけないよ」

キリーロフははっとわれに返り、奇妙なことにいつもよりはるかに流暢な調子で話し出した。明らかに、彼はもうずっと以前からこの考えをまとめあげ、ひょっとしたら、何かに書きつけていたのかもしれない。

「ある数秒間がある、それは一度にせいぜい五秒か六秒しかつづかないが、そのときだしぬけに、完全に自分のものとなった永久調和の訪れが実感されるのだよ。これは地上のものじゃない。といって、何も天上のものだと言うのじゃなくて、地上の姿のままの人間には耐え切れないという意味なんだ。肉体的に変化するか、でなければ死んでしまうしかない。これは明晰で、争う余地のない感覚なんだ。ふいに全自然界が実感されて、思わず『しかり、そは正し』と口をついて出てくる。神は、天地の創造にあたって、その創造の一日が終わるごとに、『しかり、そは正し、そは善し』と言った。これは・・・感激というのではなくて、なんというか、おのずからなる喜びなんだね。人は何を赦すこともしない、というのはもう赦すべきものが何もないからだ。人は愛するのでもない、おお、それはもう愛以上だ!何より恐ろしいのは、それがすざまじいばかりに明晰で、すばらしい喜びであることなんだ。もし、五秒以上もつづいたら、魂がもちきれなくて、消滅しなければならないだろう。この五秒間にぼくは一つの生を生きるんだ。この五秒のためになら、ぼくの全人生を投げ出しても惜しくはない、それだけの値打ちがあるんだよ。十秒間もちこたえるためには、肉体的な変化が必要だ。ぼくの考えでは、人間は子どもを生むことをやめるに違いないね。目的が達せられた以上、子どもが何になる?福音書にも、よみがえりのときには子を生まず、天にある御使たちのごとし、と言われている。暗示だな。君の奥さんは子どもを生むんだったね?」

「キリーロフ、それはしょっちゅうなのかい?」
「三日に一度、一週間に一度」
「きみ、てんかんの持病はないのか?」
「ない」

「じゃ、いまにそうなるよ。気をつけたまえ、キリーロフ、てんかんの初期はそんなふうだと聞いたことがある。ぼくはあるてんかん持ちから発作前の予兆的な感覚をくわしく話してもらったことがあるが、そっくりきみと同じだ。彼もやはり五秒間とはっきり時間を切ってね、それ以上はもちこたえられないと言っていた。水差しの水がこぼれないうちに、馬に乗って天国を一周してきたマホメットの話を思い出してみたまえ。水差し、これがつまりその五秒間なんだ。きみの永久調和の話にそっくりじゃないか。しかもマホメットはてんかん持ちだったんだからね。気をつけたまえ、キリーロフ、てんかんだよ!」

「その暇はないさ」キリーロフは静かに苦笑した。(下394-396)[3-5-5]


「その暇はないさ」というキリーロフの一言は彼に自殺の意図があることを示唆している。彼自身にはてんかんという認識はないが、ドストエフスキーはシャートフをとおしてキリーロフの症状がてんかん発作に端を発することを明らかにしている。(キリーロフの説明は正確である)また、二人の対話はキリーロフの場合は二次性全般化に至らない恍惚感を伴う部分発作であること、また、そのような種類のてんかん発作が存在することをいみじくも説明しているのである。



5.カラマーゾフの兄弟 (The Brother Karamazov) 

引用:江川卓訳『カラマーゾフの兄弟』(世界文学全集19 集英社 1975) 

この物語において、てんかんを持つ登場人物はスメルジャコフである。彼はフョードル・パーヴロヴィチ・カラマーゾフの下男だが、フョードルが神がかりの乞食女に生ませた子どもと噂されている。フョードルは二度結婚して三人の息子がいる。長男のドミトリー(ミーチャ)は先妻の子で、イワンとアレクセイ(アリョーシャ)は後妻の子である。二番目の妻のソフィアはいくつかの場面でさまざまに表現される発作を起こしている。

子どものころからいじめつけられていたこの不幸な若い女性は、やがて一種の神経性の夫人病にかかった。一般民衆、わけても農村婦人によく見かける病気で、これにかかったものは《わめき女》と呼ばれている。ひどいヒステリーの発作をともなうので、病人はときには正気を失うことさえあった。それでも彼女はフョードル・パーヴロヴィチのために二人の息子をもうけた。結婚の年に生まれたイワンと3年後にできたアレクセイである。(16)[1-3]

彼はアリョーシャの顔をしげしげと見やりながら、よく口にするようになった。「おまえはあれにそっくりだぞ、あの《わめき女》にな」自分の亡くなった妻、つまりアリョーシャの母親のことを彼はこう呼んでいた。(25-26)[1-4)

おれにはわかっていたんだが、これはきまって例の病気のはじまる前兆でな、翌日にはもうわめき女になってわめきたてるのさ。・・・アリョーシャ、誓って言うが、おれはあのわめき女を一度だって辱しめたことはないぞ!(154)[3-8]


