文学の中の医学 E


高瀬舟縁起

森 鴎 外(1862-1922)  
集 録:『山椒大夫・高瀬舟』新潮文庫 /『山椒大夫・高瀬舟 他四篇』岩波文庫 /『山椒大夫・高瀬舟・阿部一族』角川文庫  


『高瀬舟』は「安楽死」のテーマを含んだ短編小説です。鴎外自身がこの作品の由来を書いた「高瀬舟縁起」(全文)を以下に引用します。

徳川時代には京都の罪人が遠島を言い渡されると、高瀬舟で大阪へ廻されたそうである。それを護送して行く京都町奉行附の同心が悲しい話ばかり聞せられる。或るときこの舟に載せられた兄弟殺しの科を犯した男が、少しも悲しがっていなかった。その仔細を尋ねると、これまで食を得ることに困っていたのに、遠島を言い渡された時、銅銭二百文を貰ったが、銭を使わずに持っているのは始だと答えた。又人殺しの科はどうして犯したかと問えば、兄弟は西陣に傭われて、空引と云うことをしていたが、給料が少くて暮しが立ち兼ねた、その内、同胞が自殺を謀ったが、死に切れなかった、そこで同胞が所詮助からぬから殺してくれと頼むので、殺して遣ったと云った。この話は『翁草』に出ている。池辺義象さんの校訂した活字本で一ペエジ余に書いてある。私はこれを読んで、その中に二つの大きい問題が含まれていると思った。一つは財産と云うものの観念である。銭を持ったことのない人の銭を持った喜びは、銭の多少には関せない。人の欲には限がないから、銭を持って見ると、いくらあればよいという限界は見出されないのである。二百文を財産として喜んだのが面白い。

今一つは死に掛かっていて死なれずに苦んでいる人を、死なせて遣ると云う事である。人を死なせて遣れば、即ち殺すと云うことになる。どんな場合にも人を殺してはならない。『翁草』にも、教のない民だから、悪意がないのに人殺しになったと云うような、批評のことばがあったように記憶する。しかしこれはそう容易に杓子定木で決してしまわれる問題ではない。ここに病人があって死に瀕して苦んでいる。それを救う手段は全くない。傍からその苦むのを見ている人はどう思うであろうか。縦令教のある人でも、どうせ死ななくてはならぬものなら、あの苦みを長くさせて置かずに、早く死なせて遣りたいと云う情は必ず起る。

ここに麻酔薬を与えて好いか悪いかと云う疑が生ずるのである。その薬は致死量でないにしても、薬を与えれば、多少死期を早くするかも知れない。それゆえ遣らずに置いて苦ませていなくてはならない。従来の道徳は苦ませて置けと命じている。しかし医学社会には、これを非とする論がある。即ち死に瀕して苦むものがあったら、楽に死なせて、その苦を救って遣るが好いと云うのである。これをユウタナジイという。楽に死なせると云う意味である。高瀬舟の罪人は、丁度それと同じ場合にいたように思われる。私にはそれがひどく面白い。こう思って私は『高瀬舟』という話を書いた。中央公論で公にしたのがそれである。



「高瀬舟」を取り上げた下記の論文があります。後者の論文では「安楽死」という呼び方よりも諸外国の法律で使われる mercy killing を「慈悲殺」と訳して紹介した方が理解されやすい、と述べています。

[終末の刻を支える 文学にみる日本人の死生観] 死は自らのものではないか 『高瀬舟』を通して鴎外が問うた死生観
Author:保阪正康(埼玉県)
Source:ターミナルケア(0917-0359)10巻増刊 Page98-100(2000.06)

[終末の刻を支える 文学にみる日本人の死生観] 慈悲殺を考える 森鴎外『高瀬舟』より
Author:星野一正(イメリタスクラブ)
Source:ターミナルケア(0917-0359)10巻増刊 Page101-104(2000.06)