岩波書店『図書』1955年10月号 


子供たちと暮らして

熊谷元一

「一年生」の写真をとりはじめたころは、子供たちが意識して表情を変えたり、わざとらしい動作をするのではないかと思ったのですが、案外そういうことはありませんでした。というのは最初の1、2回は、写真はどういうふうにできたか、とか、とれたかというようなことをききましたが、あとで見せてやるよ、というと、もうそれで満足して、写真はとるもので、見るものではなく、まして自分にくれるものではないと思いこんでしまったので、他の人たちのように写真をとられるという気持ちがなかったのが大変よかったのだと思います。だんだん私も気楽になり、子どもの鼻先きにカメラをつき出しても、はじめちょっと気にするだけで態度が変わらぬのでうまくゆきます。カメラわしじゅう首にかけて授業をしておりました。

「一年生」の中に出てる掃除の場面、ああいうことが偶々あるのかと人に聞かれますが、あんなことはしょっちゅうあります。おとなの世界とちがって、子供たちには仕事と遊びの区別がついていない。掃除の途中でふざけだす。目に余ることは叱りますが或る程度のことはしらん顔してやらしていました。相撲をしたり、喧嘩をしたり、雑巾をほうりあげたり、あまり行儀が悪いのであの本には出しませんでしたが、股をひろげて、トンネルだぞ!といって幾人もが雑巾で床をふきながらくぐっていったり、机を動かすにしても吊って運べばいいものを、机の下へ首をつっこんで、亀が動くようにしてやる。こんなことをさしておくと怪我をするという心配のあること以外はそのままにしておいて、注意しなければならぬことはあとで、ああいうことはよくないことだと指摘し、子供たちに納得させました。

   

「一年生」の中に、外をゆく宣伝カーを、教室の中からのびあがって見たり、あくびをしたりしている場面がありますが、あれは教師として恥ずかしい写真です。あくびが出るまで同じ授業を続けるのは、教育技術として拙劣だということになるのです。しかし実はどこまでやったらこうなるのか見たいという気持ちも手伝っていました。

 

私が一年生の受け持ちになったのは3回ですが、一年生は、家庭から学校へそのまま来たのですからはじめは、ばらばらです。一カ月たち、二カ月たつうちにだんだん集団生活に慣れてくるわけです。教師として面白い反面、こわいものです。他の学年だったら、先任の先生のやり方がああだったからという逃げ口上もいえますが、一年生の場合は、子供を見られるということは自分も見られるのと同じことです。

或る写真雑誌の編集長の話ですが、カメラマン志望の青年が来て使ってくれという。君はいつカメラの勉強をしたのかと質問するとたいてい学校にいっているうちにやったというそうです。親のすねをかじって、写真機をふりまわして、さて学校を卒業してそれが商売になるなどと考えるのは甘いねとやると、いやそれはこういう考えだとくってかかる勇気があれば少し見どころがある。しかしたいがいの人は学校にいる間、ろくに学問もしないでカメラをもてあそび、対象をどういうふうにみて、その中から何を掴み出さなければならないかという、一番大切な問題に対する心構えを勉強していない。それでは立派な写真はとれないのではないかと思う。編集長のその話は大変面白いと思いました。私も若い頃からカメラを持っております。しかし今まで何十年と写しているのに、どんなにほめられた批評にでも、必ずというほど、しかし技術は拙い、という言葉がいつもついているのです。

技術はまずくてもいい、と思っているわけではありませんが、私は対象を掴むことが第一で、それによって、まずさを補っていきたいといつも思っているわけです。「農村の婦人」の場合も、資料を集めたり、ここはカメラでとれる、ここは文章でなければわからないなどと考えて、出来るだけ本当の姿を伝えようとしました。「一年生」の場合でもうまくうつそうと考えずに、いちねんせいとはどういうものだろうか、自分は何年も教師をしていながら、案外うっかり見過ごすこともあることを知っていますから、出来るだけ克明にうつして、一年生の特性を見出そうとつとめました。うつしはじめてからは、またちがった目で見ることができるようになったのは有意義だったと考えます。密着を拡大鏡で見ると、この子どもはこういうことをしている。日頃の行動と思い合わせて、よく子供の性質がわかることがある。たとえば子供が喧嘩をしているところを撮ったのをみますと、ふつうだったら喧嘩をしている常の二人にしか気がつかないのに、写真では、他の子供たちがどういう表情をし、どういう態度をしているかがはっきりわかります。

「一年生」が出てから、各方面からさまざまの反響がありましたが、不愉快なものは一つもありませんでした。面白かったのは、或る校長が、校長先生の話をきいてあくびをしている写真をみて、もう3分以上話をするのはやめるといったことです。いたずらをしたり、ふざけたりしている写真のことでも、教育者としてこんな写真をうつしてよろしくないなどという人はなくて、かえって、涙が出た、みているうちに眼があつくなるなどといわれました。

私はこれからも田舎で教師をしながらこつこつ勉強していきたいと考えております。今は郷里の開拓地の様子をぼつぼつうつしています。開拓地というのは、満州などにいって帰って来たが、以前にもう家屋も土地も手放して無一物の人たちが、村で今まで耕していなかった高い山、或いは山の奥の方に入って開墾をやっているところです。そういう記録をとっておくのも大切ではないかと思ってはじめました。ひじょうに辺鄙なところでやっているのでなかなか時間がかかります。地方にじっくりと腰をすえ、日本の社会の姿をちゃんととらえるいわゆるアマチュアカメラマンが沢山出来るとよいと思います。

(日大芸術学部大学院生が公共図書館における検索で発見し提供)