アリョーシャの発作

突然、アリョーシャが何か奇妙なことになってしまった。ほかでもない、たったいまフョードルが話した《わめき女》とそっくり同じことが、思いがけなくくり返されたのである。アリョーシャはいきなり席を蹴ってとび上がると、いまの話の彼の母親と寸分たがわず、手を打ち鳴らし、つづいて顔を両手で覆って、なぎ倒されでもしたようにぱったりと椅子の上に倒れてしまった。そして、ふいに突きあげてきた声にもならぬ涙にむせびながら、ヒステリーの発作のように全身をがたがた震わせはじめた。母親との異常なほどの類似がとりわけ老人には衝撃であった。(154-155)[3-8]

この作品におけるてんかんを持つ主要人物スメルジャコフの考察に先立ち、二人の女性の登場人物について言及する。彼女たちの発作は憑依とヒステリーに関連していると思われる。

《わめき女》の憑依発作

一人の《わめき女》が両手を引かれて長老のもとに連れてこられた。その女はちらと長老を目にしたとたん、なにやらわけのわからぬ悲鳴をあげてしゃくりあげながら、子どものひきつけのときのように全身をはげしくふるわせ始めた。長老が彼女の頭の上に肩帯をのせて、短い祈祷の文句をとなえると、女はたちまち静まって、おとなしくなった。いまはどうか知らないが、私の子どものころには、よくあちこちの村や僧院でこういうわめき女を目にし、その声を聞いたものである。女たちは、礼拝式に連れてこられると、それこそ教会じゅうにひびき渡るほどの声で、金切り声をあげたり、犬のように吠えたりするのだったが、やがて聖体が出され、そのそばに連れていかれると、たちまち《憑きもの》が落ちて、病人はきまってしばらくの間、平静に返るのである。まだ子どもであった私は、この光景にショックを受け、驚きの目を見張ったものであった。けれど、やはりその当時、私が何人かの地主たちから聞いたところでは、また町にいる私の先生たちにわざわざたずねてみたところでは、これは仕事を怠けるためにわざとあんな芝居をしているので、しかるべき厳格な手段によって根絶できるのだということだったし、それを裏づけるさまざまなエピソードも聞かされた。しかし後年、専門の医師たちの話を聞いて驚かされたのだが、実はこれは芝居でもなんでもなく、どうやらロシア特有ともいえるらしい恐ろしい婦人病の一種で、わがロシアの農村婦人の悲惨な運命を証明するものだということであった。つまり、なんら医術の手もかりずに、誤ったやり方で、ひどい難産を経験したあと、あまりに早くから過激な労働につくことから起こる病気だというのである。そのほか、一般的な例からいって、かよわい女性にはとうてい耐えきれないような、救われようもない悲しみとか、夫の打擲なども原因になるそうである。それまで暴れ狂い、もがきまわっていた女が、聖体の前に連れて行かれると、たちどころにぴたりとなおってしまうという不思議な現象も、あれは芝居だとか、ひどいのになると、《坊主ども》自身が演出してみせる手品だとか説明されたものだが、おそらく、これもきわめて自然な現象なのだろう。つまり病人を聖体の前に連れて行く女たちも、また肝心の病人自身も、聖体の前に連れて行って、それに頭を下げさえすれば、病人にとりついている悪霊はけっしてもちこたえられなくなると、確固とした真理のように信じこんでいる。そういうわけで、神経症を起こし、またむろんのこと、精神的な病人でもある女性の体内には、聖体に向かって頭を下げた瞬間、もうきまって、いわば全オルガニズムの震撼とでもいった現象が起こることになる(いや、起らないではいない)のである。この震撼は、必然的な治癒の奇跡を期待する心と、その奇跡の実現をあくまでも信じてやまない心によって惹き起こされ、事実、奇跡は、たとえわずかの間にもせよ、実現するのである。いまもまったくそのとおりで、長老が病人を肩帯でおおうた瞬間、奇跡が実現したのだった。(52)[2-3]

ヒロインの一人であるカチェリーナの発作はヒステリーと思われる。

カチェリーナはヒステリーの発作を起こした。彼女ははげしくしゃくりあげ、けいれんに喉をつまらせていた。(172)[3-10]

アリョーシャはヒステリーの話をして、彼女はいまも気を失ったままうわごとを言っているらしいと語った。

「ホフラコワの奥さんがでたらめを言っているんじゃないかい?」
「そうじゃないでしょうね」
「確かめてみなくちゃいけないな。もっとも、ヒステリーで死ぬやつはいないからな。なにヒステリーならヒステリーでいいさ。神さまが愛すればこそ女性にお授けになったものだからな」(263)[5-3]


アリョーシャの婚約者のリーズの発作もヒステリーと思われる。

「そう四日前、あなたが最後にいらしってお帰りになったすぐあとですわ、真夜中に突然あの子は発作を起こしましてね、泣きわめくやら、金切り声を立てるやら、ヒステリーの発作ですの!」(642)[11-2]


