康子の小窓


抜 粋


読むというこの神秘的な行為の定義は何か。《読む人》となるということはどういうことか。 

アルベルト・マングェル『読書の歴史』新版に寄せて (抜粋)

少なくとも六千年前、今では忘れられてしまったメソポタミアという所で文字が発明されてからまだ何世紀も経たない頃(本編にも登場しますが)、言葉を読み解くことのできる数少ない者たちは写字生であり《読む人》ではありませんでした。おそらく彼らが握っていた権力の大きさを強調し過ぎないためだったのでしょう。《読む人》は人類の記憶のアーカイブに立ち入り、過去から私たちの経験の声を取り戻す力を持っていました。当然ながら《読む人》の力はさまざまな恐怖を煽りました。ページに記された過去からのメッセージを復元することのできる魔術への恐れ、《読む人》と本との間にできた秘密の空間、そしてそこに生まれる思考への恐れ、文章に基づいて世界を定義し直し、そこにある不正に抵抗する能力を持つ個人に対する恐れ……。本を読む私たちにはこうした奇跡を起こす力があるのです。それらの奇跡はきっと、屈辱や愚かさといった、私たちが科せられている罰から私たちを救い出してくれるでしょう。

しかし、私たちは陳腐で安易なことにそそのかされ、読書を中断する娯楽を発明してしまいます。そして、貪欲な消費者と化し、新しいものだけに関心を持って過去の記憶には目もくれなくなってしまうのです。もはや知的行為は権威を奪われ、つまらない行いや金儲けの野望に取って代わられます。読書の心地よい面倒くささや親しみのある遅さに敵対する娯楽や即時的な慰み、そして世界を結ぶ無線通信の幻想といったものが作り出されてきました。印刷に代わる新しいテクノロジーが出現し、時間と空間に根を張った紙とインクの図書館を、無限に広がる情報のネットワークに取り代えようとしているのです。その最大の特徴は即時性と無限性にあり、また印刷された文章としての本が終焉し──ビル・ゲイツが「紙のない社会」について書いた本を読んでみてください。ただし、もちろんそれも紙で出版されてはいますが──そしてそれがバーチャルなテキストとして復活すると言っています。まるで人間の想像力に限りがあるかのように、そして新しいテクノロジーが既存のものを終わらせずにはおかないとでもいうように。

<中略>

でもそうではありません。私たち人間こそが、私たちの未来を作り出すことのできる唯一の職人なのです。ほぼすべての産業──それは新しいテクノロジーに限りませんが、強欲でとどまることを知らない過剰な開発、過剰な消費、過剰な生産、そして無限の成長によって脅かされているような世界。そんな現代において、一冊の本(あるいはカテドラル)へ穏やかな敬意を払うことで、もしかしたら私たちは立ち止って内省し、誤った選択肢やばかばかしい楽園の約束を越えることができるかも知れません。そして、実際にどんな危険が私たちを脅かし、私たちが持っている武器がいったい何なのかを自らに問いただすことができるかも知れません。おそらくその問いこそが、読書という技法の正当性なのかも知れないのです。

読書の歴史 : あるいは読者の歴史  新装版

アルベルト・マングェル著 ; 原田範行訳 柏書房, 2013.1