熊谷元一研究

文芸研究下原ゼミ通信 臨時号
熊谷元一生誕110周年・「熊谷元一研究」7周年記念
(日本大学藝術学部文芸学科 2020年12月 編集発行人 下原敏彦)

                              
2020年は、熊谷元一生誕110周年です。2020年、命日の11月6日、「下原ゼミ通信」編集室は、熊谷を偲んでこれまでの研究実施の足跡を振り返ってみた。
 
「熊谷元一研究」の歩み 

2000年7月 江戸東京博物館「近くて懐かしい昭和展」見学。二八会(「一年生」教え子の会)と。

2004年 熊谷元一研究に最初に着手したのは、韓国留学生、朴麗玉さん(写真学科大学院生)でした。2004年写真家を目指し日芸の門をくぐったとき担当教授から「写真研究をやるなら熊谷元一をやりなさい」と、紹介されたとのこと。
2005年1月 日芸下原ゼミで第1回熊谷元一研究報告会をおこなう。この年の春、熊谷の故郷阿智村を訪問、写真童画館を見学。
2011年2月 長野県諏訪市言流布童画館「熊谷元一の世界展」を二八会(「一年生」教え子の会)と見学。
2013年4月 下原ゼミで文芸研究Uの傍ら熊谷元一研究をはじめる。
2013年7月 秋田角館・酒田市美術館にて「熊谷元一写真童画展」を見学。ゼミ学生、写真童画館職員4名、二八会メンバー、他総勢17名。
2014年1月 ポートレートギャラリー「長野県生れの写真家たち」見学。
2014年12月 ゼミ誌『熊谷元一研究』創刊号刊行 特集「熊谷元一とは何か」
2015年6月 「黒板絵」写真展開催(日本大学芸術学部 日芸アートギャラリー)
2015年12月 ゼミ誌『熊谷元一研究 No.2』 特集:昭和28年の一年生
2016年12月 ゼミ誌『熊谷元一研究 No.3』 特集:熊谷元一と満州
2019年7月 熊谷元一生誕110周年前夜祭を記念して、土壌館下原道場で「一年生」写真展を開催。

2020年、熊谷元一生誕110周年記念の墓参は、コロナ禍で断念。お墓は、住まいのあった清瀬と、熊谷の故郷、阿智村にある。残念ながら遠方から合掌のみのお参りとなった。阿智村の昼神温泉郷での毎年ゼミ合宿も中止となり、かわりに以下のDVDを鑑賞した。

「教え子たちの歳月 五十歳になった一年生」NHK「にっぽん点描」1996年
「熊谷元一さんが遺したもの」NHK長野 追悼番組 2011年
「黒板絵は残った」長野朝日放送 戦後70年特集 いまは懐かしい所沢校舎が映っている。

DVDを見た学生たちの感想

・私が小学生の時は休み時間に黒板に絵を描くと怒られていたし、誰かが喧嘩をしていたら必ず先生が止めに入っていたな、と思い出しました。自由には責任があって、だからこそあえて自由にさせ、色んなことに気づかせることで責任感というものは生まれるのだと思うし、写真の子どもたちはすごく生き生きとしていて、この自らやりたいと思ったことをさせるような教育がそのようないきいきとした表情を生み出しているのかな、とも思いました。そしてそういう教育の仕方はすごく自発的な人間を育てることに繋がっているのだと思いました。

・黒板は、先生の「聖域」と言われていて確かにと思ったし、そこを全力で開放できる懐の深さを感じた。

・下原先生が生徒だったときに、絵をほめられてうれしかったとのと同じように、熊谷先生も自分の撮った写真を教え子に本にしてもらって、うれしかったのではないかと思いました。

・自分が小学生のときにも黒板に絵を描いていい時間(休み時間なら描いていい…)がありました。のびのびできることが教育にいいのだな思いました。

・褒められることが大事だと改めて気付かされた。私も褒められて伸びたい!

