ある医学図書館員の軌跡
佐倉図書室通信 No.134/ 2003.12
寄稿エッセイ:忘れえぬ人々 23(最終回)


夢で逢えたら −忘れられない院外当直−

後藤 束

忘れえぬ人々ですか・・・。うーん、親、兄弟、上司、同僚、後輩、恩師、恋人、警察、マチャアキ、幽霊、愚連隊等々、出会った人は沢山いますが、まあ仕事柄一番多く接しているのと、どうせ書くなら後輩諸君に伝えておきたい、という気持ちもあり、今回は忘れえぬ患者様、というテーマでいってみますか。あ、でもこのお話はあくまでも僕の夢の中で出会った人々・・・という話ですので・・・念のため。

僕が研修医1年目の院外当直で体験・・・いや、みた夢での出来事です。患者様は忘れもしない16歳の坊っちゃん刈りの高校生。主訴は呼吸困難感。夕方マラソン中、急に息苦しくなってしまった、という好青年でした。教育熱心そうなお母さんいわく、このエピソードは3回目であり、いつもマラソン中におこるとのことでした。過去2回は他院でアレルギーの点滴をして良くなったそうです。

医者になりたての僕でしたが、(ははー、いわゆるアナフィラキシーってやつだな?)と思つき、胸部聴診にて気管支狭窄音を確認後、すかさず診察室の裏に隠れ、肌身離さず持ち歩いていた4600円の当直医マニュアル本なるものを内ポケットから取り出し、患者様にわからぬ様こっそりアナフィラキシーの治療法をチェックしました。(なるほど、気管支拡張剤、抗炎症剤の点滴で良くならなければボスミンという薬を使うんだな?)僕は治療法を頭にインプットし、まずは点滴治療を開始しました。何度か上司と共に当直は経験していたのですが、院外で患者様に自分一人の判断で点滴をオーダーしたのはこの時が始めてでした。(さあ、うまく効いてくれよ)内心ドキドキしながら点滴の効果を期待していました。ところがです。治療開始から30分後、坊ちゃんの様子がおかしくなったのです。

「先生、なんか鼻も詰まって、もっと息苦しくなってきたよー」そう訴えてきました。大変です。僕のオーダーした点滴が効力を発揮してくれません。焦りました。もともと低めだった血圧も更に低下し、プレショックを呈していました。
「先生、何とかしてください」お母さんも心配そうにしています。
(なになに、慌てる事は無い。次なる治療をすればいいじゃないか。)
冷や汗を拭きながら僕は自分に言い聞かせ、さっきインプットしたボスミンなる薬を使おうとしました。
「あ、看護婦さん、次にボスミンいきますから用意してください」涼しい顔を作りながら僕は精一杯の笑顔でオーダーしました。ところがです。待てど暮らせど頼んだ薬が出てきません。
(早くしてくれないかなー?坊っちゃん死んじゃうよ!)僕の焦る気持ちと裏腹に、なんと看護婦さんは洗い場で、頼んだ薬そっちのけで自分の手を洗っているではありませんか!
「何してるんですか、早く薬作って下さい!」ところが看護婦さんはこう言いました。「ごめんなさい。アンプルで指切っちゃったから自分で作ってよ。」

独りぼっちになった僕。初めて作るボスミン注。隣には苦しがる坊っちゃん。「先生、何とかして、苦しいよ!」(何とかして欲しいのはこっちだよ!)泣きそうな僕はもう一度マニュアル本を確認しました。(ボスミン0.3cc皮下注だな。)しかしそこでふと気付きました。

(あれ?手に持ってるのは皮下注用ではなく静脈注射用の注射器だよな?でも看護婦さんに渡されたのはこれだし・・・緊急時は靜注するのかな?ま、いっか、ベテラン看護婦さんのすることだ。きっとこれでいいのだ!)後に訪れる不幸も知らず、僕は静脈注射用の注射器を右手に坊っちゃんに向いました。「これでよくなるからね」そう言って僕は恐る恐るボスミンを靜注し始めました。結果は言わずもがな。研修医の皆様、生きてる人にボスミンを靜注してはいけません。この超々々強力な昇圧剤を打つと脈は速くなり血圧は急上昇し、時に人は死んでしまうこともあります。そのボスミンを僕は静かに靜注したのです。

