ある医学図書館員の軌跡
医学図書館 42(1)1995.3


新しき医学図書館員よ、目覚めよ −患者・住民への医学情報サービス−

下原康子



「患者が求める医学医療情報」の衝撃


医学図書館41(3):331ー335 1994に伊勢美子さんが書かれた「患者が求める医学医療情報」を読んで、先制パンチをくらった、まいったと思った。論文の主旨は医学図書館を患者や住民にも開放して欲しいというものだった。これは、医学図書館員のほうから、とっくに問題提起があってしかるべきテーマだった。20年も前になるが、医学図書館員になった時「患者さんの力になれる仕事」というイメージを抱いたのを憶えている。医師にサービスすることで、実際の医療に役立てると素朴に考えたのである。だから、当初は文献を取り寄せる都度、その背後にいる患者さんの存在に想いをはせ、治療に役立つようにと願ったものである。このアイディアを二三歩進めれば、「患者さんへの医学情報サービス」へとつながったに違いないのだが、医学図書館員としての経験を積めば積むほど、このテーマがなぜか荒唐無稽な気がしてきて、ついには、背後にコンピュータの圧迫を感じながらの日常業務の中に、私の初心は哀れにも埋没してしまったのである。

3年前、大学付属病院が新設され、そこの図書室に移動することになった。長年医学図書館という恵まれた環境にいただけに、設備も資料も貧弱な図書室のサービスには多少不安もあった。しかし、コンピュータとネットワークの急速な進歩のおかげで、病院図書室の可能性は今までになく広がってきている。また最近では、製薬会社の医師への過剰サービス自粛のせいで、文献検索や文献申込みが急増し、てんてこまいの図書室も少なくない。わが図書室もその例にもれず、今年度半年ですでに3000件を越す申込みの処理に追われている。(これは本題とは関係ないのだが、相互貸借で常日頃ご迷惑をかけている各医学図書館の皆さんへのメッセージ−言い訳−をこめて記した) 。ないないずくしの病院図書室にもいいところがある。最大の長所は臨床現場(病院)の中に位置することで、利用者は診療の合間にちょっとのぞけるし、夜間も利用できる。図書館員にとっても、利用者と身近に接することができるのは楽しい。やりがいにもつながる。

ところで、もう一つ身近な存在がある。それは患者さんである。私のいる図書室から連絡通路を一つ渡れば病棟である。図書室は通行禁止エリアになってはいるが、時折パジャマ姿の患者さんがドア越しにのぞいたり、またいきなり入ってきたりもする。現にたった今も、母親学級の受講を終えたばかりの妊婦さんがみえ、利用の許可を訊ねられた。折りよく利用者がいなかったので、どうぞと答え、10分くらいで退室となったが、通常は「お医者さん専用です。ごめんなさい」と言って断るのである。当図書室の利用規定(医学部図書館利用規定に準する)では利用対象者は医療関係者までとなっている。規則に従えば、断っても仕方がないのだが、私としてはそうしたくない、話を聞いて適切な情報を提供したい、という気持ちが動く。しかし実際には実行できないでいる。

このジレンマの原因は利用規定だけではない。それよりも、医学図書館員が患者に直接医療情報提供サービスを行うことについての不安と問題点が、検討されないまま心の角に押しやられているためなのである。多くの医療問題の根底には医者と患者の人間関係がある。もしこの難しい両者の人間関係の間に医学図書館員が介入することになったら、医学図書館員としての役割から外れることなく、適切に対処できるであろうか。こうした問題はあるにしろ、伊勢さんのご指摘にある「医療関係者やその周りの人たち(医学図書館員他)だけが、医学情報を集めることができ、医療において利益を得ている」という主張はもっともだと思う。

医学図書館員は医学情報収集においてはプロだから、利益をより有利に享受できる立場にいる。私自身、自分や家族や友人のために、何度となくこの利益に浴した。この利益が"特権"であっていいはずがない。ましてや図書館員が情報を独占する側に立つのはおかしい。インターネットで世界中の膨大な情報の入手が可能になったこの時代に、もっとも大切な自分自身の身体に関する情報がまともに得られないというのは、実に奇妙だ。これは基本的人権の侵害ではないだろうか。


