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アトッサの闘い


病の皇帝「がん」に挑む 人類4000年の苦闘
The Emperor of All Maladeies :A Biography of Cancer
シッダールタ・ムカジー 著 田中文 訳 早川書房 2013
第6部長い努力の成果「アトッサの闘い」の部分より抜粋 下巻326-329ページ

[がんに対するわれわれの勝利がイメージしやすいように]がんになったと思われるペルシアの女王、アトッサを思い出してほしい。彼女が時間を旅すると想像してほしい・・・ある時代に現われたあと、また別の時代に現われる、といった具合に。彼女はいわば、がんのドリアン・グレイであり、彼女が歴史の時間軸を移動するあいだも、その腫瘍は同じ特徴と病期を保ちつづける。アトッサという症例は、われわれに過去のがん治療の進歩を要約させ、未来について考えさせる。過去四千年のあいだに彼女の治療と予後は…どのように変わり、二一世紀末には彼女にどんなことが起こりうるだろう?

まずは時代をさかのぼって、紀元前二五〇〇年のエジプトのイムホテプの病院にアトッサを送り込もう。彼女の病気に対する病名を、イムホテプは持っている。われわれには発音できない象形文字で書かれた病名だ。彼はその診断名を言うが、「治療法はない」と謙虚に言って、さじを投げる。

紀元前五〇〇年、自身の宮廷で、アトッサは自らの判断でもっとも原始的な乳房切除術をギリシャ人奴隷におこなわせる。二〇〇年後のトラキアでは、ヒポクラテスが彼女の腫瘍をカルキノスと診断し、かくしてアトッサの病に、将来にわたって鳴り響く名前を授ける。西暦一六八年、クラウディウス・ガレノスは単一の原因、黒胆汁の過剰を提唱する。つまり、うっ滞したメランコリアが固まって腫瘍になったのだと。

千年がまたたくまに過ぎる。アトッサのうっ滞した黒胆汁は溶血や下剤によって彼女の体から取り除かれるが、腫瘍は成長を続け、再発し、浸潤し、転移する。外科医はアトッサの病をほとんど理解していないが、それでも、ナイフやメスで腫瘍を切り取る。カエルの血、鉛板、ヤギの糞、聖水、カニみそ、腐食性化学物質などを処方する医師もいる。一七七八年、ロンドンのジョン・ハンターの診療所で、彼女のがんに病期が割りあてられる。初期の限局性のがんか、または、進行した浸潤がんか。前者なら、ハンターは局所手術を勧め、後者なら「冷静な思いやり」を勧める。

一九世紀に現われたアトッサは、外科の新時代に遭遇する。一人九〇年、ボルティモアのハルステッドの病院で、アトッサはもっとも大胆かつ、それまでのところもっとも権威ある治療を受ける。胸部の筋肉、腋窩リンパ節、鎖骨を含め腫瘍を大きく切り取る根治的乳房切除術だ。二〇世紀初頭、放射線腫瘍医は]線の局所照射によって腫瘍を消そうと試みる。一九五〇年代までには、別の世代の外科医たちが、二つの治療法を併用するようになっており(どちらも修正が加えられている)、アトッサのがんは、単純乳房切除術または乳腺腫瘤摘出術、および術後放射線療法で治療される。

ー九七〇年代、新たな治療戟略が現われ、アトッサの手術のあとには、再発を防ぐための術後補助化学療法がおこなわれる。検査の結果、彼女の腫瘍はエストロゲン受容体陽性と判明し、抗エストロゲン剤のタモキシフェンも投与される。一九八九年、Her-2増幅が発見され、手術と放射線療法と術後補助化学療法とタモキシフェンに加えて、ハーセプチンによる分子標的療法がおこなわれる。

