熊谷元一研究


下原ゼミ通信 2015.5.30



熊谷元一の衝撃「自主と創造」の教育実践  
黒板絵の投げかけるもの


清水正(日本大学芸術学部教授・芸術学部図書館長)

熊谷元一は戦後の小学校教師のすばらしい教育実践を、黒板絵の写真だけで鮮やかに伝える。熊谷は教師の聖域であった黒板を小学一年生に開放し、自由にのびのびと落書き絵を描かせた。熊谷元一の写真作品は岩波写真文庫などでも紹介され各界に衝撃を与えたが、今回初めて伝説的な黒板絵がまとまった形で刊行されることになった。編纂者は熊谷の教え子であった下原敏彦氏である。101歳で亡くなった師の遺志を継いで下原氏は、現在「自主と創造」の日芸文芸学科で教鞭をとっている。子供たちが無心で描いた黒板絵は見る者に無垢の感動を与える。子供たちがカメラをまったく意識していないことが、いかに熊谷が卓越した教師であったかを証している。熊谷の教育実践は受験勉強などという教育現場とは無縁な創造的で自在な時空を作り出している。

私は中学三年の時に「私が望む教師論」を書いて理科担当の教諭に渡した。その教諭は四時限目の授業後、いつもわたしが投げかける諸問題に熱心に耳を傾け、昼食をとることができなかった。彼は私が高校受験した日に交通事故でなくなった。私は教育に関しては子供の頃から強い関心を抱き、中学時代は斉藤喜博の「私の教師論」「教室の演出」などを読んでいた。斉藤喜博は当時、島小の校長で、彼の教育実践は熱心な教師たちに多大な影響を与えていた。授業参観者は全国から集まった。島小の子供たちを撮影した写真集もあったが、そこに映し出された子供たちの顔はまさに躍動していた。

教育現場で教育に携わる者たちの責任は重い。団塊世代の連中は、いやおうもなく受験競争の波に呑まれ、教師たちの大半もまたその波に乗った。中学時代、わたしは受験勉強などいっさいしなかった。勉強はしなかったが、「中央公論」「文芸春秋」は読んでいた。日記がわりにテーマを決めて論文も書いた。教育問題に多大な関心を抱いていたので、斉藤喜博の本は興味深く読んだ。「教室の演出」という言葉にショックさえ覚えた。

教育、特に幼少年期にどのような教育を受けたかで、その人の運命が決まる。熊谷元一という教師の教育実践は、これから詳細に情熱的に検証されなければならない。人間は自由な存在であり、独創的に生きなければならない。黒板絵は熊谷元一の教育実践の核の部分を形成している。教師の側からのいっさいの指示のないところで、子供たちは黒板絵を描いた。子供たちの自主にまかせること、そこに独自の想像が働き、創造へと結びついていく。

今日の教育現場は上からの指導という名の指示が多すぎる。指示や命令ばかりがはびこる現場からは魂を震わすような創造は生まれない。子供たちに向き合う時間よりも、書類作成に時間がとられている教師が多いようではだめなのである

黒板絵は、それ自体が教育のあるべき姿を見せている。熊谷元一の凄さは、黒板絵を描かせたばかりでなく、それを写真撮影して残しておいたことである。子供たちに自主・創造の場を与えることのできた教師・熊谷元一は同時にその目撃者であり記録者でもあった。そのことで六十年前の教育実践の場が鮮やかに蘇ったのである。編集・校正の作業を通してつくづくこの本の重みがひしひしと伝わってきた。熊谷の「写真」と「教育」は今後、真摯に検証し、研究しなければならないだろう。熊谷が写真撮影した黒板絵は教育界に衝撃を与えるだろう。戦後まもない信州の山村の小学校で自主・創造の教育実践が展開されていた。

