ある医学図書館員の軌跡
典拠:東邦大学付属佐倉病院『佐倉図書室通信』100号(2000.12)


『佐倉図書室通信』100号記念特集号 -21世紀の図書室に向けて-

寄稿者:舘野昭彦/山口宗之/木下俊彦/沢田健/冨岡玖夫


舘野昭彦 『佐倉図書室通信』100号発行にあたって 

『佐倉図書室通信』が100回目の発行を迎えました。開院以来図書室の管理・運営の責任者として頑張ってこられた下原司書に敬意を表するとともに、ご指導、ご協力頂いてきた教職員の皆様に感謝いたします。また図書室が構造上医学部と佐倉病院にまたがる機構であるが故、運営上様々な問題が生じてきましたが、適切な対応をされ図書室を支持してこられた前執行部副院長山口宗之教授にこの場をお借りしまして深謝いたします。

『佐倉図書室通信』はエッセイ、図書室の企画もの、新着図書紹介、インターネット情報等で構成されていますが、とくに教職員によるエッセイは毎回とても興味の持てる内容であり楽しみにしています。私自身は文章を書くのが苦手なため後回しにすることが多く、事実この文もやっと締め切り前日に書いている有り様です。ですから何度もエッセイに登場される方に驚きと尊敬の念すら感じてしまいます。教職員によるエッセイは佐倉図書室通信の目玉でもありますので、今後も多くの方に登場していただいて貴重な体験等を披露して頂きたいと考えております。

医学部教授会その他で東邦大学メディアネットセンター構想が発表され、来度4月からスタートすることになります。医学メディアセンター(仮称)は旧来の図書館(室)情報サービスを拡大し、より広い視野から情報提供サービスを行うことを趣旨としています。すでに院内ネットワークでPub Med、医中誌Web、Cochrane Library等の文献検索や電子ジャーナルの利用等も可能になっています。近い将来は院内各部署のどこからでも24時間のサービスが受けられるようになることでしょう。

 図書室の洋雑誌は予算およびスペースの関係で電子ジャーナル化が進み、ますますペーパーレスになりますが、医学メデイアセンター構想下に旧来の図書室(ライブラリ部門)は一部変容しながらも存続し、現在図書室にて行われているサービスは今後も継続されることになります。

佐倉病院図書室の方向性をどう考えるべきでしょうか。私達医療職は医療サービスを商品としており(表現に異論のある方もおられるでしょうが)、常に患者さんが存在します。近い将来オーダリングシステムが導入されも電子化される部分は医療のごく一部です。病院図書室も私達の業務と同様に電子化が進んでも、他の機能を持ったエリアとして存続すべきです。文献検索のみではなく他の部署の職員と情報を交換したり、レポートや論文を書いたり、忙しい業務の中でホッとしたり(医学生の場合は指導者から逃れる聖域?になったり)、といったことができる場所であって欲しいと思います。十分に緑が目に入って来るようなエリアであればさらに良いのですが、欲張りでしょうか。増床の際に図書室の検討がある場合には考慮して頂ければ幸いです。

佐倉病院図書室は開院以来多くの方のサポートにより現在まで歩んできました。裏返せば、大森図書館のように大きな機構ではないため、かえって教職員の意見も反映させ易い教職員による図書室ともいえます。今後も皆様のご指導、ご協力を仰ぎながらより利用しやすい図書室に発展することを願ってやみません。(佐倉病院副院長・図書室運営委員長・小児科)




