ある医学図書館員の軌跡
日赤図書館雑誌 9(1):8−9 2002.10


患者図書館の原風景


1.患者図書館の原風景


5月のある日、東大病院の 健やかラウンジ(患者学習センター)を見学しました。入院棟A15階、最上階です。晴れた日は富士山も望めるという見晴らしと日当たりに恵まれた、教職員の誰もが自分の居住区にしたくなるような一等地。そのような場所が患者の学習のために用意されていることにまず感心しました。その快適な空間で、私たちが担当の方から説明を受けている傍らに、医学書を開き中の図や文章を書き写している初老の紳士がおられました。パジャマ姿だから患者さんなのでしょう。私たちの声が邪魔になりはしないかと気になりましたが、書き写すことに集中しているその紳士は一度もこちらに目を向けることはありませんでした。その時、これこそ患者図書館の原風景だ、と感じました。

健やかラウンジの紹介冊子には『アメリカ医療の光と影』(李啓充著 医学書院 2000)の「医師と患者の共同学習」という章の一部が引用されていました。『インフォームド・コンセント』(ニール・ラヴィン著 李啓充訳 学会出版センター 1998)というアメリカの医師の書いた小説が紹介されているのですが、この小説には図書館の素敵な場面があります。主治医が自分の患者(医者嫌いの弁護士)を医学図書館に連れて行って一緒に文献を探す場面です。「文献雑誌は下の書庫にあります。あなたに重い本を持って階段を登り降りしてもらいたくはないので、リストを作ってくれたらぼくが文献をとってきます」と医師が言い、患者はIndex Medicusで文献をチェックし、リストを作ります(現在ならPubMed検索というところでしょう)。患者の突っ込んだ質問に医師は「大学病院はあなたを医学研究者に変えてしまった」と苦笑します。


2.「本の指示せん」と「美しい静寂の時間」

今年の2月21日朝日新聞の朝刊に「患者の知りたいにこたえる 医学情報 病院が提供」という6段抜きの記事が掲載され、その中で、亀田総合病院と京都南病院が紹介されていました。亀田総合病院では約200万をかけて「患者さま情報プラザ」を開設したとあります。しかもその図書サービスを活用しようと、診察でのインフォームド・コンセントを補完するために、処方せんをもじって、主治医が推薦する図書を用紙に記入して患者に手渡す「本の指示せん」の使用を呼びかけているということです。「本の指示せん」なんて素敵な思いつきでしょう。クスリと本のアナロジーに目が開かれる思いがしました。

正しい知識は不安や恐怖や疑心暗鬼にさいなまれている病気の心を納得させる力があります。それが癒しに繋がるとしたら、まさに「読むクスリ」です。インフォームド・コンセントはこの「読むクスリ」の処方とのセットにより、本来の意義を見出せるのではないでしょうか。京都南病院図書室の最も素晴らしいところは医師や看護婦向けの図書室を患者のみならず地域の住民にまで開放しているということだと思います。ある日、子どもの白血病を医師から告げられた父親が他県から訪れ、白血病の専門書を半日近く閲覧し、「やっと納得できました」と言い残して帰られたそうです。この光景を思い浮かべると図書館員おはこの「情報提供」という言葉がおこがましく思えてきます。父親と共にその美しい静寂の時間を共有することができた司書の方をうらやましく感じました。

3.公共図書館との連携

先の記事が掲載された2日後の2月23日に全国患者図書サービス連絡会主催の講演会「医学情報サービスと図書館」に参加しました。興味を惹いたのは共催が浦安市教育委員会で、会場を提供したのが浦安市立中央図書館だったことです。80余名の参加者の大半は図書館員でしたが、数名の医師と当日参加の市民の方たちもおられました。たとえ医学図書館や病院図書室が開放されたとしても一般市民には敷居が高いだろうと思われます。常日ごろ馴染んでいる公共図書館で、先の父親のように誰の干渉も受けず心ゆくまで調べることができたらどんなにいいでしょう。公共図書館、医学図書館、病院図書室で協力して実現したいと思いました。

4.「さっそく近所の人たちに」 

この講演会の成功は浦安市民の主婦の方が懇親会で発言された次の一言に集約されていたと思います。「今日は普段では聞くことができない変わったお話ばかりでたいへんためになりました。クリック一つですごい世界が開けることを知って驚きました。さっそく近所の人たちに教えてあげようと思います」クリック一つで...のくだりは日本歯科大学図書館の嶋崎ひとみさんの講演「医療データベースの利用法紹介」を聞いて、インターネットのホームページから豊富な医学情報が得られることを初めて知った驚きを述べられたものです。それに続く「さっそく近所の人たちに...」の一言には脱帽しました。インターネットで医学情報を探すことは、私たちにとってあたりまえの知識だし、それを日常の業務として行っています。でも一般市民にとってはすごい知識なのだということを改めて認識させてもらった一言でした。

5.3つのお願い

私が患者になったときの「3つのお願い」で終わります。

(1) 医学図書館、病院図書室の一般公開(公共図書館との連携)して欲しい。
(2) 病室でインターネットが使いたい。
(3) 国内医学雑誌論文データベースをインターネットで無料公開して欲しい。