ある医学図書館員の軌跡

佐倉図書室通信 No.52/ 1996.10
寄稿エッセイ:私の一冊Q


近藤誠著『患者よ、がんと闘うな』(文藝春秋 1996)

N.K

現在もっとも注目を集めている話題の一つに薬害エイズがある。前帝京大学副学長安部英の逮捕・起訴に続いてミドリ十字の元・前・現と3代にわたる社長が逮捕された。薬害は古くは中国漢方医学の時代から存在したが、近年では1960年代西ドイツにはじまり、わが国にも多数の患者を出したサリドマイド薬害があまりにも有名である。しかし以後も新しく開発された多数の医薬品によって多数の犠牲者が生み出され数々の社会問題になってきたが、話題にもならない軽微なものまで含めると天文学的数字になるものと考えられる。

折しも『患者よ、がんと闘うな』という奇妙なタイトルの単行本が目に止まった。普通はがんと壮絶な闘いをして亡くなったとか、がんを征服したとかの闘病記が書かれていることが多く、その手の本はあまり読んだことがなかったが、これは慶応大学医学部放射線科の現役講師が、現代のがんやがん治療に関して「手術はほとんど役に立たない、抗がん剤治療に意味があるがんは全体の一割、がん検診は百害あって一利もない、がんは今後も治るようにはならないだろう」などと、今までの<常識>や<通念>を科学的・論理的にくつがえし、「同僚批判禁止のタブーを破り、出世コースをステップアウトして、患者の側に立つか医師側に立つかの踏み絵を迫る」思いで執筆されている。

私自身、診断病理学に従事している関係で患者さんとの接触はほとんどない。患者さんがどういうきっかけで受診し、レントゲン検査や内視鏡検査の功罪をどう説明され、病理検査でがんの診断が確定された後にどう告知され(あるいはされず)、手術、抗がん剤、放射線などの治療選択を誰がしたか、それぞれの効果、副作用、予後などについて十分に説明され理解できたか、などをほとんど知らない。提出された検体あるいは解剖にふされたご遺体を通じて、どういう治療が行われたかはわかるが、その裏で医師、患者ともに様々な錯覚、誤解、無見識などから、無意味で誤った治療が選択されてきたことには気づいていなかった。現在のがん治療の多くが<延命>とは逆の<短命治療>になっていることも知らなかった。術後の経過や抗がん剤の副作用を見ても、がんを治すためには仕方がないものと理解していた。がんには<本物のがん>と<がんもどき>があることには気が付いていなかった。(形態的には鑑別できない)。自分の不勉強を指摘された思いである。

かって示唆に富む解剖をしたことがある。症例は74歳の男性。6年前に肝硬変が指摘され4年前に多発性の肝がんが発見された。患者、家族、主治医の相談から無治療で経過観察と決定された。患者本人は好きなゴルフを毎週亡くなる2か月前まで思う存分楽しんでいた。解剖した時点では肝臓は80%以上がんに置換され、胸腔・腹腔の全臓器にも高度の転移を示していた。最近はがんが発見されればなんらかの治療が行われるので、無治療で4年間も死の直前まで元気に生きていた例はまれである。近藤氏の著書には『患者と語るガンの再発・転移』『がん治療「常識」のウソ』『がんは切ればなおるのか』などがある。重複して書かれている内容もあるが、それぞれ納得できる根拠に基づいて現在のがん診断・治療に対する矛盾点が指摘されている。( 病院病理学研究室)

当時の編集責任者の思い(2016年追記)
がん患者にとって病理結果は運命の宣告に等しい。その判決を下す病理医が刺激的な題名のこの本をどう読まれたのだろう、とドキドキした。しかし、意外なほど真っ直ぐで真摯な感想に驚いたことを鮮明に記憶している。
がん専門病院の患者図書室で働いていたとき(2006〜2013)「こういう本を置いてもいいの?」と聞く患者さんがおられる一方で「近藤誠は今でも正しい」と言う元キャリアナースの患者さんもおられた。抗がん剤治療を受けながら近藤医師の本を読む患者さんも少なくなかった。近藤医師の功績は、がんやがん治療を考える上での相対的な見方・考え方を提供したことにある、そう理解している。