文学の中の医学 H


医者が心をひらくとき −A Pieace of My Mind 上・下巻 
ロクサーヌ・K・ヤング 編  李 啓充 訳 
医学書院 2002年 各2,000円 


JAMA(アメリカ医師会雑誌)には1980年から現在まで続く「A Pieace of My Mind」と題する名物コラムがあります。「give a person a piece of one's mind」(人に本心を打ち明ける)というイディオムからとられたタイトルが示すように、このコラムは医師自らが体験した悲しみや喜びを率直に語る場として設けられたものです。やがて多くの読者の共感を得るようになり、看護師はじめ他職種の医療者、そして患者までもがその「本心」を打ち明ける場に広がっていきました。1988〜2000年の間にここに掲載された約800の作品の中から選りすぐりの100作品を選んで収められたのが本書です。いわゆる「文学作品」ではありませんが、医の実践にまつわる個人的な「物語」の数々からは文学と同質の印象と感銘を受け取ることができます。


『医者が心をひらくとき』より抜粋


「編者まえがき」より(ロクサーヌ・K・ヤング)

おそらく、医師たちがその経験を書こうとするもっとも大切な理由は、書くことで自分自身に、そして他の医師たちに、そもそも自分たちはなぜ医にかかわる職業についたのかという理由を再認識させたいことにあるのだろう。それは、他の人々の助けになりたいという人間としての単純な行いであり、医師であることの喜びでもある。医師である著者たちは、読者を信頼してその心をひらき、もっとも個人的な体験について打ち明けてくれている。それは、「心を閉ざす壁が打ち砕かれ、心の奥底に秘めていた言葉にならない秘密が明らかにされるときの・・・・・・突然に生まれる親密さ」である。 


「一日目」より(臨床実習に入ったばかりの医学生)

私は採血に三回失敗した。私は患者に謝り、インターンを呼んでくると言った。「よせ」とその患者は言った。「もう一回やったらどうだ。きっとうまくできる」私は彼が自分を信頼してくれていることに感動した。もう一度挑戦したがまた失敗した。「もう一回」と患者が言った。「次はうまくいくとも」そしてうまくいった。私は再度患者に謝り、夕食にしようと部屋を出かけた。もう九時になっていた。おやすみなさいと患者に言うと、彼は「あんた、研修の学生だろう、違うか?」と聞いてきた。私はそうですとうなずき、彼が一人目の患者だったことを打ち明けた。「いいか」と彼は言った。「椅子に座って俺に話しかけてきた人間は、二日間誰もいなかった。君は本当に賢いし、とてもよい人間だということがよくわかった。君は、きっと、よい医者になる。俺にはわかる」...とてもよい一日だった。 


「相互投資会社」より(子宮頸癌検診におびえる患者)

ありがとう、ドクター・グッドウィン。人格を持った人間として私に接してくださったこと、私の名前を覚えてくださったこと、私の夢を励ましてくださったこと、私の恐怖心を「正常化」してくださったこと、そして思いやりを持って接してくださったことについてお礼を申し上げます。先生のおかげで、自分に自信をもって診察室を出ることができましたし、また診察を受ける勇気をいただきました。先生が私という人間に投資してくださったことをありがたく思っています。どうぞ、私も先生に投資しているのだということをおわかりください。