山口 宗之  こどもの腹痛

 最近図書室で「小児虫垂炎へのアプローチ」という特集(小児科41巻10号 2000)が目に付き、どんなことが書かれていのるか小児外科医にとって興味があった。なんと虫垂炎の手術での死亡例の記載があり、それも3例の裁判例であった。読んで改めて“こどもの腹痛”の難しいことを痛感した。日常診療では、こどもの腹痛の原因は多種多様で、明らかな疾患による腹痛は少なく、むしろ胃腸炎や感冒によるのかはっきりしない原因不明の腹痛の方が多いように思われる。こども特有の病気、例えば肥厚性幽門狭窄症は1か月前後の乳児に、また腸重積症は1歳前後の乳幼児に多いなど、年齢により病気がある程度限られている。また急性虫垂炎は小学校前の乳幼児では非常に稀で、小学生になると加齢と共にその発生頻度が高くなる傾向にある。こどもの急性虫垂炎は日常診療で時々遭遇する疾患であるが、その診断、治療は比較的容易であるが、しかし、稀に困難なこともある。
 乳幼児が腹痛にて来院すれば、まず両親からの問診を行い、そして診察、検査などを行う。診察は視診から始め、例えば腹痛を起こす血管性紫斑病患児の下腿の紫斑を見おとしたり、鼠径ヘルニアの脱出腫脹(嵌頓)がオムツで隠れていたりするこがあるので注意が必要である。そして触診では、患児が泣いて不安がってい状況では腹部全体が硬く、炎症による筋性防御や反跳痛の所見なのか正確な所見を得とはできない。前もって手を暖めてから患児のお腹に平らにおき、指先よりも指の腹で触診する。そして触診時、患児に優しく語りかけながら、痛いのはどこかなど患児自身に痛い部位と程度を話させ、痛みのないところから丁寧に触診を始める。この時、患児の返答よりも、患児の表情が圧痛の鋭敏な指標となるので注意深く観察し、苦痛の徴候を見逃さないように行うことが大切である。
 虫垂炎が疑われない場合は他の疾患を考え小児科と相談して様子をみるだけでよいが、虫垂炎が疑われる時は保存的か、手術的療法かを判断する。こどもの虫垂炎は比較的稀であるが故、診断が遅れがちになり、穿孔して初めて診断、手術になることが多い。さらに幼児の虫垂壁は薄く、また大網が未発達のため容易に穿孔し、汎発性腹膜炎にいたることが多い。また虫垂炎の軽い状態から3〜4時間後に穿孔して汎発性腹膜炎の重篤な状態になることもある。従って、診断がつき次第、手術をすべきであるとの意見もある。しかし虫垂炎でも抗生剤で治る例も多く、むやみに開腹術を行うべきではないと考える。現実に虫垂切除術での死亡例や術後癒着性腸閉塞症を頻回に起こす重篤例もある。乳幼児で診察が難しく、診断に不安がある場合はできれば小児科医と相談して患児を何回も診察して正確な状態を把握することが大切である。
 またすでに穿孔して汎発性腹膜炎を併発した患児では、発熱や嘔吐などで容易に脱水や電解質失調を来たしていることが多い。この様な状態で、急いで全麻下での開腹術を行うと術後ショック状態に陥り、かなり重篤になることが考えられる。従って、手術を遅らせても術前に急速輸液を行い、脱水と電解質失調の改善を行って排尿、即ち利尿をみてから全麻下にて開腹術を行うことが安全かつ重要であると考える。
参考 桑原博道、加藤済仁:小児虫垂炎と裁判. 小児科41(19):1721-1725, 2000     (佐倉病院外科・前図書室運営委員長)



