熊谷元一研究
熊谷元一研究 2016(日本大学芸術学部文芸学科文芸研究V)に加筆


     奇跡の一枚「コッペパンを食べる子」

   下原敏彦


熊谷元一の名を世に知らしめたのは、岩波写真文庫『一年生』にある「コッペパンをかじる少年」の写真である。なんでもない給食時の光景にみえる。が、実はこの写真、奇跡に近い光景だったのである。「コッペパンの少年」は、熊谷の代表作である。一九五三年(昭和二八年)、長野県下伊那郡會地村(現阿智村)・会地小学校一年東組教室内にて撮影されたもの。一九五五年第一回毎日写真賞受賞作品・岩波写真文庫『一年生』に所収。写真界の金字塔とも言われる『一年生』にあって、このコッペパンにかじりつく少年の写真は、あまりにも有名だ。

江戸東京博物館はじめ山形県酒田市写真美術館や東京都清瀬市郷土資料館など、これまで多くの公、私の施設で熊谷元一写真展が開催されてきた。その都度、宣伝されたポスターには、いつも拡大されたこの写真があって見る人の目を引いた。それ故にメディアの感想・評価も多くある、例えばこの「コッペパンの少年」について、熊谷元一研究家である国立静岡大学教授・矢野敬一氏は、著書『写真家・熊谷元一とメディアの時代』の「プロローグ 記録する視線記憶された昭和」の冒頭において、次のように書いている。

一枚の写真、大きなコッペパンにかじりつく少年のまなざしはどこに向けられているのか、それはわからない。しかしその表情の真剣さに、写真を目にする者は誰しもがほほえましい気分になるだろう。食べるということに、はたして飽食の時代の子どもたちはこれほどに真剣な面差しを浮かべるだろうか。写真に写し出されているのは「昔」だが、大正や明治といった遠い過去のことではない。学校でパンを食べることができるようになったのは、いうまでもなく戦後のことだからだ。ちょつと年配の者ならば、ふっと自分の幼かったころのことを思い起こすかもしれない。モノクロームの世界に写し込まれた、貧しかったが心豊だった時代。そんなノスタルジックな気分を写真は喚起してくれることだろう。<略>「昭和」という時代の共有された記憶がこの写真には象徴されている。

矢野氏は、この写真に「過ぎ去った昭和」と言う時代への懐古。あの狂騒的な高度経済成長前の甘酸っぱい懐かしさを感じながらも、冷静に客観視している。そうした普遍性の一方で、「この写真を規定する具体的な時代性、地域による固有性についても見落とすべきではない」と述べ、被写体や時代をしっかり見据えその分析、考察を行っている。その結果、「同じ写真であっても時代によって異なった受け止め方がされている」として、ここでは、この「コッペパンの少年」について次のような真実をも明らかにしている。

少年が口にするパンは、実は給食のものではない。当時の会地小学校の給食は味噌汁だけだった。四方を山に囲まれた山国の村で農業を営む家に生まれ育った児童が多くを占めていたなか、昼食にパンを持参できるのは非農家の子どもに限られていて羨望の対象だった。

この指摘通り当時、農家の子にとってパンは手の届かない食べ物だった。机の上にひろげた新聞紙が、給食でないことを証明している。二人のコッペパンをかじる少年は、新聞紙にパンを包んできたことがわかる。この時代、パンは、村人にとって別格の食べ物だった。とすると、二人の少年は裕福な家子の子か。同級だった筆者が知る限りそうではなかった。この時代の非農家は、商店を除けば、それほど豊ではなかったように記憶している。それだけに、二人が、同じ日に、コッペパンをもってくることは、どれほどの確率かはわからないが、本当に偶然といえる。一年のなかで、ニ度となかったような気がする。農家だった私は、完全の学校給食がはじまる四年までパンをたべたことがなかった。それほどにパンをかじる少年はめずらしかった。しかも、並んでいる二人が同じ大きさのパンを持ってくるなどめったない出来ごと。ちなみに二人の家は離れているし宿場にコッペパンを売る店があったかどうか覚えていない。それ故に、「コッペパンをかじる」写真は、このときでしか二度とふたたび撮れないた写真であったのだ。



【被写体になった子の四三年後の証言】(記念文集『五十歳になった一年生』から)
私の一番の思い出は、何かトレードマークのようなコッペパンの写真です。この写真のお陰で、私の顔を知らない方でも思い出してくれる有り難い写真です。今、あの時どのように写されたのか思い出すことはできません。私は家庭の事情により、小学校三年の二学期かと思いますが、名古屋へ転校しました。そして、現在、岐阜の地で、会地のことはすっかり忘れていましたが、(この写真で)昔の事を思い出す事が出来、こんなに素晴らしい過去(一年生)があったのかと改めて感謝した次第です。



お昼観察 熊谷元一(岩波写真文庫『一年生』)

べんとうを食べる 

こどもたちはべんとうを学校で食べるのがたのしみだ。この時は教壇から見ていてもたのしい。こどもたちのべんとうのお菜をそれとなく見る。卵を入れてくる子、魚のおかずの子、漬物だけの子もいれば、時には梅干しばかりというのもある。幸い私のクラスでは、みんな頓着しないから有難い。しかし、弁当のお菜が揃えられればひるめし時の教師の気苦労もなくなる。完全給食の案が持ち上がっているのだが、まだ実施の運びになっていない。そこで、冬期間のみ味噌汁だけの給食を行っている。最初の一杯は平等に盛ってやるが、残った分は飲みたいものが飲むことにしている。なかには一杯ですます子もあるが、おかわりする子が多い。一番おしまいのところに栄養が多いのだというと最後の一滴まであけてしまう。私の学校は農村にあるので、こどもたちのべんとうは米飯が多いが、最近では非農家のこどもでパンを持ってくるものが毎日何人かずつある。これを見て農家の子もパンを持っていきたくてねだってこまらすという話を母親からきいた。