文学の中の医学 C


皮膚と心 
太宰 治
集録:『きりぎりす』新潮文庫

あらすじ(本文抜粋)

吹き出物が拡がりました。そのときから私は世間から遠く離れてしまいました。「こんなものができて」とあの人に見せました。あの人は私の体を念入りに調べました。あの人は、無口ですが私を大事にしてくれます。

結婚したのは今年の三月です。私は二八歳で、母と妹の女ばかりの弱い家庭でしたので結婚は諦めていましたが、亡夫の恩人からこの話が来たのです。先方は三五歳、小学校を出たきりで親も兄弟もない再婚でした。六年間一緒に暮らした女と一昨年別れていました。よいところのない縁談でした。はじめは腹を立て、次に侘しくなりましたが、あの人が可哀相になり、似合いの夫婦かも知れないと浮いた気持ちも手伝って結婚しました。

あの人は、せんの女に捨てられたようで、すべてに自信がないようでした。仕事は熱心にします。あの人は銀座にある有名な化粧品会社の蔓バラ模様の商標を描いた人でした。蔓バラ模様の商標を褒めると、あの人は職人仕事じゃないかと卑下しました。学歴のことや再婚のこと、貧相なことなどにこだわっているようでした。あの人が卑下するので、私はかえって恥ずかしく、侘しく、逆にもっと強いものを求めるいまわしい不貞な心が頭をもたげたこともあります。それだから、気味悪い吹き出物ができたのです。

私は今まで自信のない態を装っていましたが、やはり自分の皮膚を唯一のプライドにしていたようです。自負していた謙譲やつつましさは贋もので、内実は感触だけで生きていたのです。医者に見てもらう番になりました。医者は中毒だと言います。注射を打ってもらって病院を出ました。手のほうは治っていました。私は、なんども陽の光に両手をかざして、眺めました。「うれしいか」といわれて、私は恥ずかしくなりました。

感 想

「幸福な家庭はみな一様に似通っているが、不幸な家庭はいずれもとりどりに不幸である」トルストイの『アンナ・カレーニナ』冒頭の有名な一節です。これをもじって「健康な心はみな似通っているが病気の心はいずれもとりどりに苦しんでいる」と言えるでしょう。文学はこのとりどりの不幸、どりどりの苦しさをとことん描き出すことによってのみ普遍性を獲得するのです。
『皮膚と心』は突如として皮膚の表面に華々しく現れた異常によって、主人公の心が揺れ動く様が太宰独特の筆致、雰囲気で描かれています。テレビ報道によれば女性が言われて一番嬉しいほめ言葉は「肌がきれいね」だそうです。皮膚疾患が女性においてはとりわけ他の病気とは一味も二味も違う悩ましさを生じさせるであろうことは想像に難くありません。