木下 俊彦 図書室はアヤシイ

 図書館で勉強してくると言って息子がでかける。一応大学受験生であるので家族は納得するのであるが彼女を連れてすぐ帰ってくるので、何をしているのかあやしいものである。
 息子に遺伝したのであろうか、私も図書館での勉強はできないたちである。本に囲まれた図書館は好きだし、読書も好きである。しかし図書館の椅子に腰を落ち着かせて勉強をするというのは気持ちが落ち着かずだめである。読書もだめである。何となく自分の周囲の空気がスカスカした感じがする。読書をするなら借りて読むのがよい。場所は電車の中が最も効率がよいようだ。空いている電車でも空気がスカスカした感じはしない。
 したがって佐倉病院の図書室にも何回も行っているが、椅子に座っての勉強や読書をしたことは少ない。ではなぜ図書室に行くのか。もちろん資料を求めてであるが、具体的な理由を持たずに訪れることもある。例えば町を歩いていてふと本屋に寄るとか、寄り道をしてしまうとかそんな感覚で立ち寄ることがある。手術の合間など時間が少ないことはわかっているが、そんな時に限って何となく寄ってしまう。気になってはいたが忘れていたことや、調べたいと思っていたことがそういうときになってモヤモヤと胸の中にわいてくることがある。その解決のきっかけになる情報を得ることがある。
 自分の診療科以外の雑誌をながめることになることもある。医学書以外の書物を思わず借りてしまうこともある。もちろん何も浮かばず図書室のBGMを聴くだけで終わることも多い。何となく図書室の妖しげな雰囲気に操られているような感じである。
 大図書館には蔵書も多く価値も高いが、通常独立した棟になっていて、訪れるには物理的にも気持ちを起動させるにもエネルギーを要するのでついつい足が遠のく。佐倉病院の図書室はサイズといい、院内にあるという条件といい、「行くぞ」というエネルギーをあまり高くすることなく、行ける条件を持った図書室である。誰に言うこともなく寄ってしまう所である。息子の図書館通いはあやしく、私にとっての図書室は妖しいのである(佐倉病院産婦人科)



沢田 健 ネットワーク社会の未来によせて

 「佐倉図書室通信」が通算100号になったとのこと,お慶び申し上げます。雨の日でも濡れずに図書室に行けたり,図書室の方々のこまやかなサービスにはいつもながら感謝しております。
 以下,ネットワーク社会の越し方行く末についての一考察である。
 20世紀末の1999年,個人的にはインターネットが仕事に生活に完全に入り込んできた1年といえる。東邦大学全体にLAN回線が敷設され佐倉地区でも高速にインターネットが利用できるようになったことが大きい。さらには全職員が高速回線でインターネットを利用できるようになって欲しい。
 日常をふりかえってみる。毎朝インターネットでメールチェックをして,朝刊4紙の主な記事を読み,ワシントンポスト(http://www.washingtonpost.com)やニューヨークタイムズ(http://nyt.com)までもが購読料なしで読めるようになったのは本当にありがたいことだ。
 "PubMed"(アメリカ国立医学図書館)に続いて念願だった国内医学文献の"医中誌"もWeb対応版を提供し始め当院でも利用できるようになった(2000.11〜)。以前のCD-ROM時代に比べると通年性の検索が実用に耐えるようになったし,Downloadの出力もMedline形式など多様な出力形式をサポートし以前のversionの大きな問題だったデータベースへ取り込む際の項目落ちがなくなった。(関和男,沢田健:ほすぴたるらいぶらりあん24:21-27,1999)
 関連学会に目を移してみると,小児科学会は3年前の第100回集会からUMINを利用した演題登録をWeb上で並行的に開始し,来年の学会(第104回,仙台)では全ての演題をWeb上で募集するまでになった。また来年はビデオオンデマンド(VOD)が小児科関係の学会では初めて採用される。VODはインターネット上で放送(ストリーミング)することにより,遠隔でかつ時間的拘束のない学会参加が可能となる。見た後に一定の質問に答えることで小児科学会認定医更新の単位を与えることも検討されているようだ。将来1会場を越えるような大きな医学会はWeb上で主に発表討論され受賞,解説講演などplenary lectureのみが1会場で行われることが理想的なのではないだろうか? (佐倉病院小児科)