「患者さんへの医学情報サービス」日本の事情

実にシンプルなアイディアである。なぜもっと早く思いつかなかったのだろう、コロンブスの卵である。もっとも、誰か発表するなり主張するなりしていると思い、早速CD-ROM/MEDLINEとCD-ROM/医学中央雑誌で検索してみた。MEDLINEではすぐに20件近くみつかった。しかし、残念ながら日本語文献はみつけることはできなかった。図書館関係の文献もあたってみた。唯一発見したのが第8回医学図書館員研究集会論文集(1973)に収録されている「医学図書館と社会教育」である。くしくも私の職場の先輩(すでに退職されているが)の書かれたものだった。同じ気持ちの人が身近にいたのに知らなかった。一般雑誌や新聞記事などの方にかえってみつかるのかもしれない。

患者や住民は医療情報を欲している。書店にいけばそういった類の一般書があふれているし、新聞記事でもテレビ番組でも目につかない日はない。読売新聞で連載中の医療ルネサンスの記事によれば、「いい病院いい医者をさがす運動」が市民レベルでも、またビジネスとしても始まってそうだし、各地でかしこい患者になるための「患者塾」や「医療セミナー」が盛んに開かれているということだ。もっとも個々の患者が望む「医療情報」がいかなる種類のものかについて、明確にしておかないと混乱をまねく恐れがある。

ここでは、「自分の病気に関する医学情報」に限定して考えてみることにする。最近よくいわれるインフォームド・コンセント(説明と同意)をスムーズに進めようと思えば、患者に病気についてある程度総括的な知識をもってもらうことが、必須条件になるはずである。かしこい患者というのは医者に質問をすることができ、かつ納得のいく回答をひきだせる患者のことで、そくざにわかりましたと答える患者ではないはずだ。それならば、かしこい患者になるためには、それなりの勉強が必要になるだろう。

カルテ開示の要求も高まりつつあるという。今年の4〜5月ころだったか、NHKテレビで福岡のある病院がカルテ開示に踏み切ろうとしたが、半数の医師の反対にあって、中止のやむなきにいたったという、その経緯を追ったドキュメンタリー番組を見た。反対派、賛成派さまざまの意見が交わされており、難しい問題を数多く抱えていることはわかったが、基本的には、反対派はカルテの情報を「医師のもの」とみなし、あるいはみなしたがり、賛成派は「患者のもの」と考えてる、という見解を抱かざるをえなかった。

同じ番組のなかで看護婦さんが入院患者にアンケートをとったところ、半数以上が自分のカルテを見たい思うと答えていた。また「自家カルテ」を作って患者に渡しているという開業医や、カルテ開示を念頭におき、誰が見てもわかるようなカルテの作成に努力している医師の姿も紹介されていた。このカルテ開示というテーマについても、国内医学文献をさがしてみたが、患者側の要求の高まりにもかかわらず、ほとんどないに等しいのにはいささかガッカリした。

わずかに、聖路加国際病院の日野原重明先生がある講演録の中で、「カルテは医師のものでも、看護婦のものでもない。カルテは患者のものである。患者自身の大切な情報である。患者がその費用を払っているのだから、いつでも私の記録を見せてほしいと要求する権利がある」と明快に述べていらしゃるのを見て、少しばかり意を強くした。時間的制約のあるなかで口頭による医師の説明が十分でないのは仕方がないともいえる。しかし患者側の知る権利が保証され、そのための環境が整えば、多くの患者は自分で学び始めるだろう。自分の健康ほど興味あるテーマはないからである。


アメリカの事情

アメリカでは「患者の知る権利」は保証され、一般にも認められ、実際に機能しているようだ。カルテ開示は当然の権利と認められているし、患者や地域の住民を対象にした医学・健康図書館を設ける病院が相次いでいるそうである。これは患者へのサービスと同時に病院のPRも兼ねている。というのは医療費削減で患者の獲得競争がはげしくなる一方だからだそうだ。(医療ルネサンス/読売新聞連載中)それでは、どのくらいの病院や医学図書館が患者や住民に門戸を開いているのだろうか。Bull Med Libr Assoc 82(1):64-66 1994 に掲載された「患者によるホスピタルおよびメディカルスクールライブラリーの利用に関する調査」と題された論文を紹介してみよう。