・戦前、戦中から戦後、高度経済成長期、そして現在に至るまで、地方の名もない山村の人々の営みを記録しつづけたことは、教師としてだけでなく、生きた歴史を刻んだ偉人としても評価されよう。

・自分も、小学生のころ黒板に落書きしていたのを思い出しました。

・自分の考えていることを自由に描く子どもたちから喜びが伝わってきた。

・叱らずにほめて育てるという姿勢が、とても良かった。個性を伸ばしてくれる大人の存在は、子どもにとって本当にありがたいことだと思う。

・黒板に自由に絵を描かせてほめて、伸ばす先生というのは現代でも、過去なら尚更のこと珍しいことだったんだろうなといい印象です。生徒にここまで慕われる先生は、本当にすごいと思いました。

・所沢校舎の懐かしさに、つい目がいっちゃいました。やはり黒板は味があっていいですね。

・熊谷さんの功績は、もちろんだが、本人がどれだけ周りに愛されていたかがよくわかった。

・「写真を撮られる」と意識していない自然の表情がすてきだと思いました。写真は良いものだと思いました。白黒の写真に時代を感じました。

・小さいころにほめられたものやほめられた経験は大きくなってからも人生に大きく関わってくると思いました。実際にそのものでなくても、人生の価値観などにも響いてくるだろうなと思います。

・日常を切り取った様子が良いなと思った。いろいろな人から評価を受ける理由が分かった気がした。子供が可愛い。

・僕は、教育には褒めることも叱ることも必要だと思っているが、しかしながら熊谷先生の姿勢は教師のあるべき姿を体現していると感じた。教え子一人一人をよく見て、それぞれに合った指導をするというのは、絶対的に求められるが、簡単なことではない。。

・本当に故郷に思い入れがあるんだなと強く感じました。

・日常をそのまま切り取ったような写真が魅力的だった。

・雑草の絵を描いていた方がいて、私はただの雑草だと思ったが、熊谷さんは、その絵を肯定し、本も出ることになって、その表紙の絵は、とても綺麗で凄いと思った。

・「どんな些細なことでも面白がる」という熊谷さんの中でのテーマ(?)が良かったです。それが写真を撮る原動力となっていて、教え子にも伝染しているんだなと思いました。うらやましいですね。

・同じ人が同じ目線で撮り続けることで、その人にしか出せない趣きが生まれると知りました。なかなかできないことです。

・当時の貧しい情勢でも頑張っていた子どもたちが、それぞれ素敵な成長をしていて熊谷さんも感動したと思う。

・何十年たった後でも教え子たちが熊谷先生に会うとよろこんでいて、とても尊敬される先生だったというのが伝わってきました。

・どんな人にも一つの人生があり、自分の教え子の人生を見守っていける熊谷さんはすごいと思います。人数も多いでしょうし、記憶も薄れていくでしょうに、愛をもっていなければできないことだなと思いました。

・写真に映っていた子供たちにもそれぞれのドラマがあって面白かった。昔は大変だったのだと思った。家族のためでなく自分のために生きれる時代になってよかった。

・僕自身、田舎の出身で昭和の風景や生活習慣が未だに名残程度ではあるが毎在していた。2000年生まれの僕ですら懐かしさを覚えるのだから、当時実際に小学生だった人からすれば、いったい何程だろうか。

・恩師に対しての教え子たちの尊敬が良く伝わりました。

・長い年月が経っても互いに信頼し合ってる関係が良かった。

・昔、16歳の女の子が一家を支え働いていたという話しには驚いたし、私にはできないことだなと思った。50年たっても教え子に会いに行き、気にかけるのはすごい。

・写真は、記録なので1年生の時と50歳の時の写真と比べたり、思い出話しに花を咲かせたりすると楽しいだろうなと思いました。人生のルーツをたどれるのだと…。

・50歳になった教え子を応援し続け、会いに行き撮影するその姿は、根っからの教育者であり、根っからの写真家だなと思いました。

「教え子たちの歳月 五十歳になった一年生」は、1996年11月24日にテレビ再放送された。当日の読売新聞朝刊のテレビ欄「試写室」で下記のように紹介していた。

古い写真集がある。コッペパンをほおばる子、取っ組み合うガキ大将、家の野良仕事を手伝う子…。将来を語るレコードも残っている。かわいらしい声で「百姓になりたい」、「いい人になりたい」…。昭和28年、長野・会地村の小学校に66人が入学した。彼らを撮り、記録したのは、担任の熊谷元一先生。その子らが今年、50歳になった。今は東京に住む先生も米寿を迎えた。「教え子を再び撮りたい」これは、43年の空白を埋める先生の旅を追った記録だ。家業を継いだ者、集団就職で都会に出た者、道は違っても、みんな立派な大人になった。その人生模様が、戦後から高度成長へと歩んだ日本の縮図を垣間見せる。そして、今秋39人が村に集まり、先生を囲む同窓会が実現した。「あのころに戻ってみたいなあ」再会を喜び無邪気な一年生に帰る教え子たち。自分に重ねて郷愁に胸詰まる思いの同世代も、きっと多いだろう。貧しく苦しかったけれど、陰湿ないじめも受験戦争もなかったセピア色の昔。山あいの小さな村を舞台によみがえる先生と教え子の、ちょっといい話である。(成)