冨岡 玖夫 美しい織物

 東邦大学医学部付属佐倉病院は,2001年9月で満10年を迎える。この『佐倉図書室通信』も100号を迎えたという。愛読者として,ご同慶の極みである。同時に積み重ねられた下原康子氏の努力に敬意と謝意を表する。
佐倉病院開設準備室の時代からおられた,小屋二六教授も佐倉病院を来春には去られるという。開設準備室にいた最後の一人になってしまう一抹の寂しさがある。
 過去を振り返るのは老人(実際,来春内田康美教授が退任されると小生が最年長となる)の癖であると同時に特権でもあろう。過去を振り返える言訳に,便利な四文字熟語がある。「温故知新」「彰往考來」である。和英辞典では「an attempt to discover new things (truths) by studying the past through scrutiny of the old」とある。
 そこで,東邦大学医学部付属佐倉病院の歩みを振り返りながら,将来を考えてみたい。私は,組織のあり方を織物にたとえて考えている。織物は,縦糸と横糸によって織りなされる。できあがる織物は,糸の種類や太さ,硬さなどいろいろな条件によってできあがりが異なるであろう。染色のされ方によってできあがった織物の絵柄も美しさも多様であろう。しかし,縦糸がなければ,横糸は織れない。また,横糸がなければ,縦糸のみでは織物にならない。縦糸が強く張っていないと,横糸が織れない。縦糸が強く張りすぎても,横糸は入っていけないので織物はできない。
 東邦大学医学部付属佐倉病院における各講座・研究室は,縦糸である。そして,中央診療部門や,薬剤部,看護部,事務部は横糸である。私たちは,良い織物をこの10年間織ってきたのであろうか?
 スタートの時を振り返ると,準備室に所属したわれわれは,すでにデザインされてできあがった建物に放り込まれただけだったような気がする。そこには,ハードウエアのみがあって,ソフトウエアのデザインは皆無であった。当時すでに,小生の母校の千葉大学医学部附属病院では,医療情報部がオーダリングシステムの方向性を模索して実施段階に向かっていたので,新しい病院では当然ながらコンピューター化が計画されていると誤解していた。誤解していたと言うのは,当時小生を誘ってくれた小屋二六教授と共に「小さくてもイージス艦のような病院を作ろうよ」などと夢を語っていたからである。開院の間近になって病院をみると,医事会計用のコンピューターのみで,病歴管理システムのコンピューターさえもなかった。研究室として用意された部屋は2部屋で,20アンペアの電源と洗面台があるだけであった。この研究室を,曲がりなりにも研究ができる部屋にするのに病院全体の契約電源をあげなければならず,完成までに3年の年月を必要とした。
 ある時,当時の医学部長であった野口鉄也教授に,「この病院は,コンピュータネットワークを配線するためのダクトは整っていますがネットワークがありません。あたかも,脊髄空洞症みたいな病院です。」と申し上げて,顰蹙をかったことがある。省みると,ソフトウエアのデザインなしに,ハードウエアをつくってしまった感がある。
 海図のない航海をはじめた「佐倉丸」に乗船したクルーは,希望の大陸をめざして訓練航海にでたようなものである。この10年間の訓練航海でクルーは鍛えられ,若いクルーも希望をもって乗船してきた。前船長はまもなく下船する。残されたクルーは,新しい船長と航海士のもとで厳しい「医療の海」を進まなければならない。10周年を迎えたこの時期に,われわれが大学人として,どのような教育,診療,研究するかについて討論し,将来の展望を見直す必要があろう(an attempt to discover new things (truths)。新執行部の掲げるセンター化構想の推進もはじめに述べた「織物論」の認識なしには実現しないと考えている。増床計画なども「まず建物ありき」の建設省ばりの建物行政でなく,ソフトウエアを練り上げたうえで,ハードウエアを設計するという過程を踏まえないと,開院当時と同じ轍を踏むことになる。
 「われわれは,良い織物を織ってきたのであろうか?」という,最初の問いかけに戻ろう。織物は,織れてはいるがところどころ弱いところがある。完成はまだ先のことである。それでも,所々に美しい絵柄ができている。
 100号を迎えた「佐倉図書室通信」もこの織物に描かれた美しい絵柄の一つである。さて21世紀を担う若い諸君は,どんな織物を織り続け,どんな絵柄を織りあげるのですか? 織物ができあがったら,次はどの様なデザインの衣服に仕立てるのでしょうか。(佐倉病院内科)