ある医学図書館員の軌跡

佐倉図書室通信 No.111 2001.11



インターネット vs. 「一冊の本」



もし、無人島に「一冊の本」だけを持っていくことが許されたら、皆さんが選ばれる一冊は何でしょう? その前に、もし「一冊の本」のかわりにインターネットに接続したパソコンを選んでもよいとしたらどうでしょう。インターネットか本かどちらを選択されますか? ただし送信はできないものとして。

立花隆氏は『インターネットはグローバル・ブレイン』(講談社 1997)と言い、一方、天文学者でありコンピュータ言語、セキュリティーに詳しいクリフォード・ストール氏は『インターネットはからっぽの洞窟』(草思社 1997)と言っています。(ちなみに原題の“Silicon Snake Oilはシリコンバレーのインチキ薬の意)この2つの本が出版されて5年近くが経過した今、いったいどちらの側により多くの真実が存在すると言えるのでしょうか。図書室でパソコンに向かいながらいまだに迷っています。立花氏はストール氏に反論して次のように書いています。

「インターネットは使う人によって、どのようにでも使える、驚くほどの可能性を秘めたメディアです。ガラクタを詰め込んだ空っぽの洞窟としてしか使えない人もいれば、人類史上始まって以来の強力な情報収集マシン、情報発信メディアとして使う人もいるということです」。

これには反論の余地を見出すことができませんが、一方で、ストール氏が引用しているヘンリー・D・ソロー(アメリカの思想家・随筆家1817-1862)の『森の生活−ウォールデン』の次の一節にも惹きつけられます。

「ぼくらの発明はだいたいいつもかわいらしいオモチャで、ぼくらの目を大事なことからそらしてしまうのだ。それは改善されていない目的をとげるための改良された手段にすぎないし、すでにできあがっていて、いとも簡単に到達できるものなのだ。ぼくらはメインからテキサスへ電話線をつなごうと大急ぎになっているけれど、メインとテキサスにはこれといって通信するような大事なことはないかもしれない」

ストール氏が理想とする図書館は「本がたくさんあって、閲覧室にはその日の新聞がそろっていて、雑誌もたくさん置いてある。子どもへのお話会もある。掲示板には地域のお知らせがいっぱい貼ってある。安くコピーできる複写機が置いてあって、つっけんどうだけど顔は笑っている司書がいる」つまり「僕が住んでいる町に今ある図書館」なのだそうです。図書館員である私がどちらかといえばストール氏の主張に傾くのは、医学図書館員という仕事に不安を感じ始めているせいかもしれません。

さて、私なら無人島にドストエフスキーを持って行きます。どの一冊にするかは決めかねていますが。新聞報道によれば、ライブラリアンだったこともあるローラ・ブッシュ米大統領夫人は「ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』でも持ってソファに座っていれば幸せと言われるような本好き。あまり本を読まないことで知られるブッシュ大統領とは正反対」とのことです。しかしながら、「テロ犯人の確保は生死を問わない」(“Wanted Dead or Alive”スティーブ・マックイン主演『拳銃無宿』の原題)そう言ってアフガンへの爆撃を続行しているブッシュ大統領も、最近では常に聖書を携えていると伝えられています。


追記:

この文章を書いた後に知った、『ニューヨーカー』誌の常連寄稿家ニコルソン・ベイカー氏の主張に共感します。

CA1436 - ニコルソン・ベイカーの静かな図書館 / 上田修一
カレントアウェアネス No.267 2001.11.20

CA1466 - 動向レビュー:過去を未来へ ニコルソン・ベイカーの願い  / 薬師院はるみ
カレントアウェアネス No.272 2002.06.20