米国医学協会(AMA)では1991年に無差別に抽出した481のホスピタルライブラリーおよびメディカルスクールライブラリーにアンケートを実施した。回答数307(63.8%)であった。回答した病院の種類は総合病院が80%、精神病院その他の一般病院が20%。回答者の73%が病院またはメディカルセンター勤務、23%がメディカルスクールライブラリー勤務であった。ベッド数および図書館利用者数の中央値はホスピタルライブラリーが350床で利用者数は110人/週、メディカルスクールライブラリーは605床で5,050人/週の利用である。公的機関の割合(51.7%)がわずかに私的機関を上まわっている。

ホスピタルライブラリーは公的機関に多く、メディカルスクールライブラリーは私的機関が多い。回答の大半が患者の利用を許可していると答えている。58.1%が制限なしの利用を許可。制限つきで許可しているという回答が19.9%。その中の13.4%が医師の許可を必要としていた。6.5%がその他の制限を加えている。患者の利用を許可していない機関は22%にすぎない。67%が患者やその家族専用の非専門的な蔵書のコーナーを別に設けていた。実際の利用者の内訳は医者が39.7%、ナースが16.6%、その他の医療スタッフが16.8%、患者と地域の住民が6.0%、23.5%が学生(その大半は医学生)である。

24時間利用できる図書館が10%あった。回答者の89.6%が患者の利用を支持し、6.1%がやや反対、4.3%が強力に反対だった。約10%の機関が患者教育のためのフォーラムを用意していた。患者の利用を許可しない機関の理由は大ざっぱに2つに分けられた。患者や住民などの医学の専門家でない利用者のためには、別に健康教育図書館を設置しているという理由からと一般の利用者に対応したり彼らのための蔵書構築を行うための、スペースとスタッフが不足しているからという理由であった。許可しないところは規模の小さい機関に多かった。

回答者は3種類に分類できた。所属する機関の方針に従うという人、患者の利用を支持する人、そして反対者である。支持者は患者の自己決定の際の助けになるという理由から、患者が非専門的な医学情報へアクセスすることの重要性を強調している。知識を得ることによって患者は自身の健康管理に対して積極的になり得る。反対者の意見は、患者は情報を得ると、えてして性急な自己診断をしがちである。患者は、医学情報を正しく理解するための教育的背景を持ち合わせていない。図書室の限られたスペースと資料の中での彼らの利用は医療従事者の図書館利用を妨害することにもなりかねない、というものだった。AMAは、この調査結果をふまえた上で、患者や家族にとっても利用しやすい医学図書館の実現を勧めている。


新しき医学図書館員よ、目覚めよ

伊勢さんのレポートを医学図書館界への強烈な一撃と深刻に受けとめながらも、心の奥底でなにやら奇妙な満足感を覚えた。図書館員は正面きって抗議を受けたり、問題にされたりすることが、あまりない職種である。それにひきかえ、医者はしじゅう非難の矢面に立たされている。しかし、社会的に重要な存在であることは誰もが認めている。一方、図書館員は忘れられがちだ。そのかわり、社会的責任を負うことも少ない。しかし、今回その認識が甘かったことを痛感した。

医学図書館員は医学情報の提供者として医療の問題に深くかかわっている。そしてその情報は医療関係者だけでなく住民や患者からも切実に要求されているのである。医学図書館の一般住民への開放はそれほど困難だろうか? 今まで手本にしてきたアメリカの事情は先に述べたとおりである。

日本の医学図書館のネットワークは年々広がりをみせ、活動もきめ細かく活発になってきている。こうした折、医学図書館の側から開放の気運が高まっていけば、世論をおおいに喚起できると思う。多くの問題点があるし、困難を伴うこともわかっている。しかし、私は一人の図書館員として、図書館の理念に忠実でありたい、したがって患者や住民の情報要求があれば、それに答えたいと思う。医学図書館が患者教育をサポートするのはあたりまえという日が一日も早く到来することを願う。