スメルジャコフの発作

スメルジャコフの印象 
『観照する人』パラムのロバ



画家のイワン・クラムスコイに『観照する人』という題のすばらしい絵がある。冬の森を描いた作品で森を抜ける道に、人里はなれた森の奥にまよいこんだ百姓が、やぶけた長衣に木皮の靴といったなりで、たったひとりぽつねんと突っ立ち、何か思いにふけっている様子なのだが、その実、何を考えているわけでもなく、ただ何かを《観照》しているのである。もし、だれかが彼の肩をぽんと叩いたとしたら、彼はびくりと身ぶるいして、目はさめたが、まだ何もわからぬといった様子で、きょとんと相手の顔を見つめるに相違ない。なるほど、すぐに我に返りはするだろうが、何を考えて突っ立っていたのかと問われても、おそらく何ひとつ思い出すことができないだろう。しかし、そのかわり、この観照の状態にあった間に自分が受けた印象は、たしかに心の底に深くたたみこまれるのである。しかも、この印象は彼にとっても貴重なものであり、彼はおそらくそういう印象を、いつとはなく、無意識のうちにさえ、蓄積していくのである。(142)[3-6]

バラムの騾馬というのは従僕のスメルジャコフのことであった。まだ、やっと二十三、四の青年だったが、彼は恐ろしく人ずきが悪く、無口だった。それも内向的な性格で人見知りをするというのではなく、むしろ性格は傲慢で、人を見下すようなところがあった。・・・彼はグリゴーリイとマルファの手で育てられたのだったが、グリゴーリイの言いかたを借りると、《まったくの恩知らず》に育って、内向的で、隅のほうから世間を白い目でにらんでいるような少年になった。幼いころから、猫を首吊り台にかけ、そうしておいてその葬式ごっこをするのが大好きだった。葬式のときには、祭服に見立ててシーツをひっかぶり、香炉代わりに何やら猫の死体の上で振りまわしながら、歌をうたうのである。これは厳重の秘密を守ってこっそり行われていたが、あるときグリゴーリイがその現場をつかまえて、こっぴどく鞭で折檻したことがあった。少年は部屋の片隅に引っこんで、一週間ばかりはそこから白い目でにらんでいた。「この情なしめは、わしもおまえも好いちゃおらんぞ」グリゴーリイはマルファに言った。「いや、だれも好いちゃおらん、おまえはそれでも人間か」彼はだしぬけにスメルジャコフに突っかかっていく。「おまえは人間じゃないぞ、風呂場のじめじめからわいて出たんだ、そういうやつよ・・・」後でわかったところによると、スメルジャコフはこの言葉をいつまでも根にもっていた。グリゴーリイは彼に読み書きを教え、十三才になると、聖書の話をはじめた。しかし、これはたちまちだめになってしまった。また二度目三度目の授業のときに、少年はふいににやりと笑った。
「なんだ?」グリゴーリイは眼鏡ごしにじろりと少年をにらみつけて、たずねた。
「なんでもありませんよ、神さまは第一日目に世界を創られたけど、太陽や月や星は四日目に創られたんでしょう。それじゃ、第一日目には光はどこから射していたんです?」
グリゴーリイはあっけに取られた。少年は先生を小馬鹿にしたように眺めている。その眼差にはなにやら高慢ちきな感じさえあった。グリゴーリイはどうにも我慢がならなかった。「ここからだ!」そう叫ぶが早いか、彼はいきなり生徒の頬を猛烈な勢いで殴りつけた。少年は、ひと言も口答えせず、この頬打ちを黙ってこらえたが、またしても数日間は片隅に引きこもってしまった。ところが、どういうめぐり合わせか、ちょうど一週間後、彼の一生の持病になったてんかんの最初の発作があらわれた。(139-140)[3-6]

フョードルはスメルジャコフの病気のことを耳にしたとたんに、急に彼のことを心配しはじめ、医者を呼んで、治療に取りかかりもしたが、結局は、治癒の見込みのないことがわかった。発作は月に平均一度だったが、時期はさまざまだった。発作の強さもさまざまで、軽いときもあったし、ひどく重いときもあった。(140)[3-6]

フョードルはまた、いくぶんちがった観点から彼を見るようになってきていた。というのも、彼のてんかんの発作がはげしくなってくると、その間はマルファが食事の用意をするのだが、それがまったくフョードルの口に合わないからであった。「どうして、発作がこうしっちゅうなのかな?」新しい料理人の顔を横目にじっと見ながら、フョードルはいや味を言うことがあった。(141)[3-6]

スメルジャコフの発作については数名の詳細な説明や証言がある。同じような発作が、偶然にもフョードルが殺された、まさにその日に起こったために発作は偽装ではないかという疑惑が生じた。この時の発作については五人の人物が説明・証言をした。物語における最初の言及はスメルジャコフその人 による。彼はイワンに発作が予知できることをほのめかしていた。

