ある医学図書館員の軌跡
佐倉図書室通信 No.40/ 1995.9
寄稿エッセイ:私の一冊E



多田富雄著 『免疫の意味論』
 青土社 1993

冨岡 玖夫

『免疫の意味論』は私の恩師である東京大学名誉教授多田富雄先生の名著である。雑誌『現代思想』に連載されたものを集めて一冊の本にまとめられた。この種の著作が文学賞を受賞したのは異例のことである。大佛次郎賞を受けた。免疫学という先端科学の内容を普通の言葉に翻訳して、一般の方にわかりやすく解説しようとした、と述べている。「わかりにくい免疫のほとんどすべての問題点を、ともかく論じることができた。現象の背後にある意味についても、多少立ち入って考えることができた。少なくとも数年の間はこの本をガイドにして免疫の世界を旅することができるであろう」と述べている。私もこの本をたくさん購入し、研修生や友人に贈呈した。また自宅と研究室に一冊ずつ置いて、なにかの折に読み返している。

この本で常に問いかけているのは、<自己>とは何かという問題である。本書を読んで自己に関する著者の論理展開を理解していただかなければならないが、本書の後半で、「自己というのは自己の行為そのものであって、自己という固定したものはない」と結論している。本書を読みながら免疫学を<自己>と<非自己>を学ぶと同時に自ずと私自身の社会的存在としての<自己>を考えさせられる。このことは私のみではないのではなかろうか。おそらく生命科学の分野の人のみならず他分野の人も社会的<自己>(自分)と<非自己>(他人)をどのように見分けているかという命題を考えさせられる素材を提供していると考えられる。このことが文学賞を受賞した理由ではないだろうか。

多田先生は本書を書くきっかけに当時盛んに議論された“脳死”の問題があったと書いておられる。事実、脳死と臓器移植を考えるために『無明の井』という新作能を書き上演した。海外公演も行った。能楽師は佐倉在住の橋岡久馬氏である。横道にそれるが、橋本氏は毎年佐倉市で薪能を上演している。佐倉市に能楽堂を建設する運動も進めている。多田先生は芸術家でもある。能楽をたしなみ小鼓の演奏家である。芸術鑑賞にも卓越している。『イタリアの旅から―科学者による美術紀行』(誠信書房 1992)という著作がある。イタリアを旅行していない筆者にも多田先生の旅の様子が伝わってくる。また、多田先生はグルメである。海外の学会でも国内の学会でも多田先生の後について行くと必ず美味しいものにありつける。この日曜日には多田邸で開かれる“ワインを楽しむ会”に招待されているので楽しみにしている。お手製のイタリア料理ととっておきのワインとそして友人たちと取り交わされる会話が私の明日への励みになる。『免疫の意味論』は単なる科学者・免疫学者の著述ではなく芸術家・思想家の作品である。(佐倉病院 内科)