ある医学図書館員の軌跡

この一文は下記の講演録を読んだ感想を講演者への書簡という形でまとめたもの。未発表(1995.9) 
橋本信也(東京慈恵会医科大学教授)インフォームド・コンセントと医学情報提供-医学図書館員の役割-第66回日本医学図書館協会総会(1995川崎)



医学図書館員が患者になったとき
JMLA総会講演録「インフォームド・コンセントと医学情報提供−医学図書館員の役割−」を読んで-


橋本 信也 先生

突然、手紙をさしあげる無礼をお許しください。今年の5月に開催された日本医学図書館協会総会での先生のご講演「インフォームド・コンセントと医学情報提供−医学図書館の役割−」の講演録を読ませていただきました。(残念ながら、直接拝聴することはできませんでした)医学図書館員に医師から発せられた、初めての心のこもったメッセージだと感じました。うれしくなってすぐにおたよりをさしあげたくなってしまいました。私も先生がご講演の中で引用された<アピールする論文> 伊勢美子. 患者が求める医学医療情報 医学図書館 1994;41(3):331ー5に感銘を受けた一人です。黙っておれず、新しき医学図書館員よ目覚めよ-患者・住民への医学情報サービス(医学図書館1995;42(1):59ー61)を投稿しました。ほとんど発作的に書いたもので、一見、威勢はいいのですが、具体的には何をしたらいいのかわからず、認識の甘さを露呈しただけでした。

乳がん宣告

ところで、投稿の半年後、思いもかけぬ事態に見舞われました。乳がんになってしまったのです。勤め先の佐倉病院にかかり、病理結果を待って、非浸潤性乳管癌と聞かされました。医学情報提供のプロだから、さっそく医学書やら、医学文献を調べたと思われるかも知れませんが、さにあらず。入院までの3〜4日、どうやって過ごしていたのかさっぱり記憶がありません。でも後で落ちついたら調べようという気持ちが働いてか、病名は記憶に刻みつけていましたし、主治医の先生が説明のためにメモなさった紙きれもいただいておきました。

コンプライアンスを実感

ご講演からコンプライアンス(患者がどの程度医療者から勧められたことを実践しているかいるかということをコンプライエンスが良いとか悪いとかいう)という言葉を学びました。このコンプライエンスは医者と患者のコミュニケーションがいいか悪いかと非常によく相関しているとのことです。私もまったくそのとおりだと実感しています。コンプライアンスが悪いとインフォームド・コンセントも告知もただの形式になってしまいます。コンプライアンスがよければ、患者は少ない説明でも十分だと感じるものです。私の場合がそうでした。主治医は、患者の話をよく聞いてくださる、親切で優しい方でした。全面的な信頼があったので、手術については細かく聞く必要を感じませんでした。ただ、今後の自己管理のために、退院後の情報収集の必要は感じていました。主治医は説明のための時間をたっぷりとってくださいました。病理の先生まで出向いてくださったのです。お二人の様子から私のことを心から心配してくださっているのが感じられて、恐怖や不安も薄らぎ、おまかせすればいいのだという気持ちになりました。もし、この時、コンプライアンスが悪い状態だったらと考えるとゾッとします。きっと疑心暗鬼の地獄に落ち込んでさぞ苦しい思いをしたことでしょう。しかしながら、こうした理想的な状況が作れたのは医者と患者という関係以前に普段のつきあいがあったことが大きく影響していると思います。私はめぐまれた患者でした。 

医者・患者関係

医者患者関係も人と人との関係だから基本的には通常の人間関係と同じだと思います。ただ、医者と患者という立場の違いは、どうしても平等な関係を困難にします。患者は医者に「自分の運命を握られている」と感じてしまうので、どうしても医者の前ではおどおどした態度になります。強者と弱者という関係が少なからず存在するのを否定できません。先生が引用しておいでの患者の行動特性によるタイプは、どちらかといえば、いわゆる<こまった患者>の例が多いように思われましたが、私は患者の大半はおとなしくて辛抱強く、病気のため気弱になっているけど、つとめて明るく振る舞おうと努力する、そういうタイプの人のほうが多いと思います。そういう人はあまり印象にのこらないので、忘れてしまわれがちです。患者がタイプ分けできるように、医者にもタイプがあります。医者が患者のタイプを理解しようとするのと同じくらい、またはそれ以上に患者は医者のタイプを気にして、とまどい、考えこみ、探っています。どのように接すればいいのか、どうしたら、機嫌をそこねずに質問したり、希望をのべたり、時には拒否したりすることができるのか。一方で私はドクターにとても同情しています。毎日、図書室で普通の人と少しも変わらない姿に接しているので、神さまやスーパーマンの役割は荷が重すぎるだろう、とりわけ、社会人の経験の少ない若いドクターが深刻な運命を担っている患者に対峙する困難さを思うと、とても同情してしまいます。医者と患者の間で平等な関係を作るのが難しい理由のもう一つは、一対一の関係が困難であることです。医者にとって、患者はいつも大勢の患者の中の一人にすぎません。患者はそのことを承知してはいても、それでも自分だけには特別あつかいをして欲しいと望みます。患者のエゴと医者の無関心。コンプライアンスを悪くする大きな要因です。

