ある医学図書館員の軌跡
図書館ニュース No.156 1985.2



  患者さんのための本 『君と白血病』を読んで

君と白血病〜この1日を貴重な1日に〜
Lynn S. Baker 著 細谷亮太 訳 医学書院 1982
 

健康な時、人は自分の身体について考えることをあまりしない。医学の知識も必要とは思わない。だから突然病気になったとき、たいていの人は何がなんだかわからない不安な状態におかれる。病名を告げられてもその病気の知識はないからあまり役に立たない。病気についての情報は医師の説明だけである。しかしそれもいつも十分であるわけではない。病気に対する不安と恐怖、それにもまして医師への遠慮と気おくれがもっとくわしく知りたいという気持にブレーキをかけてしまう。たくさんの検査、いろんな治療、何種類もの薬、そのどれもが何のためかわからないままで続けられる。患者は医師の説明を幾度となく思い出し検討してみる。医師の表情の中に何かの意味を読みとろうとする。しかしそのような乏しいあいまいな情報は不安を増すばかりである。医師が患者やその家族に病気や病状についてつつみかくさず説明する習慣は日本ではまだまだ少ない。これは医師の数多い技術の中でも特に大切な技術の一つだと思うのだが、案外無視されている。

私は医学図書館員なので医学書や医学雑誌をいつも身近に利用できるありがたい環境にいる。文献をさがす方法やそのコピーを入手する手段も知っている。必要とあれば自分自身のためにそうした情報を収集することができるのである。7年前、生まれたばかりの息子が血液疾患を疑われたことがある。その時これ以上何も知りたくないという気持の反面たとえ悪いことでもくわしく知っておきたいという欲求が強く起こった。それで、みつけた文献を手あたり次第読んでみたが落ちつかない精神状態である上に学術論文でむづかしく正しい理解ができたかどうかは疑問である。それに今となってみれは子どもの病気は良い経過をたどったのだからむだな努力だったともいえるけれど、あの時は何もせずにいることの方がむしろ困難だった。なんとか子供を助けたいと思ったし、そのために私のできることは何なのかを知りたかった。知ることによって少しずつ勇気が湧いてきたように思う。しかし一般の人にはこのような特権はない。医学専門書や雑誌論文は遠い存在である。たとえ一つ二つ入手できたとしても中に書かれているのは専門家を対象とした単なる知識である。もちろんそれは重要であるが患者が期待する他の何かが欠けている。

最近『君と白血痛』という本を読んでこの中にはその何かがあると思った。これは画期的な本である。「患者さんのための本」なのである。このような本は米国でもめずらしいようだが日本では書かれたことがない。私は最初この本の著者は白血病の子どもを長く診た経験のある小児科医かあるいは血液学か免疫学の著名な学者だろうと思った。ところがLynn S.Bakerというこの女性がこの本を完成させたのは医学生の時なのである。役女は<血液学と書くこと>に興味を持っていた。そして「患者さんのための本」を書くことを思いついたのである。この単純ですばらしい、しかし非常に大胆な思いつきはすぐに実行に移された。彼女は白血病についてできるかぎりの勉強をし、臨床現場で働き、白血病の子どもたちやその家族と話し合った。やがて学者や医師や白血病にかかわる多くの人の協力が得られるようになった。その中でもこの本をユニークで真実なものにするのに力があったのは病気の子供たちとその家族の参加である。著者は子供たちから何を話すべきかだけではなくどんなふうに話したらいいかを学んだと述べている。

10才以上の子供なら1人でも読めるように、やさしくおもしろく書いてあり、字も大きくさし絵もふんだんにある。しかしその内容のレベルは高く、必要なことはすべて入っている。深刻な病気だからといってごまかしや言い逃れはしていない。医学のおよばない部分についてははっきりそう述べている。全編を通じて「君の病気をなおしてあげられなくて本当にすまない」という哀切たる気持が感じられるけれどあきらめはない。「一緒にがんばってみようよ」という力強いはげまし、この本を作るにあたって協力したたくさんの人たちの声が伝わってくる。この本が白血病の子供たちと子供を世話する人たちに多く読まれ、彼等を勇気づけてくれるとよいと思う。また日本でもこのような本が書かれるようになって欲しい。堅苦しくなくおもしろく読め、それでいて十分な知識が得られ、安価で手に入りやすい患者さんのための病気のハンドブック。

この本を読んで私が医学図書館員になりたてのころ考えていた思いっきが心によみがえった。それは「患者と医学図書館」というテーマであった。患者さんの役に立ちたいというそぼくな願いから生じたこの発想は、月日が経つにつれて現実的になるどころか荒唐無稽に感じられるようになり、やがて忘れられていた。今思いかえしてみると悪くないアイディアである。息子が病気の時、医学図書館員であるがために得られた特権はありがたかった。誰しもそう感じるであろう。知る権利は平等なはずである。図書館がこの理念に奉仕するものであることを忘れないようにしたいと思う。