毎日新聞 昭和30年8月30日(火)


「毎日写真賞」受賞に輝く 初の受賞者 熊谷元一氏
ありのまま捕らえる 作品に満つ子供への愛情

 地上だけにあきたらなくなったカメラはとうとう水中にまで入った。また明るいレンズ、高感度フィルム、増感現像液の組み合わせでまったくの暗黒以外はカメラでとらえられるようにさえなった。このようにして写真の持つ重要性は報道、学術そのほか社会のあらゆる面でいよいよ高まってきたため、本社ではこの写真文化向上の一助として「毎日写真賞」を設定したが、このほど第一回毎日写真賞は一面社告のように地方の一アマチュアカメラマンの業績に対しておくられることとなった。選考経過、受賞者の紹介、推薦の言葉は次のとおりである。

初の毎日写真賞受賞の熊谷元一氏は明治42年に長野県生まれ大正15年飯田中学卒業、しばらく農業に従事していたが、のちに小学校教員となり現在は長野県下伊那郡会地(おおち)村小学校に奉職している。童画を学び現在日本童画会に属し数冊の絵本を出版している。熊谷氏のカメラ歴は昭和10年(一時教職を去り、童画を学び始めたころである)からスタートを切った。最初のカメラは絵本の原稿料をためて買った17円のパーレットの単玉、常焦点、F11という今から考えればオモチャ同様のカメラではあったが、熊谷氏は飛び立つようなうれしさでやたらに写しまわった。

ちょうどそのころ同氏は村誌を作ろうと考え写真で村の一年間の記録を作ってみたらと次のような計画をたてた。一カ月に約50枚、二年間に1200枚の写真をととる。このための費用は一カ月約50円(フィルム3本で3円、印画紙、薬品2円)節約のために一場面は3枚を原則とする。

こうして村の記録は次々とカメラにおさめられ2年後には予定を超えた1500枚の写真を作ることができた。こうして出来上がった村の記録は美術評論家板垣鷹穂氏に認められて昭和13年朝日新聞社から『会地村=ある農村の記録』として出版されたのである。

戦時中東京で役所勤めをしていた同氏は戦後再び村に帰って小学校に奉職するようになった。ようやくフィルムが一般の手に入るようになると再びカメラを手にとった。そのころはパーレットではなくて戦時中に買ったセミ・ミノルタ3.5に進んでいた。まず手掛けたのは農林省の駐村研究員として農村婦人の実態を調べることだった。この成果は『農村の婦人』(岩波写真文庫)と『村の婦人生活』(新評論社)の2つにまとめられている。また名取洋之助氏の指導を受けて岩波写真文庫の一つにするために「養蚕」の記録写真をまとめ同文庫の『かいこの村』となってあらわれている。

この本の印税で同氏のカメラはまた進んだ。キャノンUDP1.8となったのである。パーレットからちょうど20年の歳月が流れている。この新鋭カメラを同氏は教室に持ち込んで教え子たちの姿をとらえ、今回の受賞作『一年生』が生まれたのである。この記録写真集が生まれるまでには次のような苦心がある。
3年前農村の生活記録を収録したいと構想を練っているやさき岩波の方から「それをいま一つしぼって一年生としたらどうか」と言われ、そのころ氏はちょうど一年生受持に担当変更となったチャンスと合致したため、撮影意欲は盛り上がった。教師と生徒という自然の間柄から彼らの生活態度は少しもカメラを意識されず極めて自然の姿を、しかもさほど苦心せずに撮影することができた。
「いい写真をとりたいなどと欲張っているとろくな写真がとれないので、いつもありにままの姿、子供の心にかえってチャンスを逃さずシャッターをきっていったまでです」と心境をもらした。
なお熊谷氏は受賞内定の報に次のように語っている。「我々しろうとカメラマンが推薦にあずかるなど非常にうれしいが、今後もこの調子でいけるかどうか多少心配にもなります。しかしたんたんとした気持でやっていくつもりです」

日常を素朴な目で 推薦の言葉 金丸重嶺(日大教授 写真評論家)

この組写真は長野県の農村にある一つの小学校に取材して、新しく入学してきた児童が、その後の一年間にさまざまな体験を通じて変化していく経過を克明に記録したもので、家庭から初めて学校という集団に入ってきた子供、次第に共同生活の中に芽生えていく状態が興味深くあらわれている。この作品の全般に通ずるものは、単なる興味や感傷に訴えるという装飾を避け、素朴な目で日常の現実をみつめ、極めて自然な角度から対象に融けあい、しかもよく時間的経過の中に、生活やその心理的変化を視覚的に組み立てていることである。またその組写真全体に流れるものは小学一年生を通じて人間をみつめているが、この背骨の通っていることが何よりも力強い。その表現技術の優れていることも確かであるが、長い年月に一つの問題を深く掘り下げていったこの真摯な態度と、対象に対する深い愛情と理解がこの成果をあげたものであろう。

選考過程

まず昭和29年4月1日から30年3月31日」までに新聞、雑誌その他刊行物、展覧会を通じて発表された写真について文化人、写真評論家、全国アマチュア写真団体に対して推薦アンケートを求めその回答を基礎に本社委員会において82点(白黒63点、カラー7点、組写真12点)を候補作品として選出した。これを東京では7月29日から8月10日まで銀座松屋における「第一回毎日写真賞候補作品」で一般に公開すると同時に、45名の選考委員から投票を求め、また大阪においては今回は準備期日不足のため公開展覧会は行わなかったが、本社内で非公開展示を行って在関西6名の選定委員から投票を求めた。

この東西51名の選考委員団の投票を集計した結果、次の14作品が最終選考に残された。
◇一年生−ある小学教師の記録(熊谷元一)◇ある画家の生活(林忠彦)◇カメラ・日本の旅(樋口進)◇外遊作品全般(木村伊兵衛)◇室生川−「室生寺」より(土門拳)◇スラム街イタリア(木村伊兵衛)◇小渕沢初見(瀬田千作)◇おしんこ細工(土門拳)◇曽根崎心中(木村伊兵衛)◇夜の潮流(緑川洋一)◇日本の顔「新しき悲劇」(橋本保治)◇ひまわり(中山八郎)◇秋田(木村伊兵衛)◇待ちぼうけ(大宮晴夫)

以上14作品について本社委員会による最終選考を行い「一年生」および「ある画家の生活」が最有力として話題になったが、結局「一年生」が技術的な優劣を超えて、じっくりと対象と取り組んで地方の小学校一年生の生活と性格、その成長をとらえていること、自分の日常生活のなかにテーマを求め、一年間絶えない努力を続けたこと、写真がだれにでもとれ、またアマチュア・カメラマンのあり方を教えたこと、などが認められて受賞と決定した。なお第一回は部門別選考を行わなかったが、次回から白黒写真、天然色写真、組写真の各部門ごとに優秀作品を選び、受賞作品を決定する方法をとる予定である。[一等賞金は10万円であった]