文学の中の医学 O


壊れた脳 生存する知
山田規畝子 著 講談社 2004


たとえば地下鉄の階段前で立ちすくむ。上りなのか、下りなのかわからない。時計の針を見ても左右の違いがわからず4時と8時とを取り違えてしまう。靴の前と後ろとの区別がつかない。
脳卒中をたびたび経験した医師の山田規畝子(きくこ)さんが自らの体験をつづった『壊れた脳 生存する知』は後遺症の症状を実に冷静に観察している。「脳が壊れた者にしかわからない世界」の記録である。「病気になったことを『科学する楽しさ』にすりかえた」ともいう(後略)(2004年3月9日、朝日新聞「天声人語」より)

「何やってんだろう、私」そう。高次能機能障害の本当のつらさがここにある。おかしな自分がわかるからつらい。知能の低下はひどくないので、自分の失敗がわかる。失敗したとき、人が何を言っているかもわかる。だから悲しい。いっこうにしゃんとしてくれない頭にイライラする。度重なるミスに、われながらあきれるわ、へこむわ、まったく自分で自分がいやになる。高次能機能障害は、裏を返せば壊れた脳の部分が正常であったときにどんな役割を果たしていたかを教えてくれるものである。自称「学究肌」。じつはたんなるオタクの私は「めっちゃおもろい」と思い、その分野にのめりこんでいった。(第3章より)
 
この手記は障害者本人の生活復帰への強い意志がいかに回復にとって重要な役割を果たすものかを、具体的なかたちで教えてくれる。自分を客観視する力を武器にして、自分を裸にし、自分をさらけ出しながら、けっしてきばらず、けっしてあきらめず不屈の意志に支えられ彼女は進み続ける。何よりも本書の完成が彼女の持続する意志の強さを証明している。本書は医学的にも稀有な、貴重な記録である。(解説:山鳥重)