康子の小窓 読書日記
初出:地域医療ジャーナル 2022年12月号


76歳が読む『シンクロと自由』



はじめに


村瀬孝生 『シンクロと自由』(シリーズ ケアをひらく)
医学書院 2022年


書名が魅力的だ。2種類の期待を抱いた。予感が的中する期待と予想を裏切られる(超えられる)期待。その両方が満たされた。

私は現在76歳。目覚めるたびに自分の年齢を思い出して信じられない思いにかられる。正直、がっくりくる。同時に、そういう自分に我ながらあきれもする。

周囲の人を「強い人」か「弱い人」、「現役の人」か「リタイアした人」、「ケアをする側の人」か「ケアされる側の人」、無意識のうちに、そのどちらかに分類している。

『シンクロと自由』の読者には前者が多いだろう。つい最近までは、私もそちらの側にいた。しかし、時の流れは容赦がない。いまや、私の日常のなかに、「ケアされる側」への移行、その先にある「死」が避けられない現実として居座り始めている。

著者の村瀬さんはあとがきに「長生きしたい、老いて衰えることを実感したい」と書かれている。ありがちなマユツバでは?と疑った。しかし、読了して、本気が信じられた。


1.村瀬さんのシンクロ能力

古今東西、あまたの先人たちが、あらゆる学問、科学、芸術の分野で「人間とはなにか」というテーマに挑み続けてきた。村瀬さんはケアの領域からそのテーマに迫った。共通する能力の一つがシンクロする力だ。

『シンクロと自由』のなかには専門的、分析的、解説的な用語はみあたらない。それでいて、村瀬さんが物語るシンクロは、シャーロック・ホームズの推理のように精確だ。一方で、イエス・キリストのたとえ話にも似ている。シンプルで深いメッセージ性がある。

村瀬さんは自らの矜持を次のように謙虚に述べている。

ケアのリーダーは、みずから「わたし」の崩壊と再生を言葉にすることで、暗黙の了解化したタブーから現場を解放し、スタッフの再生を祝福するお坊さんのようなものだ。

「あなた」と「わたし」の真剣勝負がシンクロして「わたし」と「わたし」に溶け込む瞬間がある。そこに、詩とユーモアが生まれる。本書はまさしく「文学」だ。

村瀬さんのシンクロは、態度と言葉で表現される。本書からその一部を挙げてみよう。( )は私の蛇足である。


2.不自由な「わたし」同士がシンクロする

●「人は思いどおりにならない」同様に「自分自身も思いどおりにならない」。相手をコントロールしながら、自分がコントロールできない。

●介助する「わたし」、介助される「わたし」それぞれの今を生きる「わたし」がいる。「わたし」と「わたし」の戦い。

●介護でいうシンクロとは、ふたりで “今ここ” をとらえること。

●一日として同じ日常はない。生活というものは不安定極まりない「わたし」が互いに関わりあってつくりあげている。

●死ぬときはいつも一人。それは覚悟するものでもないし、コントロールして見守ることもできない。

●酸素マスクを取ろうとするお婆さんは「延命」を望んでいないからではない。とにかく「イヤ」だったのだ。論理的には説明しがたい「イヤ」による決定がある。

●「未来」から「今」を考えない、「今」から「未来」を考えない、「今」だけをつかみ取ろうとする肉体が発する願いがある。

●実感は体に宿る。当事者の実感によって得られる事実と客観的事実は一致するとは限らない。「そのとき再生された記憶」が当事者にとっての事実になる。

(手術直後の父が点滴を抜こうとするので、私がつきそった。深夜、父はむっくり起き上がって「A部長に呼ばれた。これから出かける」きっぱりとそう言った)

●排泄の失敗の介助においては、心は邪魔になる。体を心から切り離して洗面台に置く。

●信頼よりも慣れ。信頼とは「気持ちいい」から始まる。さわり、さわられることで生まれる体の快感が、怖い、恥ずかしい「わたし」を超えていく。

(孫のうんち処理は私の担当だが、悪くない役割だと思っている)