医療者側の声

医者患者関係が非常に大切なテーマだと認識しながらも、一方で、なにか荒唐無稽で空しい感覚に襲われるのはなぜでしょうか。新聞やテレビでは医療関係の話題が満載で、医者患者関係についてもさまざまな論議もされています。けれど、実際には医療者の生の声はなかなか聞こえてきません。

患者への医学情報提供

さて、先生のお話の本題<患者さんへの医学情報提供>についてです。今回思いがけず自分が患者になり、<医学情報を提供する立場の人間が患者になったとき>を体験するはめになりました。健康ブームはさておき、患者が医療情報を本当に必要とするのは、自分や家族が病気になった時です。まず第一にその病気がどういう病気なのかを知りたいと思います。最初はおおざっぱで簡単な知識でいいのです。医者に簡単な質問くらいならできるようになること、これが肝心です。治療が首尾よくいけば、それ以上の知識は必要としません。手術や長期の治療になると、患者にはいろいろな疑問がわいてきます。その都度、医者に聞いても、納得できない部分が残ります。そんな時もっと情報を得たいという欲求がおこります。患者は治療に関するさまざまな可能性を知ることも重要ですが、治療の限界をもある程度知って納得しておくことが大切だと思います。先生がおっしゃっているように医療というのは不確実で、医者はその不確実な状況下で最善の選択をおこなうべく努力してます。患者にもそうした理解(知恵)が必要なのではないでしょうか。自分自身で自主的に調べたり、学んだりすることは単に知識を得るにとどまらず、医療や医療提供者に対する理解を深める、と私は考えています。医学情報を自由に入手できる立場にある医学図書館員の私は、患者としてやはり非常にめぐまれていると思います。

情報の中身(レベル)の問題

さて、先生は患者への医学情報提供には賛同しておいでですが、それを実施するにあたって2つの危惧を抱いていらっしゃいます。1つは患者さんに提供する情報の中身(レベル)の問題です。専門家のために書かれた医学書や医学論文を素人である患者にそのまま提供してよいのか。先生は素人が医学書を読む上での危険性を、Bloomという学者の説を使ってとてもたくみに説明しておいででした。この脈絡からいくと、患者に医学書を提供してはいけないという結論にいたるのではないかと、正直なところヒヤヒヤして読み進みました。けれど、予測がはずれてほっとしました。

医学図書館員の職業特性

もう一つ先生が心配しておいでなのは医学図書館員の職業特性に関する問題です。「医学図書館員が自らの職業特性を十分理解すれば、自ずからどのような情報提供したらいいかということが決まってくる」という言葉は胸にグサリと突きささりました。私は先の投稿の中で「医学図書館員が患者に直接、医療情報提供サービスを行うことについての不安と問題点が検討されないままに心の角におしやられている」とか「多くの医療問題の根底には医者と患者の人間関係がある。もし、この難しい両者の間に医学図書館員が介入することになったら、医学図書館員としての役割から外れることなく、適切に対処できるであろうか」と自信のない発言をしています。先生が危惧しておいでの問題点はまさに医学図書館員としての私の不安また問題意識の核心部分でした。あらためてこの問題について考えてみました。

医学図書館員の職業特性について考えていると二つの矛盾につきあたります。一つには医学図書館員の職業特性は公共図書館員のそれと違うのだろうかという点です。公共図書館員は利用者の要求に対して、蔵書のすべてを提供できます。図書や資料を選ぶのは読者の完全なる自主性にまかされています。これはしごく当たり前のことで、これが図書館の理念です。医学図書館が一般開放されない理由の一つに、この図書館の理念にそいかねるということがあります。医学専門書を素人に提供すると問題が生じると考えられるからです。しかし伊勢さんが強調されているように、医学は人間だれにでも関わりのある学問です。患者が自分の病気に関する知識に関心をもってくわしく知りたいと思うのは当然の要求です。医学知識の宝庫を素人だから危険という理由だけで遠ざけていいでしょうか。また与える情報に制限を加えたり、図書館員が吟味したりしてよいのでしょうか。自ら情報を選択し、知識を自分のものにする過程で、人は知恵を身につけてゆきます。一方的に与えられた知識や情報はコンプライアンスが悪いと、しりぞけられたり、誤解を生じたりします。私は患者に自主的に学ぶ場を提供したいと思うのです。おやおや、あなたは医学図書館員の職業特性を図書館の理念にすりかえて、自らの役割を回避しましたね、という先生のお声が聞こえるようです。医学図書館員特有の職業特性があるのならば、それをはっきりさせなくてはいけません。