教育の現場に自由人熊谷元一が現れた。子供たちは黒板だけ解放されたのではない。熊谷は子供たちの心を開放し、自由に想像宇宙にはばたかせた。教育者は創造者としての自在な精神を備えていなければ、子供たちとヴィヴィドな関係をつくりあげることはできない。熊谷の心は大空のように子供たちに開かれている。熊谷を前にした子供たちに緊張はない。自由にのびのびと自らの精神世界に遊ぶことのできる教師熊谷のうち懐に抱かれた子供たち。その子供の一人が編纂者となって熊谷の遺作「黒板絵」を世に問う。

熊谷元一は教師であり、写真家であり、自由人である。彼が写真として残して膨大な数の黒板絵は多くのひとに感動と衝撃を与えることになるだろう。六十年前の教室の光景が鮮やかに蘇る。熊谷が残した写真は寡黙であるが、対話的に接すれば豊饒な言葉が次々に湧き出てくる。わたしは熊谷の残した黒板絵に、子供たちの心のざわめきが聴こえる。子供たちは解放された黒板に向かって空を飛び、地にもぐり、自分なりのおとぎ話を作り上げる。精神は解放され、自在に飛翔する。そのあるがままの姿を写真家熊谷はとり続けた。教室で熊谷は写真を撮っているにもかかわらず、そこにカメラを構えた熊谷の姿はない。見事なほどに自分の存在を教室から消している。教室の空気に溶け込むことのできる忍者先生・熊谷の見事な教育術。

信州の山村で実践された自由教育の一つの成果が黒板絵であった。一人の教師の持つ力の偉大さに感嘆せずにはいられない。教育はまず人である。熊谷元一という一人の教師が子供たちを無垢な創造者へと変身させた。施設の充実などを第一義に考える者は、教室を想像・創造時空へと変えることはできない。子供たちが描く黒板絵を無心で面白がっている熊谷元一がいる。ただそれだけで教室は開放的な自由な時空へと化す。教師の人格、性格、指導理念が何の衒いもなく自然に発揮されているのが熊谷教室の現場である。

熊谷元一にまとまった教師論や教育論があるのかどうかは知らない。しかし黒板絵の写真の数々を目にしただけでも、熊谷の教育に関する思想と情熱と優しさは生々しく伝わってくる。子供を誰よりも愛している母親は、学者や教師の書いた本を読まなくても、最良の教師になることができる。溺愛や放任はだめだが、愛と情熱と分別が備わっていれば、子供はすくすくと育つ。

子供を溺愛したり、強制したり、過度の期待を寄せたりすることはよくない。ラスコーリニコフの殺人事件は母親プリヘーリヤの溺愛と過度の期待に原因している。熊谷の子供たちに対する距離の取り方は抜群である。このことは彼が写真家としていつもカメラを手放さなかったことと密接な関係がある。彼は見る教師であると同時に撮る写真家でもあった。熊谷は撮るための距離をいつも念頭に置いて子供たちと接している。ここにはべとついた関係は成立しようがない。熊谷は優しい目を持っているが、厳しいカメラの眼で子供たちと接している。

熊谷の写真は、彼の教師・教育観と密接につながっている。優しいが厳しい。強く抱きしめることもできるが、その手はきびしく突き放すこともできる。子供たちのさまざまな姿態の瞬間を切り取る写真家熊谷に甘い妥協はない。教育の現場に要請されているのは自身に対する厳しさである。この〈厳しさ〉の優しさに包まれて会地小学校の子供たちは自在に想像力を飛翔させた。熊谷元一が撮った子供たちの黒板絵を見て、大人は在りし日の自分の姿を甦らせるであろう。今、はたして何人のものが、自らの夢を織りなす黒板に向かっているだろうか。



日芸図書館企画の展示「写真家 熊谷元一」開催
日芸アートギャラリー 6月2日(火)〜16日(火)10:00〜18:00(日曜休み)

2015年4月30日の読売新聞夕刊15面の連載「時の余白に」で紹介されました。
芥川喜好「無心という時間があった」