文学の中の医学 @


イワン・イリッチの死 
トルストイ,L.N. 著/米川 正夫 訳  岩波文庫 106頁   


あらすじと解説

イワン・イリッチは官界における栄達と、快適な私的生活の充実のみに生の意義目的を認めて、この方面における自分の成功に満足しきっていたが、たまたま些細な小事故がもととなって不治の病を発し、長い間の肉体的苦痛と、一生涯営々苦心して建設した快適な生活に対する執着のために、恐ろしい苦悶を味わいつくしたのち、過去の生活の無意味さ無価値さを悟って、恐怖すべき死の手に掴まれる代わりに、輝かしい神の王国に入る。こういう題材を描写するに当たって、トルストイは明らかに凡俗の一類型としてイワン・イリッチを取り扱い、その滔々たる世間的生活の虚偽と空虚を具象化しようとしたものらしいが、しかし、この巨匠の椽大(てんだい)なる筆は、イワン・イリッチをして単なる類型的人物に堕せしめず、そこに広い意味における普遍性を与えたのである。(1928年 訳者)

感 想 - 他人の死 -

読みながら、黒澤明監督の名作『生きる』を連想しました。『生きる』の主人公はイワン・イリッチほどの社会的成功も得られなかった、うだつの上がらない初老の市役所市民課の課長ですが、いずれにしても、どこにもころがっている一凡人を通して、とことん「死とは何か」「生きるとは何か」を問い詰め、具体的に詳細に描いている点で共通しています。医療に関わる人々はこのようなありふれた「他人の死」をしばしば目にします。その多くは話題にも上らず、次々に忘れられていきます。「他人の死」を「自分自身や愛する人の死」に置き換えて実感するのは、たとえ医療のプロであっても不可能なことでしょう。しかし、不可能ではあってもそれは必要なのです。患者や家族のためだけではなく、自分自身がよく生きるために、またよく死ぬために、すべての人に必要なことです。文学や芸術はその実感を可能にするために機能する仕掛けの一つであり、医療においても科学技術に匹敵する重要な要素だということをこの小さな作品が証明しています。