「・・・まず間違いないと思いますが、若旦那さま、あすは私、きっと長いてんかんが起きるに相違ないと存じますので・・・」
「なんだ、その長いてんかんというのは?」
「長い発作でございますよ、それもとびきり長いやつでございまして、何時間も、いえ、ひょっとしたら一日も二日もつづくかもしれません。一度など、三日もつづいたことがございまして、あのときは屋根裏部屋から落ちたんでございます。やんだと思うと、またぶり返して、三日間ずっと人心地がつきませんでした・・・あのときは大旦那さまがこの町のお医者のゲルツェンシュトーベ先生を呼んでくださいましたんですが、先生は頭のてっぺんかを氷で冷やしてくださって、そのほかにも何かのお薬をいただきました・・・危うく死ぬところでございました」
「でも、てんかんは、あらかじめこれこれの時間に起ると予知できないというじゃないか。どうしておまえはあす起こるなんて言うんだ?」一種特別の、じりじりするような好奇心にかられてイワンはたずねた。
「予知できないと言いいますのは、確かにそのとおりでございます」
「それにあのときは屋根裏部屋から落ちたんだろうが」
「屋根裏部屋には毎日あがりますし、あすも屋根裏部屋から落ちるかもしれません。屋根裏部屋でなければ、穴蔵へ落ちるかもしれませんですよ。穴蔵にも、毎日用があってまいりますし」
イワンはしばらくの間じっと彼をみつめていた。
「おまえ噓を言ってるな、見えすいているぞ、だいたいおまえの言うことはどうも腑に落ちん」低い声だがどこか嚇しつけるような声で彼は言った。「そうか、あすから三日間てんかんのふりをしたいというんだな?え?」
地面をみつめて、また右足の爪先を動かしていたスメルジャコフが、右足を元の位置に戻し、その代わりに左足を前に出し、頭を起こすと、にやりと薄笑いを浮かべて言った。
「かりに私がそんな芝居まで打って、つまり、経験のある者には造作もないことでございますから、そういうふりをするとしましても、なにしろ自分の生命を死から救うためにいたしたことですから、私には十分その権利があるというものでございますよ」(305-306)[5-6]


殺人事件後、イワンはスメルジャコフを三回訪問した。最初の訪問はスメルジャコフが長い発作の後に入院していたときだった。スメルジャコフはイワンに語る。

「あのときは、あの穴蔵へ入りますと、何か恐ろしくて胸さわぎがしてきましたんです。と言いますのも、あなたは行ってしまわれるし、もうこの世界に私を守ってくれる人はだれもいないのだと思いますと、つくづく恐ろしくなってきましたのですよ。で、例の穴蔵へ入って、『いまにもあれが来るんじゃないか、あれが起こって、ぶっ倒れるんじゃないか、大丈夫だろうか?』と考えておりました。それで、その不安がもとで、ふいに喉元にあのどうしようもない痙攣が起こりましてね・・・それでまっ逆さまになってしまいましたでんです」(673)[11-6]

「じゃ、おまえはもうそんなことまで供述してしまったのか?」イワンはいささか呆気にとられてたずねた。彼は、あのときの二人の話の内容を言って、相手を嚇すつもりでいたのに、スメルジャコフは自分からさっさと何もかも供述してしまっていたのだった。
「私が何を怖がることがありましょう?ほんとうのところを書きとめていただいたまでですよ」スメルジャコフはきっぱりと言った。
「門のそばでの話も、ひと言残らずしゃべったのかね?」
「いいえ、ひと言残らずというわけでも」
「てんかんの真似ができるとおれに自慢したことも、やはり言ったのか?」
「いいえ、そのことも言いませんでした」(674)[11-6]


スメルジャコフが病院から退院する直前にイワンは三度目の訪問をする。その時、彼はフョードルを殺したことを告白する。

「よくもまあ飽きもせず!二人きり差し向かいで座っているんだから、何もお互いをだまし合ったり、芝居をやったりする必要はなさそうですがねえ?それとも相変わらず私一人に罪を被せるおつもりですか、私を目の前に置いてからに?あなたが殺したんですよ、つまりあなたが主犯で、私はただ、あなたの手先、忠実なリチャルダとして、あなたのお言葉どおり実行したまでですよ」(691)[11-8]

イワンはさらに詳しい説明を求める。

「あなたがお発ちになると、私は穴蔵に落ちました・・・」
「発作でかね、それとも芝居かね?」
「芝居に決まっていますよ。何もかも芝居でした。ゆっくり階段を降りましてね、いちばん下まで行って、静かに横になって、横になるとすぐ、大声で悲鳴をあげたわけです。で、運び出されるまで、もがきまわっておりましたよ」
「待て!すると、それからずっと、病院でも芝居をしていたのか?」
「いいえ、そうじゃありません。すぐ次の日、朝、まだ病院に運ばれる前にほんものの発作が起きましてね、それがまたここ何年来なかったようなひどい発作でした。二日間はまるで人事不省でしたよ」(694)[11-8]


裁判の公判が行われる直前、アリョーシャはイワンを訪問し、「一時間前にスメルジャコフが首を吊ったんです」と告げた。(723)[11-9]