「黒板絵」写真展開催
(2015年6月2日〜16日)
写真展の詳細は、日本大学芸術学部図書館活動誌『日芸ライブラリー No.2 』で紹介された。

会場に置いたノート、また電話、メール、手紙などで、さまざまな感想をいただきました。一部を紹介させていただきます。

・6月4日、この日は昔から「虫歯予防デー」と言われてきました。当方は、ここに登場する元気な子供たちとは2年下ですが、黒板に元気な絵を描いた子供の様子をみていて、今日が何の日であるかを思い出しました。

・62年前はまだ食料事情はよくなかった。が、この子たちから虫歯予防を思いだしたということは、当時の子供たちの見た目は、現代の子供たちよりずっと健康だったのかも。

・黒板絵の中に「…ちんぼがか(ゆ)いい…」という絵があります。これも正に当時の男の子ストレートに表現したものです。つまり遊びに夢中になっていると、小用を足すにも最後の最後までキチンとしないのです。すると下着にもらした残りカスがいたずらをし、アセモのようになって「かゆく」なるのです。元気で素直な子供たち1人1人でした。

・経験からのお話でしょうか。すすむくんは、からだに感じている本当の気持ちを描いた。そのようにもみえます。元気な素直な現れは、みる人によって、違うかも。

・ひるがえって、生れたときから身の回りに何でも揃っている今の子どもたち。ケンカもなく、ケガもなく、自分たちの学舎の掃除をするでもなく、ところによっては、給食費まで支払わない。過保護で自己中心に育った子供たちに、今の大人たちは、何を期待しているのでしょうか…。

・昔も今も子供たちはかわらない。が、むかしは、自分たちでやらなければならないことがたくさんあった。掃除もそうだが、ストーブのまき運びもそうだった。

・こんなこともあった、あんなことも…そんなアレコレが、まわりどうろうのように浮かんでは消えする写真展でした。この企画に感謝です。ありがとうございました。

・虫や牛や、生き物がいる世界、と、今の東京のようにスズメまでも、少なくなっている世界では、生き物に対する、気持ちがちがって育ってしまうかもしれないなあ、と思いました。生き物が身近にいて、自然があるのは、心の中に宝物がいっぱいあふれることかもしれません。

・描いた子供たちの心の中を想像して自然環境までみているところがすごい。

・読売新聞の「時の余白に」を読んでこちらに来ました。子どもたちの写真が、とても生き生きと写されており、感動しました。なつかしい風景ながら、いつの時代も変わらない子どもたちのみずみずしい感性を感じました。私の子どもは来年、1年生になりますが、家族にも今回の熊谷先生の写真集をみてもらうつもりです。このようなすばらしい記録が残っていることに感動し、このような展示を見せていただいたことに感謝します。ありがとうございました。
・教えない、おこらない、ほめて育てる、ということは、自分の子育てでは、できませんでした。――そう育てていたら、どうだったか?!!

・てんぐの怪獣が面白かった。(ありがとうございます。編纂者本人の落書きです)

・“性狷介にして不服従” そのような教師の写真を見せていただきました。(私は信州諏訪で生れました)

・黒と白のかもし出す、美しさ、たのしさ、子供さんたちの無邪気な発想、先生と子供たちの温かい交流。よき時代であったことを、あらためて感じさせて頂きました。ありがとうございました。 
素直な気持ちになれた

・子供たちの素直な絵のなかにいると、素直な気持ちになれてよかった。

・「5万枚の写真」、時を後世に伝え、人間を大切にする熊谷元一先生に敬服します。 熊谷先生の写真、世界中の人々に見てもらいたいです。歴史の生き証人ですね !!

