ある医学図書館員の軌跡
佐倉図書室通信 No.54 1966.12 



『売血−若き12人の医学生たちはなぜ闘ったのか−』

 <東邦血研物語> (佐久友朗著 近代文藝社1995 )

下原康子

ライシャワー事件をご記憶でしょうか。昭和39年、当時駐日アメリカ大使で大の親日家だったライシャワー氏が暴漢にナイフで刺され重傷をおった事件です。命に別状はなかったのですが、手術の時の輸血が原因で肝炎に罹ったことが判明して問題になりました。これがきっかけになって、血液の問題が政治問題にまで発展し、厚生省がやっと積極的に献血制度の推進に乗り出したのでした。それから、30余年。21世紀を目前にして、またしても、血液行政(薬事行政)を問い直される大きな事件で厚生省は揺れに揺れています。薬害エイズ事件です。まるで、献血制度の裏をかくかのように、人類にとって未知のウイルスが、輸入された血液製剤に潜んでいたのでした。

『売血−若き12人の医学生たちはなぜ闘ったのか』は先のライシャワー事件をきっかけに、売血撲滅のために立ち上がった12人の医学生の物語です。そのころ、輸血に使われる血液の97.5%が売血によるもので、商業血液銀行(ミドリ十字がその筆頭)が扱っていました。企業の利潤追求の前には、売血者の健康も血液の質も問題ではなく、血液事業は暴力団の群がる無法地帯と化していたのです。著者を含む12人(男女各6人)は当時、東邦大学医学部4年生でした。医学生としての自負と、よりよい医療をめざす彼らの情熱が、こうした事態を黙って見逃すことを拒んだのです。「東邦大学自治会特別委員会・血液問題研究会(略して血研)」がこうして結成されました。

2年間の彼らの活動は実にたいしたものでした。労務者姿に変装して売血を体験したり、常習売血者の聞き取り調査を行ったりして売血の実態をまとめる一方で、厚生省、都の薬事課、日赤本社、大学病院などを訪ね担当者の取材をし、14,000部ものアンケート用紙をくばり献血の意識調査を実施したりしたのです。「血研」の成果は昭和39年11月の大学祭で、一大ゼミナールとして結実しました。今、私の手元に「輸血は安全か−売血ゼミナール」というその時の資料のコピーがあります。彼らの情熱が肌で感じられるようなガリ版刷りの27ページの資料です。ゼミナールは大成功でした。当時日本の血液学界の大御所だった内科の森田教授から「君たちの研究は血液学会で講演するに足る見事な内容である」というお褒めの言葉を頂戴したのでした。

研究会の活動の記録というと、堅い本のようですが、この本の圧巻は文字通りやくざに追われながらの活躍シーンです。「とにかく自分の目で確かめること」がモットーの彼らは、危険を承知で某大学で行われていた違法な売血の現場に乗り込んだりもしています。サスペンス映画にしたら、さぞおもしろいものになることでしょう。青春の回想という形式が親しみやすくノスタルジックな感動を呼びます。一方で、ぬるま湯につかった若者たちや初心を忘れた大人たちへの鋭い批判が感じられます。1995年に発行されたのに、薬害エイズへの言及がないのが不思議ですが、かえって考えさせられるような気がしました。12人の若者は昭和42年にそろって卒業。最後のインターン生を経て、各地に別れて行きました。著者の佐久先生は昭和54年まで大橋病院に勤務され、その後神奈川県で開業なさっています。