殺されたフョードルも生前にスメルジャコフの発作を目撃していた。

フョードルは、息子を送り出してからも、すこぶる上機嫌であった。まる二時間ほどは、コニャックをちびちびやりながら、自分がほとんどしあわせ者のように感じていた。ところが、そこへ突然、この上もなく腹立たしい、不愉快きわまる椿事が家内に突発して、フョードルの気分は瞬時にめちゃめちゃにされてしまった。ほかでもない、スメルジャコフがなんのためか穴蔵へ出かけて、いちばん上の段から下までころげ落ちたのである。それでもたまたまマルファが庭に居合わせて、いち早く物音を聞きつけたからまだよかった。マルファは落ちるところは見なかったが、叫び声を、あの独特で奇怪な、けれど彼女にはとうになじみの叫び声、つまりてんかんの発作のさいに特有の叫び声を聞きつけたのである。階段を降りる途中で発作を起こして、そうなれば、当然、失神したまま下までころげ落ちたのか、反対に、ころげ落ちたそのショックで、もともとのてんかん持ちであったスメルジャコフが発作を起こしたのか、その点は突きとめられなかったが、とにかく発見されたときには、彼はもう穴蔵の底で、口から泡を吹きながら、全身をぴくぴく痙攣させてもがいているところだった。初めはみな、きっと手か足をくじいて、打ち身をつくっているだろうと思ったが、マルファに言わせれば、《神さまがお守りくださったおかげで》そんなことは何もなくてすんだ。(318)[5-7]

病人はなかなか意識を回復しなかった。発作はときどきおさまったが、すぐまたぶり返し、一同の意見は、去年やはりあやまって屋根裏部屋から落ちたときと同じような結果になるだろうということでまとまった。(318)[5-7]


スメルジャコフの発作を最初にみつけたグリゴーリイの妻マルファの証言

マルファ・ぺトローヴナはどういうわけか突然ふと目をさました。そんなことになった原因の一つは、隣室に意識を失って倒れていたスメルジャコフのてんかん性の恐ろしい悲鳴であった。それは発作の起こりはじめにつきものの悲鳴で、マルファは一生の間これにはいつもひどくおびえどおしだったし、それを聞くと病的な気持にさせられるのだった。彼女はどうしてもこの悲鳴には慣れっこになることができなかった。彼女は寝ぼけまなこで飛び起きると、ほとんど夢中で小部屋のスメルジャコフのところへ駆けつけた。しかし、そこは真っ暗で、ただ病人が恐ろしいいびきを立ながら、もがきはじめた声が聞こえるだけであった。(507)[9-2]

事件発覚後にかけつけた医師はスメルジャコフの発作にたいそう関心を持つ。

医師は、夜があけしだい被害者の遺体を解剖する必要があって、フョードルの家に残っていたが、その実彼は従僕のスメルジャコフの病状にいたく関心をそそられたのだった。「二昼夜もつづけさまに、こんなにはげしい、こんなに長いてんかんの発作が起こるなんて、めったにお目にかかれませんよ。これはもう研究の対象ですな」彼は興奮の態で出かけていく同僚たちに言い、一同は笑いながら、その発見を祝った。(510)[9-2]

イッポリート検事はドミトリーの質問に答えてスメルジャコフの発作について説明する。

「あなたがおたずねの召使のスメルジャコフは、われわれが行ったときには、異常にはげしい、おそらくは十度は連続的に起こったと思われるてんかんの発作のために、人事不省の状態で寝床で横になっていました。同行した医師が病人を診察しての話だと、朝までもたないかもしれないというほどです」(530-531)[9-5]


公判において、イッポリート検事はスメルジャコフの発作について言及する。

「スメルジャコフは、若旦那が出発するとすぐ、一時間も経たないうちにてんかんの発作を起こしました。これはまったく当然しごくのことでした。ここでとくに強調しておかなければならないのは、恐怖にさいなまれ、ある種の絶望状態に陥っていたスメルジャコフが、その数年来、とりわけ強くてんかんの発作の接近を予感していたことでありまして、それはこれまでもつねに精神的な緊張や衝撃の時期に起こっていたのであります。なるほど、発作の日時を前もって予測することは不可能でありますが、しかし、発作の起こりそうな気配というものは、どんなてんかん患者でもあらかじめ感じることができるものなのです。これは医学上の通説であります。そこでイワンの馬車が屋敷を出て行くや否や、スメルジャコフは、いまや頼るものとてない、いわばみなし子のような自分の境遇の心ぼそさを味わいながら、家の用事で穴蔵へ行き、ひとり階段を降りながら考えました。『発作が起こるんじゃないだろうか?もしいま起こったらどうしよう?』すると、ほかでもない、このような気分、このような想像、このような疑問のために、いつもの発作の前に襲ってくる喉の痙攣が起こり、彼は意識を失ってまっさかさまに穴蔵の底にころげ落ちたのであります。ところが、このまったく自然な偶発事にことさら疑いをはさみ、スメルジャコフはわざと発作の真似をしたのではないかなどと勘ぐり、ほのめかす人がいるのであります!しかし、もしわざとであるとしたら、当然次のような疑問が起こります。いったい何のために?どんな打算から、どういう目的でそんなことをしたのか?医学についてはもう申しますまい。科学は噓をつく、科学はまちがえることがある、医者たちが仮病を見抜けなかったのだ、などと言われるだろうからです。確かにそうかもしれません、だが、それなら、彼はなんのために仮病を使う必要があったか?という私の質問に答えていただきたいものです」(785)[12-8]

イッポリート検事はスメルジャコフを、ほんのわずかばかりの漠とした教養を身につけた知力薄弱な男で、彼の知力にはありあまる哲学思想ですっかり混乱させられ、義務や責任についての現代的な学説のあるものにおびえあがっていた男として描きだした。(783)[12-8]