患者教育

医学図書館員の職業特性を考える上での矛盾の二つ目は<患者教育>というキーワードに関わります。医療従事者が行う患者教育の中心になるのが医学知識の伝達です。そしてその医療従事者に医学情報を提供するのが医学図書館員の役割です。医療者にサービスすることで、間接的にしろ患者さんに役立てることが、私の医学図書館員としてのやりがいでした。私は現在医学部付属病院の図書室にいるので、自分も医療従事者の仲間である、と自分でも思いたいし、またまわりの人からも思って欲しいという気持があります。問題をはっきりさせましょう。<医学図書館員は患者教育に関わることができるのでしょうか>。ご講演の最後の部分で、先生は患者さんに医学情報の提供を求められたとき、医学図書館員がどのように処すればよいかを具体的に示していらっしゃいます。@まずは断らない。A親切に要求を聞く。B相手の要求を吟味し、適切な解説書を提供する。C相手によっては医学生・看護婦・コメディカルスタッフ向けの入門書を紹介するのもよいD素人が専門書を読んだとき誤解を生じる可能性があることを相手に説明する。E主治医とよく話すように説得する。そして先生は最後にこのように結んでいらっしゃいます。「現在私がおります立場で患者さんと接していて、患者さんからいろいろお話をうかがい、そしてまた患者さんが医学図書館にもうかがうであろうというようなことを考えますとき、医学図書館員の方々に、そういう患者さんに対してどうしてあげることが一番よいのかということを、どうか医学図書館員の立場で一緒に考えてさしあげていただきたいと思うのです」

患者教育へのサポート

これほど困難で、責任重大な期待が医学図書館員に対して表明されたことはありません。私は興奮と感激で胸が高鳴りました。しかしながら、どうしても気になることがあるのです。それは<患者が医学図書館を利用すること、医学図書館員がそれをサポートすること>について、主治医はどのように考えているのかということです。主治医が自分の患者に「あなたの病気については短い説明では不十分です。医学部図書館へ行って少し勉強してはどうですか。司書の人が適当な本を探す手助けをしてくれます。ただし、専門書だから素人がそのまま鵜呑みにしては困る部分もあります。そのことを頭にとどめておいてください。そして疑問を感じることがあったらなんでも私に聞いてください。」このように話してくださっていたら、迷うことなくその患者さんに対応できるのではないかと思います。医学図書館員は患者さんに直接、患者教育を行うことはできません。それは職業特性から逸脱した行為になりかねません。医者の患者教育をサポートするというのが医学図書館員の役割として納得のいくものではないでしょうか。私はそうなることを切に望みます。そのようなサービスを行うために、先生がおっしゃるように医学図書館員は<一般向け医学医療情報>を知る力量をもたなければなりませんし、相手の患者さんにふさわしい情報提供ができる技量をもたねばなりません。また何よりも患者さんに対応する技術を学ばねばなりません。

一般向け医学医療情報

アメリカでは約60パーセントの病院や医科大学が図書館を一般に開放しています。しかしながら提供している資料の多くは一般用向け非専門書です。これは医学の非専門書が数多く出版されていることを示しています。日本でも公共図書館が質の高い一般向けの医学の入門書や解説書を数多く所蔵するようになればよいのですが、残念ながら、そのような本の出版はまだまだ少ないと思います。(京都病院の山室真知子さんもこのことを強調されています。山室真知子:患者図書サービスからみた健康・医学情報 医学図書館1995;42(1):55ー58)頭のなかでいつももやもやしていた私の問題意識は、先生のおかげでなんとかここまで明確にできました。いただいたメッセージは嬉しい反面とても重く、実現には多くの困難が伴うことがわかりました。先生のご期待にそえるような医学図書館員になることを今後の目標にして励む所存です。医学図書館員を今まで以上に身近で親しい存在に感じていただけますように。ありがとうございました。