文学の中の医学 A


肝臓先生 
坂口安吾 著  角川文庫


あらすじと感想

宮沢賢治とドン・キホーテをミックスして医者にしたら、肝臓先生ができあがる。雨ニモマケズ、風ニモマケズ、常に歩いて歩いて、疲れを知らぬ足そのものの町医者をまっとうしていた伊東の町医者、赤城風雲先生。戦争末期のころ、先生の身に神の試練のごとき運命が襲いかかる。診る患者がことごとく肝臓を腫らしているのだ。この肝臓炎の真相を究め天下に公表することが神の意志ではないかと先生は煩悶する。しかし、研究は自分の役割ではない、あくまで臨床家としての本分を果たすべきと決意した先生は、粉骨砕身、治療に当たりながらも、腫れた肝臓をつぶさに観察し、一方に慢性的な進行性と一方に甚だしい伝染性のあることを突きとめる。

かくして先生は、後者は戦争がもたらした大陸風邪が肝臓を侵したことが原因であるという結論を得て、「流行性肝臓炎」(患者向けにはオーダンカゼ)と命名する。半世紀も前に肝炎ウイルスの存在を見抜いていたのである。それ以来、先生は寝食を投げ打って流行性肝臓炎の臨床的研究に没頭する。今や自覚することなく、大半の日本人が流行性肝臓炎に侵されていると確信した先生は、「赤城性肝臓炎」と揶揄されながらも不屈の闘志でその生涯を肝臓炎との闘いに捧げ、壮絶なる最後をとげる。その滑稽にして実直、悲哀ただよう人間像はまさにドン・キホーテに称せられる普遍性を獲得している。「肝臓先生」は実話に基づいている。モデルは坂口安吾と親交のあった天城診療所の佐藤清一先生。

『肝臓先生』の最後に掲げられた碑銘(全文)

この町に仁術を施す騎士住みたりき
町民のために足の医者たるの小さき生涯を全うせんとしてシシとして奮励努力し
天城山の炭やく小屋にオーダンをやむ男あれば箸を投げうってゲートルをまき雲をひらいて山林を走る
孤島に血を吐くアマあれば表線に海辺に駈けて小舟にうちのり風よ浪よ舟をはこべ島よ近づけとあせりぬ
片足折れなば片足にて走らん
両足折れなば手にて走らん
手も足も折れなば首のみにても走らんものを
疲れても走れ
寝ても走れ
われは小さき足の医者なり走りに走りて生涯を終らんものをと思いしに天これを許したまわず
肺を病む人の肝臓をみれば腫れてあるなり
胃腸を痛む人の肝臓をみれば腫れてあるなり
カゼひきてセキする人の肝臓をみればこれも腫れてあるなり
ついに診る人の肝臓の腫れざるはなかりけり
流行性肝臓炎!
流行性肝臓炎!
戦禍ここに至りてきわまれり
大陸の流感性肝臓炎は海をわたりて侵入せるなり
日本全土の肝臓はすべて肥大して圧痛を訴えんとす
道に行き交う人を見てはあれも肝臓ならむこれも肝臓ならむと煩悶し
患者を見れば急いで葡萄糖の注射器をにぎり
肝臓の肥大をふせげ! 肝臓を治せ!
たたかえ! たたかえ! 流行性肝臓炎と!
かく叫びて町に村に山に海に注射をうちて走りに走りぬ
人よんで肝臓医者とののしれども後へはひかず
山に猪あれども往診をいとわず
足のうらにウニのトゲをさしても目的の注射をうたざれば倒れず
ついに孤島に肝臓を病む父ありて空襲警報を物ともせずヒタ漕ぎに漕ぎいそぐ
海上はるか彼方なり
敵機降り来ってバクゲキ瞬時にして肝臓先生の姿は見えず
足の医者のみかは肝臓の騎士道をも全うして先生の五体は四散して果てたるなりき
しかあれど肝臓先生は死ぬことなし
海底に叫びてあらむ
肝臓を治せ! 肝臓を治せ!と
なつかしの伊東の町に叫びてあらむ
あの人も肝臓なりこの人も肝臓なりと
肝臓の騎士の住みたる町、歩みたる道の尊きかな
道行く人よ耳をすませ
いつの世も肝臓先生の慈愛の言葉はこの道の上に絶ゆることはなかるべし
肝臓を治せ
たたかえ! たたかえ! 流行性肝臓炎と!
たたかえ! たたかえ!
たたかえ! と