●お互いぼーっとする時間の中で、相手の発する微弱なサインが見えてくる。

(河合隼雄さんが「コンステレーション」という言葉で、同じことを述べている)

●時空を超えたシンクロ:「おばあちゃん、その痛み、今私も感じているよ」

(私の母は「この痛み、あんたにはわからん」とよく言っていた。まさしく、私は今、同じ痛みを経験している)

●タイムスリップとは、昔の自分が蘇るというより、すべての世代の「わたし」が生き続けているのではないか。私は多世代人格によって成っている。

(私のもっとも鮮やかな記憶は、幼稚園から小学校までだ。そのときの子どもらしからぬ感情のなごりが、今でも心に留まって、「わたし」の一部になっている)

●時間と空間の概念から解放されると、私が規定している「わたし」の膜が溶け出して、その人の体内に生きている、こどものころや若いころの「わたし」が立ち上がってくる。そのことをもっと楽しみたい。

(晩年、母に子どもや孫の写真を見せても興味を示さなくなった。唯一反応した写真が、自分の幼稚園の時の集合写真だ。Aちゃん、Bちゃん、C先生、すらすらと名前が出てきた。ところが、自分自身を指さすことはできなかった)

●人はこの世に生まれ出て無数の時と場を踏む。それぞれに身に着けた立ち振る舞いが招く結果をすべて受け止めて生きている。振る舞いが受け取られないと「わたしらしさ」が立ち上がってこない。

●混乱がその人らしさを阻害していると考えがちだが、混乱のしかたがその人らしいのである。混乱を「取りつく島」として受け取って、つき合ってみればいい。

●ぼくたちの体の基盤は「する」である。「しなければならない」「しなくてもよい」といった意思による選択を許さない「する」である。社会も同様に「する」を基盤に成り立っている。コロナ禍でひっ迫した医療現場に向けた「感謝の拍手」には違和感を覚えた。まるで「あなたつくる人、わたし食べる人」と線引きされたようだった。


3.シンクロがずれて自由になる

村瀬さんは「シンクロのずれ」に赦しを得たような気がするという。これは、非常に深い宗教的ともいえる感情だ。

●行方知れずのお婆さん。クタクタになるまで探し回りようやくみつかる。「みんな心配したのよ」とたしなめる周囲に、お婆さんは「知ったことか」と言い放った。みんなの心配を迷惑がっているお婆さん。そのとき、ぼくはシンクロがずれてほっとした。赦しを得た気がした。

●行方知れずになったお爺さん。探しつづけて気力がつきかけた矢先、ようやくみつける。抱きしめたい気分のぼく。ところが、お爺さんは軽やかに身をかわして言った。「先を急ぎます」。このときも赦された気がした。

●お爺さんからすれば、社会の都合で決められた施設入居なのだ。「それは仕方のないことだった」とお爺さんが受け入れるまで、ぼくらは社会を代表して一緒にさまようしかない。そのプロセスをショートカットしてはいけない。

●シンクロできずにずれが生じたときこそ、その人の輪郭が鮮明になる。ずれがお年寄りの意思となって立ち上がってくる。

●シンクロのタイミングを計りなおすことで、関わり方を再構築する。「合意」を重ねながらふたりは自由になっていく。

●社会からあてがわれた、要介護老人の役割、介護専門職の役割。そこから自由になる。介護という領域を「ふたりのわたし」で飛び越える。

●ぼけか寝たきりかどちらかしか選べないとしたらどちらを選ぶか。ぼけを抱えて行方知れずを繰り返すミツコさんは、「みんなに迷惑をかけるから」と寝たきりを選んだ。

●ぼけや認知症状にある「おはなし」の世界においては、事実の成否なんて表層上の価値にすぎない。「おはなし」には創る人の喜びや哀しみ、憤怒とささやかな罪の意識が潜んでいて、それは人の「生きる」ことそのものだ。