フェチュコヴィチ弁護人はイッポリート検事に反論する。

「才能ゆたかな検事は、スメルジャコフの有罪説の可能性について一切のpro et contra(賛否)の推論を並はずれた犀利さをもって描き出され、とりわけ、なぜ彼がてんかんの真似をする必要があったかと反問されました。確かにそうです、けれど彼は真似をしたのではなかったかもしれません。その発作はまったく自然に起こったものかもしれませんが、となれば、まったく自然におさまって、病人がふっと正気づくことだって十分にありうるのです。かりにすっかり回復しないまでも、ふと我に返って正気を取り戻すことは、てんかんの発作によくあることです。検事は、スメルジャコフに凶行を演ずる機会があったか?と質問されます。しかし、その機会を示すのはいともたやすいことです。彼は、老僕グリゴーリイが、塀を乗り越えて逃げて行く被告の足に取りすがって、あたり一帯にひびき渡るような大声で『親殺し!』とわめいたその瞬間、ふっと正気を取り戻し、深い眠りからさめたかもしれないのです(なぜなら彼はただ眠っていただけなのですから。てんかんの発作のあとには深い睡眠状態の訪れるのが通例です)。静寂と闇の中にひびき渡ったあの異常な叫びが、スメルジャコフの眠りをさましたことは、当然考えられます」(818-819)[12-12]



考 察

1.ドストエフスキーの知識にもとづくてんかんのコンセプト

1863年6月の中ごろ、ドストエフスキーはてんかんの診察を受けるために、ペテルブルグ警察および皇帝に外国旅行の許可を願い出た。ベルリンではRombergに、パリではTrousseauとHerpinにかかる予定だった(2)。彼は、帝国外科アカデミーのV.Beier博士の紹介状を携えていた。紹介状にはペテルブルグで、3人の医師、V.V. Besser、I.Barch、Rozenberg にもかかっていたことが記されてあった。

ドストエフスキーはツルゲーネフへの手紙(1867年6月17日)のなかで、「ロシアには専門医がおりません。小生は当地の医者たちから、互いに矛盾撞着した診断を与えられるので、彼らに対してまったく信頼を失ったほどです」と書いた。彼らの中のだれ一人として外国の医師に相談しようという気を起こすものはなかったという。てんかんに関するドストエフスキーの知識にもっとも寄与していた人は、おそらく、ヤノーフスキイ博士(1817-1897)であろう。ドストエフスキーがシベリアに送られる(1849年)前から、彼はすでにドストエフスキーの主治医であり親しい友人でもあった。

ドストエフスキーはヤノーフスキイ博士の蔵書から医学書を借りた。そして、3年間、毎週少なくとも3回、時間を決めて会って議論を交わした。ドストエフスキーが確実に読んだと思われる医学書数冊は判明しているが、それよりもむしろヤノーフスキイが推薦したEsquirol, Trousseau, Romberg の3人の医師の本を熱心に読んだと思われる(2)。

Esquirol
1847年、一般大衆のための雑誌にEsquirolの論文の抜粋が紹介された。Esquirolが述べたてんかん発作後の意識障害やうつはドストエフスキーの経験と合致した。それは、恐怖と不安を伴い、日々を無力に陥れる不可思議な体験であった。

Trousseau
ドストエフスキーは陸軍省衛生部発行の雑誌で、Trousseauのてんかんに関する論文を読み彼の評判を知った。Trousseauはてんかんの型の多様性およびてんかんとヒステリーが合併する可能性について言及していた。そこに書かれた発作前および発作後の徴候は、ドストエフスキーにもなじみがあるものだった。その年(1862)にTrousseauが始めた発作の記録の中にドストエフスキーの症例も加えられた。それはエクスタシー前兆を持つ唯一の症例であった。発作が何年も続くと精神的な障害が起こるというEsquirolsの説にTrousseauも同意見を表明していた。

Herpin
Rice(2)によると、ドストエフスキーはHerpinの業績を知っていた。おそらく、Herpinの死後に発行された『Des acces incomplets d'epilepsie』(パリ1867)を関心を持って読んだと思われる。ペテルブルクのアカデミー通信会員であったHerpinはジュネーブで30年間働いた。1867の12月、ドストエフスキーはジュネーブに滞在していたときHerpinの本を手にしたのであろう。ちょうど『白痴』を脱稿したころのことであった。

Romberg
Rombergは、てんかんの前兆に関する報告において、非常にまれだが、並はずれた幸福感を伴う前兆を報告した。数分から2、3時間続くもので、Rombergはそれをアウラ(auras)と呼んだ(1843)。
ドストエフスキーは、後にいわゆる《ecstatic aura》と呼ばれることになる現象について書かれたこの報告を読んだと思われる。

2.後世の医学知識に貢献したドストエフスキー文学における病気の描写

精神医Vladimir Chizh(2)は、『ドストエフスキー:精神病理学者』(1884,1885)というモノグラフを出した。その中で、ドストエフスキーの小説中に現れる精神障害のケースの完全なリストを作成することを試みている。100件のケースを評価した中で、25%が明確に精神病理学の対象になった。これは文学においては比類のない頻度である。