アトッサの生存期間に対してそれらの治療的介入が与えた影響を正確な数値で表わすのは不可能だ。臨床試験の風景が次々と変化したために、紀元前五〇〇年のアトッサの運命と一九八九年の運命とを直接比較することはできないからだ。だがおそらく、手術と化学療法と放射線療法とホルモン療法と分子標的療法によって、彼女の生存期間は十七年から三○年延びたはずだ。たとえば、アトッサが四○歳で診断されたなら、六〇歳の誕生日を祝えるはずだと考えるのは妥当な予想である。

一九九〇年代半ば、アトッサの乳がん治療は、新たな転機を迎える。若年での乳がん発症およびアケメネス朝という家系的要素を考え合わせた結果、BRCA1とBRCA2の変異の有無が調べられる。アトッサのゲノムが解析され、そしてやはり、変異が見つかる。彼女は強化スクリーニングプログラムにはいり、反対側の乳房にも腫瘍ができていないか詳細に検査される。彼女の二人の娘にも検査が施行され、その結果、二人ともBRCA1変異陽性と判明し、強化スクリーニングか、予防的両側乳房切除術か、タモキシフェン投与がおこなわれる。アトッサの娘にとって、スクリーニングと予防の効果は絶大だ。乳房MRI検査によって、娘の一人に小さな腫瘤が見つかる。腫瘤は乳がんと判明し、非浸潤がんの段階で摘出される。もう一人の娘は予防的両側乳房切除術を選択する。両側の乳房を予防的に切除した結果、彼女は乳がんにかかることなく、天寿をまっとうする。

今度はアトッサを未来に連れていこう。二〇五〇年、アトッサは親指大のUSBフラッシュドライブを持って乳腺科を受診する。フラッシュドライブには、彼女のがんゲノムの全塩基配列のデータがはいっており、すべての遺伝子変異が同定されている。変異は主要経路ごとに整理され、あるアルゴリズムによって、がんの増殖と生存に寄与する経路が同定される。術後の再発を防ぐために、それらの経路を標的とした標的療法がおこなわれる。まず、ある分子標的薬剤の併用療法から始め、がんが変異したら別の併用法に変え、さらに変異したら、また別の併用法に変える。予防のためにしろ、治療のためにしろ、緩和のためにしろ、なんらかの薬を、彼女は生涯にわたって飲みつづけることになる。

これは現在、実際に進行中の対策である。だが、アトッサの生存を知って有頂天になりすぎる前に、われわれはより広い視野で物事をとらえる必要がある。もし紀元前五〇〇年にアトッサがかかったがんが転移性膵臓がんだつたなら、それから二五〇〇年のあいだに、彼女の生存期間が数カ月以上延びた可能性は低い。もしアトツサのがんが手術困難な膀胱がんだったなら、彼女の生存率は何十世紀ものあいだ、ごくわずかしか変化していない。乳がんですら、その予後は驚くほど多様だ。もしアトッサの腫瘍がすでに転移しているか、エストロゲン受容体陰性かつHer-2陰性で、かつ標準的化学療法に耐性だったなら、彼女の生存期間はハンターの診療所の時代からほとんど変わっていないだろう。一方、もしアトッサのがんが慢性骨髄性白血病(CML)かホジキンリンパ腫なら、彼女の余命は三〇年から四〇年延びているはずだ。

がんの未来の軌道が予測できない理由の一つは、がんの多様性の根底にある生物学的メカニズムをわれわれが理解していないためだ。たとえばわれわれはまだ、膵臓がんや勝胱がんが、CMLやアトッサの乳がんとなぜこれほどまでにちがうのか、その理由を知らない。だが一つ確かなのは、がんの生物学についてのどれほど深い知識を持ってすら、われわれはがんを自分たちの生命から完全に取り除くことはできないということだ。ドールが示唆し、アトッサが示したように、われわれは死を排除するよりも、生存期間を延ばすほうに集中したほうがいいのかもしれない。がんとの闘いに「勝つ」最良の方法は、勝利を定義しなおすことなのかもしれない。