ある医学図書館員の軌跡
佐倉図書室通信 No.88/ 1999.11
寄稿エッセイ:とっておきの話 23



故 中村元先生のこと


佐々木 忠

先日(1999年10月10日)中村元(はじめ)先生が逝去されました。インド哲学、仏教研究の世界的な権威で、新聞報道によれば百年に一人の大天才だそうです。お恥ずかしいことですが、私は一年前から主治医に指名されました。私が開業して東邦大城北支部の役員になってから教えていただいたことですが、奥様は帝国女子医専19年のご卒業です。学習院幼稚園の初代園長を勤められました。民間人で初めて皇太子殿下の注射をした医師は奥様だったそうです。

中村元先生は大正元年生まれ。東大の名誉教授、文化勲章受章、数多くの博士号を持つ世界有数の学者であり、また仏教の慈悲を体現された偉大な人格者でもあられました。隣の町にお住まいとのことでお伺いしますと、「勉強しか能がなかった」と奥様が話されたように、部屋という部屋はうず高く本が積まれ、足の踏み場もないくらい。家が本で圧し潰されそうになって建て替えをなさるときでも、勉強の中断は許されなかったので隣に新築されたのですが、そこもまた一杯になってしまいまた隣に新築。とうとう自宅の番地が3つになってしまったそうです。3番目に新築した家はエレベーター完備で書庫は自動式。3つの家がつながっておりますので、私は迷子になりそうでした。20年かけて書き上げ完結した全3巻の仏教語大辞典の原稿を出版社が紛失してしまい、黙々と8年かけて書き直した逸話は有名です。私など論文を5つ書くのに数年。しかも30ページほどのものなのに、先生の論文は家を壊す重みになっておりました。

先生のご研究はインド哲学諸派、論理学、ヒンドゥー教、仏教諸思想から中国、日本の思想に広がり、さらに宗教と社会や政治の関係から、死生観や老いの問題に至るまで積極的に勉強なさっておられました。全世界から集められた貴重な資料を何処かに寄贈したいが、後に続いて勉強する人が少なく、引き取り手がなくて困っていると奥様が話されていました。昭和天皇崩御の際には政府の(元号に関する懇談会)の委員も務められたとのことでした。本年夏まで杖をつき東方研究会に講義に出られ、NHK教育講座にも出演されていました。また全32巻別巻8巻の中村元選集を完成されたばかりでした。

ご臨終のご様子は、意識朦朧の状態ながら、まるで講義をなさっているかのような不明な呻きが45分も続き、最後にはっきりと「私は病気になりこれ以上講義を続けられませんので失礼致します」とおっしゃいました。そしてそれ以降意識は回復しませんでした。先生はご自分の死については私に何も語られることなく静かに旅立たれました。11月6日に築地本願寺で本葬が行われる予定です。ご冥福をお祈りいたします。在宅医療の予備軍は次から次へと控えてはおりますが、在宅医療ならではの貴重な体験を味わっております。それにしても、2が月間、朝昼夜深夜の往診を頼まれ日曜祭日もなくくたびれました。(佐々木医院・佐倉病院外科客員講師)