・あの時代に、のびのびとさせる教育を実践されたことに敬意を表します。子どもたちへの「温かな、まなざし」は、今の先生方に大いに学んでほしいことです。時代が変わっても、教師として不易のことを教えてくれる写真展でした。ありがとうございました。(一年生と同世代です)

・写真一点一点の迫力、とてもとても貴重な楽しい展覧、ありがとうございました。師弟の強い絆を感じました。       
・昔のことが、よみがえってきました!!!

・6月12日、いなかからのこのこやってきました。もう半世紀も芥川さん(「時の余白に」)のファンです。同世代のこどもたちを見て、にっこり!です。歳とると、昔のことが、生き生きとよみがえってきます。(夫が、昔といいはじめると、私もこどももパッと、逃げ去っておりますが)実は、私も中学の教師をしていました。あのころのこどもたちは、かがやいていました!

・35年ぶりに江古田に来ました。キャンパスはすっかり近代的な建物になり、昔の面影はありませんでしたが、子供たちの写真を見ているうちに昔にもどってしまいました。子どもたちが描く絵は、どんな有名な作家の作品もかなわない力強さと美しさがあります。それにしても、子供たちを写真を通して長い間、みつめていることに懐かしさを感じました。ありがとうございました。

新聞・テレビなどで紹介された熊谷元一

□NHKテレビ 1996・11・24 日本点描「教え子たちの歳月」
□NHKテレビ 2011・1・14 「熊谷元一さんが残したもの」(信州を知るテレビ)
□NHKテレビ 2011・12・7 「熊谷元一さんのまなざし」(イブニング信州)
□朝日新聞 秋田 2012・7・10 「教え子撮った瞳 温厚」
□読売新聞 2013・3・23 芥川喜好編集委員「時の余白に」皆さんは私の目標でした
□毎日小学生新聞 2014・4・10 「60年後の1年生」教室の1年生を撮影
□読売新聞 2015・4・25芥川喜好編集委員「時の余白に」無心という時間があった
□テレビ長野朝日放送 2015・6・21 戦後70年特集 黒板絵は残った放映
□毎日新聞インターネットニュース 2015・6・9 黒板絵は残った
□信濃毎日新聞 本・『黒板絵は残った』2015・6・21 教育の力を信じたくなる1冊
□南信州新聞 2015年2月21日 「恩師から最後の宿題」
□南信州新聞 本・書評「『黒板絵は残った』出版」 2015・6・26 
□南信州新聞 2015・6・26コラム「偶然の出会いを楽しみながら」高柳俊男教授
□朝日新聞 夕刊 2015・7・3 「思い出の黒板絵」
□朝日新聞 インターネットニュース 2015・7・5 「黒板の落書き絵」
□法政大学国際文化学部 SJ(スタディ・ジャパン)飯田・下伊那地区研究
□HP高木圭介ブログ「黒板絵は残った」を観て考えさせられたこと
□信濃毎日新聞2020・11・26「斜面」黒板絵は残ったについてのコラム

熊谷元一が寄せた親友への弔辞

1997年4月20日、村に住む熊谷元一の最後の小学校の同級生下原嘉男(89)が亡くなった。二人は親友だったと聞く。熊谷は、下原の死を悼んで弔辞を寄せた。この弔辞、2020年春、長男の下原勝弘氏からお借りして、ここに紹介させていただきます。※ちなみに下原嘉男は、下原敏彦の父、勝弘は実兄。

熊谷元一の弔辞 1997年4月20日

新緑の 美しい季節になりました 昨夜、敏彦君から電話でお父様が おなくなりになられましたことを知りました。思い出しますと 昭和13年の拙書『会地村』に役場にお勤めになっておられるところと、めん羊を見ているところが写っています。まゆ代が一貫め十二円以上していたのが、二円にまでさがり、なんとも暗い時代でありました。そんな折、率先して一頭六十円もするめん羊を三頭も入れ この苦境を乗りきろうとした新しい意欲を思います。その後、村会議員をつとめられるなど、村のためにつくされました。なお、忘れられない一つは、小学三年生の時、一人一人うたう唱歌の試験の折、勉強はよくできましたが、私同様、唱歌は大の苦手、いまうたっている唱歌がなかなかうたえず先生から「君が代」をうたえといわれ、しかたなく赤い顔をして、キミガヨハ チヨニ ヤチヨニ・・・といった八十年も前のことがまぶたにうかびます。なつかしいなァ、はるか清瀬の地からご冥福をお祈りします。