Vladimir Mikhailovich Bechterev は、講義や論文(1914、1921、1924)で述べている(2)。「ドストエフスキーは、生涯を通して自身の病気と対峙し、その病理における優れた観察者であった。彼はその病理を芸術のイメージをもちいて描写した。100年後、ムイシュキンとキリーロフの恍惚発作がドストエフスキー自身の経験に基づいたかどうかについても十分に答えられうる材料を残した」
最近の文献において、ドストエフスキー作品の登場人物の行動変化の解釈の多くをてんかんに求めようとする傾向が見うけられる。Seneviratne(16)は『分身』(1846)のゴリャートキンはてんかん発作における「自己像幻視」の可能性があるとしている。しかしながら、中には 検証が不十分な指摘もある。たとえば 『プロハルチン氏』のセミョーン・イヴァーノヴィチのケースは偽てんかんの延長と思われるし、『未成年』のドルゴルーキイは、未視感を示唆してはいるが、側頭葉てんかんの徴候はみられない。『いやな話』(1862)のイヴァン・イリッチの奇妙な感覚は一杯のウォツカが原因で引き起こされたわけではない。彼はめったに飲まないほうだったが、死んだときには、コップ五杯のワイン、ボトル二本のシャンパン、およびコップ一杯のウォツカを飲んでいた。

恍惚発作を持つ患者の実証された症例報告は増加しつつある。ドストエフスキーてんかんと呼ばれるケースの検証にあたっては、症候学に基づいた恍惚発作の定義が不可欠である。単純なてんかん発作性愉快感覚に関しては、Stefan他の適切な考察があり(17)、さらなる分析が望まれる。Hansen と Brodtkorbは Penfieldの実験的発作の知見を踏まえ、恍惚発作を強烈な喜び、歓喜、満足を伴う発作性の感覚である定義した(18)。認識および霊的な経験は脳内の構成要素として起こる必然があるのかもしれない。患者はこれまで現実では経験したこともないその感覚に完全に心を奪われてしまったと語る。とはいえ、この感覚は単純な歓喜や幸福感とは厳密に区別されなければならない。 光過敏性全般てんかんにおいて、自らが誘導する喜び捜索行動として起こることが考えられる。恍惚発作は非常に稀であるにもかかわらずその認知は進んでいる。全体調和で満たされる感覚を経験する患者たちの存在は疑えない。もし、てんかん性の放電が関連する辺縁系システムに深く影響するならば、恍惚発作は宗教的あるいは芸術的な感情の豊かなユニークな人々において確かに存在しうる可能性は高い。この名状しがたい感覚は容易には表現できないものだが、ドストエフスキーは自らの体験を自らの表現をもちいて、イシュキンとキリーロフを描いたのである。

3.字訳と翻訳についての問題

ドストエフスキーは自らのエクスタシー前兆の経験を三人の友人(ヴランゲリ、ストラーホフ、コヴァレフスカヤ に話している。
出獄後まもなくヴランゲリ(1854~1856)に次のように語った(2)(19)。「それは名状しがたいほどの幸福感、官能的な感じ(okhvatyvaet...chuvstvo sladostrastiia)肉体的な情熱(sladostrastie)だった」
ストラーホフは(1828-1896)は、自伝にドストエフスキーから聞いたことばを書きとめている。「地上の姿のままでは耐え切れないような幸福感・・・全自然界との完全な調和を感じる、そんな至福の数秒なのだ」(2)
ソーニャ・コヴァレフスカヤ(1850-1891)は自伝の中に書いている(21)。

「天が地上に下りて来て、私を運んで行ったような気がしたのです。“神さまはある”と叫ぶとともに、私は正気を失ったのです。あなた方のような健康な人たちは、発作の起ころうとする瞬間に私が感ずるような天福はとても想像できません。マホメットはコーランの中で自分は天国にいたと言っています。愚人やわからず屋は彼を嘘つきだとか詐欺師だとか呼びます。決してそうじゃない。マホメットは噓を吐きません。彼は私のようにてんかんを病んでいたのです。その発作が何秒つづくか、それとも何か月つづくか言えないが、どんな幸福な生活をくれたってそれと取り代えっこはしません」(訳者引用:『ソーニャ・コヴァレフスカヤ 自伝と追想』野上弥生子訳 岩波文庫 1933)

ストラーホフもコヴァレフスカヤもドストエフスキーからこのエクスタシー前兆が起こったのは復活祭の宵のことだったと聞いている。しかし、ドストエフスキー自身の手記や手紙の中にはこのエピソードはみあたらない。コヴァレフスカヤの自伝(1887)にはすでに読んでいたと思われるストラーホフの回想(1883)に影響されたところがあるかもしれない。

私は事実と創作の相関関係について、Rice(1938-2011)の見解に賛成する。 彼は、ユージーンにあるオレゴン大学のロシア文学と比較文学の教授である。彼は述べている。
「クリエイティブな創作は、その兆しとなる体験からダイレクトに表出される。そして、その表現は作家の主体と記憶に深くかかわっている」
ここで、一つ追加しておかなければならない。それは、ドストエフスキーが、すでによく知られていることだが、記憶障害をかかえていたという点である。「発作の後で、私はしばしば記憶障害におちいった。登場人物の名前が思い出せなくて、書き終わった『悪霊』を最初から読み直さなければならなかった」とソロヴィヨフに語っている(20)。