●管理の問題ではなく「態度」が問われている。管理社会にも自由放任にも共通しているのは当事者に対して「関心がない」ということだ。

●ぼけや認知症があっても、人が生きる上で避けられないリスクを当事者がちゃんと引き受けられるような支援への模索。


4.「シンクロ」からの連想

唐突のそしりを受けそうだが、本書を読んで浮かんだ連想を書き留めておきたいと思う。

1)変人こそが全体の核心をはらむ:ドストエフスキー

変人はかならずしも部分であったり、孤立した現象とは限らないばかりか、むしろ変人こそが全体の核心をはらみ、同時代のほかの連中のほうが、何か急な風の吹きまわしでしばしその変人から切り離されている。(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

ここで言う「変人」とは、アリョーシャ・カラマーゾフを指している。彼はシンクロの達人だ。アリョーシャとスネギリョフの場面は「シンクロのずれ」の好例である。シンクロしたかにみえた二人だったが、スネギリョフは、あっぱれにも最後の最後で見事にシンクロをずらしてみせる。「わかってほしい。けれど、そう簡単にわかられても困る」のである。

患者図書室で司書をしていたとき、がん患者さんと対峙して、ケアとは人間関係そのもの、とさとった。

思い立って、アリョーシャをケアのお手本に見立てた「ケアの達人 わたしのアリョーシャ論」という一文を書いた。しかし、この試みは、アリョーシャの謎に阻まれて中途半端に終わった。

それで「アリョーシャとは誰か」という続きを書いたのだが、その結びは突飛なものになった。すなわち「緩和病棟で亡くなった女性のなかにアリョーシャをみつけた。アリョーシャは他者のなかにいた」。

私はまた一人、他者のなかにアリョーシャをみつけた。村瀬さんである。


2)自分と自分との間をとりもつもの :ポール・ヴァレリー/中井久夫

人は他者との伝達がはかれる限りにおいてしか自分自身とも通じ合うことができない。それは他者と意志の伝達をはかるときと同じ手段によってしか自らとも通じ合えないということである。かれは、わたしがひとまず「他者」と呼ぶところのものを中継にして ━ 自分自身に語りかけること ━ を覚えたのだ。自分と自分との間をとりもつもの、それは「他者」である。(ポール・ヴァレリー『カイエ』)

中井久夫さんの『アリアドネからの糸』からの引用である。中井さんは、次のように言い換えておられる。

私が自分と折り合いをつけられる尺度は私が他者と折り合いをつけられる、その程度である。(中井久夫『アリアドネからの糸』)


3)ひどい仲間が実は最高の親友であると気づく:エドウィン・シュナイドマン

末期がんのイタリア系煉瓦職人が『ハックルベリー・フィンの冒険』を読んで次のように語る。「先生がどうして私にこの本を読むように薦めてくれたのかよくわかります。人生は長い川を下る旅のようなもので、本当の終わりはない、たくさんの冒険が待っている旅で、そこで出会うひどい仲間が実は最高の親友であると気づくような旅だということを私にわからせたかったのですね。そうではありませんか?」
(エドウィン・シュナイドマン『生と死のコモンセンスブック』) 

イジワルをされた二人の女性のことを、この頃よく思いだす。敵同士のまま別れたかたちになっているが、なんのことはない、親友にだってなれたかもしれない。彼女たちと、昔のことをなかよく語り合う情景を、バーチャル・リアリティーさながらに思い浮かべることができる。


おわりに

つい先ごろ、すてきな遭遇があった。5年ぶりに再会した友だち3人で、昭和にワープしたような純喫茶に入ったときのこと。席に座ろうとしたとき、一人の中年女性と眼があった。一瞬、お互いにみつめあった。「どこかでお会いしたことがありますか」という言葉が私の口をついて出た。その人の眼が微笑んだ。そして言った。「私もそんな気がします」。お互い見ず知らずだった。これだけの話だが、思い出すたびにうれしい気持ちになる。