不幸は突然やってくるものなんですね。打った直後、それまで行儀のよかった坊っちゃんに行動変化が起きたのです。急に立ち上がり両手を頭にやりこう叫びました。「あ、あ、あ・・・頭が・・・頭が・・・頭が痛いよー!助けてくれー!!」顔は真っ青です。僕の顔は恐らくもっと真っ青でした。(な、な、な、何がどうなったんだ?)目の前で起きた状況を理解出来ない僕がいました。坊っちゃんはそのままもがき苦しみました。「あーあーあー!!」言葉にならない坊っちゃん。今思えば血圧は300mmHg位になっていたのかもしれません。間髪いれず待合室からお母さんが飛んできました。
「どうしたの?どうしたの?」うろたえるお母さん。「頭が痛いよー!!助けてよー!!」苦悶状態の坊っちゃん。

「あなたーーー!何したのーーー!?」お母さんが僕の胸ぐらをつかみながら大きな声でそう叫びました。坊っちゃんより大きな声で、目が大きく見開いていました。僕は目の前が真っ暗になりました。(ああ、僕の人生は今日でおしまいだ。)青春時代が走馬灯のように頭の中をよぎりました。(死んだら2億円位かな?坊っちゃんだもんな?どうやって集めよう?)倒れこんでしまった坊っちゃんを見つめながらそんな事を考えていました。

看護婦さんも異常事態に気付き飛んできました。しかし「い、い、院長先生に連絡してきます!」と言い残し何処かへ消えていきました。一人ぼっちになりました。僕は誰の声も聞こえなくなる位の放心状態が続いていました。と、その時です。坊っちゃんの様子がまた変わりました。
「あれ、頭が痛いの治った。息苦しいのも治ってる!」予想に反した発言でした。お母さんも「本当?本当なの?」と息子の方に駆け寄りました。「うん、ちっとも苦しくないよ!」うれしいことを言ってくれます。(助かったのか?助かったみたいだ!彼も僕も!)僕は運良く逮捕されずにすんだのです。粗治療ではあったものの、ボスミンが効いてくれたのです。「副作用は強いけど、良く効く薬なんです」などともっともらしいことを言ってる嘘つきの僕がいました。(めちゃくちゃうすめといて良かった・・・。神様ありがとう!)内心はこんな感じでした。

先程とは打って変わった和やかな状況に、院長を連れてきた看護婦さんも唖然として、「あなた何したの?」という顔をしていました。その後しばらくして、この母子は犯罪スレスレのこの僕に深々とお辞儀をして帰っていったのでした。薬って怖い・・・、医者って怖い! 僕は痛感しました。本当に怖い夢でした。僕はこの母子の事を今だに忘れられません。まさに“忘れえぬ人々”って感じです。夢って生々しいですね。僕の話はこれでおしまいですが、依頼状1枚で、いとも簡単にこの原稿を書かせてしまった康子さんのことも一生忘れないでしょう。 (佐倉病院内科)
このエッセイのインターネット掲載について (『佐倉図書室通信』編集責任者より)
何事にも初めての体験は冷や汗ものです。こと医師においては、その重圧は計り知れません。その負担を少しでも軽減させたい、そう願うのは、医師はむろん患者にとっても同じ切実な思いです。その意味で若き日の言わざる本音ほど貴重なものはありません。一院内報を広く社会に発信するということに様々な意見もあると思います。が、大道に立って、あえて掲載しました。この夢 ―体験談が医療制度の改良に役立ってくれることを、続発する医療ミスを未然に防ぐ戒めになってくれることを願って。