その他の問題として『カラマーゾフの兄弟』に多くみうけられるような、翻訳および19世紀の疾病分類学の概念に関する混乱がある。ロシアのテキストにおける Klikusjetsku(ヒステリーの意味)がイギリスのConstance Garnettの翻訳では、アリョーシャとその母の発作の描写において<hysterical,crazy,possessed>ということばが無作為に使用されている。また、epileptischi(epileptic=てんかん)という用語でさえ、オランダのJan van der Engの翻訳の中には混同している箇所が見出される。
てんかんが明らかなケース、 ネリー、ムーリン、およびムイシュキンにおいて、ドストエフスキーは自身のてんかんの経験と知識を使用して描写し、ヒステリーの概念にも熟知していることを示したが、語彙と翻訳において多少問題がある箇所がある。

Pripadke padushchey bolezni = seizures of falling sickness(ムーリン)
Paduchaja bolezn;posle silnogo pripadka padushchey bolezni =falling sickness,epileptic fits;after a severe attack of falling sickness,violent epileptic fits (ネルリ)
Pripadok epilepsii= by epileptic seizure (ムイシュキン)
ドストエフススキーの語彙に見られる種々のてんかん発作の型について翻訳者が十分な知識を持っていないこともありえる。
Snej byl kakoj to pripadok, vrode obmiranija[卒倒を伴う](ネルリ)はおそらく誤りである。身体の硬直によって引き起こされた発作の一種と翻訳するのが適切である。

結 論

ドストエフスキーの小説は、言語学、倫理学、法律学、社会学、美術史、宗教学、および哲学の学者のための無尽蔵の宝庫である。一方で、医学者も登場人物へのてんかんの影響に対する関心、ひいては医学的知見を豊かにするために、ドストエフスキー文学に興味を抱き続けている。

謝 辞

Djoeke LeistraおよびMaster Slavonic Languageに感謝する。

参考文献

1.Catteau J: La creation literaire chez Dostoievski Paris, Institut dEtudes Slaves, 1978.
2.Rice JL: Dostoevsky and the Healing Art: An Essay in Literary and Medical History.Ann Arbor,Ardis,1985.
3.Frank J: Dostoevsky: The Seeds of Revolt 1821-1849. Princeton, Princeton University Press, 1976, vol 1.
4.Frank J: Dostoevsky: The Years of Ordeal, 1850-1859. Princeton, Princeton University Press, 1983, vol 2.
5.Frank J: Dostoevsky: The Stir of Liberation, 1860-1865. Princeton, Princeton University Press, 1986, vol 3.
6.Frank J: Dostoevsky: The Miraculous Years, 1865-1871. Princeton, Princeton University Press, 1995, vol 4.
7.Frank J: Dostoevsky: The Mantle of the Prophet, 1871-1881. Princeton, Princeton University Press, 1983, vol 5.
8.Alajouanine T: Dostoiewski's epilepsy. Brain 1963; 86:209-218.
9.Alajouanine T: Literature et epilepsie. Lexpression litteraire de l extase dans les romans de Dostoievski et dans les poems de Saint Jean de la croix; in: Dostoievski. Paris, Cahier de l'Herne, 1973, vol 24, pp 309-324.
10.Voskuil PHA: The epilepsy of FM. Dostoevsky. Epilepsia 1983;24:658-667.
11.Baumann CR, Novikov VPI, Regard M, Siegel AM Did FM. Dostoevsky suffer from mesial temporal lobe epilepsy? Seizure 2005;14:324-330.
12.Iniesta I: Dostoevskys epilepsy: a contemporary paleodiagnosis(letter to the editor. Seizure 2007;16:283-285.
13.Gastaut H: New comments on the epilepsy of Fyodor Dostoevsky. Epilepsia 1984;25:408-411.
14.Gastaut H: FM. Dostoevskys involuntary contribution to the symptomatology and prognosis of epilepsy. Epilepsia 1978;19:186-201.
15.Hughes JR: The idiosyncratic aspects of the epilepsy of Fyodor Dostoevsky Epilepsy Behav 2005; 7:531-538.
16.Seneviratne U: Fyodor Dostoevsky and his falling sickness: a critical analysis of seizure semiology. Epilepsy Behav 2010;18:424-430.
17.Stefan H. etal: Ictal pleasant sensations: cerebral localization and lateralization. Epilepsia 2004:45:35-40.
18.Hansen BA, Brodtkorb E: Partial epilepsy with ecstaticseizures. Epilepsy Behav 2003;4:667-673.
19.Baron Alexander Wrangel (1854-1865), recollections of Dostoevsky: in: Letters of Fyodor Michailovitch Dostoevsky to His Family and Friends, ed 1 (transl Mayne EG.) New York, The Macmillan Company, 1914, pp 272.
20.Soloviev E: Dostoievsky, his life and literary activity. A biographical sketch. London, George Allen and Unwin Ltd., 1916.


戻る